旅立ちと情報・お手伝い
2話連続ですが、前話は人物紹介です。
次回からは一話体制に戻ります。
西の駐車場で知らせを聞いて俺が駆けつけた時には、残念ながらもう生まれてしまっていた。
早いなオイ。
「おお」
駆けつけてみると、どうやら生まれた後だった。
残念ながらタイミングを逃してしまったものの、生まれたばかりの命を見るのはいいものだ。
「……」
目も開いていない子犬……狼なんだろうけど現時点ではワンコと変わらないそれは、おそらく精霊布で作られたんだろう仮設の寝床でみーみー鳴いていた。
おなかすいてるのか?
そういえばエキドナ様って、授乳どうすんだ?こんな巨大な身体じゃあ……あれ?
見ているうちに変化が起きた。
その小さな子犬にエキドナ様の巨大な手がかざされたかと思うと、子犬の身体が大きくなりはじめた。
「お」
まるで時計を早回しするように子犬は成長していき、またたくまに小型犬よりちょっと大きいくらいになってしまった。
どうやら今回は、乳離れできるくらいまで一気に成長させたらしい。
そんな子犬を、小さな宝物を扱うように、丁寧に、丁寧にエキドナ様はすくい上げて上から覗き込む。
「おお、よしよし……うむ、ちゃんと生まれたようじゃな」
「……」
子犬はゆっくりと、しかし確かに目を開いた。
すんげ。いくら成長したって、結局生まれたばかりだぞ。
子鹿じゃあるまいに、もう目が開くのかよ。
ぴっちりと目を開き、そしてキョトンとした目で周囲を見た。
そして。
「わらわの声が聞こえるかえ?」
「……くぅん」
「こわがらんでもよい。
本来であれば、そなたは乳離れするまでわらわの胎内で育てるはずじゃった。
しかし、そなたの願いにより早く生まれる事となった。
そなたの強き心と勇気を、わらわは称賛しようぞ」
にっこりと、本当に誇らしげに小さな子犬に語りかけるエキドナ様。
「ひとつだけ忘れてくれるな。
それは、わらわがそなたの母という事じゃ。
転生を成したそなたには、もともとの、ひとであった頃の母の記憶があるじゃろう。
しかし、そなたは今やこのわらわの、エキドナの仔でもあるのじゃ。
ゆえに、いつでも困ったことがあれば、この母を頼るがよい。よいな?」
「わんっ!」
元気よく返事して、そしてしっぽをパタパタとふった。
そのさまは、可愛いわんこ以外の何者でもない。
首をかしげていたら、マオが「どうしたの?」という目を向けてきた。
「あれ本当に昨日の女の子か?人間の面影が感じられないんだが?」
むしろ、ただの子犬と言われたほうが信じられるぞ。
そしたらマオが言った。
「本当に生まれたばかりの子なら、ひとの言葉なんて理解できない」
「けどあれ、フェンリルだろ?ただのわんこじゃないだろ?」
「どんな賢くても、生まれてすぐは真っ白が当たり前」
なるほど、そういうもんか。
そんな話をしているうちに、子犬は下に降ろされた。
「ん?何をしているんだ?」
「旅立つらしい」
「え?なんで?」
旅立つってどういうこと?
「うちにかえりたいって」
なんだって?
「えっと、つまり下田の地元民じゃなかったって事?」
「ソフボの家に来て、帰れなくなったらしい。うちにかえりたいって」
「祖父母?ああ、そういうことか」
療養に来ていたのか単に遊びに来てたのか知らないけど、社会が崩壊して戻れなくなったんだな。
一度はマオを捨ててこの世界に戻ってきた俺としては、それは止められないな。
「ずっと気になってたんだろうし、そりゃ確認したいよな」
「うん」
マオも何も言わなかった。
無理もない。
こいつは俺の、帰るんだ、家に帰るってのをずっと聞いてたはずだからな。
──わんっ!
「お」
ふと気がつくと、わんこは俺たちの目の前にもやってきていた。
たぶん俺たちに向かって一声だけ吠えて、そして人間のように頭をさげて。
……そして、下田方面に向かって駆け出していった……。
「ああ、うん……もう旅立ちって、ずいぶんせっかちなやつだなぁ。しかし大丈夫なのか?」
「大丈夫であろ」
俺のつぶやきに、エキドナ様が返答してきた。
「ダメなら今日明日のうちに戻ってくるじゃろうし、問題なければ旅を続けるであろうしのう」
「……その、今日明日中というのは?」
「腹が減るからのう。
フェンリルは基礎能力が高いから狩りそのものは問題ない。今の身体なら大量の食事はいらぬしのう。
しかし、ひとの心をもつ者に獣の食事がとれるかのう?」
「あ」
そういうことか。
「まぁ無理なら戻れと言ってあるしのう」
「なるほど。
そういえば、ひとに変身できる種類みたいな話してませんでしたっけ?」
人に化ければ、人の町で食料を漁れるだろう。
「能力的には可能じゃが、今は人の姿をとりたくなかろう」
え?
「……トラウマってやつですかね?」
「いかにも。あれが人間族にやられた経緯を思えば、ひとに変ずるには気持ちの整理や覚悟が必要であろう」
そうだよなぁ。
生きたまま手足を切り落とされるなんて、ありえない目に実際にあわされたんだ。
むしろ、その程度ですんでる時点で凄いだろ。
「もし食事ができなくて戻ってきたら、何を食べさせるつもりなんです?」
「最初は分身に調理させたものをとらせ、次第に慣らす事になるじゃろう。
……もっとも、実はあまり心配しておらぬがな」
「どういうことです?」
「生きながら手足を切り落とされ、なお生き延びたメスじゃぞ。
よほどの事がなければ自力で乗り越えるじゃろうしのう。
心配と言えば引き際を誤るくらいじゃが、なに、そうなったらそれはそれで、あの者の運命であろうよ」
「そうですか」
たしかに説得力があった。
生き延びたのは状況も運も大いにあるだろうけど、それも実力のうちだろう。そして最後に心が折れなかったのは運でなく当人が強かったからだ、というのは俺も思う。
すごいよな。
あ、でも。
「エキドナ様、まだ彼女に連絡とれます?」
「精霊経由なら可能じゃが……どうしたのじゃ?」
「あまり東京に近づくなと伝えてください。
あと、川崎近郊に大人数の避難所が今も稼働してるんですが、護衛チームに危険人物がいるなど統制がとれてないので不穏です。彼女を見てどう反応するか」
「ほほう、どのくらいまずいのじゃ?」
「出会い頭に俺を射殺してマオを奪おうとしました。その者たちは焼き殺しましたが」
「一部の者だけが問題だったとしても、そんな者が武装してウロウロしていた時点で安全とはいえぬな……あいわかった、追加連絡をだそうぞ」
「ありがとうございます。それともう一点、これは頼みごとでなく単なる情報なんですが」
「ふむ、なんじゃ?」
「東京に近づくなというのは不穏な感じがしたからですが、たしかな根拠はありません。
なぜかそう考えたかについて、きいてもらえませんか?」
「うむ、きこう」
俺は東京の自宅で感じたこと、移動中の印象なども話した。
「なるほどのう。
不自然にきれいな町並み、しかし住民はおらず、ゾンビだらけという状況に不穏さを感じるというのじゃな?」
「はい」
「かりにも王都、いや、こちらの世界的には首都というのであったか?
一億二千万の民を抱えていた国の首都がその状況で、なぜ都市そのものが無事なのか、か……たしかに奇妙じゃのう。
自国の政府が残っていれば奪還の行動をとるじゃろうし、この機に乗じてどこかの国が攻撃を試みた形跡もまったくないか……ふむ、わらわでもそれは不穏に思うじゃろう」
「あくまで俺の見た範囲なんで、見落としはあるかもですが」
「なるほど」
エキドナ様は何かを考え込んでいた。
「よかろう、わらわの分身や眷属に、少し調べさせようぞ」
「すみません、お世話になります」
「なに、よいよい」
ふふふとエキドナ様は静かに笑った。
「そんなことよりユウよ、わらわがいるうちにやっておきたい事はないか?」
「やっておきたいこと、ですか?」
「わらわ本体は、戻るまで特に仕事がないからのう」
「仕事がない、ですか……あ」
そういえば。
「おや、何かあるのかのう?」
「うーん、けど荒仕事ですよ?たしかにエキドナ様なら簡単でしょうけど」
「なんじゃ、橋でも落とすのかや?よいぞよいぞ、どこの橋じゃ?」
「……なんでわかるんです?」
「知れたことではないか」
クスクスとエキドナ様は笑った。
「わらわの見たところ、この世界の建築物はやたらと頑強に作られておるようじゃ。
しかも、このあたりは白いもの、鉄筋コンクリートと申したか?アレが多いように思える。
天然石よりは断然もろいじゃろうが、あれの構造物を破壊するのはたやすくなかろう?」
「はい」
俺は同意した。
「ゾンビ対策に通路をふさぐ、あるいは破壊するのはセオリーじゃが、できれば重要性の低い橋などはすべて破壊してしまいたいのじゃろ?いちいち精霊術で破壊しておったら、いくらそなたでも手間と時間がかかりすぎるからのう……どうじゃ?」
「おみそれしました」
「ふふ、だてにそなたらの師匠をしておらぬ」
いやいや本当にすごいわ。
一時間後。
俺はエキドナ様を案内し、東にある弓ヶ浜のそばにやってきていた。
対岸の弓ヶ浜は海水浴場もある大きな集落で、もちろんだけどゾンビも結構いる。
「ほとんど元住民みたいですね」
「ほう、そうなのかや?」
「あまり観光客っぽい人がいないみたいですし。ほら、町の入り口を塞いだあとがある」
非常事態と気づいてから、自分たちの町を守ろうと尽力したんだろう。
細かい事情はわからないけど、ただ無意味に滅ぼされたわけじゃないと思う。
「……」
俺はしばし手をあわせると、エキドナ様にお願いした。
「よろしくお願いします」
「うむ、心得た」
エキドナ様は、その巨体に似合わぬ気軽さで川に降りた。




