無垢
車は順調に南伊豆に向かっている。
さて、ここまで来たら、現時点で狙っている目的地をハッキリさせようと思う。
目的地は石廊崎周辺。
できれば石廊崎漁港、ダメならその周辺を閉鎖して安全地帯を作り、そこに住居を作成するつもりだ。
え?公共の場所を閉鎖していいのかって?
もちろん、住民が生活してたり避難民がいれば別の場所にするけどさ。
それ以前に精霊たちが言うんだよね。
『いろーざき、生きてるひと、いないよー』
……というわけだ。
あと、一部の人に漁港と思われている大きな駐車場は観光向けの駐車場で、いわゆる本当の漁港はその奥にあるんだよね。規模も決して大きくないし、つながる道も一本きり。で、その先端には小さな建物がひとつあるだけの行き止まり。
ゾンビは生前の記憶によって動く。
だから、発見されないように漁港に入り込み、通路を閉鎖してしまえば簡単に隔離環境が作れるってわけだ。あとは中のゾンビを掃討すればいい。
そんなわけで、旅は順調に進んでいた──ここまでは。
「精霊が神ってどういうことだ?」
「どういうって、そのまんまよ」
ユミさんは呆れたように言った。
「なあマオ、知ってたか?」
「今の身体になってから、ハイエルフの長老様が教えてくれた」
なぜかマオはうれしそうだった。
「ユーは無垢で何も知らないので、代わりにおまえが学んでおきなさいって言われた」
「むく?」
「え、無垢?……あ、そうか、そういうこと!」
マオの言葉に、何かユミが俺を見て、そしてポンと手を叩き、すんげー納得した落ちた顔をした。
「無垢ですかぁ……なるほど、それじゃあ仕方ないですね」
「???」
だが当然の事ながら、わけのわからない俺は完全に置いてけぼりだ。
ンな、まじまじと謎の感嘆と共に見つめられても困るぞ。
「えっと、なに?」
「その話は本題から外れますから後回しで。先に精霊の話をしちゃいますね」
ユミは、静かに語りはじめた。
「あちらに統一された神話みたいなのはないんですけど、精霊に関すること、それから人間族に関することはだいたい一致しているんですよ。例外はその人間族が提唱している話だけです」
ああ、それはわかる。
「そもそも、地球の社会でよく言われるような擬人化できそうな神様は、向こうの世界には存在しないんです。
すべての命を生み出し、育み、コントロールしているのは精霊であって、特定の種族だけをエコヒイキするような神様はいないんですよ」
「え?じゃあ女神は何者?」
「ひとことで言えば、あれは異世界人同様、別の世界からやってきた『自称神』らしいです。
で、人間族を作り出した存在でもあるらしいです。
つまり人間族的に言えば、女神が自分たちの唯一絶対の神様だ、というのはたしかに間違いないんですよ……人間族限定ならですが」
ほう……あれ?じゃあもしかして?
「ちょっと確認」
「はい、どうぞ」
「それじゃ、どの種族も村にひとりくらいはいる精霊見えるヤツとか、果ては精霊使いとか、そういうのが人間族に全然いないのって──」
「はい、女神にできない事は彼らにもできないって事です。
だから人間族も女神同様、精霊は扱うどころか検知すらできないのですね」
うん、理屈は合ってる。
「で、理解できない精霊を悪魔、精霊使いを悪魔使いと称すると……ははは、なるほど色々と謎がとけたわ」
俺のつぶやきに、ユミはクスッと小さな笑みだけで返した。
「ハイエルフ族の一部に、あれは人でなく人造人間であると言い放つ方がいらっしゃるそうだけど、言い得て妙よね。まぁ女神は人ではないから厳密には正しくないけどね」
「たしかに」
なるほど、そういう事情があったのかぁ……ん?
「ちょっとまて」
「え?」
「けどさ、なんでハイエルフの長老とか、みんな、俺にその話を全然してくれなかったんだろ?」
「……そりゃ、ユウさんが『無垢』だからでしょうね」
「む、そこでソレが出てくるのか?」
「ええ、そうですよ」
クスクスとミラーの向こうで、ユミは笑った。
「無垢というのはエルフ族の伝承で、あまりにも精霊に近すぎる存在のことを言います。
ただ、あまりにも精霊に近すぎて日常的には不便や問題が多いんですけどね」
「……褒められてるのか、けなされてるのか全然わからないんだけど」
「あら、最大級の褒め言葉ですよ?」
ユミは本当に楽しそうに笑った。
「無垢認定されたってことは、要するに人の姿をした精霊みたいなものですからね」
「人の姿をした精霊?」
「体質まで完全に精霊寄りになってるって事ですからね」
「それは……ああ、そういう話ならわかる」
ちょっと昔話をしよう。
精霊使いっていうのは、いわば身を削って精霊と共存し、その力を借りるものだという。そして、ある程度のレベルを超えると歳をとりにくくなり、最終的には加齢が止まってしまうと聞いたんだよ。
じゃあ、その人は死ぬのか?
それと、もっともっと状況が進んだらどうなるんだ?
魔族とエルフの精霊使い研究家にきいたんだよ。
そしたら、こう言われたんだよね。
『加齢が止まるレベルまでいくと、精霊使いは老衰じゃ死ななくなりますよ』
『死なない?』
『加齢というのは、生き物が生きているから起きるんです。
生老病死といいますよね?
子供が大人になるのと同じように、歳をとり、やがて老死するのも生き物のサイクルなんです。生き物として繁栄するためには世代交代も大切ですからね。
その加齢が止まるというのは、生き物としての基本機能が止まってしまっているわけです』
『……なんで、そんなことに?』
『精霊が人間のふりをしている状態だから、ですね』
『人間のフリをする?精霊がですか?』
『精霊使いはその性質上、大量の精霊を体内に住まわせています。
この精霊、少量ならいいんですが、精霊使いが進行すると限度を越えます。もはや生命を維持できなくなってしまい、かわりに精霊たちが肉体の機能も代行するようになります。
そうなるとですね、加齢が遅くなっていって、最終的には止まるんですよ。
だって精霊からしたら、生物としての世代交代なんて無意味なものですからね』
『……それは、また』
肉体は歳をとらなくなっても、精神は歳を取り続ける。
それはいずれ、人としての喜怒哀楽を希薄にしていき、最終的には人間としての個を保てなくなってしまう。
で、個が消失した時点で、心身ともにその者の時間は終わる。
その身体は膨大な量の精霊群となって、世界に拡散してしまう。
これこそが、究極の精霊使いが到達する寿命であり『死』なんだという。
だけどなぁ。
「普通、そこまで生き延びる前に死んじまうだろ?不老と不死は違うんだぜ?」
俺に精霊使いの才能があるっていうのは何度もきかされたけど、所詮才能は才能だ。実際にそうなる可能性があるってだけの話だ。
ま、本当に寿命が止まるまで生きられたら、それはそれで凄いことだわな。
けど。
そういう話をしたらなんか、みんな、ため息ついたり笑いだしたりなんだよなぁ。
いったい、なんなんだ。
「……そういう人だからこそ、あえて皆さん何も言わないんですよ」
「?」
「……だめだこれ」
「よしよし」
「ううぅ、ありがとうございます……がんばりましょうね、マオさん」
「うん、マオは勇気あるユミを歓迎する」
「よろしくお願いしますー」
なんか知らないけどユミが頭抱えて、そしてマオがなぐさめてる。
ふむ、なんか知らんけど仲良しになってる?
「なぁ」
「なんですか?」
「ひとが精霊になるってことは、世界の一部になるってことでいいのかな?」
「それはそうと言えますね。何しろ神様なわけですから」
「なるほどねえ」
精霊を使いまくった結果、その精霊そのものに仲間入りして世界に溶けて消えるってか。
死ねば誰もが仏さんというのは日本の考え方だけど、概念だけでなく本当に神様の一部になっちまうわけだ。
……だったら、かりにそうなっても別に怯える必要もなにもないんじゃないか?
ま、不安があるとしたら、そうなるのに非常に長い時間がかかりそうって事だけかな。
ひとの心のままそんなに長生きするのは、しんどい事だろうしなあ。
「うん」
「……なんだか、謎の納得してますよこのヒト」
「ユーだから」
「なるほど、たしかに」
「うんうん」
車は次第に、下田に近づきつつあった。
下田といえば幕末のペリー来訪によって、最初に開港した港のひとつである。
でもこれは特別な事情があったわけでなく、当時の幕府とペリーの交渉の結果による一時的な開港だった。下田を推したのはペリーでなく幕府側だったという。
そして神奈川方面に港が開くことで下田は役割を終え、黒船騒ぎは収束する事になった。
いろんな意味で近代日本の始まりの地のひとつだったわけだ。
……ん?
精霊たちが騒いでる。
「マオ」
「なに?」
「精霊が騒いでる、気づかないか?」
「え……あ」
マオも気づいたか。
「悪い、この先の町──下田というんだが、ちょっと探ってみてくれ。何かあるのかもしれない」
「わかった」




