両親
「なぁ、ゾンビってマジか?」
『まじー』
『いるよー』
「ふーむ、でも、今までこっちにゾンビっていなかったろ?」
『でも、ぞんびー』
「……そうか」
精霊はウソをつかない。
でもなんでゾンビ?ここは異世界じゃないってのに。
まさか。
元の世界に戻ったんじゃなくて、よく似た別の世界に飛ばされたってことか?
そんなバカな。
もしそうだとして、俺はちゃんと帰れるのか?
それとも……いやまさかそんな!
足元が揺らぐような、おそろしい不安が頭をよぎった。
口の中が一瞬でカラカラになった気がした。
「……家に帰らなくちゃ」
いろんな事が頭をよぎったけど、最初に考えたのはソレだった。
帰りたい。
何がなんでも家に帰りたいという、強い強い欲求だった。
正直、元の世界への帰属心なんて俺はなかった。ただ家に帰ることだけが願いだったんだ。
だってそうだろ?いきなり異世界なんかに拉致されたんだぞ?
そのために相棒たちと苦労して別れ、後ろ髪をひかれつつも帰ってきたんだ。
それもこれもただ、帰りたい──それだけだったんだ。
──なのに。
ふざけんなこの野郎。
何がなんでも帰る、帰るぞ俺は!!
俺は無言で走り出した。
だけど。
その切ない願いはすぐに裏切られる事になったんだ。
家はすぐ近くだった。
もとより帰宅途中で異世界に拉致されたわけで、しかもその場所に戻された。
当然だが家は近かったわけだけど。
だけど。
「……うそだろ」
よく知る、そして、あってはならない異臭がした。
向こうの世界で何度も感じた、忌むべきニオイ。
ゾンビの気配。
しかも、わが家の中にふたつ。
間違いなく自宅だ。中に入らなくてもわかるくらいだ。
外壁の汚れや傷だって覚えてる。昔、俺がつけた傷もそのまま。
どうしようもなく俺ん家だ。
なのに。
くそっ!
『でてこい!クソババア!!ピカソジジイっ!!』
向こうでよく使った方法で、ゾンビに呼びかけてみる。
ゾンビをおびき寄せる方法は色々あるが、一番お手軽なのは大声で悪口を言うことだ。
基本、ゾンビは生前の記憶に基づいて行動しているものだから、あきらかに自分の悪口だろうってのにはちゃんと反応するのである。
まぁ大声という時点で他のゾンビも反応するけど、それでも該当者の反応は露骨で劇的だ。
そして。
「……うそだろ」
カチャンと扉のロックを外す音がして、そして現れたゾンビは。
たしかに俺の両親だった。
なんで?
どうして?
頭の中が真っ白になった。
普通ならパニックになっていたところかもしれない。
だけど向こうでの三年間は、俺を思った以上に戦闘向けに変えてたみたいだ。
真っ白になった俺の頭とは別人のように、俺の口だけは独立部隊のように精霊に呼びかけていた。
『──みんな、手を貸してくれ』
『いいよー』
『おけー』
『やりー』
言葉はトリガーであり、精霊に投げかけるのは意思そのもの。
そしてその意思に精霊たちが反応する。
対価として魔力が吸い上げられ、引き換えに現象が起きる。
これが精霊魔法、あるいは精霊術と喚ばれているもの。
『炎結界!』
その瞬間、目の前の元両親だけでなく、背後でも炎の竜巻が吹き上がった。
どうやら、いつのまにか囲まれていたようだ。
俺に近づいてたすべてのゾンビは、ゴウッと円筒状の渦巻く炎の結界に閉じ込められ、なすすべもなく燃え上がった。
「おお……おォ……」
「ほぉ……アァ……」
炎結界は円筒状の結界に対象を閉じ込め、その結界ごと高熱の竜巻でかき混ぜる事で短時間で焼き尽くし昇華する魔法で俺のオリジナルだ。臭気などもまとめて上空に吸い上げられて拡散し、悪臭ひとつ残さないという渾身の傑作。
え?ああそうだよ、鼻のきく相棒がいたからな。
あ?やさしい?バカか、そんな理由で魔法作るかよ。
俺もゾンビの悪臭なんて進んで嗅ぎたくなかったし、オリジナルの魔法としてカタチを与えておけば、いざという時にその記号化した概念を広げるだけで使える。そういう理由だよ。
やさしい男なら、泣いてる子猫を異世界に置き去りになんかしねえっての。
しばらくすると周囲から、ちゃりん、かちゃりと何かが落ちるような音が連続し始めた。
そして炎が消えると同時に、ドサッと音がして燃えカスが地面に落ちた。
それがいくつも続き、やがて音が絶えた時。
俺の周囲には、砂のようなものの小さな山がいくつもあった。
その山にはところどころ、金属部品のような焼け残りが混じっていた。
たぶんボタンやファスナーの部品、それにスマホの一部だろう。
「……っ!」
眼の前に残った、ふたつの灰の山の前で心が折れそうだった。
だけど、ガクガクする足を必死に支えると、家の中に入った。
はぁ、はぁ。
胸がかきむしられるようだ。
怪我のひとつもないのに、たまらなく痛い。
「……ここに、危険がないか調べてくれる?」
『あいよー』
『だいじょうぶ、あんぜんだよー』
「そうか」
後ろ手でドアをしめ、鍵をかけた。
同時に室内からゾンビ臭がした。
「……家の中のゾンビのニオイの元をキレイにして、ニオイも消してくれ」
『わかったー』
『じょうかー』
少し待つとニオイが消えた。
その頃になると俺も、ようやく少し落ち着いた。
「……よし、調べてみるか」
心がまだ震えていて、そのまま座り込んでしまいそう。
だがまだだ、まだ止まるわけにはいかないんだ。
無理やり行動するには、わざわざ内容を声に出す必要があった。
外の灰の山は確かに父と母のように思えたけど、まだ断言はできない。
まず、ここが元の地球である保証はない。一種の平行世界かもしれない。
だったらこの世界の俺がいるかもれないし、あるいは俺がそもそも生まれてない世界かもしれない。
当然、確認が必要だ。
家の中は思ったより荒れてなかった。
電気はついてなかったが、ブレーカーは落ちてなかった。停電しているようだ。
そこまで考えたところで、違和感に気づいた。
「そうか、町が止まってたんだ」
異様に静かだと感じたわけだけど、そんなの当たり前だ。
信号機も動いてないし、工事もしてない。機械音のひとつもしない。
「よく気づかなかったな俺……って、当たり前か?」
数時間前まで、機械文明のない世界にいたんだぞ。
そういう種類の静けさには慣れきってる。
だからこそ、多少の違和感こそあれ、こっちの異常に気づけなかったわけだ。
まさかと思うが、ゾンビパニックでみな死んだ、なんて言わないよな?
それに実際、それにしちゃ町がキレイすぎる。
あれだ、電気が止まったから避難所に逃げたとか、そういう事か?
パニックになる前にみんな死んじまった、なんて言わないよな?
だいいち、ここまで歩いてくるのに事故のあともなかった。
とはいえ、ここいらは都心でも車通りは多くない方だからな。
表通りにいけば案外、事故のあとがいっぱいあるかもしれない。
「ん?9月?秋なのか?」
リビングの壁の時計はカレンダーを内臓している。
まだ動いていたけど、日付がなんと9月になっていた。
「俺が召喚されたのってゴールデンウィークの後だよな。
つーことは……夏の終わりまで丸々向こうにいた事になるのか」
……いや、年単位でズレている可能性が高いか。
だいいち、向こうでは明らかに年単位の時間がかかってるわけだし。
防災兼キャンプ用の大型バッテリーを探してみたら、あっさり見つかった。
おそらく自然放電で減ったんだろうけど、それでも六割くらいは電気が残ってる。
キャンプ用の充電式ランタンもあった。
そういえば防災用品、出したあとがないな。
ということは、そういう状態になる前にふたりは死んでゾンビになったって事か?
……ほかに何かないか?
「あ」
お袋のスマホがあった。
手の小さいお袋らしいコンパクトサイズのそれは、充電器にささったまま消灯していた。
バッテリーは完全に切れてる。
ゾンビもそうだが、やっぱり一日や2日の停電じゃないな。
もしかして、このあたりの町が無事なのは、たまたま事故も火災も起きてないだけの事か?
それと。
「充電器にスマホがささってるってことは、お袋は在宅中だったと」
家じゃ、電話中以外は必ず充電器にささってた。
在宅中いきなりゾンビになるわけがないから、外にゾンビが来て知らずに出ちまったのか。
あるいは親父がゾンビ、もしくはキャリア状態で帰宅して、出迎えてしまった可能性もあるのか。
対する親父はスマホも腕時計もなかった。
灰の山を確認しに戻ったら腕時計、それからスマホの残骸らしきものを確認した。
外出先から戻ったところで、すでにゾンビになったお袋に襲われた可能性もあるけど、専業主婦のお袋がゾンビになる可能性は基本的に外から来たはずで、だったら親父からの可能性も高い。
まぁいいか、今、こうやって考えていても気が滅入るだけだ。
コンセント仕様の充電器を使う事も可能だったけど、バッテリーの内部電源は100Vないはずで、わざわざコストを支払って交流100V50Hzに昇圧してやる事になる。
そんなことしなくともバッテリーにケーブルで直結すればいいわけで、もちろんそうした。
たちまちスマホは急速充電を開始した。
お袋はスマホの知識がなく、パスワードなども設定してなかったはず。復活すれば使える可能性が高い。停電でネットはダメだろうが、最後にやりとりしたメッセージくらいは見られるだろう。
さて次だ。
俺の部屋は、まさにあの日のままだった。
慎重にあれこれ調べ、記憶との違いや何かがないか確認していく。
だけど。
「……やっぱり、間違いないのかよ」
調べれば調べるほど、ここが元の世界であるとしか思えない。
あのゾンビは、本当に、やっぱり、本物の両親の成れの果てなのか?
「……とりあえず、回収しよう」
かりに別世界の両親だとしても親なのは間違いないんだ。
灰が風で飛ばされてしまう前に回収する。
俺は何とかそれだけを考え、立ち上がった。