さっそくの問題
車を走らせ、大磯から西湘バイパスに乗る。
このあたりは子供時代から何度か通った道だ……といっても両親の運転でだが。
そこを俺は今、車を走らせる……異世界からの相棒であるマオと、そして仲間に加わったばかりのユミを乗せて。まだ微妙に慣れないシフトやクラッチ操作にも意識を使いながら。
「結構慣れてますね?」
「子供の頃からギアチェンジの基本は父に習ってたし、向こうでもイメージトレーニングはしてたからね」
「なんで今どきMT免許と思ったら、そういう事ですか」
「父の口癖でね、車を道具として使うならATでいいけど、趣味で使いたいならMT使えて損はないって」
「ははぁ、お父様は車好きだったんですね」
「そうだね」
いい歳こいてフォルクスワーゲンの古いバンに乗りたがり、でも維持費や手間で二の足を踏んでた程度には、普通に車好きのおっさんだったな。
そういえば。
「免許とったらさ」
「?」
「免許とったら、両親を乗せて走るつもりだったんだ。物心ついた時から、ずっと乗せてもらってたからさ。お礼ってわけじゃないけど」
「……」
「ごめん」
「いえ」
コメントのしようもない発言をしてしまった。
困っていたら、マオがすりすりと頬ずりしてくれた。
「……」
「ああ、ありがとな」
「うん」
「……」
沈黙が重たい。
話をそらそうと思っていたら、ユミの方が発言してきた。
「西湘バイパスに乗ったのは、ゾンビよけですよね?」
「ああ、下道よりは少ないだろうし、そのまま伊豆方面に行くにも便利だからね」
この車にはナビが積まれていなかった。
おまけに、家からもってきた地図はちょっと古い。
とはいえ数年前のものなんで、必死になって最新版を求めるほどじゃないけどね。
「そういやこの車、ナビないですよね」
「スマホナビだったんだろうね」
ダッシュボードの上に、いかにもドライバー見てくださいって位置と向きにスマホホルダーがついていた。これはナビ用途だろ。
「そういえばナビって、もう使えないんですか?」
後部座席でその地図を見ながら、ユミがそんなことを言った。
「スマホのナビはきびしいかもね」
「きびしい?ダメなんじゃなくて?」
「GPS衛星は生きてるだろうから、位置情報はとれるだろ。
けどスマホはネットから地図情報をとってるし、携帯ネットワークの情報も補助的に使ってるはずだよ」
「そうなんですか?」
「もちろん、それだけじゃないけどね」
俺は大きくうなずいた。
「車のナビは基本、GPS信号だけを受け取ってるはずだよ。
だから今も使える可能性が高い。
ただVICSとかのデータがない場合の挙動はどうなるのかなってのはあるけどね」
「ビックス?」
「道路交通通信システムっていって、要はホラ、渋滞情報とかそういう時事的情報を受取るやつだよ。
あれはリアルタイムなものだから、お店でDVDで更新ってわけにはいかないからね」
「……よくわかんないけど、たしかに渋滞情報とかは通信しないとダメなんでしょうね」
どうやら、よくわからないなりに理解してくれたようだ……ま、俺のも親父の受け売りなんだけど。
「まぁ、西湘バイパスから伊豆方面に向かう道なら、その古い地図と俺の記憶で何とかなると思う」
「……」
「まぁいずれ、どこかでもうちょっと新しい地図を入手しなきゃだけどね」
「いずれですか?」
「伊豆半島に本屋ってあまりないんだよ。まして南伊豆となると……置いてる店があっても本が残ってるとは思えない」
「ですねえ」
ネットが使えない今、地図は重要な戦略物資だ。
ただでさえ売ってる店も減ってたんだ、無事に置かれているとは思えない。
「あ、ユウさん、次の分岐」
「ああ」
バイパスの分岐に来た。箱根に行くならそっちに分かれる。
もちろん俺たちは伊豆を目指す。
「下は小田原かぁ……ゾンビだらけだろうな」
「きっとそうでしょうね」
ちなみに席順は、運転席に俺、ナビにマオが座り、後ろにユミだ。
合理性を問うなら日本人の知識のあるユミをナビに座らせるべきなんだけど、それでも俺はマオを横に乗せている。
理由?
もちろん、俺のパートナーはあくまでマオだからだ。
ひとに順列をつけるわけではないが、平塚からここまでユミが活躍しすぎている。
ここでなし崩しにユミが俺の隣にくるのはマオの立場が揺らぐかもしれないし、だいいち俺がイヤだ。
だからマオを隣に座らせた。
……で、そのマオなのだけど。
「あれが、オダワラ?」
「そうだ。山越えして駿河、つまりさらなる西の国に行くか、それとも伊豆半島に行くかの分岐点にあたる町だな。まぁさすがに東京を見たあとだと小さい町に見えるだろうけど」
「……」
「マオ?」
なんだかマオは難しい顔をしていた。
「ユー、この世界は変。すごくおかしい」
マオが困ったように首をふった。
「む?なんだいきなり?」
「野原も山も川も海もない、ひたすら変な石畳と建物ばっかりの町が地平の彼方まで続いてたり。
遠く離れた町まで、継ぎ目のない変なニオイの油と石の道路が続いていたり。
一日中歩いても果ても見えなくて。しかも、そんなとこでゾンビにやられる前は四千万人暮らしてたとか。
ありえない。
マオには理解できない」
「……おいおい」
いきなりどうしたんだ?
「無理もないですよユウさん」
ルームミラーを見ると、ユミが苦笑していた。
「マオさんの言うとおり、町が大きすぎるんです。
こっちだと人口20万人なんて地方都市ですけど、向こうじゃ立派に大都市じゃないですか。
しかもマオさんって元猫族なんでしょ?あの深淵の森に住むっていう」
「ああ」
「自覚ないでしょうけどユウさん、東京って現代地球でも指折りのメガロポリスのひとつなんですよ?
そんなところに突然、深淵の森深くに住むような生き物が呼び寄せられたんです。
混乱して当たり前っていうか、むしろ今まで平然としてたのがおかしいです。
わたしですら、記憶が戻った時、熱出したんですよ?
生まれてからこっちの自分の記憶があったのにです」
「そうなのか……けどマオは今まで」
「ユウさんはすぐ再会したみたいですけど、マオさんにとっては十年ぶり以上だったんでしょう?
会えてうれしくて、その気持ちが勝ってたんじゃないですか?
わたしという第三者が加わったことで、ようやく周囲が見えてきたんじゃないかと」
「……」
あー……そういうこと?
マオは向こうでもマイペースだったから、つい平気だって思い込んじまってた……。
クソ、なんてマヌケな!
ンなわけねえだろバカっ!
こっちの人間である俺がパニックしてるくらいなのに、マオが平気なわけないじゃないか!
そんな事を考えていたら、唐突に頭の中に声が響いた。
『聞こえてます?』
え?
『あ、これ以心伝心って魔法です。やっとひとつマスターしましたよ』
なんだそれ。
まだ半日とたってない、しかも町を探索しながら?
『ずいぶん早いなオイ』
『最優先で覚えました。
わたしだけ精霊が扱えない以上、通信方法が必要と感じてましたから』
なるほど……しかしすごいな。
この状況で一人暮らししてた以上、性格はともかく能力は高いだろうとは思ってたが……びっくりだわ。
マオといいユミといい。
なんでこう、俺じゃなくてまわりのヤツばかり優秀なんだろう?
向こうでもこっちでも。
精霊と遊ぶばかりの俺としては、なんか理不尽と思わざるをえない。
そんなことを考えていると、ハンドルの上に精霊の一匹が座った。
にっこりと笑われ、思わず笑みを返す。
ん、そこは危ないぞーとココロで伝えると、にっこり笑ってフワフワとダッシュボードに移動する。
ああうん、やっぱり可愛いわ。
精霊使いで文句ありません俺。
『事情はわかった、でもなんで今、わざわざ魔法で?』
同じ車の中にいるのに、どうしてわざわざ通信なんかする?
『マオさんのケアの事ですから、マオさんに聞かせないのがいいですよね?
それで提案なんですが……ユウさん、今日はもうさっさとゾンビの寄り付かない場所を確保して野営にしませんか?だいぶ平塚で時間使ってますし。
あ、わたしは別に寝ますから。ひとり用テントありますからお気になさらず』
『ちょっとまて、野営て……ここいらは安全確保に問題あるから別々はダメだ』
『精霊使いのユウさんなら、本気で結界作れば一晩くらいイケますよね?』
『む、そりゃできないとは言わないが』
たしかに不可能ではない。ただ結界だけでガードするのは魔力を食うので、向こうでも敵の多いエリアではやらなかった事だ。
何が起きるかわからない旅の野営では、余計なエネルギーは使わないのが基本だ。
でもユミのことだ、何か理由があるに違いない。
『わざわざ通信してまで野営をすすめる、その理由は?』
『そんなの決まってるじゃないですか。
今、マオさんの頼りはユウさんだけなんですよ?
だったら、ユウさんがたっぷり、しっぽりと胸とり腰とり甘やかせばいいでしょう』
『あのな……それ、ごまかしてるだけだろ、それで納得するのか?』
『にぶちん』
『おい』
『がっつり下半身にモノをいわせて、黙って俺についてこい、これですよ。
マオさんって猫族だった頃、ユウさんの飼い猫ポジションだったんでしょ?』
『拾った当初はな、ちんまい子猫だったし。
けど大きくなってからは相棒として活躍してたぞ?』
『だから初心に帰れってことですよ。
マオさんは今、子猫の時みたいに怯えてる。
だったら、飼い主のユウさんが保護してあげないとダメでしょ』
『……なるほど配慮ありがとう。ユミはいいやつだな』
『はいはい。さ、マオさんに気づかれるので長話はここまでですよ?』
『おう』




