速度調整
思えば、線路を歩くなんて初体験だな。映画じゃあるまいし、危険だから入るなって言われてたからな。
でも今は問題ない。なんでかって?
「……冗談だろ?」
「?」
ありえないもん、見ちまった。
線路の隙間から、2m超のセイタカアワダチソウがにょっきり生えてやがった。
マジかこれ。
よりによって南武線の、武蔵新城と溝の口の間の線路にセイタカアワダチソウって……鉄道関係者が見たら、なんじゃそりゃあって目剥いて大騒ぎしそうだな。
そんな長期にわたって南武線に電車が走ってないとか、ありえないもんな。
ちなみにセイタカアワダチソウだが、昔は気管支喘息や花粉症の元凶だと誤解されていたらしい。
けど、これは間違いなんだと。
なぜなら、セイタカアワダチソウは虫媒花で花粉を飛ばさないから。
呼吸器疾患の原因となるのは風に花粉を飛ばす風媒花であり、いわゆる花粉カレンダーの類いにもセイタカアワダチソウは載っていない。
なるほど、壮大な濡れ衣だったんだな。
ただし。
「俺、こいつダメなんだよなぁ」
「これが?なんで?悪者じゃないんでしょ?」
「そうじゃなくて、そもそも背が高い、でっかいのって苦手なんだよ。
昔、父さんの友達って人に誘われて北海道の海に入ったんだけどさ……コンブって実は何mもある巨大な海藻なんだぜ。
それ見ちまって、ビビったんだよ。なんかもうSAN値が下がりそうなくらい怖かったんだ。
水族館でジンベイザメとかマンボウ見た時もな、デカくて総毛立った。
あれがいいっていう人が信じられねえよ」
「……初耳」
「そりゃそうだ、マオが子猫の時は弱いとこ見せないようにしてたからな。
トレント戦とか、バカでかい相手との戦いは徹底して避けてたろ?
エキドナ様の時だって、初対面から話し合いましょー状態だったしな……まぁ、あのひとは戦う以前の問題だったけど」
「……なんで?」
「俺、思うんだけどさ。
子供にとっての親って、頼れる存在であるべきだと思うんだ。
両親が夫婦喧嘩したり赤の他人にペコペコしてる図って、ものすごく不安になったからね。
自分がそうだったから、子猫のマオにそういう思いをさせたくなかったんだよ」
「……」
「ん?なんだ?」
「なんでもない」
なんだ?なんで唐突にスリスリしてくるんだ?
小さい頃の話なんかで……まぁ可愛いからいいけど。
JR武蔵溝の口駅に到着したら、さすがに外にはゾンビがいた。あまり数はいないが。
「……ニオイはいっぱいあるのに少ないねえ」
「誰かに退治されたか、それとも夜は帰ってるのか……どちらにしろ長居は無用だな」
「うん」
このへんはまだ、先刻のコミュニティの人間がいる可能性がある。静かに移動する。
田園都市線側の溝の口駅に移動したが、こちらは当然のように閉鎖されている。バリケードまで作って執拗に閉鎖されていた。
「誰かいるのかな?」
ちょっと精霊に聞いてみる。
「駅の中に生きた人間はいる?」
『いないよー』
『みんな、ぞんびー』
「やられちまった後か……わかった、ありがとう」
異世界仕込みの運動能力で屋根の上を通り、田園都市線側の線路に出た。
「よし、いないようだな」
このあたりは高架で踏切もないし、線路の上を人は歩かない。
だから当然、ゾンビも線路の上を歩いてはいない……普通は。
「でも油断すんなよ。ホームから落ちて歩いてる個体はいる可能性がある」
「ユー、これで落ちるの?」
「……ここは落ちないかもな、でも油断は危険だぞ」
溝の口駅はバリアフリー化されていて、人が落ちたりしないようにゲートが取り付けられていた。
「よし、とにかくいこう。途中まで」
「途中まで?」
「線路上にゾンビがいないのはともかく、線路を移動に使ったことはないからな。
梶が谷駅の向こうでR246と交差するから、そこまでをお試し区間としてみよう」
その次が、鷺沼とたまプラーザの間で東名高速道路と交差するから、そこでも考える。
そこでまだ早かったら、江田駅、市が尾、藤が丘、青葉台……このあたりなら考え直す機会はいくらでもある。
「そこでもダメだったら?」
「そん時はそん時だな」
俺は肩をすくめた──────────────────────────────────────────────────────のだけど。
「歩きにくい」
「……たしかに」
なんというか、二キロと進まないうちにふたりの意見が一致してしまった。
最近の線路、特に高架や鉄橋のところはどうも歩きづらい。
しかも暗いし、精霊の作ってくれる明かりは影があるわけで。
油断したらつんのめりそうになったり、とっても危ない。
ローカル線だと枕木の間に砂利が敷いてあったりするんだけど、それがない区間がどうにも歩きづらい。
そもそも線路は人が歩くもんじゃないってのはわかるんだけど、残念……せっかくゾンビがいないのになあ。
「これじゃ移動速度が上がらない」
ダメだ、やはり道路に移動しよう。
梶が谷駅の向こうでR246と交差するところがあり、そこで精霊に周囲を探査してもらう。
「駅周辺に誰かいる?」
『いない』
「近くのデパートには?東急ストアあるよね?」
『いない』
「大丈夫かな?」
「いやちょっとまった、ゾンビはいるか?」
『いない』
「ゾンビもいない?」
『全然いないよー』
「……そうか」
これは逆にまずくないか?
「ユー、どしたの?」
「ゾンビが全然いないのは、さすがに変だ……このあたりの人口密度を考えるとな。
となると、クリーニング済みの可能性がある」
「クリーニング?」
「誰かの勢力圏ってことだよ。
家のまわりをゾンビがウロウロしてたらイヤだろ?
ここからここまでって範囲を決めて、その中のゾンビを掃討するんだよ」
「へぇ……でも、ゾンビなんてどんどん来るんじゃないの?」
きりがないんじゃないの?というマオの言葉を「そうだよ」と肯定する。
「もちろん、ある程度の人数、それも戦えるヤツがいるからできる事だな。
数日ごとか、もしかしたら毎日でも担当をわりふって巡回し、始末するんだ。
そうやって、安心して暮らせる安全圏を確保するんだよ」
「大丈夫なの?それ?」
「ゾンビって生前の行動を繰り返すだろ?
裏返すと、自分の生活圏からあまり出ないって事になる。
もちろん、あからさまに生存者がいて追いかけた、なんて理由があれば別だけど、そういう理由がない限り、あまり遠くにはいかないんだよ」
俺は精霊たちに追加の質問をした。
「なぁ。この近く、そうだな半径10km以内で、生存者がたくさん集まっているころはある?」
『あるよー』
「どこだ?名前わかるか?」
『えっとね、かじがや、しょうがっこう』
「かじがや……ああ、市立梶が谷小学校ね……って、目と鼻の先じゃねえかっ!」
地図と見比べてギョッとした。
「なに?ユー?」
「あいつらの本拠地の避難所なんだが、見てみ?
現在地がここ、で、今いった小学校がここだ」
「すぐそこじゃん」
さすがに眉をしかめたマオに、俺もためいきをついた。
「とはいえ、この時間じゃ外をウロウロ歩いてるヤツもいないだろうけどな。どうだ?」
『みはりがいるよー』
『けど、ニーヨンロクには出てきてないよー』
「やはりな」
うんうんと俺はうなずいた。
「よしマオ、R246にあがろう。隠密かけてすぐ抜け出そう」
「わかった」
あがるといっても、このあたりのR246は高架のバイパスなので、いきなり道にはあがれない。
しばらく観察して、通路によさげなところを発見する。
「マオ、あそこ飛べるか?」
「いけるよ」
「よし」
精霊に頼めば浮かせて高いところにも運んでくれるけど、カンのいいやつが気づかない保証はない。
脇道や通路を通り、ちゃんと道路としてのアプローチを経由してバイパスにあがりこんだ。
「この道?」
「そうこの道、R246のバイパスだ。いこうぜ」
「うん」
バイパスに出ると、今度は別の問題が発生した。
「ちょ、ま、まてマオ、ちょっと待て」
「えー、またぁ?」
元猫族で今も人間じゃないマオは、体力が俺とは段違いだ。
とはいえ猫族っていうのは地球の猫がそうであるように、瞬間的なパワーとスピードは素晴らしい反面、あまり持久力はないはずだったんだけど。
「……なんちゅう体力だよ」
さっきから、全然パワーが衰えてない。
こっちがゼーゼー言ってるのに、息も切らしてないぞこいつ。
「あはは、ユー、だっこしたげよっか?」
「うるせぇ」
「ん?なんで?昔はよくユー、マオをだっこしてたよね?」
「そりゃ……おまえが、子猫だった、からだろう、が」
次第に落ち着いてくる息を、さらに無理やり整えて……ハァとためいきをついた。
精霊に頼めば疲労回復も強化もしてくれるんだけど、あれ乱用するとなぁ、体力つかないからな。
だからこうしてハァハァする羽目になっちまうんだが。
それにしてもマオ、すごいな。
「おまえ、その体力どうしたんだ?」
「んー、この身体になってから、出足がトロくなったかわりにすっごいスタミナついたの。どこまでも走れちゃうんだよ?」
「どこまでも、ねえ……で、毎日どんどこ走りまわって遊んでたと?」
「うん!」
満面の笑みで言い切りやがったよこのやろう。
単純バカが鍛錬に目覚めて鍛え続けた結果かぁ。
うん、そりゃあ体力バカが仕上がるわけだ。
「あのなぁ、俺はそんなに走れねえって」
「ん、ユーも一緒に鍛える?」
「勘弁してくれ、俺は精霊使いなんだよ」
魔道士もそうだけど、俺たちは魔力特化型で代わりに体力はあまりない。
「ユー、ちょっとは体力つけよう?エルフの戦士さんたちすごかったよ?」
「いや、あいつらと比べられても」
俺だって向こうの世界で体力はついてる。こうして歩いてるとよくわかる。
ようするに比較の問題なんだ。
「そんなのイイワケだよぅ。ね、体力つけよ?」
「あー……まぁそうだな、どっかに落ち着いたらボチボチやることを前向きに検討しようかな、と思わないこともないよ、うん」
とりあえず、体力があって損なことはないもんな。たぶん3日で飽きると思うが。
「本当?毎日マオがイヤでも駆り出すよ?」
「……」
「なんで目をそらすの?」
「……」
ダメだ、ごまかされてくれないなこれは。
「わかったわかった、その話はまた今度な。
で、マオ悪い。二時間ほど仮眠させてくれ。眠って疲れをとる」
「ん、わかった」
本当に俺が疲れているのがわかるのだろう、マオも無理は言わなかった。
このあたり、ふたりとも切り替えが早い。もちろん理由は簡単で、それだけ危険なところを二人で旅していたからだ。
まぁあの頃は二人というより、一人と一匹に近かったけどな。
俺は路肩のちょうどいいところに頭を乗せると、仰向けに寝転がった。
「……すまんマオ」
「わかってる、警戒しとくからユーは休んで」
「おう」
それだけ言うと、俺は眠りに落ちた。




