1-6『おっちゃん、幼女に洗われる』
「うあー、おっちゃん髪の毛ゴワゴワや」
「そりゃ、なあ」
あぐらをかいて座る俺の後ろから、サーヤが湯にした水を頭から浴びせて、ワシャワシャと音をたてながら洗ってくれている。
最初は自分で洗っていたのだが、水で濡らしながら手櫛で解すだけの洗い方が気に食わなかったようで、「おっちゃん、それ洗ってるて言わへん」との声と共に、有無を言わさず洗髪を買って出てきたのだ。
なんだろう、相手は小さい子供なのだが自分の母親に怒られている気分になってきた。
「……ところでサーヤ、何故かやたらと俺の頭、泡立ってない?」
「当たり前やん、シャンプー使うとるもん」
「…………しゃんぷー……?」
「これ! 王様にたのんで貰ったんや、シャンプー言うてもせっけんやけど」
「……高級品じゃねーか」
固形の石鹸、しかも見るに王公貴族向けの香草とか入ってるやつとか、確か金貨が必要になる価格な気がするんだが。
俺の洗髪とか、シャワの実とか麦糠で十分だろうに。
それをサーヤにそれとなく言ってみれば、「だって、あんまりキレイにならんもん、あれ」との事で、庶民的な洗浄用品の存在を知らない訳ではなく、敢えて高級品を使用しているらしい。
贅沢な子だなおい。俺を洗うのに高級品を使うとは。
「あかんわー、めっちゃこんがらがっとるわ」
「痛い痛い力任せはちょっとやめてくれ!?」
念入りに洗ってくれるのは嬉しいが、ブチブチ言ってるから力加減は気を付けて欲しい。
その後、一部の例外以外全身くまなく、サーヤの手で乱暴もとい丁寧に洗われてしまった。
お返しにサーヤも洗ってやろうと提案はしたのだが「おっちゃん、メイドさんらと違うてめっちゃてきとーそうやし自分でやるー」と言われ、断られた。
ぐうの音も出ない正論である。本職の人らと比べられたら勝てる訳ないじゃねーか。
お互いにさっぱりと綺麗に洗い終えたので、後は蒸し風呂内で汗をかきそれを濡らした手拭いで何度か拭けば入浴も終わる。という所になってから、サーヤがじーっと俺の顔を見ながら言ってきた。
「おっちゃん、おひげそらんの?」
「髭? 剃った方が良いか?」
コクリ、とサーヤは頷く。
俺としては、別に気にしていなかった部分で、それなりに長く伸びてはいる。というのも、王都を中心とした地域は風土的に、成人した男は髭を剃ったりをあまりしない。
俺自身は王都の出身ではなくもっと地方の、少し風土が違う地域の出身なのでピンと来ない話だが、髭が立派な方が男らしいとか言う、山霊族のような文化が存在している為、わりと男は全員、差はあれと髭ヅラなのだ。
「剃った方が良いって言うなら剃っても良いが、剃刀用意してないしな……」
剃る事自体には別に抵抗がある訳ではないのだが、剃ろうにも肝心の道具が無い。
「おひげ剃るんならだいじょうぶやで? よう切れるからコレでええと思う」
「ん? あれ、サーヤ?」
またしてもサーヤはいつの間にか手に何かを持っていた。
今回は、果物ナイフのような小振りな短剣を手にしている。
いや、何処から出した。本気で。それに今まで手にしていた物も、よく考えたらいつの間にか持ってないし。
「サーヤ、それ、拾ったのか? それと、石鹸とか桶とか、どうしたんだ?」
「むう? 拾ったんやなくて、元から持ってたよ? 後な、おけもせっけんときちんとしまっとるよ?」
「……何処に?」
「ここ!」
言うや否や、サーヤは右手を動かすと、指先から手首までが何かに飲み込まれるように消え失せた。
「……は? な、なぁ!?」
「空間収納言うんやって。どらちゃんぽくて便利なんや」
サーヤが手を引き抜くような動作をすれば、消え失せていた手首から先は再び出現し、更に何か……先程使用していた桶と石鹸が引っ張り出されるように現れた。
「……あ、亜空間魔法……?」
「あ、それや。なんやすっごいまほうや言われたけど、まほうって全部すごいやんね?」
「い、いやそうだが!」
無能力者である俺からすれば、魔法という存在は総じて羨望や畏怖を感じる存在ではある。
しかし、そんな事は関係無く世界的、歴史的に別格とされる魔法が幾つか存在する。
その内のひとつをこんな気軽に見せられるとか、誰が想像出来るというのか。
亜空間魔法なんて、お伽噺で勇者とか、高名な賢者が使っていたとかなんとかで存在だけは有名だが、当然使い手なんてそうそう居ない代物なのだ。
「……そ、そうか、サーヤは【亜空間魔法】の祝福持ちなのか」
幼いと言えど、仮にも勇者として召喚されるとなれば相当に稀有な祝福を神から与えられた子なのだろうとは思っていたが。
実際に見ると驚きの方が先に出てしまうな。
「まあ、驚いたが、それは良いか……えーと、それで、その短剣がなんだって?」
「だから、これでおひげ剃るんやって」
「髭を剃るには不向きというか、それ……宝剣の類いじゃ……」
改めてサーヤが持つ短剣を確認すれば、細やかな彫り細工が施された、やたらと麗美な宝剣だった。
柄の中心に何か、翠色に淡く光る宝石……じゃない。魔石とか精霊石とかそっちの類いの結晶だこれ。自分で波打つように光ってるよ。
「……サーヤ、その短剣て、お城で?」
「そやな、しゃべる剣」
「はい?」
「大きさもな、このくらいから、ごっつい大きさまで変えられるんやで。どらちゃんのどうぐっぽいやんね?」
どらちゃんは何者なのかは俺は知らんが。
「喋る。大きさ変えられる……」
「うん、お城のな、いっちゃん奥に飾られててん」
「聖剣じゃねーか!」
聖剣。銘を確か、【神聖剣ターヴェ・リーロ】……こちらもお伽噺や勇者にまつわる伝記等に、代々勇者と呼ばれた者達が扱った、いわゆる勇者の象徴と呼べる代物である。
「いつもはボソボソうるさいねんけど、今日はしゃべらんなー?」
「…………」
サーヤは、聖剣らしき短剣を軽く振ってそんな事を呟いているが、うん、薄暗い浴場に淡く光る剣閃が残像となって、とてもキレイ。
そんなもんで髭を剃れと言うのかこの子は。流石に畏れ多いわ。
「そもそも、選ばれた人間しか扱えないって話じゃなかったか? その……それ」
「むう?」
今更感が凄まじいが、一応ここは大衆浴場で他人の目がとても多い。気付くの遅い気がするが、事実上のお宝を、サーヤは持っている訳で。
悪目立ちして、悪い事を考える奴が居たりしたら面倒だし、気持ち声を抑えてサーヤとは話をする。
幸いな事に此方を気にしている奴は居ないようだったので、助かった。
「だから、ウチが剃るよ? おひげ」
「それは流石に勘弁してくれ」
喉元に、子供が良く切れそうな刃物を当ててくるとか、聖剣抜きに考えてもお断りして当たり前じゃなかろうか。絶対髭以外がスパっと切れるよ。
結局、髭は剃ったが、もちろん浴場を後にした後に、風呂屋の番頭に言って借りた普通の剃刀によってである。
サーヤはそれでもやりたそうにしていたが、丁重にお断りしたのは言うまでもない。