1-5『おっちゃん、幼女と風呂屋へ行く』
「おっちゃん、買った服着ないん?」
「ん、今すぐ着る訳にも行かないからな」
古着屋を後にしてから次の目的地へと向かう最中、気になったのかサーヤが質問してくる。
返事を返したように、今すぐに買ったばかりの服を着てしまう訳にはいかない。
理由は簡単、ただ単に俺の身体が汚いからである。
「……そういう訳だから、次の目的地はここになる」
「ここ、なんやろ? おふろ?」
「正確には蒸し風呂だな」
「おー、サウナ」
王都を東西に分断するように、エレーネ川というけっこうな水量のある河川が走っている。
その河川敷には水運に使う船が止まる桟橋だったり、飲用以外の生活用水を汲み取る場所があったりと、わりとごちゃごちゃと様々な物がある。
その施設のひとつとして、大衆浴場として蒸し風呂が点在している。
水量のある河川ならば、沸かした湯につかる種類の風呂でも良さそうとは思うが、そちらは数が少ない。
理由としては燃料の問題で割高だから、裕福な人間でないと利用出来ないというのと、あとひとつ。
「ここ、あんまりキレイやない川やね、飛び込めへん」
「まあなぁ……生活排水とか垂れ流してるしな」
「うえー……」
つまり水質の問題だったりする。ちゃんと上水道は街を走っているが、風呂の為に使うほど豊富という訳ではないのだ。
まあ、それでもエレーネ川は下水ってほど汚い訳でも無いので、低所得な貧民なんかは文句はあっても言わずに、日々の生活の基盤にしている。
「普段は川で行水するだけで済ますんだが、流石にそれだけじゃ汚れが中々落ちなくてな」
「おっちゃん、普段水浴びしかしてへんの?」
「風呂屋にはたまにしか来ないからな。風呂に入る金があるなら食い物買うし」
「えんがちょやー」
しかめっ面で嫌がられても、俺みたいなのは他にも沢山居るわけで。
というか臭いだの汚いだのと衛生面を気にするなら、なんで俺みたいなのに執着するのかね。よくわからない子だ。
「ま、つまりだ、せっかく買った服を行水だけで済ませた汚い身体で着ちゃったら台無しだろう? それで念入りに洗おうと思ってな」
まあ代金はサーヤ持ちなので、だいぶ情けない話だが。
既に服を買って貰った手前、今更な感傷か。
ちなみにサーヤは普通に大金を持っていた。聞いた話だと、仕度金という名目で定期的、正確に言うなら十日に一度の頻度で金貨を三枚ほど王宮から支払われるらしい。
『最初はな、これ五百円みたいなもんかなと思ってたんやけど。いっちゃん最初にな、りんご買おうとしたんよ』
『ふむ』
『そしたらな、百円ぐらいやと思っとったこっち銀貨がな、九十枚もおつりで帰ってきてん。しかも売ってたりんご全部渡されてん、もっというと周りのほかのお店で売ってた野菜まで全部渡されてん、おつり足りないからまとめて買ってって』
『金貨一枚で銀貨百枚分だからな、金貨で露店の食い物買おうとかしたらそうなるな……複数の店で結託して金貨をもぎ取ったか……』
『そんでな、食べ切れへんから、近くでじーっとウチのお買い物見てた、ウチぐらいの子供らに渡したんや』
『あー、スラムの子供らだな……大丈夫だったのか? あいつら餓えてるからけっこう狂暴なんだが』
『ぎょうさんお礼言われただけやな、六年生ぐらいのあんちゃんとはケンカになったけど勝ったし』
『そ、そうか良かったな……ちなみに銀貨一枚で銅貨は百枚分で、銅貨一枚は賤貨十枚分な?』
『知ってるで! 教えてもろたもん、金貨をな、銀貨とかに替えてもらう所も教えて貰ったから知っとるよ?』
……という会話を道すがら雑談で話していたのだが、その一度の失敗だけで貨幣の価値を正確に把握して、事前に金貨を両替するという事もしているらしいと聞いた時は流石に優秀過ぎないかと思った。
まさかと思うが、小人族か何かで本当は成人じゃないかと本気で疑ってしまった。
聞いたら違うと言われたが。まあ、外見の特徴からして人族の子供で間違ってないのだが。
更についでだが、サーヤは「銅貨はやっぱり十円やったな、ふつーのパンが十枚ぐらいやったし」と言っていた。
どうやら自身の故郷の貨幣と価値を比較しているらしい。
本気でサーヤの国の教育環境が怖い。サーヤぐらい知識がある子供がゴロゴロ居るという話だし。恐らく俺は余裕で負ける、頭の良さで。
「さて、風呂に来たは良いがどうするかね?」
「むう? どうしたん、おっちゃん?」
「いや、サーヤはどうすっかなと」
「一緒に入る!」
「……まあ、良いか、放置も出来ないし」
今、入ろうとしている風呂屋は男専用の風呂屋で、女風呂が分けて設置されていたり混浴だったりとかは無い。
なんでも、店舗ごとに男女を分けた方が効率が良いんだとか聞いた事がある。
一店舗で男女共用だと、女が寄り付かんのだそうな。貧民の男連中は節操無いから仕方ない。
ではサーヤの場合はどうなのかと言うと、まあ大丈夫だったりする。
このぐらいの年齢の子なら父親らしき奴に連れられているの、来たら毎度見掛けるし。
更に言うと、暗黙の了解として子供に欲情するようなイカれ野郎が出没した場合、従業員と店の客総出で袋叩きの後、川へ投げ捨てるという決まりがある。
一度だけ参加した事があるが、普段は粗暴な連中の癖に妙に使命感に満ちた顔付きで下手人をボコボコにしているのが印象的だった。
そんな訳で、サーヤを連れ立って風呂屋の入り口を潜る。
少し湿っぽい空気の、石造りの建物へと入り、入り口近くに居る番頭へ銅貨を支払う。
入浴代はひとり銅貨三十枚。いつの間にか値上がりしてやがる、以前は二十五枚だったぞ。
「暗いけど、服脱ぐとこはせんとうとあんましかわらんなー」
「サーヤの国の風呂屋か?」
「せやで、広くて明るくてな、いろんなお風呂があってな、たのしいんやで」
「いろんな風呂、ねぇ……想像がつかん」
「ぶくぶくしとるのとか、ばしゃばしゃしとるのとか、ビリビリしとるのとか」
「なるほど、わからん」
それは果たして風呂なのか。
無数に並んだ木錠付きの戸棚のひとつを開き、中に置いてあるラタヤシの編み籠へ衣服一式を脱ぎ捨ていく。
幾つかある蒸し風呂屋の中で、この店を選んだのは鍵付きの戸棚が設置されているからだったりする。せっかく買って貰った服を即日盗まれたりしたら敵わん。
「サーヤ、お前も脱いでここに服を……あれぇ?」
「むぅ?」
戸棚を別に使う理由も特に無いと思い、隣で準備している筈のサーヤへ声を掛けたのだが、サーヤはとっくに服を脱いで準備が出来ていた。
ご丁寧に布を身体に巻き付けているのはご愛敬か。というかそんなのいつの間に持っていたんだろうか。
ここで貸し出ししてる手拭いとは明らかに大きさと質が違うんだが。
「おっちゃんまだー?」
「……すぐ準備する」
まあ、良いか。追加料金かなにかで貸し出してるのかもしれんし。借りに言ってるような気配はしなかったんだが、実際に身に付けてるし深く考えないでおこう。
そんな訳で準備を終えてから浴場へ。
「おー、むわっとしとるけどあんま熱くないなぁ」
「そうかね」
「サウナって、もっと熱いんやで?」
「これ以上熱いのはちょっとゆっくり出来なくないか?」
浴場の水場近くに座り込み、まずは手拭いを水に浸けて身体を擦る。隣でサーヤも同じようにしているのだが、手拭いを水に浸けた瞬間、口をひん曲げて不快感全開な顔をしていた。
「……お湯やあらへん、ふつーの水やんか」
「そりゃそうだ、流した汗を水で濡らした手拭いで擦って、綺麗にするんだから」
「えー……」
「えーと言われても」
「お城ではお湯やったんやけどなぁ……」
「王城の入浴施設と比べられてもな……」
どうも、サーヤには風呂に対してだいぶ拘りがあるらしい。正直感覚が王公貴族並みっぽい。
「むー、しゃあないわ」
「おーい?」
「──灼拳」
サーヤはため息をひとつ吐いてから、またいつの間にか傍らに置いてあった木桶で水を掬って、その水の中に握った手を呟きと共にちゃぽんと浸けたと思ったら、桶から大量の水蒸気が噴き出した。
「熱つう!? なんだ、なにした!?」
「加減むつかしいわー、あんな、冷たいからまほうでお湯にしてん」
「まほうっておい!」
使えるのかよ。いや、そういや勇者なんだし、使えてもおかしくはないが。
「灼拳ちょっとよわめー」
「…………」
一度目の水は全て水蒸気となって周囲を漂ってしまっている為、サーヤはもう一度同じ手順で、今度は手加減らしい事をしつつやっている。
灼拳だったか、聞いた事無い魔法だが、絶対に湯沸かしに使う魔法じゃないだろそれ。