むかしむかし、あるところに
結局のところ
よく考えれば風呂が七色に光ろうが、変なものが置いてあろうが、使わなければいい事に気づいた。
なんだったらベットから電気消せるとか便利だしね。
俺がクローゼットに洋服を仕舞っている間
東雲さんは、テレビに釘付けだった
画面にはさっきから大自然の動物たちが映し出されている。
俺は、風呂のお湯張りボタンを押し、東雲さんから出来るだけ、離れて座った。
俺が座ると、東雲さんが横にピッタリとくっついてくる。
「ねぇチアキ?」
吐息を感じる距離に鼓動が早くなる。
「なに?」
東雲さんの紅い目が俺を見上げる
「私知りたいの」
これキタ━(゜∀゜)━!?
もうね、今日からR18タグでもいい、覚悟はできた
声が上ずりそうなのを必死に取り繕う。
「何を?」
「今日私が食べたのは、どの子?」
悲しそうな目で俺に聞いた。
先程までの浮わついた気持ちは冷水を掛けられたごとく霧散する
彼女は食べ終わってからずっと考えていたのだ
自分が奪った生命の事を
「多分そのテレビには出てない」
アメリカの大人気自然番組だ、そんなのに出演するほど皆の興味をそそる動物では無いだろう。
ペンギンやらシロクマなんかよりよっぽど知るべきなのにね。
俺はスマホを取り出し、検索する
牛肉と検索すると、切り分けられている肉の塊は出てくるものの、なかなか牛は出てこない。
何度か検索ワードを変えてやっと見つけた。
東雲さんにスマホを渡す。
「これだよ」
画面には茶色い牛が映っている
「この子は?」
「牛だよ」
「牛さんって名前なのね」
学名でいえば哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ウシ亜科の牛である
……Wikipedia先生は何でも知ってるからね?
でも、彼女が知りたいのはそういう事では無いのだろう
「ごめん、名前はわからない」
「牛さんって名前だよ」なんて嘘を付くことは容易かった。
彼女はなにも知らないのだから
でも、何かの拍子に気付いてしまうかもしれない。
そうしたら彼女が考えている、この時間も、この思いもすべてを無下にしてしまうのだろう。
必死になにかを堪えながら、画面を見つめる少女
「そうなの」
ふっと、糸が切れたように呟いた。
自分のために消費された命すら知ることを許されない、それなのにその事を忘れて、あたりまえだと、なに食わぬ顔で生きていける
…彼女が不幸だというのなら、それがこの世界の幸せなのだ
みんな、都合の悪いことは、全部分からないと片付け、知らないふりをする。
だから
……「ガラスの靴を頂戴?」
彼女の願いを聞いて答えなかった俺も多分、幸せなんだろう
風呂が沸けた音が響く、彼女にそれを告げようとした
瞬間、息が詰まる
彼女の紅い瞳は涙に濡れていた。
画面を見つめて、諭すように話しかける。
「ごめんなさい、私はあなたをわからない、名前も、全部知らないの、それが悲しいことだってよく知っているのに」
彼女はうわごとのように繰り返す
ごめんなさいと
それを見て、思ってしまう
どうして、彼女が不幸なのだろう。
もっと不幸になるべき人間なんていくらでも居る筈だ
彼女が望むそれは、そんなに過ぎた願いなのだろうか?
自分が犠牲にしたそれを、知って慈しみたいと願う事は。
どうして、彼女が不幸なのだろう。
涙を流し、震えている彼女を
ちゃんと「大丈夫」って抱き止める人が居ないのだろう。
どうして彼女は
そんな、当たり前すら無いのだろう。
俺は、必死に脳内を掻き回す
彼女がこれ以上泣かないように、言葉を探す。
抱き止める資格はない、だって俺は少女の事を知ろうともせず、消費しようとしていた、幸せな人間だから。
「東雲さん?あのさ、名前は分からないけど」
彼女は、泣き腫らした紅い目で俺を見る。
「名前を付けてあげることはできるよ?」
「今日食べた牛を、忘れないために名前を付けることは出来る」
そんなの、身勝手だと
勝手に食べて、勝手に忘れ無いなんて
なんの救いもない
自己満足だと、知っている。
それでも、それしか思い付かなかった。
東雲さんは目を見開く
そして、すがるように、呟いた。
「うん、名前つけたい」
「じゃあ、一緒に考えよう」
咳払いをして、呼吸を整える
改めて言うのは気恥ずかしいが、言わねばならない
「それと、俺もユウキって呼んでいいかな?」
「なんで?」
「東雲さんって呼ぶと、ユウキのお母さんもお父さんも東雲さんだから」
「ちゃんと覚えてる為に、もっと知る為にちゃんと名前で呼ぼうと思って」
思えば、はじめから彼女はチアキと俺の事を呼んでいた。
それは、馴れ馴れしいとかそういう事では無くて
名前を呼ばれない悲しさを
名前さえ呼ばれず消費される苦しみを
彼女は、知っていたからだろう。
だから、せめて俺だけでも彼女を覚えていようと思った。
ユウキという少女の1週間を、
それに付く名前が幸せな最後では無かったとしても
せめて、覚えていよう。
「だからユウキ?改めて宜しく」
少女は泣き腫らした目で、笑顔を見せる
「よろしくねチアキ」
だから、このお話は今から始まるのだ
「むかし、むかしあるところに」なんて、物語にはならなくても
そこに、なにも残らなかったとしても
それでも、俺だけは忘れないように
ああでもない、こうでもないと言葉を交わし夜は更けていく
気がつけば眠りに落ちていた。




