80話 お引越し
2月にはいってから雅之おじさんが、よく都会で出かけるようになった。瑞希も一緒だ。某有名私立大学の合格を果たした瑞希のために、大学の近くにマンションを借りるため、2人は不動産周りを続けているようだ。
そんな2月を過ごしていると、2月中旬に明日香の高校受験があった。明日香は無事に高校受験に合格し、春から僕の後輩として、高校に通うことが決まった。
僕はといえば、毎日のように学校に行き、授業を受け、放課後からは喫茶店のバイトに励む毎日だ。瑞希がいなくなることを考えると、今でも体の力が抜けてしまうので、極力考えないようにして日々を過ごしている。
そんなある日、瑞希と雅之おじさんが大学の近くのマンションで契約をすましてきたことを、瑞希から聞いた。引っ越し業者も頼んで、近々、引っ越し荷物を業者が運んでいくことになった。
3学期に入ってから、僕が現実に目をつむっている間に事はどんどんと進んで行き、とうとう瑞希の荷物が、瑞希の家からと、僕の家から運びだされ、新しいマンションに運ばれていくことになった。
引っ越し業者はプロだけのことはあって、荷物を梱包して、次から次へと荷物を運び出している。荷物は一旦、引っ越し業者の倉庫に預けられた後に、瑞希と僕が都会のマンションに行った時に、引っ越し業者が運び入れてくれることになった。
学校を休んで、瑞希と2人で電車に揺らて都会へ向かう。とうとうこの日がやってきたのかと、僕の顔は暗く、俯いている、瑞希も僕の手を握り締めたまま、何も言わずに僕にもたれかかって、頭を僕の肩に置いている。
何も言葉が出てこない。心の中で「行かないでくれ」という思いが込み上げてくるが、それを言うと瑞希の決心も鈍ると思って、口に出すことができない。
「蒼が行かないでほしいって言えば、私、引っ越し日を変更しても良かったんだよ」
まるで僕に止めてほしいように瑞希が口を尖らせて、僕に言う。僕だって、もう少し、一緒にいたい。でも引っ越し業者の決まっている予定を変更することなんてできなかった。
「僕もできれば引っ越しなんてしてほしくない。でも瑞希が大学へ通うには仕方ないんだよ。それに引っ越ししたからといって、すぐに新しいマンションで暮らすわけじゃないだろう?」
「もちろんだよ。蒼のことが心配だし、卒業式も残っているから、今日は引っ越し業者が荷物をきちんと搬入してくれるか確認するために、都会に行くだけだから、しばらくは蒼と一緒に暮らせるよ」
心から安堵の吐息をもらす。今日から大学の近くのマンションで暮らすと言われたらどうしようと、心の中で不安が広がっていたからだ。どこまで行っても僕の弱気は直らないみたいだ。
都会の駅について、瑞希の大学の最寄の駅まで地下鉄に乗って行く。地下鉄を出ると、僕達の街では見たこともないような大通りが駅の近くを走っている。
瑞希と僕は手を繋いで歩き出す。今度、住むマンションの住所と、マンションから地下鉄の駅までの道は、瑞希が把握している。僕は瑞希に連れられるようにして、瑞希の住むマンションに到着した。正面玄関にロックがあり、インターホンがある、セキュリティのしっかりしているマンションだ。
僕達が到着すると既に引っ越し業者が廊下やエレベーターにプラスチックの板を張り付けて、引っ越しの荷物を搬入する準備が始まっていた。
瑞希が引っ越し業者のおじさんに挨拶をしている。12階立てのマンションの5階の角部屋が瑞希の部屋だった。瑞希がカギを回して部屋に入いると3LDKの部屋が僕の目の前に現れた。部屋のベランダからは大きな公園がすぐ近くに見える。なかなか景観の美しい立地条件だ。雅之おじさんも奮発したんだろうな。
引っ越し業者は、次々と荷物を搬入していく。ほとんどの電化製品や食器棚やコンロは新調されていた。もちろん大型冷蔵庫と洗濯機も新品だ。
そして瑞希の部屋に入るとセミダブルのベッドが置かれていた。
「蒼がいつでも泊まりに来られるように、ベッドは大きめを買ったんだよ」
瑞希は照れたように俯きながら、説明をしてくれた。僕としてはシングルベッドでも良かったのに、どうせ瑞希を抱き枕にして眠るんだから、それでも瑞希の気遣いがありがたかった。
引っ越し業者の荷物搬入が終わる。僕と瑞希は梱包された段ボールを開けて、瑞希の荷物を所定の場所に片付けていく。すると瑞希の段ボールを開けていくと、僕の衣類が、その他、色々な僕の荷物が段ボールから出てきた。
「蒼の荷物が一つもないなんて、私には耐えられないから、勝手に蒼の荷物も運んできちゃった。どうせ1年後には、この部屋で一緒に暮らすんだからいいよね」
その気持ちはわからなくもないし、理解もできるけど、パジャマが持ってこられるのはまだわかる。でも僕のパンツが何枚も荷物の中に入っているのはどういうことだろう。瑞希に一度は問いただしたい問題だ。
「蒼がこのマンションに泊まりにきた時にパンツが1枚もなかったら困るでしょう。だから持ってきちゃった。既に蒼の部屋も用意してるんだよ」
瑞希は僕の部屋を案内してくれる、まだガランとした部屋だ。当たり前だが、ベッドも机もない。もちろんタンスもない。何も用意されていないのに、パンツだけ運ばれてくるっていうのは違和感がバリバリにあるんですけど。
引っ越し業者が帰ってから、少しお腹が空いたので出前を取ることにした。僕も瑞希も、少しだけお腹が空いただけなので、お蕎麦を頼んだ。引っ越し蕎麦だ。
瑞希と2人で近くのスーパーに行って夕飯の買い出しを済ませる。今日はこのマンションで1泊することになりそうだ。瑞希はエプロンをつけて、上機嫌で夕飯の用意をしていく。
まだ、ペアの食器類などは、マンションには持ってきていない。
「蒼の家に帰った時にペアの食器がなかったら寂しいよ。だから私が買い揃えておくね」と瑞希が微笑む。瑞希の頭の中では明るい大学生活の予定が決まっているのだろう。僕はコクリと頷くしか方法はなかった。
照明器具は引っ越し御者が取り付けてくれたので助かった。数多くある間接照明を僕達は取り付けていく。リビングダイニングのテーブルの上の照明は間接照明のようは光を放って、ムード満点だ。
僕と瑞希は夕飯を食べ終わると瑞希がクルリと振り返って、優しく微笑む。
「ここのお風呂、なかなか良いんだよ。湯舟は浅いけど、足まで延ばせるの。蒼が初めて使って、見てよ。気持ち良いと思うから。その間に脱衣所に蒼のパジャマを用意しておくから」
お言葉に甘えて、お風呂に入らせてもらった、瑞希の言うとおり、なかなかオシャレなお風呂場だ。僕は足を延ばして、肩まで湯舟に浸かって、ゆっくりとお風呂を堪能した。僕がお風呂から出てくると、瑞希がお風呂に入っていった。僕はリビングダイニングに置かれているソファに寝そべって、瑞希がお風呂から出てくるのを待つ。
お風呂から出てきた瑞希は、今日はパジャマを着ていた。そして僕の隣に座る。
部屋の裏側に広がっている公園を思い出して、僕と瑞希は着替えて公園へ向かった。手直なところにベンチがあったので、座っていると、あちらこちらのベンチでカップルがイチャついている。それもかなり大胆だ。さすが大人のカップルのイチャつきは凄い。見ていてこちらが赤面する。瑞希もモロに見てしまったようで、顔をまっ赤にして照れて俯いてしまっている。どうもこの公園は夜になるとカップルが溜まってくる公園のようだ。瑞希もそのことには気づいていなかったようだ。
「まだ、私達には早いわ。刺激が強すぎる。早くマンションに帰りましょう」
瑞希が恥ずかしそうにモジモジして、僕の手を引っ張る。確かにこの公園にいるとムードに飲みこまれて一線を越えそうになるような、アダルトな雰囲気が溢れている。僕達は手を繋いでマンションへ急いで戻った。
僕達はパジャマに着替えて、瑞希の部屋にあるセミダブルのベッドの中へ潜り込む。瑞希が目をクリクリとさせて、「さっきの公園凄かったね。色々と凄いところを目撃しちゃった」と恥ずかしそうに言う。確かに僕も目撃していたが、口に出す勇気がなかった。
「私達はベッドの中でイチャつきましょうね」と言いながら、瑞希は僕の体を引き寄せる。僕も瑞希の腰に手を回して瑞希の体を引き寄せると長いキスをした。
瑞希が目を潤ませて「今日は、蒼の好きなことしてくれていいんだよ」と言って僕を誘惑する。必死で誘惑に耐えた僕は、ベッドに潜り込んで瑞希の鎖骨に軽くキスをした後に、瑞希の胸に顔を埋めて微睡んだ。
眠りに入る瞬間、瑞希の口から「蒼のいくじなし」と言葉が聞こえてきたが、僕達はまだ高校生だよ。それはこれからに大事に置いておきたい。僕が大学へ入学するまで、瑞希の誘惑に耐えるしかないのかと内心でため息をついて、僕は瑞希の胸に抱かれて、すぐに微睡みに落ちていった。
次の日に起きた時には、昼過ぎになっていた。予定では朝早く帰るつもりだったのに、ずいぶんと遅れてしまった。瑞希が雅之おじさんに連絡すると「そんなことだろうと思っていた」とおじさんは笑っていた。
僕達は、家に帰る準備を済ませて、玄関のカギをかけて、地下鉄の駅に向かう道路を手を繋いで2人でゆっくりと歩いていく。どこにいても瑞希といれば、2人寄り添って楽しくて、幸せで、僕は心から笑顔が溢れた。