77話 始業式
今日は始業式だ。3年生の出席日が始業式とセンター試験の数日前から登校するだけで、卒業式まで授業は一切ない。だから僕達2年生にとっては3年生と一緒にいられる数少ない日だ。
瑞希は都会の某有名私立大学を受験することに決まり、受験はセンター試験だ。それまでは家で勉強に打ち込むことになる。瑞希は学年トップの成績で、模擬テストでもA判定をもらっているので、某有名私立大学であれば、合格圏内と三坂先生に太鼓判をいただいている。
瑞希はセンター試験を利用して、某有名私立大学を受験するので、今日の始業式の次に登校するのはセンター試験の前日の2日間と卒業式となる。しかし、センター試験を控えた日は、受験に取り組んでないといけないので、一緒に登校して甘い時間を味わうことなどできないだろう。
瑞希自身はあまり受験に興味がないようで、今でも僕のお嫁さんになりたいと言って甘えてくる。そんな嬉しいことを言ってくれるから、僕は朝から照れっぱなしだ。
朝起きて、朝食を食べて、制服に着替えて、瑞希と2人、手を繋いで登校する。この登校も今日が終われば、卒業式までないかと思うと胸の中に寂しさがよぎる。思わず瑞希の手をギュッと握ると、瑞希も同じ気持ちだったようで、僕の手を握り返してくる。
僕は切なくなって、瑞希の腰に手を回して瑞希を抱き寄せる。すると瑞希も僕の腰に手を回してギュッと体を寄せてきた。僕達は密着したように、寄り添って歩道を歩く。周りの生徒達がどう思おうと構わない。僕達にとって、この登校はかけがえない登校なのだから。
瑞希が僕の肩に頭を置いて、甘い吐息をもらす。僕も瑞希の頭の上に自分の顔を乗せる。
莉子と悠が手を繋いで、路地から出てきて、僕達を見て驚いていたが、今日ばかりは何も言ってこなかった。莉子と悠も、僕達2人の登校風景が今日で実質、最後になることを理解してくれたのだろう。2人に感謝する。
僕達2人はなるべくゆっくりと歩道を歩いていく。優雅に歩ていると言ってもいいかもしれない。瑞希との最後の登校だ。ゆっくりと時間をかけて、一緒に風景を目に焼き付けて登校したい。段々と学校の校門が迫って来る。朝の一緒の登校ももうすぐ終わる。
校門を通ると多くの先生達が厳しい顔で僕達を見ていたが、誰も注意する先生はいなかった。三坂先生もいて、なんだか目に涙が浮かんでいるように見えた。
僕達2人は校舎に入って靴箱の所でお互いに見つめ合う。瑞希が優しく微笑む。
「すごく思い出に残る登校ができて、私、幸せだった。この登校、絶対に忘れない。私の思い出の宝物の1つになったわ。ありがとう、蒼」
「僕も忘れられない登校になったよ。こんな切ない登校ははじめてだ。たぶん一生、覚えていると思う。今まで一緒に登校してくれてありがとう。瑞希」
僕達2人は分かれて、それぞれの教室へ向かった。僕が教室に入ると、芽衣と咲良が涙目で僕のことを見ている。登校シーンを見られたのかもしれない。僕は芽衣の席へと歩いていく。
「瑞希先輩との登校を楽しむことはできた?」
「ああ、楽しめた。少し切なかったけど、満足したよ」
「今日、始業式が終わったら、喫茶店で3年生の打ち上げパーティよ。わかってるよね」
「大丈夫だよ。遅れずに出席するから、心配しないで」
咲良が自分の涙をハンカチで拭っている。
「蒼、瑞希先輩が学校に来なくなっても、元気ださないとダメだからね」
そういえば咲良は僕と瑞希が同棲していることを知らない。だから僕達がもう頻繁に会えないのではと心配してくれているんだ。ありがとう心配してくれて。家の中では仲良くやってます。咲良に言えなくてゴメン。
体育館に集合するようにアナウンスが流れる。僕達は階段を降りて体育館へ集合する。始業式が始まった。校長先生の長い話が延々と続く。先生達は感心したように聞いているが、僕達学生にとっては迷惑な時間でしかない。だって、何を言っているのか半分は聞き流しているから、意味もわからない。
校長先生の長い演説が終わった後に、1人の生徒が体育館の檀上に駆け上った。その行動に全校生徒は騒然となる。檀上に上ったのは藤野健也だった。藤野健也は体育館の檀上から全校生徒に手を振っている。相変わらず爽やかな笑顔とキラッと光る歯が印象的なイケメンだ。何をする気なんだろう。
「1年生、2年生の諸君、君達も知っていると思うが、私は元・生徒副会長の藤野健也だ。私達、3年生は今日の登校が終わったら、次に君達に会うのは卒業式になるだろう。君達には寂しい思いをさせるが、私達3年は卒業する者だ。後のことは君達に任せた。楽しい学校生活を送ってくれたまえ。アディオス」
それだけをマイクを通していうと、壇上から飛び降りた。すると先生達に捕まって連行されていく。連行されている間も笑顔が絶えない。さすが藤野健也。普通の学生の思考では追いつけない。
藤野健也のおかげで面白い始業式になった。たまには役に立つもんだな。僕達は始業式を終えて、自分のクラスへ戻る。そしてダル先生が教室に入ってきて、HRが始まる。色々なプリントが配られ、内容が説明されていく。
2月中旬には生徒会長の選挙がある。そして2月末には学年末考査のテストが待っている。3月の10日には3年生の卒業式となっていた。
瑞希が都会の某有名私立大学に合格すれば、雅之おじさんが3月中にマンションを借りて、瑞希の引っ越しをしないといけないと言っていた。
もう僕と瑞希には時間が残されていない。3学期の予定表を見て、そのことを実感する。瑞希と離ればなれになることを思うと、心の中に巨大な虚空の穴が開いていくような気がする。今も手の震えが止まらない。
僕が茫然と予定表を見ていると、咲良が隣の席から「大丈夫? 顔が真っ青よ」と小声で声をかけてくれた。そのことで僕は自分の思考から現実に戻る。「大丈夫、ありがとう」と咲良に微笑んで安心させる。
HRが終わって、教室で帰る準備をしていると、瑞希が教室の後ろのドアの所で僕のことを待っていてくれた。咲良が瑞希の元へと走っていく。手にはハンカチを持ってる。少し泣いているようだ。
「瑞希先輩。大学入試頑張ってください。蒼のこと心配でしょうが、どうか心配しないでください。私と芽衣と皆で蒼のこと見守っていきますから。先輩は安心して大学受験に力を入れてください。尊敬してました。瑞希先輩」
「ありがとう咲良さん。蒼のことお願いね。たぶん皆の前では強がると思うけど、私も蒼のことが心配なの。よろしくお願いね」
瑞希は咲良に手を差し伸べる。咲良は両手で瑞希の手を握手する。咲良の目からは大粒の涙が頬を伝う。瑞希がポケットからハンカチを出して、咲良の涙を拭いている。瑞希は優しい微笑みを浮かべて、咲良の頭をなでる。
帰る準備ができたので鞄を持って瑞希の元へ歩いていく。僕と瑞希は手を繋いで廊下を歩く。その後ろで咲良が瑞希に向かって手を振っていた。瑞希も後ろを振り返って手を振り返す。
階段を降りて、校舎を出て、ゆっくりと僕達は大通りに向かって路地を歩いていく。この路地も何回歩いたことだろう。歩き慣れた道も、心の傾きによって懐かしい道に見える。路地をゆっくりと歩いて、大通りに出る。そして大通りを駅に向かって歩いていく。今日も大通りは人通りが多い。他の人々にとっては普段の日常だ。僕と瑞希だけが特別な時間を送っているように、寄り添って大通りを歩く。
喫茶店に着いて、中に入ると、既にお姉ちゃん達とマーくん、タッくん、芽衣が集合していた。カウンターからマスターが出てくる。
「今日は夜までは貸し切りにしてあるから、皆、好きな席に座って寛いでね。芽衣ちゃんも蒼ちゃんも今日は楽しんでいってね。雑用は全部、正人と拓哉にさせるから」
そう言ってにっこりとマスターは笑った。マーくんとタッくんはイヤな顔をするが、文句一つ言わない。黙ってエプロンを着けている。
「さー今日は騒ぐわよ。だって今日が終わったら、受験まで一直線だもん。皆、今日は楽しんで、明日から頑張ろうねー!」
美咲姉ちゃんがアイスオーレを手に持って号令をかける。瑞希も他のお姉ちゃん達も微笑んで、飲み物のグラスをあげる。
皆はそれぞれ好きなケーキを頼んで、好きな飲み物を頼んで、色々なことを雑談して、今の大事なひと時を楽しんでいく。今日という日を僕は忘れないだろう。皆の笑顔と温かさを。