76話 初詣
1月1日、元旦の朝、僕が目を覚めると、瑞希の姿は既にベッドになかった。僕はゆっくりと起きて欠伸をする。カーテン越しに朝日が差し込み、天気が良いことを知らせてくれる。まるで今年1年が良い年であるかのような錯覚をおこしそうだ。
瑞希の顔が見たい、朝を起きて、初めに思ったことはそれだった。階段を降りて1階に降りると瑞希が珍しく、髪を結い上げて項を出して、エプロンを着ている。瑞希の項はいつ見てもきれいだな。思わず見惚れてしまう。
「朝から、私を見て、何をウットリとしてるの?」
クスクスと瑞希が笑う。瑞希にバレてしまったことに照れた僕は顔を背けた。
台所のテーブルの上には豪華なおせち料理が並んでいる。これも全部、瑞希が作ったのか。瑞希の料理の腕前に舌を巻きそうになっていると、「今日はズルしちゃったの。この料理、お取り寄せなんだよ」と瑞希が弾けるような笑顔で笑った。
瑞希が料理が上手いと言っても、まだ高校生だ。おせち料理を完璧に作ることはできないだろう。お取り寄せをして正解だと思う。瑞希には楽をしてもらいたいから、元旦から忙しい思いはさせたくない。
テーブルに座って「今年も宜しくお願いします」とお互いに声をかけあって、おせち料理を食べる。さすがに美味しい。瑞希が作ってくれたお雑煮も絶品だ。
おせち料理を1日で食べ尽くすのは無理がある。冷蔵庫に入れて、少しずつ食べていこう。そうしたほうが、瑞希も料理に追われて忙しい思いをしなくてすむ。それだけ僕と一緒にいてくれる。実に良い考えだ。
おせち料理を食べ終わって、片付けを済ませると瑞希が「隣に行ってくる」と言い出した。そういえば僕も雅之おじさんと瑞枝おばさんに新年の挨拶をしていない。「僕も一緒に行くよ」と言って、僕は私服に着替えて、瑞希について、隣の瑞希の家に行く。
インターホンを鳴らすと明日香が顔を出した。
「雅之おじさんと瑞枝おばさんに新年の挨拶に来たんだよ」
明日香が頬を膨らませる。なにか僕は悪いことを言ったのかな?
「明日香には新年の挨拶はないの? 蒼お兄ちゃん、私のこと忘れてない?」
うん、昨日、一緒に家にいたから、すっかり明日香のことは忘れていたよ。ごめんな明日香。
「明日香、新年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」
「蒼お兄ちゃん、本年もよろしく」
せっかくきちんとした挨拶をしたのに、短縮されちゃったね。明日香の機嫌も直ったし、これで良しとしておこう。
玄関で靴を脱ぎ、リビングへ入っていくと、雅之おじさんと瑞枝おばさんがいた。瑞希と2人揃って、雅之おじさんと瑞枝おばさんに新年の挨拶をする。雅之おじさんはにっこりと笑う。
「ご丁寧な挨拶をありがとう。こちらこそ、本年もよろしく。蒼ちゃん、はい、お年玉」
雅之おじさんがお年玉のポチ袋を僕にくれる。雅之おじさん、お年玉は嬉しいけど、なんだか恥ずかしいよ。
瑞枝おばさんと瑞希はリビングを出て、他の部屋へ行ったようだ。僕と雅之おじさんはリビングのソファに座って、ゆっくりと雑談をする。雅之おじさんの仕事の話がほとんどで、僕は聞き役だ。明日香は雅之おじさんに捕まりたくないのか、リビングに一瞬だけ顔を出して、すぐに違う部屋へと消えていった。
しばらくすると、瑞希と明日香が振袖姿で現れた。瑞希は桜色が基調の振袖を着ていて、僕がプレゼントした天然べっ甲の髪飾りが差さっている。色白に瑞希に桜色の振袖が良く似合う。項が美しい。
明日香は赤を基調とした振袖を着ている。髪には可愛い華の髪飾りがつけられている。僕に見て欲しいらしく、着物姿のまま、体を押し付けてくる。近過ぎるよ。もう少し離れないと全体像が見えないよ。
明日香は振袖を着るのは初めてらしく、顔を赤くして照れているが、とても嬉しそうだ。可愛いよ。明日香。
リビングをガサガサと動き回る音がすると思ったら、雅之おじさんがデジカメを持って、必死に2人の振袖姿をデジカメに納めている。僕もスマホを取り出して、明日香と瑞希の振袖姿を連写した。リビングは一瞬のうちに撮影会のようになった。瑞枝おばさんが恥ずかしそうに、雅之おじさんを取り押さえている。雅之おじさん必死すぎ。僕まで笑ってしまう。
雅之おじさんの変な行動に、明日香も瑞希もクスクスと笑っている。女性って着物を着ると仕草も女性らしくなるから不思議だ。明日香まで淑やかに見える。瑞希が清楚に見えるのは当たり前だ。瑞希はきれいだからね。
そういえば僕のスマホの中の写真のほとんどは、瑞希の写真で満タン状態だ。今度、整理しないといけないな。
瑞枝おばさんが着物の着付けをしてくれたんだろう。2人共、きれいに振袖を着こなしている。僕、瑞希、明日香の3人は玄関を出て、初詣に向かう。道路の歩道を神社に向けて歩いていくと、振袖姿の女子の姿や、袴姿の男子とすれ違う。今日が元旦だという実感が沸いてくる。
神社に到着すると鳥居の前に、美咲姉ちゃん、楓姉ちゃん、凛姉ちゃんの3人が待っていてくれた。3人共に振袖姿だ。そして僕がプレゼントしたかんざしを差してくれている。楓姉ちゃんは凄くお淑やかで上品に見える。凛姉ちゃんはキリっとしていて、着こなしにもビシッとしている。とても凛々しい。美咲姉ちゃんはとても明るくて、元気で良いと思うよ。
「遅いわよ。私達だけで初詣をすましちゃおうかって話していたところだったのよ」
新年の挨拶をする前に美咲姉ちゃんから一言をもらってしまった。でも、まだ待ち合わせの時間10分前なんですけど、どれだけせっかちなの。
とりあえず、3人に新年の挨拶をすると楓姉ちゃんと凛姉ちゃんは丁寧に挨拶をしてくれた。美咲姉ちゃんは既に明日香に抱き着いている。素早すぎでしょう。
「あれ? 恵梨香姉ちゃんはいないけど?」
「あー、タッくんと2人で別行動よ。あの恵梨香がべた惚れなんて、今でも信じられないわ」
美咲姉ちゃんが呆れたように手をあげて、僕に教えてくれる。
「マーくんがいないけど、今日は来なかったの?」
「あー、さっき、弥生さんっていう女子大生の人と偶然会ったら、忠犬のように引っ付いていったわよ。面白そうだから放っておいた」
そういえば、マーくんは弥生さんのことを好きになったらしい。弥生さんもマーくんのことをからかいやすいと言って、よく連れ回しているようだ。結構、仲が良いから、このまま良い感じになってくれたら、マーくん、感激で泣くだろうな。そういう展開に期待したいな。弥生さんの本心は知らないけど・・・・・・
全員で鳥居を潜って本堂へ向かう。本堂でお賽銭を投げ入れて、鈴を鳴らして、両手を合わせて拝む。僕が神様に祈ることは、もちろん瑞希の大学合格と瑞希の幸せだ。瑞希には幸せになってほしい。
明日香が僕のほうを振り返る。
「蒼お兄ちゃん、私のこと、何かお願いしてくれた?」
瑞希のことで必死になりすぎて、明日香のことを忘れていた。僕の目が泳ぐ。明日香の怪訝な目を向けてくる。僕は目を逸らした。
「私だって高校受験なのにー。蒼お兄ちゃんのバカー!」
そういえば明日香は僕達と同じ高校を受験するんだった。致命的なミスをしてしまった。神様にもう一度拝みに行こうかな。2回目のお願いって効力あるのかな。どうしよう。
「大丈夫よ。私がきっちり、明日香ちゃんのことを頼んでおいたわ」
瑞希がフワリとした優しい笑顔を明日香に向ける。楓姉ちゃん、美咲姉ちゃん、凛姉ちゃんも明日香の受験合格を拝んでくれていたらしい。余計に僕の居場所がなくなる。
本堂から離れて、巫女さんの所へおみくじを買いにいく。皆でおみくじを引くと、僕は小吉だった。瑞希は大吉、明日香は中吉、楓姉ちゃんと凛姉ちゃんは僕と一緒で小吉だった。美咲姉ちゃんは吉を引いて機嫌が斜めになる。皆でおみくじを結んでいる木に結び付けていると、女性の大きな笑い声が聞こえた。笑い声の方向をみると、弥生さんがお腹を押さえて笑っている。その隣でマーくんが固まっている。
僕達はマーくんの近くに集まると、マーくんはおみくじで大凶を引いていた。顔が真っ青になっている。大凶なんでおみくじがあったんだ。僕は初めて見た。瑞希達も珍しそうにおみくじを眺めている。さすが大凶、一つも良いことが書かれていない。これは早く木に結び付けたほうがいいだろう。
弥生さんは涙を流して、まだ笑っている。僕は弥生さんの前に立って、新年の挨拶をすると、弥生さんは涙を拭いて、新年の挨拶を返してくれた。
「あーおかしい。笑える。マーくんといると飽きないわ。あの子ほど運が悪い子、見たことない。絶対に面白いよー」
弥生さんの反応を見ると、マーくんの春はまだまだ先のようだ。頑張れ、マーくん。
僕は巫女さんが売り子をしている場所へ行って、全員の合格祈願のお守りを買った。そして、受験をする全員にお守りを渡していく。
「蒼ちゃんと瑞希には、安産祈願のお守りも必要じゃないの?」
美咲姉ちゃん、僕達、何もそんな行為をしたことがないよ。楓姉ちゃん、しきりに頷くのはやめて、凛姉ちゃんと明日香が疑いの目で僕を見てるから。マーくん、なぜ、そんな羨ましそうな顔をしてるの。
いつの間にか弥生さんが消えていた。周りを見回すと少し先を歩いて鳥居を出る手前にいる。マーくんはそれを見ると必死で駆け出した。もう少しで弥生さんに放って帰られるところだったらしい。マーくんも大変だな。
美咲姉ちゃんが、優しそうなお兄さんにお願いして、僕達はスマホをお兄さんに渡して、全員の集合写真を撮ってもらった。これは良い記念になりそうだ。お兄さんにお礼を言って、スマホを返してもらい、自分達もそれぞれにスマホで撮影をして楽しむ。
屋台が多く出ていたが、瑞希も明日香もお姉ちゃん達も振袖姿だ。振袖が汚れたら大変だ。今日のところは屋台は残念することにした。
「マーくんが言ってたけど、喫茶店のマスターが、私達のためだけに店を開けてくれてるらしいの。だから皆で一緒にいきましょう」
マーくんのお父さん、喫茶店のマスターの粋な計らいだ。これは行くしかない。もしかすると、喫茶店に行けば、芽衣達とも会えるかもしれないな。恵梨香姉ちゃんとタッくんには必ず会えるだろう。マーくんと弥生さんは絶対にいるはずだ。
僕達は鳥居と潜って、大通りにある喫茶店へ向けて、皆で楽しく笑いながら歩いていく。