69話 恵梨香と拓哉
文化祭が終わり1週間が経った、僕達はすっかり普通の日常に戻っていた。変化があったとすれば瑞希だ。文化祭の日の写真は瑞希の部屋の棚にある、大きな写真立てに飾られている。そして瑞希は何かというと左手の指輪に話しかけるようになった。
学校に行くときもお風呂に入る時も指輪を片時も外さない。よほど大事にしてくれているんだろう。もう少し、バイト代が多かったら、もっと良い指輪を買ってあげられたんだけどな。次に指輪を買ってあげる時は・・・・・・
僕は私服に着替えて玄関を出て、路地を通って大通りに出る。そして大通りを歩いて喫茶店に行く。そしていつものように駅前でティシュを配る。もう1カ月近くティッシュを配っているので常連になっている人達も多い。
何かと話しかけてくれて嬉しい。中には女子大生のお姉さん達も声をかけてくれる。やっぱり女子大生のお姉さん達は高校生と違って色っぽい。何回か遊びに誘われているが、彼女がいると言って断っている。もっと強引に誘ってくれたら行ってもいいのにな・・・・・・・いかん、いかん。僕には瑞希がいる。
ティッシュ配りに最近はマーくんとタッくんも、たまに手伝ってくれる。以前よりはティッシュを貰ってくれる人々が増えたと2人共喜んでいるが、減っているのはタッくんのばかりだ。
タッくんは金髪の長髪にピアスから、黒髪のウルフカットにピアスと大変身をした。そのおかげで隠れていた顔が露わになってイケメンだったことがわかった。それからティッシュを受け取ってくれる人が多くなった。
3人でティッシュを配り終わって、大通りを歩いて店に帰ると、店の中は満員で、芽衣が忙しそうにホールを回っている。
僕達が店に帰ってくると、芽衣が「蒼、ホールに回って、私、カウンターするから」と大声いう。僕は大急ぎで遅れているお客様の注文を取ってまわる。そしてオーダーをカウンターに言う。するとタッくんがトレイを持って、カウンターから注文の品を取って、お客様の席へ持っていく。静かに注文の品を席に置くと、テーブルに座っていた女性2名が顔を真っ赤になっている。さすがタッくん、イケメンの威力は絶大だ。
マーくんもホールに出ようとするが、マスターに「そんな筋肉マッチョにホールは似合わない」と言われて、カウンター内の作業をさせられていた。ナイスマスター判断。
店の扉が開いて瑞希とお姉ちゃん達が店の中に入ってきて、楕円形の大テーブルに座って、それぞれに注文をする。そして僕はカウンターへオーダーを通す。
出来上がった品から、タッくんが大テーブルへ注文の品を置いていく。すると恵梨香姉ちゃんが口をポカーンと開けて、顔を真っ赤にしてタッくんの顔を見ている。恵梨香姉ちゃんが僕を手招きする。恵梨香姉ちゃんの近くへ行くと「今の誰?」と聞いてくる。
この前まで金髪で長髪だったタッくんだよと説明すると、「あの長髪の金髪ってイケメンだったの?」と驚いている。そして「タッくんだっけ、彼女いるの?」と聞いてきた。僕の記憶が正しければ年齢=彼女歴なしのはずだ。でも間違って教えるわけにもいかない。
タッくんの傍へ寄っていき、「お客さんの中でタッくんのことを気に入ったお客様がいてね。彼女はいるかって聞かれたんだけど、タッくんって彼女いたっけ?」タッくんは驚いた顔をする。
「俺は今まで厳ついって言われて、女子が近づいてこなかったからな。年齢=彼女歴なしだ」
僕は恵梨香姉ちゃんの所へ行き、タッくんは彼女がいないことを伝える。年齢=彼女なしのことは黙っておこう。
恵梨香姉ちゃんが鞄から封筒と便せんを取り出して、何かを書き出した。凛姉ちゃんも美咲姉ちゃんも恵梨香姉ちゃんを見ている。20分ほどかけて手紙ができあがった。恵梨香姉ちゃんが封筒に手紙を入れて、僕に渡す。
「それをタッくんっていうお兄ちゃんに渡してくれるかな。急いで、ダッシュ」
僕は言われたようにタッくんに近づいて、恵梨香姉ちゃんの可愛い封筒をタッくんに手渡した。するとタッくんが信じられないものでも見たように、僕のことをジーっと疑いの眼差しで見てくる。
「何もいたずらじゃないよ。大テーブルのお姉ちゃんが、タッくんに渡してって言うから、今、ホールも空いてるから、カウンターの中で読んできてよ」
タッくんはカウンターの中に消え、代わりに芽衣がホールに出てきた。
カウンターの中からマーくんの絶叫が響く。「拓哉。これは何だよー。ラブレターじゃねーか。俺との友情はどうなったんだよ」
カウンターの中は大騒ぎになっているようだ。騒いでいるのはマーくんだけだけどね。タッくんがホールへ戻ってくる。芽衣が「マーくんを落ち着かせてくる」と言ってカウンターの中へ入っていった。タッくんは異常なほど緊張していて、ホールの仕事ができないので、僕がタッくんの分まで仕事をする。
タッくんが近づいてくる。
「この手紙をくれた子は誰だ?」僕は恵梨香姉ちゃんを指し示して「金髪に近い茶髪の一番、派手なお姉ちゃんだよ。元気がよくて。色っぽいよ。少しエロいし、タッくんにお似合いじゃないかな」
タッくんは恵梨香姉ちゃんのほうを見る。恵梨香姉ちゃんは満開の笑顔で僕達に手を振る。タッくんが一言呟く。
「ドストライク。気に入った。どうすればいい。俺は女性からラブレターも告白も受けたことがないんだ」
僕だって瑞希以外とそういうことをしたことがないよ。聞かれても困る。するとタッくんが伝票の裏にボールペンで「ドストライクです。惚れました」と書いて、僕に恵梨香姉ちゃんに持って行けという。こんなのでいいんだろうか。軽すぎないか。
僕は悩みながら、恵梨香姉ちゃんにタッくんの書いた伝票を渡す。それを見た恵梨香姉ちゃんは「よし、彼氏ゲット」と叫ぶ。その時点で瑞希とお姉ちゃん達は何が起こったのか、やっと頭が追いついたようだ。
瑞希が大きな声で「えー、恵梨香、タッくんと付き合うの? 今、決まったの? 早くない?」と聞いている。凛姉ちゃんは「もっと慎重に彼氏は選ぶべきだ」と慎重論を言っている。美咲姉ちゃんは「恵梨香らしくていいじゃん」と笑っている。楓姉ちゃんは照れて顔が林檎のようになって俯いている。
恵梨香姉ちゃんが席から立ち上がるとタッくんの元へ近寄っていく。タッくんは緊張で固まっている。
「私、唐沢恵梨香よ。恵梨香って呼んで。高校3年生よ。君は何ていうの」
「俺は鏑木拓哉。拓哉と呼んでくれ。同じ高校3年生だ。よろしく」
恵梨香姉ちゃんはタッくんの手をそっと握った。大テーブルは大騒ぎだ。このまま恵梨香姉ちゃんとタッくんをホールの真ん中に放置しておくのは危険だ。僕はタッくんからエプロンを受け取ると、恵梨香姉ちゃんとタッくんを大テーブルに座らせた。
大テーブルではお姉ちゃん達のタッくんに対する質問攻めが始まる。タッくんは顔を真っ赤にして俯いてしまっている。恵梨香姉ちゃんは向日葵のような笑顔で幸せそうにしている。
恵梨香姉ちゃん、狙ったモノは外さない。まさにスナイパー。早すぎる。タッくんの意識が付いて行ってない。
店のお客様達もずいぶんと減ってきた。僕はカウンターの奥へ様子を見に行くと、カウンターの奥にある小さな部屋でマーくんが体を丸めていじけていた。
「タッくんに彼女ができたかもって聞いてから、ずーとあーしてるのよ。筋肉達磨。うっとうしくて仕方がないわ」
芽衣がため息をついて、僕に愚痴る。友達ならもっと祝ってあげてもいいと思うんだけど。タッくんにだけ彼女ができたとなれば、機嫌が斜めになる気持ちもわかる。そっとしておこう。下手に触って暴れられても困る。
僕はホールに戻って、接客を続ける。
大テーブルでは瑞希がタッくんの昔の恥ずかしい話を披露しているようだ。タッくんは「瑞希、黙れ」と言って手を振っているが、瑞希は無視して、タッくんの黒歴史を語っていく。お姉ちゃん達はそれを聞いて大笑いしているが、恵梨香姉ちゃんだけはウットリと聞いている。恋って怖い。
芽衣がエプロンを外してホールへやってきた。
「今日は、もうお客様も減ったし、私、先に帰るわ」と僕に手を振る。そんな芽衣の前に瑞希が立った。そして左手の薬指の指輪を見せつけている。
「これ蒼にもらったの。正式にカップルになったんだから。芽衣さんも理解してね」
「ええ、あの文化祭は忘れられない文化祭になったわ。2人がカップルになったのは見てましたから知ってます。私は蒼の友達です。それ以上でもないし、それ以下でもありません。だから恥ずかしいから指輪を隠してください」
瑞希はそう言われると、顔まで真っ赤にして指輪を隠した。芽衣はため息を1つして店を出て行った。
大テーブルのお姉ちゃん達と瑞希も帰ることになった。マスターの計らいで僕も帰れることになった。タッくんもだ。マーくんとマスターだけで後片付けをするらしい。マーくんは今も肩がガックリとなって元気がない。
これは時間が必要だな。今は何を言っても無理だ。
僕達とお姉ちゃん達は店を出た。すると恵梨香姉ちゃんが「拓哉に送ってもらう」と言い出して2人で寄り添って消えていった。早すぎるー。他のお姉ちゃん達もビックリしている。さすが恵梨香姉ちゃんだ。タッくん、喰われないようにね。恵梨香姉ちゃん、肉食系って自分で言ってたから。
他のお姉ちゃん達は信号を渡ってバラバラに帰っていった。
僕と瑞希は大通りをゆっくりと歩いて帰る。瑞希は左手の指輪に何かを語りかけ、微笑んでいた。その姿がとてもきれいだ。