62話 マーくんからの頼み事
瑞希に告白してから、瑞希は僕を縛るようになるかと思っていたが、全くの逆になった。物腰が落ち着いて、以前の瑞希よりもおおらかになった。まさかそんな風になるとは思っていなかったので、僕は今でも驚いている。
お姉ちゃんズは、初めの1週間は泊まりに来たが、日が経つにつれて、飽きて泊まりに来なくなった。さすがお姉ちゃんズ。そういうわけだから、僕と瑞希は2人で楽しい同棲生活を過ごしている。
そんな日々を過ごしていた、放課後、いきなり瑞希のスマホが振動した。瑞希がスマホを耳に当てると、相手はなんとマーくんとタッくんだった。
マーくんとタッくんは僕と話がしたということで、瑞希に連絡してきたらしい。瑞希からスマホを渡された僕は、スマホを耳に当てる。スマホの向こうで話しているのはマーくんだった。
《どうしたの?マーくん、瑞希の電話に連絡をしてくるなんて、珍しいね》
《ああ、蒼大に頼みがあってな。至急、大通りまで出てこれるか?》
《それは大丈夫だけど、大通りにどこで待ち合わせすればいいの?》
《大通りと歩いていると、客があんまり入っていない。ジャズピアノが流れている喫茶店を知ってるか?》
《知ってるよ。僕、あの店が好きなんだ》
《じゃあ、その店で待ってるな。すぐ来てくれよ》
マーくんは電話を切った。瑞希は不思議な顔をして僕を見てる。
「なんだか、マーくんが僕に頼み事があるらしんだよ。大通りの喫茶店まで来てくれって言うから、今すぐ行ってくる」
瑞希はコクリと頷くと僕をふわりと優しい瞳で見つめる。
「あまり遅くならないでね。遅くなるようだったら連絡がほしいな。そうでないと私から連絡しちゃうよ」
僕は笑顔で玄関の靴を履いて、大通りへ向かっている路地へ入って歩いていく。路地を20分ほど歩くと、大通りに着いた。大通りを駅に向かって歩いていくと、マーくんと待ち合わせをしている喫茶店が見えてきた。
僕が喫茶店に入ると、マーくんとタッくんが4人席に座って、僕に手を振っている。僕はマーくんの対面の席に着いた。
店の中には落ち着いたジャズピアノの音楽が流れている。少し薄暗い店内が落ち着いて雰囲気を醸し出している。
僕がマーくんの前に座ると、マーくんとタッくんは困った顔で頭を掻いている。どうも言いにくそうだ。僕は2人が話し出すまで待つことにした。マーくんが諦めた顔で僕を見る。
「お前、この店が大好きって言ってくれたけど、この店、繁盛しているように見えるか?」
店の中を見回しても客は僕達以外に誰もいない。
「繁盛はしていない・・・・・・かもね」
「実はここは俺の家なんだ」
え、ここマーくんの家だったの。全くイメージが一致しないんだけど。
マーくんの話では、マーくんの父親がジャズが好きで、そして喫茶店が好きで、会社を退職した資金でこの店を建てたらしい。しかし今時、ピアノジャズを聞かせる、正統派な喫茶店は流行らない。このままいくと店が潰れるという。
マーくんもタッくんも、店が潰れたらマーくんの家がなくなるので、2人でなんとかしようと駅前でティッシュ配りもしてみたが、なぜかティッシュももらってもらえなかったとういう。
それはマーくんにしても、タッくんにしても見た目が金髪、ピアスだから、駅前を歩く人達から敬遠されたんだと思う。2人に悪いから僕の感想は言えないけど。
マーくんがいきなり頭を下げる。
「頼む。蒼大、俺の家を助けると思って、この喫茶店でバイトをしてくれないか。放課後だけでいいんだ。お前は顔が美少女みたいだし、女性受けもいい。俺達よりも人当たりもいい。だから頼む。俺を助けてくれ」
そこまで頼まれたら、断れないよ。マーくんとタッくんは僕を弟のように可愛がってくれているんだから。
「わかった引き受けるよ」
「よかった。父ちゃん。父ちゃん」
マーくんが店のマスターに向かって「父ちゃん」と連呼する。店の奥からマスターが出てきた。細身の長身で髪をきっちりと整髪していて、眼鏡をかけている。少し恰好いい。マーくんのお父さんとは思えない。
「こいつが蒼大、俺の幼馴染だ。店を手伝ってくれるって言ってるから、雇ってやってくれ」
「雇えと言われても、それほど給金は出せないぞ。今、この店がどういう状態か正人も知ってるだろう」
「蒼大にティシュを配ってもらったら、少しは客も入ってくるだろう。父さんはケーキのレパートリーを増やしてくれよ。スィーツ店ほど多くなくてもいいけど、女性客を掴もうとする、ケーキは欠かせないんだぞ」
「私は正統派喫茶をしたいんだぞ。お前のいうことは私の理想からかけ離れている」
「理想で金儲けができるか。理想で腹が膨れるか。理想で金は稼げないよ。少しは言うこと聞けよ。頑固ジジィ」
今にも親子喧嘩が始まりそうだ。僕は2人間に割って入る。
「空野蒼大です。別に給金は安くても構いません。普段からマーくんとタッくんには優しくしてもらってるので、エプロンを貸してください。今から駅前に行って、ティッシュを配ってきます」
「正人のワガママに突き合わせて悪いね。少しの間、正人に付き合ってあげてくれるかい。給金は出すから」
マーくんとタッくんがティッシュの入った紙袋を用意している。僕達3人はティッシュの紙袋を両手で持って、喫茶店を出て、駅前に向かった。駅前の一番人通りの多い場所でティッシュを配り始める。
マーくんとタッくんが言っているように全く、ティッシュを受け取ってもらえない。そのうち、目を吊り上げて、2人はティッシュを配り始める。そんな怖い顔だと、余計にティッシュを受け取ってもらえないよ。
僕はエプロンをして大きな声で「お願いしまーす」と言いながら笑顔でティッシュと配っていく。女性と視線を合わせる時は、笑顔2倍、少し照れた顔でティッシュを渡す。男性の時は少し上目遣いで見て、笑顔でティッシュを渡していく。僕のティッシュはどんどんと無くなっていく。
自分の分のティシュが無くなったのでマーくんの分とタッくんの分のティッシュも配っていく。1時間ほどティッシュを配ると、全てのティッシュを配り終わった。マーくんが感心したような顔で僕を見る。タッくんは呆気に取られている。
「さすが美少女並みの顔をしてるだけのことはある。全部のティッシュを配り終えてるぞ。凄いな。俺達、3日間で1枚もティッシュを受け取ってもらえなかったんだぞ。なータッくん」
タッくんも無言で頷く。多少、落ち込んでいるようだ。僕達はティッシュ配りを終えて、喫茶店に戻ると店には数人のお客様が座っていた。全員、女性客だ。僕の顔をチラチラと見ている。僕はお客様に会釈をしてカウンターの奥へ行く、もちろんマーくんとタッくんも一緒だ。マスターはニコニコ顔だ。
「蒼大くん、ティシュ配り、ご苦労さん。女性のお客様がティッシュを持って入って来てくれたよ。本当にありがとう」
「父さん、客が来るようなったら、せめてケーキのレパートリーくらいは増やしてくれよ。後、昼食ぐらい出そうよ。そうすれば収益があがるじゃん」
「正人、馬鹿なことを言うな。ケーキのレパートリーを増やすのは良いとしても、昼食を出すのはダメだ。正統派喫茶の理想が崩れる」
「理想で飯が食えるか。理想で金が稼げるか」
また、静かな親子喧嘩が始まった。タッくんが困った顔をしている。僕も「ホールに立ちます」と言って、ホールに立つ。
そこへ咲良と芽衣がお客様として店に入って来た。「いらっしゃいませー」と言って、顔を見た僕は目を大きくして驚いた。咲良と芽衣の2人も同様に驚いている。2人が2人がけの席に座った。僕はすかさず注文と取りに行く。咲良と芽衣はケーキセットで、アイスオーレ2つとチーズケーキとモンブランを頼んだ。
僕は急いでマスターに注文を通す。マーくんと静かに言い争いをしてたマスターだったが、「お客様の注文が優先」と言ってマーくんとの言い争いをやめて、アイスオーレ2つとチーズケーキとモンブランを用意してくれた。
トレイに注文を受けた品を持って、芽衣と咲良の元へ行く。そしてアイスオーレとチーズケーキとモンブランを置いていく。咲良は目をクリクリとさせて疑問がいっぱいという顔をする。
「いつからこの喫茶店でバイトすることになったの?何時までバイトなの?」
「今日、いきなり頼まれたんだ。この喫茶店が僕の幼馴染のお父さんの店だったんだよ。今日はバイト初日。だから何時までいるかわからないよ」
「フーンそうなんだ」
「芽衣、明日、学校に行ったら、少し相談に乗ってもらってもいかな?」
「咲良でなくて、私なの? 咲良にいじけられそうね。いいわよ。蒼大の相談事なら聞いてあげる」
僕は明日、芽衣とこの喫茶店の件で相談してみようと思う。芽衣は頭脳明晰だから、何か良い案を出してくれるだろう。咲良は少しいじけていたので、頭をそっとナデナデすると上機嫌に戻った。単純な咲良って可愛いな。
咲良と芽衣が喫茶店を出てから、少し経ったころ、スマホが振動した。瑞希だ。
《夕飯できたから、帰ってきてほしいな。1人で食べるのは寂しいよ》
その言葉を聞いた僕はマスターに夕飯の時間になったことを伝える。マスターとマーくんとタッくんにお礼を言われて、喫茶店を出て、路地を通って、瑞希が待つ家を目指した。