57話 瑞希の願い事
昼休憩になった。いつものように瑞希が僕のクラスへお弁当を持って迎えに来てくれている。僕は咲良に手を振って、瑞希の元へ歩いていく。廊下に出て2人で手を繋いで校庭の中庭へ向かう。
いつものベンチに座って、お弁当を広げる。瑞希は朝の件が全くウソのように元気だ。大丈夫なのかな。
瑞希がにっこり笑って僕の口へおかずを運んでくる。
”今日の朝はゴメンね。その代わりに、いっぱい、蒼は甘えてね”
僕は大きく口を開けて、おかずを口の中へ入れる。
”ありがとう。瑞希のお弁当はすごく美味しいよ”
僕は瑞希の髪をなでる。
”無理しないでね。今日の瑞希は変だったから”
瑞希がふわりと優しく笑う。
”藤野家に行ったのが間違いだったわ。少しショックを受けていたみたい”
眉を寄せて瑞希を見る。
”誰でもあの家にいけば、多少は衝撃をうけるよ。僕もそうだから”
僕達2人は藤野家のことを思い出してクスクスと笑う。あの家で暮らしている香織はすごい。
瑞希がおかずを頬張って、箸の先を口に咥えている。可愛い。
「琴葉ちゃんに言われちゃった。私、蒼ちゃんの愛の中で溺れて、自分自身を忘れてたんだって」
男の僕にはわからない会話だ。
「だから溺れて、蒼ちゃんを必死に捕まえようとしてたんだって」
「・・・・・・」
「琴葉ちゃんにもう、蒼のお姉さんをするのは無理だって言われちゃった。だから蒼のお姉さんは美咲達に任せようと思う。ちょっと心配だけど、蒼も友達も信じるって決めたし、信用。信頼しないと私、嫉妬で蒼のこと縛っちゃうから」
よくわかんないけど、保健室でずいぶん悩んだんだね。瑞希が悩んで出した答えだから、僕は応援するだけだよ。
「でも美咲達、お姉ちゃん達には嫉妬しないけど、蒼と同じ組のクラスメイトの女子とデートなんか行ったら、夕食抜きにしますから、覚悟してね」
僕にとって、瑞希の夕飯が食べられないのは僕の死活がかかっている。あの美味しい夕飯を食べられないようなことはしたくない。クラスメイトと遊ぶ時は必ず悠、蓮、瑛太を連れて行こう。そのほうが安全だ。
「後、香織さんが蒼に声をかけてるけど、勝手にデートなんてしたら許さないからね」
今の香織は普通というか、まともだけど、藤野一家の一員であることは間違いない。僕としても近寄りたくない。
僕達は雑談をしながら、お弁当を食べていく。時々、瑞希に「あ~ん」をしてもらう。恥ずかしいけど、嬉しい。昼ごはんを食べて、瑞希がベンチに横になって僕が膝枕をする。最近の瑞希のお気に入りだ。
瑞希の髪の毛をなでながら、中庭の風景を見る。中庭には点々と雑草のような小さな花が咲き乱れている。どの花も小さくて可愛い。ここにはのんびりとした時間が流れている。校舎の中の喧噪もここまでは聞こえてこない。
瑞希は僕の膝の上でウトウトとうたた寝をしている。長いまつ毛がきれいだ。少しピンク色に染まった頬も可愛い。僕はうっとりと瑞希の顔に見惚れる。こんなに無防備にうたた寝をしている瑞希は珍しい。
昼休憩の終わりのチャイムが鳴った。瑞希は慌てて起きて、僕達は校舎の中へ入っていく。別れ際に瑞希がクルリと僕のほうを振り向く。
「今日、授業が終わったら、3年6組の教室に来て。美咲達に謝りたいの。一緒にいてほしい」
「わかった」と答えて、僕は急いで2階の自分の教室へ戻る。
体育祭が終わって平常授業に戻って、これからは中間考査のテストに向けて、授業が進んでいく。瑞希も言っていたが、同棲して成績が落ちたとなれば、雅之おじさんにも瑞枝おばさんにも心配をかける。瑞希と同棲をしていくためにも、成績を落とすわけにはいかない。
前回の実力テストでは学年で18位の成績だったから、それ以上の成績をキープすることが目標だ。
咲良が付箋を貼ってきた。「今日の帰りに皆で喫茶店へ行こうよ」と書かれている。「今日は用事があるから無理。ゴメン」と書いて、付箋を咲良の席に貼る。付箋を見た咲良がガックリと肩を落しているのがわかる。
今日は瑞希から3年6組に来るように言われている。そうでなければ参加していたんだけど、間が悪かった。咲良、また誘ってくれ。その時は蓮と瑛太も誘って皆で遊びに行こう。
授業に集中していると咲良から「この問題がわからない」「この解き方がわからない」などの付箋が僕の机に貼られる。僕は「要点は何ページに書いてある」「こう考えると簡単」など、付箋に書いて咲良の机に貼る。咲良は付箋を見て勉強していく。
本当に咲良って、先生の説明では理解しにくいようだ。咲良に一番必要な科目は国語のような気がする。
そんなことを続けているうちに午後の授業が終わった。そして僕は3年6組の教室へ行く。すると、瑞希が美咲姉ちゃん、楓姉ちゃん、恵梨香姉ちゃん、凛姉ちゃんを集めている。僕もそこに駆け寄る。
瑞希は僕を見て嬉しそうに微笑んでいる。
「蒼も来たし、改めて皆にお願いごとがあるの」
美咲姉ちゃんが不思議そうな顔をして瑞希の瞳を覗いている。
「琴葉ちゃんに保健室で言われたんだけど、私、今、恋に溺れてるらしいの。だから普段のような判断ができなくなってるんだって」
それを聞いて凛姉ちゃんと楓姉ちゃんが頷いている。恵梨香姉ちゃんは笑っている。
「それで、もう蒼のお姉ちゃんをするにも限界にきてるって言われたの。だから皆にお願いがあるの。皆を信用する」
お姉ちゃんズは瑞希の言葉を待つ。
「蒼にはまだまだお姉ちゃんが必要だと思うの。頼れるお姉ちゃんが。でも私はもうできない。だから皆、本当に蒼のお姉ちゃん役を頼めないかな」
お姉ちゃんズからどよめきが聞こえる。皆、目を丸くしたり、目を白黒させて驚いている。美咲姉ちゃんが慌てた口調で瑞希に問いかける。
「あれだけ自分がお姉ちゃんをするって言い張っていたのに、本当に蒼ちゃんのお姉ちゃんになってもいいの?」
「うん、私はそろそろ彼女になる準備をしないといけないんだって。琴葉ちゃんに言われた。後、友達を信用しなさいとも言われたの。嫉妬ばっかりしてるのは良くないとも言われた。だから4人にだけお願いしたいの。蒼のお姉ちゃんになって」
恵梨香姉ちゃんがいたずらっぽい顔をして瑞希を見る。
「私達のことだから、蒼ちゃんをからかって、抱き着くかもしれないわよ。それでもいいの?」
「恵梨香を信用する。嫉妬するかもしれないけど、その時は恵梨香に直接言うし」
美咲姉ちゃんもニヤニヤした笑いを浮かべる。
「瑞希をからかうために、わざと蒼ちゃんに抱き着いたり、頬にキスすることがあるかもしれないよ」
「抱き着いたりするのは許すけど、キスは許せないかな。キスってやっぱり特別でしょう」
「だから弟の蒼ちゃんの頬にキスするんじゃん。これくらい我慢できないと、私達のいたずらで、瑞希が嫉妬で泣いちゃうよ」
「泣く前に美咲のことを叩くからいい。美咲のことは大事な友達だと思ってる。美咲は私のことをよくからかうけど、私を悲しませるようなことはしないと思う」
楓姉ちゃんがおずおずと瑞希に聞く
「私、蒼ちゃんをナデナデしたり、抱き着いたり、抱っこしたりしたいの。それでもいいの?」
「楓も美咲と同じよ。蒼を本当の弟のつもりで接しているのなら文句は言わないわ。後、私を泣かせるようなことはしないでね。悲しくなるようなことはしないでね。それだったら大丈夫だよ」
凛姉ちゃんがキリとした顔で美咲姉ちゃんと恵梨香姉ちゃんを指差す。
「この2人が行き過ぎたことをすれば私が注意するから安心して、瑞希を悲しませることは私が許さないから」
「ありがとう凛、頼りにしてるわ。私からのお願いは以上なんだけど、ダメかな?」
「「「「そんなことない。引き受けた」」」」
今までの流れを聞いて、お姉ちゃんズが本当に僕のお姉ちゃん代わりになるみたいだけど、僕の意見は全く無視なんだね。ちょっとそれは横暴じゃないかな。瑞希が決めたことだからいいけど。絶対に美咲姉ちゃんと恵梨香姉ちゃんが僕と瑞希をからかおうとするに決まっていると思う。
お姉ちゃんズは嬉しそうに僕に寄ってくると、楓姉ちゃんと恵梨香姉ちゃんが僕の両手に絡みついて体を密着させてきた。
「これからは本当の弟のように可愛がってあげるからね。蒼ちゃん、嬉しいだろうー」
恵梨香姉ちゃんがニヤニヤ笑って、体を密着させて、僕に胸を密着させてくる。
「私も蒼ちゃんの本当のお姉さんになれて、嬉しい。いっぱいナデナデしてあげるね」
楓姉ちゃんが僕の頭をなでる。楓姉ちゃん、あんまり体を密着させないで、楓姉ちゃんの特大な胸が僕の体にムニュっと引っ付いてるよ。
おそるおそる瑞希を見ると、瑞希はフワリとした笑顔で僕達を見ている。どういう心境の変化なんだろう。
「なんだか、本当にお姉ちゃん役を卒業したんだなーって、今、実感してる。寂しい感じもあるけど、これで蒼と対等になれるって感じもある。不思議な感じ。皆よろしくね」
美咲姉ちゃんがいきなり手を挙げた。
「前から計画立ててたんだけど、中間テストが終わったらさ、1泊2日で温泉旅行に行こうって、実は話していたのよ。でも瑞希の調子がおかしいでしょう。それに瑞希抜きで蒼ちゃんは誘えないし、どうしようって話してたの。どう? 瑞希も蒼ちゃんも参加してくれないかな? 蒼ちゃんを本当の弟として歓迎する会を催したいし」
瑞希はにっこり笑って、両手を胸の前に重ねている。
「私も蒼と旅行に行ってみたかったし、いいんじゃないかな。私は賛成よ。蒼はどう思う?」
女子5人に対して男子は僕1人か、かなり大変なことになりそうだけど、蓮や瑛太を誘うわけにもいかないよね。瑞希とも旅行に行きたいし、頑張ってみるか。
「うん、瑞希と一緒に旅行したかったから、いいよ。お姉ちゃん達、よろしくお願いします」
「「「「ヤッター」」」」
恵梨香姉ちゃんがいつになく真面目な顔をしている。
「蒼ちゃんは私達の弟になったんだから連絡先の交換をするのは当たり前だよね。今日のうちに済ませよう。後、弟の家も知らないなんておかしいよね。今日は放課後、暇だしさ、蒼ちゃんの家にみんなで行かない?」
マズイ。非常にマズイ。僕の家には瑞希の荷物が色々とある。同棲がバレたら一大事だ。これは回避しなければ。
「僕のお姉ちゃんは学校でのことだから。私生活では僕1人で大丈夫だから。心配しないで」
「だって、私生活でも瑞希がお姉ちゃんをしていたんでしょ。それの代役だから、私達も蒼ちゃんの家ぐらいは知っておく必要あるよね」
瑞希がアワアワと手を振っている。少し顔が青ざめている。お姉ちゃんズは全員、無言で頷いて同意している。
「僕の家には、僕のパンツとか下着なんかも干してたりするから、お姉ちゃん達に見られると色々と恥ずかしいし、部屋も散らかってるから、今日のところは無理かな」
楓姉ちゃんがいつものおっとりとは違う迫力で言う。
「そんなことを言って、私達には家を教えないつもりでしょう。そんなのお姉さんが許しません」
美咲姉ちゃんがニヤっと笑った。
「蒼ちゃんの家なら、私知ってるよ。だって瑞希の家の隣だもん。だから私達を止めることはできませーん」
万事休す。これは完全にアウトだ。どうにかして家の中をどうにかしなくちゃ。僕が瑞希の顔を見ると、瑞希は今にも気絶しそうに頭をクラクラとさせていた。
美咲姉ちゃんの号令で、お姉ちゃんズと僕達は僕の家に向かうことになった。絶対にバレるわけにはいかない。