52話 藤野家 前編
僕はソファで気絶している瑞希の元へ駆け寄る。雅之おじさんも瑞枝おばさんも、瑞希の反応に驚いて言葉もでない。後ろでは明日香も固まっている。
僕がやさしく瑞希を起こす。瑞希が目を開いて僕に抱き着いて、体を震わせている。怯えているようだ。
「私、さっき、変な夢を見ちゃったの。蒼がリビングに駆け込んできて、「第2の藤野健也が現れた」っていうの。私、健也にまた追いかけ回される日々がずーっと続くの。断っても断っても、健也は沸いてくるの。怖かった」
瑞希はまだ錯乱状態から脱していないようだ。それだけトラウマが酷いということだろう。可哀そうな瑞希。
「瑞希、意識をちゃんと持ってね。明日香が中学校に行かなくなった理由は藤野健也の弟が原因なんだ」
瑞希に明日香から聞いた話を全て説明し、香織にも連絡して、達也くんを説得してほしいと頼んでいるが、達也君は藤野健也を崇拝しているので、私の言うことは聞かないと言われたことを伝える。
「健也にそんな弟がいたなんて・・・・・・そして明日香ちゃんが昔の私と同じような目にあうなんて・・・・・・なぜ、私達にばかり被害がくるの・・・・・・・蒼、私達、呪われてるの?」
ある意味、呪われていると思う。瑞希の次は明日香か。明日香を瑞希の二の舞にはしたくない。
「とりあえず、これは僕達だけで話し合っても解決できる問題じゃないよ。相手が藤野家だからね」
「そうね。琴葉ちゃんに今から相談してみるわ。私、琴葉ちゃんの連絡先を知ってるから」
僕も実は琴葉ちゃんの連絡先を知っているが、瑞希にバレるのが怖くて、黙っている。
瑞希がスマホを取り出して琴葉ちゃんに連絡する。琴葉ちゃんはすぐに電話を取ってくれたようだ。
「瑞希です。大変なことが起こりました。琴葉ちゃん、助けてください。詳しいことは蒼が話します」
そう言って瑞希が僕にスマホを差し出してくる。僕はスマホを耳に当てる。
《お休み中のところ、すみません。蒼です。実は藤野健也に兄弟がいまして、その弟が僕の妹を好きになったみたいで、毎日のように告白されて、妹が不登校になってしまったんです。琴葉ちゃん知恵を貸してください》
《また藤野くんなの。藤野君に兄弟がいたのね。迷惑な話ね。弟くんの性格はどんな感じかしら?》
《藤野健也と瓜二つの性格と香織から聞きました》
《残念だけど、蒼ちゃん、諦めたほうが早いわよ。健也くんと性格が同じなんでしょう。人の話を全く無視して、自分の世界を突っ走るタイプよね。誰が注意しても無駄よ。諦めるか、逃げるしかないわ。私では力不足ね》
琴葉ちゃん、そんな後ろ向きなことを言わないで、もっと協力してほしい。明日香の未来がかかってるんだから。
《琴葉ちゃんだけが頼りなんです。何か良い知恵はありませんか?》
《一般的なことしか言えないけど、藤野家に行って、ご両親に迷惑していることを伝えてみてはどうかしら? ご両親も大人なんだから、蒼ちゃんの味方になってくれると思うけど。私としてはそれぐらいしか、アドバイスできないわ。お役にたてなくてゴメンね。学校がはじまったら保健室に遊びに来てね。蒼ちゃん待ってるね》
琴葉ちゃんとの連絡は終わった。僕は茫然として、その場に突っ立った。
ただ、藤野健也の弟なら、かなり一途なはず。そして相当にしつこい。覚悟しておいたほうがいいだろう。
あの藤野健也の親だぞ。まともだと思う方が間違っているだろう。でも、これしか明日香を助ける方法はない。僕が覚悟を決めなくちゃ。明日香を必ず助けるんだ。中学校に戻してやるんだ。
僕は瑞希を見つめる。瑞希も真剣な眼差しで僕を見つめている。
「琴葉ちゃんからのアドバイスだけど、藤野家に行って、藤野家のご両親に説得してもらうのが、一般的な対処方法だって言ってる。僕も藤野家に行くしかないと思う。瑞希が精神的にキツイなら、家にいてもいいよ」
「何言ってるの、蒼。蒼の妹の明日香ちゃんは、私の妹でもあるのよ。明日香ちゃんを助けるのは私の義務よ。蒼ちゃんだけ藤野家に行かせるような危険な目に合わせる訳にはいかないわ。私も付いていく」
雅之おじさんと瑞枝おばさんは茫然としたままだ。まだ何が起こっているのか理解できていないらしい。それも仕方がない。僕も2人にはキチンと説明していないから。雅之おじさんが口を開く。
「さっきから蒼ちゃんの話を聞いていると、明日香ちゃんの不登校の原因がわかったみたいだね。それにしても2人とも真剣な顔をしてどうしたんだ。それほどの難しい問題なのかい?」
相手が普通の人間なら簡単に解決する問題です。ただ相手が藤野家となれば話は別。かなり難しい問題です。とりあえず藤野家に行くしかない。
僕が香織に連絡しようとスマホを取り出すと、瑞希が僕の手首をつかんだ。
「そういえば、なぜ蒼が香織さんの連絡先を知ってるの? 私、何もそんな話、聞いてないんだけど」
瑞希の顔は優しく笑っているが目の奥が凍っている。ブリザード状態だ。こんな時に嫉妬されても困る。
「後で全部、話すから、別に変なことは何もしてないし、今は香織に連絡して藤野家のご両親に会うことが先決だよ。そのためには香織の協力が必要なのはわかるよね。明日香のために、瑞希も協力してほしい」
瑞希はコクリと頷くと僕の手首から手を離した。僕は急いで香織に連絡する。香織はすぐに出てくれた。
《蒼大、また連絡してきてどうしたの? 一応、達也には話しておいたけど、やっぱり私の話なんて通じなかったわ》
《香織、一応達也くんに注意してくれたんだ。ありがとう。今回の件は僕の大切な妹が拘わっている。だから、香織のご両親に今から相談に行ってもいいかな?》
《それはかまわないわよ。今日はお父様もお母様も家にいるから、2人には私から説明しておくわ。でも、あのお父様に通じるかしら・・・・・・蒼大には悪いけど、健也お兄様も家にいるから、家に来るなら、覚悟して来てちょうだいね。今から住所を言うからメモに控えてね》
香織が自分の家の住所を教えてくれる。歩いて30分ほどの距離だ。
《わかった。今から出るから、30分ほどでそちらに着くと思う。迷惑かけるけど、今回はありがとうな》
《きちんと借りは誠意で返してね。期待してるから。それじゃあ、待ってるわね》
香織との連絡を終えて、瑞希に香織との会話の内容を説明する。そして雅之おじさんには後から説明すると言って、明日香、瑞希を連れて外に出る。30分かけて藤野家に着いて、僕達は呆気に取られた。
とにかくでかい。100mほどある壁の向こうに4階立ての豪邸が見える。門から中を覗くと、ここはイギリスかと言いたくなるような庭がきれいに整備されていて、季節の花々が咲き誇っている。そして豪邸の前には、立派な噴水が建っている。玄関まで続く石畳の道の横には色々な銅像が建てられている。
僕がこの家で暮らせと言われても断固拒否しただろう。ここで暮らしている香織がすごいと僕は思った。ある意味、藤野健也の性格のルーツを見たような気がする。
僕達が茫然と門で突っ立っていると、門が自動で開いた。どこかからカメラで僕達を見ていたのだろう。
玄関では香織が顔を出して手を振っている。僕達3人はしっかりと手を繋いで、玄関まで向かう。この庭で1人にされたくない。瑞希達も同じ気持ちのようだ。なぜか足が勝手に早くなる。
「香織、待っていてくれてありがとう」
僕は引きつる顔を強引に笑顔にして、香織に挨拶をする。
「入って、両親に紹介するから」
廊下には赤い絨毯がひかれていて、靴を脱ぐ必要はないらしい。僕達は大きな廊下を歩いて奥の部屋へ行く。廊下には見たこともない画が飾られている。廊下の上にはシャンデリアが並ぶ。
奥の部屋に入ると高価な椅子に香織の両親は座っていた。香織のお父さんは髭を蓄えたナイスミドルで、髪をビシッとなでつけている。髪の毛がキラキラと光っている。そして笑顔はやはり歯がキラリと光っていた。かなりのイケメンだ。
香織のお母さんの後ろには満開の花々が飾られて、まるで孔雀の羽のように花々が咲き乱れている。さすが、藤野健也と香織のお母さん。かなりの美人だ。
僕達は香織に勧められて、高価なソファに3人並んで座った。香織は両親の横にある椅子に腰かける。
「空野蒼大と言います。今日は貴重な時間をいただき、ありがとうございます」
香織のお母さんが困ったような顔で口を開く。
「先ほど、香織から事情は聞きました。達也が蒼大くんの妹さんにご迷惑をかけてごめんなさい。恋をすると一途になって、毎日のように口説くのが藤野家の男性の血筋みたいなの。私もお父さんに15年間も追いかけれて、観念して結婚したのよ。幼稚園の頃からだったから長かったわ」
藤野健也よりも父親のほうが質悪いじゃないか。香織のお母さんが疲れているように見えるのが、わかったような気がする。このお父さんとはなるべく距離を置こう。
「まさか息子達まで、父親に似るとは思わなかったけど、小さい頃は素直だったのよ。男子はイケメンだし、頭脳明晰だし、スポーツ万能なのに、性格だけが残念なのよ。私は諦めているからいいけど・・・・・・そちらの彼女は瑞希さんよね。健也からよく話を聞いていたわ。あなたにも相当、迷惑をかけてたみたいで、ごめんなさいね。とめられない私を許してね」
なんて物分かりのいいお母さんなんだ。藤野健也のお母さんとは思えない。
その時、香織のお父さんが口を開いた。
「良い女性を妻に持ちたいなら、一途に口説くのは当たり前じゃないか。私など、今でも妻を1日10回は口説いているよ。妻を口説くのは家庭円満の秘訣だからね。」
そんな家庭円満の秘訣を今まで聞いたことありませんよ。結婚してまで口説かれているのか、香織のお母さんが可哀そうだ。
部屋のドアが突然開かれた。颯爽と藤野健也が手を振って登場する。
「僕に会うために瑞希が来てくれていると聞いてね。やっと僕の元へ戻ってくるつもりになってくれたのかい」
爽やかな笑顔がこれほどムカつくとは思わなかった。そのキラリと光る歯を何とかしろ。眩しい。
瑞希は「キャー」と悲鳴をあげて、僕の体にしがみ付いた。明日香が呆気に取られて呟いた。
「達也くんの未来がここにいる」
明日香は顔を青ざめて震えていた。