42話 僕は武器を持つ
全力疾走で1階の廊下を走って、保健室のドアを開ける。中では机に向かって座り、足を組んで、机の上に肘をついて、つまらなさそうにボーっとしている琴葉ちゃんがいた。その物憂げな表情もまた妖艶だ。
琴葉ちゃんが椅子をクルリと回して、僕を見て驚いた顔をする。
「琴葉ちゃん、僕を助けてー!」
僕は立った格好のまま体を震わせて立っていた。
琴葉ちゃんが立ち上がって僕の近くへ歩いてきて、僕の頭を優しくなでる。
「どうしたの?蒼ちゃん、こんな時間に保健室へ来るなんて、悪い生徒になっちゃうわよ」
「琴葉ちゃん・・・・・・」
琴葉ちゃんは僕の背中を押して、ベッドの上に座らせる。
「ここは保健室よ。だから蒼ちゃんは病人でないと、保健室にいてはいけないの。今日は腹痛にしておこうね。だから、ベッドに寝てちょうだい。話はそれからゆっくりと聞いてあげるから」
言われた通りにベッドに横になると、琴葉ちゃんが布団をかけてくれる。
「さて、準備も終わったし、私に相談事って何かしら?」
朝、校門であった騒動を琴葉ちゃんに話す。そして僕がもう藤野健也が瑞希の周りをウロチョロして、瑞希を口説くのをやめさせたいことを伝える。もちろん、瑞希は藤野健也のことを無視していて、無関心で、興味も持っていないことも説明する。藤野健也は強靭な精神力というか、無神経な性格の持ち主で、まったく瑞希の言うことを聞かずに、瑞希を口説き続けていることを説明した。
「ハァ、そのことね。学校では、ずいぶん前から噂になっているから知ってるわ。健也くん、顔もイケメンだし、頭脳明晰だし、スポーツ万能、憧れている女子も数多くいるわ。でも、なぜか瑞希ちゃんしか興味がないのよね。瑞希ちゃんが生徒会長になった時も、瑞希ちゃんに会うためだけに生徒副会長になったぐらいだから」
そのことは僕も知ってる。過去のことはどうでもいい。今は藤野健也をなんとかする知恵がほしい。
「瑞希ちゃんが学年トップの成績で、2位が常に健也くんなのよね。瑞希ちゃんが志望している大学に、健也くんも同じ大学を志望してるって噂もあるわ。あそこまで執着心があるのは確かに異常よね。同じ女性として、瑞希ちゃんのこと、気の毒に思うわ。本当に可哀そう」
え、藤野健也が瑞希と同じ大学を狙ってるのか。もし同じ大学に行くようなことがあったら、大学でも付きまとわれるじゃないか。琴葉ちゃん、これって悪質すぎる。なんとかしなくちゃ。
「健也くんが普通の高校生なら注意しやすいんだけど、女子の人気もすごいのよ。健也くんの追いかけている相手が瑞希ちゃんだから、誰も文句を言わないみたいだけど、もし、健也くんが普通の女の子を追いかけていたら、その女の子は、学校中の女子から嫌がらせを受けていたでしょうね」
「それってどういう意味ですか?」
「学校中の女子が健也くんの彼女になるなら、瑞希ちゃんがお似合いと思っているということよ」
確かに、2人共、美男美女、成績も優秀、スポーツ万能、確かに画になる2人だよね。でも瑞希は嫌がってるんだ。なんとかしなくちゃ。
「以前に瑞希ちゃんもため息をもらしていたわ。中学1年の時から付きまとわれているらしいもんね。大人だったらストーカーで警察に突き出すレベルよ。でも健也くんは高校生、それに口説くだけで変質的な行為は一切してこない。瑞希ちゃんに怒られたら、すぐに身を引くし、学校としても注意しにくいのよね」
「琴葉ちゃんでもなんとかならないの?」
「健也くんには私の魅力は通じないの。今の蒼ちゃんと同じように」
そういえば、琴葉ちゃんと話していて、こんなに接近しているのに、この間みたいに琴葉ちゃんのことを僕はエロく見てない。むしろ、話しやすいお姉さんみたいに話している自分に驚く。胸もドキドキしてない。僕、どうしたんだろう。
「蒼ちゃんは瑞希ちゃんを助けたいことで、頭がいっぱいなのね。だから、私の魅力が通じないのよ。なんだかお姉さん、大人のとしての魅力をなくした気分になって、落ち込んでしまいそうだわ」
「琴葉ちゃんは魅力的な女性だと思います。今はそれどころじゃないんです。瑞希の周りをウロチョロする藤野健也をなんとかしないと、僕が瑞希姉ちゃんを守るんです」
「瑞希ちゃんも罪な女の子ね。蒼ちゃんにそこまで想われて幸せね」
言うだけなら誰でもできる。僕には力も知恵もない。瑞希を守ってあげられない。僕は落ち込んで、ベッドに横たわる。
「蒼ちゃんが瑞希ちゃんと付き合うのが、1番簡単な解決方法なんだけど」
琴葉ちゃんが座っている足を組み替える。足を組み替える瞬間に一瞬だけ、スカートの中が見える。今日は黒ですか。いつもの僕なら顔を真っ赤して目を背けて、逃げようとするところだ。今日は冷静に目を逸らせるだけ。
「せっかくサービスしたのに少しは興奮してよ。お姉さん、落ち込んじゃうわ」
「ごめんなさい」
琴葉ちゃんが困った顔で僕を見ている。
確かに僕と瑞希が付き合ってしまうのが1番簡単な解決方法だろう。だけど藤野健也と競う形で瑞希に告白なんて真似はしたくない。告白をするときは瑞希と2人きりで静かなところでしたい。
瑞希に告白することを考えると、急に胸がドキドキしてきた。胸が締め付けられる。断られたらどうしようと、マイナスな意識が働く。告白する勇気が僕にはない。瑞希を失いたくないから。瑞希を失ったら、僕は動けなくなる。
「その顔を見ると、瑞希ちゃんに告白する勇気はないみたいね。瑞希ちゃん、待ってると思うんだけどな」
「・・・・・・」
琴葉ちゃんは優しく僕の頭をなでる。
「本当に蒼ちゃんって可愛いわ。本気で私と付き合うこと考えてくれないかしら?」
「こんな時に冗談は止めてください。琴葉ちゃんは先生なんですよ。生徒をからかうのは禁止です」
琴葉ちゃんは口を尖らせて、怒ったポーズをする。
「健也くんはすごい自信家なの。それに見合った実力も持ってるしね。だから、瑞希ちゃんに迷惑がられてるなんて微塵も思ってないのよね。あの自信が潰れたら、健也君も考えると思うわ。考えている間は瑞希ちゃんの周りをウロチョロして、口説くのをやめると思うんだけど・・・・・・その自信を潰す方法を考えないとね」
琴葉ちゃんが、僕を見つめて、真剣に考えている。真剣に考えている大人の女性って、こんなに魅力的なんだな。
「1つだけあったわ。蒼ちゃんが健也くんに勝てること。それは可愛さよ。蒼ちゃんのその女の子のような可愛い顔。それと時々見せる可愛い笑顔、それは健也くんにはないものだわ。健也くんに勝てるとしたら、蒼ちゃんの可愛さよ。蒼ちゃんの可愛さをアピールしましょう」
可愛さをアピールするって、どうすればいいんだ?何か嫌な予感しかしない。琴葉ちゃんがニヤニヤした笑みを浮かべる。そのワキワキとさせている指先が怖いんですけど。琴葉ちゃん、一体、僕に何をする気なの?
「任せて、俄然、やる気が沸いてきたわ。蒼ちゃんをもっと可愛くしてあげる」
僕は琴葉ちゃんに腕をひっぱられて、ベッドから降りると、無理矢理に椅子に座らされた。そして、琴葉ちゃんは自分の鞄を持ってくると中からいっぱいの化粧道具が出てきた。僕の顔が一瞬で青ざめる。椅子から立ち上がって保健室から逃げようとするけれど、琴葉ちゃんの腕に捕まって逃げることができない。強引に椅子に座らされた。
「私に任せて、化粧にはちょっとした自信があるの。プロにも負けないわよ。薄いメイクにしてあげるから、安心して」
全く安心できません。どうして琴葉ちゃん、満面の笑みを浮かべてるの。
琴葉ちゃんは、ありとあらゆる化粧品を使って、僕をメイクした。メイクにかかった時間は30分を優に超えている。
「さー、出来上がったわ。自分で確認してみて。私の自信作よ。とても可愛いわ。食べちゃいたい」
僕は琴葉ちゃんから手鏡を借りて自分の顔を鏡に映す。これが僕なのか。信じられない。女の子じゃないか。
小さな小顔。少し憂いのある二重まぶた。まつ毛が多くて長くて、キラキラとしている。鼻は小鼻で鼻筋がスーッと通っている。形の良い唇はふっくらと膨らんでいて、艶めかしく濡れている。瞳の中にカラコンが入っていて、瞳が星になっている。頬はほんのりピンク色に染まっていて非常に色っぽい。自分で見ても美少女だ。
「これだと、授業に出られないじゃないですか!」
「大丈夫よ。皆が蒼ちゃんを見て生唾を飲みこむ姿が目に浮かぶわ。男子も女子も蒼ちゃんに惚れること間違いなし」
男子に好かれても非常にイヤな立場になるだけなんですけど・・・・・・
「瑞希ちゃんも絶対に惚れ直すはずよ。間違いないわ。その可愛さで健也くんを負かしてらっしゃい」
そうだ、今は藤野健也を瑞希の周りから引き離すことが優先だ。僕はそのためだったら、自分を犠牲にしてもいい。
「琴葉ちゃん、ありがとう。僕、健也先輩と戦う。頑張ってみる。応援してね」
僕はクルリとターンをして琴葉ちゃんにウィンクをする。琴葉ちゃんが胸を撃たれたように抑えて、その場に崩れおちた。琴葉ちゃんを魅了できたんだから、僕は戦える。僕、頑張る。
「琴葉ちゃん、行ってきます」
僕は保健室を出て、自分の教室へ戻った。僕は教室のドアを開けて、科目教科の先生に謝罪する。
「腹痛で保健室へ行ってました。授業に遅れてすみません」
科目教科の先生は僕の顔を見て茫然としている。言葉も出ないようだ。僕は自分の席に向かう。その時、芽衣と目が合った。すると芽衣が顔を真っ赤にしてウットリとした顔になっている。そして体をモジモジしている。
僕は教室内を見回す。莉子は口をポカーンと開けて、呆けた顔をしている。悠は僕と目が合うと、サッと目を逸らした。蓮が僕を見つめている。それも熱心に。僕は蓮に手を振った。すると蓮は誘われるように、ウットリした顔で手を振り返してくる。琴葉ちゃんの作戦は成功するかもしれない。
教室が異様な雰囲気に包まれている。クラスメイトの全員がチラチラと僕を盗みする。その中でも女子達はウットリとした顔で僕を見つめてくる。
席に座って、隣の咲良の顔を覗くと、耳まで真っ赤にして俯きながら、僕の顔をチラチラと見てくる。僕は小さい声でささやいた。
「咲良から見て、どうかな?今の僕って可愛い?」
小首を傾げて、唇に人差指を当てて、可愛いポーズを作る。咲良が耐えられなくなって、机に突っ伏した。咲良から付箋が回ってくる。付箋には「最高です。神」と書かれていた。
よし、咲良からも認めてもらった。僕は可愛さを武器に、あのイケメン無神経男、藤野健也と戦うぞ。