36話 気づき
瑞希姉ちゃんは真剣な顔をして、僕の頬を撫でる。
「葵さんから、大通りで、大人の男性と蒼ちゃんが喧嘩をして、殴られているときいた時、お姉ちゃんがどれだけ心配したかわかってるの」
瑞希姉ちゃんの目から涙が伝う。
「赤信号にも歩いて行こうとしたって聞いたわ。蒼ちゃんが死んだら、私、生きていけないよ。私を置いて、死のうとなんてしないで。お願いだから、お姉ちゃんを独りにしないで」
瑞希姉ちゃんは立っていられなくなり、僕の体に手を添えたまま、崩れ倒れ、ソファの前に座り込んだ。
「さて、蒼ちゃん、もう一度、瑞希ちゃんの前で、自分が何に気づいたのか説明してあげてくれるかな。どうして自分のことがイヤになったのか、瑞希ちゃんも聞かないとわからないよ」
咲良をキッパリと断った様子を詳細に瑞希姉ちゃんに話した。そして瑞希姉ちゃんを自分がどれほど必要にしているかも再確認したことを告げる。
その内容が、瑞希姉ちゃんに優しくされたい、瑞希姉ちゃんに包まれていたい、瑞希姉ちゃんに甘えていたい、瑞希姉ちゃんにずっと見ていてほしい、瑞希姉ちゃんとずっと傍にいたい、そんな思いばかりだったことに気付いたことを説明する。
瑞希姉ちゃんのことを考えているんじゃなかった。結局、自分のことばかり考えていたことに気付いた。なんて自分が傲慢で自己中で、自己保身の塊だったことを理解して、自分がイヤになったことを話す。こんな自分では、瑞希姉ちゃんの迷惑になるばかりで、瑞希姉ちゃんのお荷物になるばかりだと分かったと告げた。
だから、僕みたいな傲慢で、自己中で、自己保身の塊で、優しさも愛も持っていない人間なんて、瑞希姉ちゃんの傍にいてはいけない、僕なんて死んでもいいと思ったことを呟いた。
瑞希姉ちゃんは僕の目の前で大粒の涙を溢れさせて、頬を涙が伝って、床へ落ちる。葵さんは瑞希姉ちゃんの隣にしゃがんでタオルで瑞希姉ちゃんの顔を優しく拭いている。
「はぁ、こんな勘違いをするなんて、葵さんも予想外よ。私の口から伝えても説得力にかけるから、瑞希ちゃんに来てもらったけど、蒼ちゃんにもこれから瑞希ちゃんが言うことをよく聞いて理解するのよ」
瑞希姉ちゃんは泣き終わると、真剣な瞳で真っすぐ僕を見る。
「蒼ちゃん、そんなにいっぱい、私のことを「ほしい」って思ってくれてたんだね。正直、驚いた。そこまで思ってくれてるって思ってなかったから」
瑞希姉ちゃんの言ってる意味がわからない。
「あのね、蒼ちゃん、それを人は恋っていうの。だから蒼ちゃんだけが特別ではないの」
もっと意味がわからなくなった。
「私も、蒼ちゃんに優しくしてもらいたい、蒼ちゃんに包まれていたい、蒼ちゃんに甘えたい、蒼ちゃんにずっと見ていてほしい、蒼ちゃんに私だけを見ていてほしい、蒼ちゃんにずっとそばにいてほしい、そんなことばかり考えているわ。蒼ちゃんよりも酷いかもしれない。もっと、色々と蒼ちゃんにしてほしいことがいっぱいあるもの」
何か違うような気がするけど、黙って聞こう。
「それを傲慢だ、自己中だ、自己保身だというなら、私も傲慢だし、自己中だし、自己保身ということになるわ。蒼ちゃんと一緒ね」
瑞希姉ちゃんは違う。僕にいっぱい色々なことをしてくれている。だから、傲慢でもないし、自己中でもないし自己保身でもない。
「だから、私は蒼ちゃんの気持ちをよくわかるよ。だって毎晩、私も悩んでいるもの」
「瑞希姉ちゃんは違う。瑞希姉ちゃんはきちんと優しさと愛を持ってる素敵な女性だ。僕とは違う」
「蒼ちゃんも私に優しくしてくれるじゃない。一緒に片付けや、掃除もしてくれるじゃない。皆に優しいじゃない」
それは僕が卑怯だから。皆から優しさが欲しいから、瑞希姉ちゃんから優しさがほしいから、瑞希姉ちゃんを独り占めしたいから、僕は皆に優しくして、瑞希姉ちゃんに優しくして、僕は偽善者なんだ。
「・・・・・・」
「私も無償の愛なんて持ってないよ。誰にだって愛を分け与えられるような立派な人間じゃないわ。私は、自分の好きな人達しか愛せない。矮小な人間なの。蒼ちゃんが思ってるような立派な人間じゃないわ。私も自分の好きな人達しか優しくできない。小さな器の人間なの。だから蒼ちゃんと同じなの」
「・・・・・・」
「勝手に私を偉大な女性にするのは止めて、勝手に尊敬できる女性にするのは止めて、勝手に私が誰もでも優しくて愛を無償で与えられるような女性にするのは止めて、私は普通の高校3年生の女の子なの。私を崇拝するのは止めて」
瑞希姉ちゃんがまた泣き始めた。お姉ちゃんは泣き崩れている。僕はまた瑞希姉ちゃんを傷つけてしまった。
僕は、瑞希姉ちゃんを凄い女性だと思ってた。なんでもできて、頭も良くて、優しくて、僕は瑞希姉ちゃんを尊敬していた。誰にでも優しい瑞希姉ちゃんを尊敬していた。僕は瑞希姉ちゃんは誰にも愛の手を差し伸べる偉大な女性だと勝手に思い込んで崇拝して尊敬していたんだ。そのことが瑞希姉ちゃんを苦しめることになった。全部、僕が瑞希姉ちゃんに押し付けてきたんだね。ゴメンね瑞希姉ちゃん。
瑞希姉ちゃんを普通の高校3年生の女子として僕は見ていなかったんだ。理想の女性像をいつの間にか押し付けていたんだ。それでは瑞希姉ちゃんを1人の女性として見るなんて無理なはずだ。
「ゴメン、僕は理想の女性像を瑞希姉ちゃんに重ね合わせて見てたんだね。今まで、瑞希姉ちゃんを1人の高校3年生の女子として見てなかった。本当にごめんなさい。これも僕の傲慢がいけないんだ。本当にごめんなさい」
瑞希姉ちゃんが顔をタオルで拭いて、僕の顔をフワリとした笑顔で見る。
「蒼ちゃんがわかってくれて嬉しい。私は高校3年生の普通の女の子なの。だから、私にも、傲慢、わがまま、自己中、自己保身の心があるの、そこまでわかってくれたかな」
僕はコクリと頷いた。
葵さんが僕の頭を優しくさする。
「恋をするとね。その人のことを全て欲しくなるの、そしてね、その人のことは全て良く見えるもんなの。だから、もし、蒼ちゃんが瑞希ちゃんのことで、色々とほしいと思って、瑞希ちゃんのことを良く見えているなら、それは、蒼ちゃんが瑞希ちゃんに恋心がある証拠なんだよ」
「・・・・・・」
「でも蒼ちゃんの場合は瑞希ちゃんのことを凄く尊敬して、凄く崇拝しちゃったのね、そして凄く憧れちゃったのね。だから自分が誰に恋心を抱いているのかわからなくなっちゃったのよ。わかるかな?」
「・・・・・・」
「蒼ちゃんは高校3年生の普通の女子の瑞希ちゃんに恋をしてるのよ。だけど尊敬や崇拝や憧れの思いが強くなり過ぎたのね。だから、瑞希ちゃんが普通の女子高生だってことを忘れてしまったのね」
「・・・・・・」
「人は誰でも、立派で優しくて、愛に溢れた人なんて、理想であって、現実にはいないわ。大人になってもそんな人なんていないの。大人も自分の心も複雑で、コントロールするのは大変なのよ。それを上手くコントロールして抑制しているのが大人なのよ」
「・・・・・・」
「だから、まだ子供の蒼ちゃんが傲慢、わがまま、自己中、自己保身を持っているのは当たり前のことだわ。もし、それがイヤだったら、瑞希ちゃんを一生懸命に愛してあげなさい。瑞希ちゃんを一生懸命に大事にしてあげなさい。はじめは失敗するかもしれないけど、時間はたっぷりとあるわ。時間をかけていいから、一生懸命、瑞希ちゃんの傍にいて、見続けてあげなさい。今回みたいに逃げるなんて一番、最低なことよ」
葵さんのいうことは難しくて、僕には半分も理解できなかった。
でも、今回のように自己嫌悪に陥って、瑞希姉ちゃんから逃げて、自暴自棄になって逃げだそうとするのは、1番卑怯なことだと、いうことだけはわかった。
咲良を振ってから、一度も涙が出てこなかったのに、自然と僕の目から涙が零れだしてきた。
僕はもう少しで最低なことをしてしまうところだった。そのことはわかる。ごめんなさい瑞希姉ちゃん。葵さん。
僕の涙は頬を伝い、床へと零れ落ちる。僕は最低だ。
瑞希姉ちゃんが僕の首に手を回して抱きしめてくれる。
「蒼ちゃん、私の近くにいて、私の傍にいて、私に優しい笑顔を見せて、私に楽しい笑顔を見せて、そして、私のことを普通の1人の女子として見て、そして私をことを単純に好きになって、そして私にワガママを言って」
葵さんがタオルで自分の顔を拭いている。葵さんも泣いてるようだ。
僕は瑞希姉ちゃんの肩を掴んで、真っすぐ瞳を見る。
「僕が間違ってた。僕は瑞希姉ちゃんの傍にいたい。近くにいたい。一緒に楽しく笑顔でいたい。いつも一緒にいたい。瑞希姉ちゃんの笑顔を独り占めしたい。そして、瑞希姉ちゃんを優しくしたい。僕の傲慢でワガママかもしれない。自己中かもしれない。僕は偽善者かもしれない。こんな僕でごめんなさい。許してくれるかな?」
「私は蒼ちゃんのことを全部許すよ。だって蒼ちゃんのこと大好きだもん。蒼ちゃんのこと大事だもん」
僕達2人は顔を赤くして照れ笑いを浮かべた。
「蒼ちゃんにはビックリさせられるわ。こんな純情でウブな子、まだ日本にいたのね。可愛いわ。私も蒼ちゃんのこと大好きよ。元気になってよかったわ。瑞希ちゃんとの喧嘩も解決したようだし。めでたしだね」
僕はソファを立って、葵さんに深々と礼をした。
「今日はありがとうございました。葵さんのおかげで色々なことがわかりました。大人のことも少しわかりました。僕も葵さんのこと大好きです。ありがとうございました」
「蒼ちゃん、お礼は葵さんとのデートでいいからね」
瑞希姉ちゃんが両手を広げて、僕を守る。
「葵さん、それだけは絶対にダメ。いくら葵さんでも蒼ちゃんを貸すなんて無理」
葵さんはニヤッと笑う。
「冗談よ。冗談。2人を見ていて、私も久しぶりに彼氏がほしくなったわ。誰かいい人がいたら紹介してね」
「ダメです。そんなこと僕が許しません。葵さんに彼氏なんてできたら僕が許しません」
葵さんは僕を見て大笑いする。瑞希姉ちゃんもジト目をしていたが、次第とクスクスと笑い始めた。
僕と瑞希姉ちゃんは葵さんにお礼を言って、家を出る。路地を歩いて信号を渡って大通りの歩道を歩く。僕と瑞希姉ちゃんはしっかりと手を繋いで、お互いを見つめながら、家路までの路をゆっくりと歩いていく。