32話 宝物
学校の教室へ入って、自分の席に座る。蓮は相変わらず、芽衣の周りをウロチョロしている。いい加減、芽衣のことを諦めてもいいのに、蓮は最近、芽衣にかかりっきりだ。芽衣も無下に追い払わないところを見ると、あれはあれで上手くいっているのかもしれない。
悠が莉子と手を繋いで教室に入ってくる。はじめは莉子と悠が付き合うことに驚いていたクラスメイト達も、今では見慣れた風景になり、誰も騒ぐ者達はいない。
瑛太は相変わらず、影が薄いな。
僕はボーっと、今日の朝の出来事を思い出していた。久々に瑞希姉ちゃんに抱っこしてもらって、一緒に寝た。あの良い香りが忘れられない。それにあの胸の柔らかさと温かさ。実に気持ちよく眠れました。瑞希姉ちゃん、ありがとう。
そんなことを考えて、ニヘラと笑っていると、莉子が僕の近くまで歩いてきた。
「蒼大、瑞希先輩と付き合っているんでしょう。いい加減に白状しなさいよ」
「いや、付き合ってないよ。瑞希姉ちゃんは幼馴染みの仲良いお姉ちゃんだよ。僕のほうから告白もしてないし、瑞希姉ちゃんからも告白されてないよ。いつも一緒にいる仲の良いお姉ちゃんと弟役だよ」
「最近の蒼大と瑞希先輩って、前より怪しいのよ。お互いに見つめ合って、2人だけでわかり合ってて、そんなこと、私と悠でもできないわよ」
悠と莉子はまだ付き合って間なしじゃないか。それは無理だと思う。
「それは悠と莉子が付き合い始めたばかりだからだろう。僕と瑞希姉ちゃんは幼馴染なんだよ。年季が違うよ」
僕と瑞希姉ちゃんと再会してから間もないけどね。
「とにかく、蒼大と瑞希先輩が、良い感じに傍からは見えるのよ。咲良のことはどうするつもりなよ」
「咲良とはクラスの仲の良い女子の友達でいたいな。付き合うとかは考えられないよ」
咲良を恋愛対象にみたことはない、というか、最近まで恋や恋愛について全くわかっていない僕が、咲良のことを考えられるはずがない。
「咲良には、そのことをキッチリと話しなさいよ」
咲良がから何か言われたら、その時はきっちりと話をしようと思うけど、咲良から何も言ってこないんだから、僕から何か言うのはおかしいでしょ。
HRのチャイムが鳴った。それと同時に咲良が走り込んでくる。今日もなんとか遅刻は免れたみたいで良かった。僕の隣で咲良が息切れを起こしている。汗を凄くかいているので、ハンカチを貸してあげると、嬉しそうに僕のハンカチで顔を拭う。
「このハンカチ、洗って返すからね」
そして咲良がハンカチを見て不思議な顔をしている。どうしたんだろう?
「蒼、このハンカチ、蝶々の刺繍がしてあるけど、女物よね」
あ、瑞希姉ちゃん、僕のタンスに自分のハンカチを入れちゃったんだな。これはマズイ。僕は咄嗟に咲良からハンカチを取り返す。
「ハハハ、前に瑞希姉ちゃんにハンカチを借りたのを洗濯して、間違って持ってきちゃった」
咲良がジト目で冷たい視線を僕に送ってくる。僕の額から冷や汗が溢れだす。
その時、ダル先生が教室に入ってきた。ダル先生が教壇に立つ。
「今日は何も言うことはない。あ、蒼大、お前は体育の時間に体育祭の練習ができてないようだが、お前の出る種目は、借り物競争だから、問題ないだろう。遅れた分の勉強はしっかりとやっておくように。成績は落すなよ。以上だ」
それだけ言うとダル先生は教室を出て行った。
そいえば、僕は最近、休みが多かったから、皆より勉強が遅れている。少しでも復習しておかなくちゃ。机の中から勉強道具を取り出して、復習をはじめる。
すると隣から付箋が貼られた。咲良だ。付箋には「瑞希先輩といつも仲良くていいね」と書かれていた。これって絶対に嫌味だよね。僕は「幼馴染だからね」と書いて、咲良の机に付箋を貼る。咲良が「ウゥ」と隣で呻いているのが聞こえる。とにかくこんな時は無視だ。無視。
午前中の授業が始まった。僕は休んだ分を取り戻すため、懸命に授業に集中する。隣の咲良の視線が怖かったのもある。今は隣を向いてはいけない。
午前の授業が終わった。すると教室が騒めいている。皆が見ている方向を見る。教室の後ろのドアから瑞希姉ちゃんが見える。
瑞希姉ちゃんが弁当の袋を手に持って、にっこり笑って立っていた。
”一緒にお弁当食べよう”
僕はコクリと頷いた。そして首を傾げる。
”一緒にお弁当を食べるのはいいけど、どこで食べるの?”
瑞希姉ちゃんが僕を手招きする。
”とにかく、教室を出ましょう。騒ぎになっちゃうよ”
既に瑞希姉ちゃんが教室に現れたことで、教室内は騒めきでいっぱいになってるよ。もう手遅れです。
僕は机の中からお弁当を持って、瑞希姉ちゃんが待っている、教室の後ろのドアへ向かった。そして2人で廊下を歩く。その間も瑞希姉ちゃんは僕と手を繋いでいる。いったい、どういう心境の変化だろう。なにが瑞希姉ちゃんに起こったんだ?
瑞希姉ちゃんと僕は食堂へ向かった。そして空いている席へ、対面に座る。そしてお弁当を広げた。
瑞希姉ちゃんが優しく微笑む。
”蒼ちゃんとお昼にお弁当たべられるなんて、嬉しいな”
僕は小首を傾げる。
”こんなに堂々としていいの? 色々と噂にならない?”
瑞希姉ちゃんが口を尖らせる。
”同棲してるんだから、いいじゃない。これからは堂々とするの”
僕が難しい顔をする。
”僕達、付き合ってもいないんだよ”
瑞希姉ちゃんはふわりと笑う。
”これから段々とそうなるわよ”
僕はため息をつく。
”どこからその自信が沸いてくるの?”
瑞希姉ちゃんが目を潤ませる。
”私のこと好きじゃない?嫌い?”
僕はにっこりと微笑む。
”瑞希姉ちゃんのことは大好き”
僕の背中をポンと誰かが叩いた。美咲姉ちゃんだ。
「あんた達、さっきから見てたけど、お弁当広げたまま、なにジーっと見つめ合ってるのよ。ずいぶん、長い間、見つめ合ってたわよ。周りを見なさいよ。皆、あなた達のことを見てるわよ。恥ずかしいから注意しに来たんだけど、隣の席に座ってもいい?」
「別に何もしてませんよ。隣の席、空いてるから美咲姉ちゃんも座ってよ」
「凛、恵梨香、楓、蒼ちゃんが座ってもいいって。皆で座ろう」
いきなり、凛姉ちゃん、楓姉ちゃん、恵梨香姉ちゃんも席に座って来た。僕の隣に座るのは楓姉ちゃんと恵梨香姉ちゃんだ。瑞希姉ちゃんの隣には美咲姉ちゃんと凛姉ちゃんが座る。
恵梨香姉ちゃんが瑞希姉ちゃんのお弁当からおかずをを取る。
「瑞希だけ、蒼ちゃんを独り占めしようとしたってダメなんだからね。私も蒼ちゃんのファンなんだから。蒼ちゃんを見てたら癒されるわ~。今度、お姉ちゃんとデートしない?蒼ちゃんだったらいつでOKだよ」
楓お姉ちゃんが僕のお弁当からおかずを取っていく。
「恵梨香だけ先を越そうとしてもダメですよ。私も蒼ちゃんのこと可愛いんですから。瑞希も蒼ちゃんを独り占めするのは禁止です~」
凛姉ちゃんが自分のお弁当を食べて、楓姉ちゃんと、恵梨香姉ちゃんにお行儀と言う。
「楓も恵梨香も食事中はもっと静かに食べなさい。後、人のおかず取らない。蒼ちゃんのおかず、減っちゃったじゃない。可哀そうなことするな」
凛姉ちゃんは僕におかずをくれた。
美咲姉ちゃんが瑞希姉ちゃんにおかずをあげている。
「いっそのこと皆でデートしない?私達も受験のことばっかり考えるのに疲れてるのよね~。蒼ちゃん、お姉さん達とデートしましょうよ?」
僕は赤くなって俯いて、瑞希姉ちゃんの顔を見る。
”あんなこと言ってるけど、どうしよう瑞希姉ちゃん?”
瑞希姉ちゃんが黙ってお弁当を食べて、無表情だ。
”デートに行ったら、絶交だからね。口も聞いてあげないんだから”
「僕1人とお姉ちゃん達5人でデートなんて無理でしょう。からかうのはやめてよ」
恵梨香姉ちゃんがにっこりと笑う。
「私は結構、本気なんだけどな~。だって蒼ちゃんは私の癒しだし。でもデートなら2人きりがいいな。お姉さんと色々と秘密なことしちゃう?」
僕はドキッとして目を白黒させる。
すると楓姉ちゃんが机をポンと叩いた。
「蒼ちゃんとデートしたいのは私も一緒ですよ。ゆっくりお姉ちゃんと映画にでもいかない? ゆっくり、まったりとデートしましょう」
楓姉ちゃんのロケットのような胸が僕の腕に当たる。僕は腕を避けるが、楓姉ちゃんが近寄ってくるので、どうしても楓姉ちゃんの胸に当たる。ムニュっとした感触に僕は顔を赤らめる。
凛姉ちゃんが楓姉ちゃんを僕から引き離す。
「楓、色仕掛けで、蒼ちゃんを誘うのはやめなさい。蒼ちゃんが困っているでしょう。ここは一番、常識人の私が、蒼ちゃんとデートをするのが妥当だわ。あなた達は全員、危険よ」
美咲姉ちゃんがいたずらっ子のような目で僕を見る。
「初めてのデートなら私でしょう。だって、皆に蒼ちゃんを紹介したのは私だし、私、蒼ちゃんと仲いいし」
瑞希姉ちゃんの肩がプルプルと震えている。俯いている顔が真っ赤だ。
僕は心配そうな顔で瑞希姉ちゃんを見る
”瑞希姉ちゃん、怒っちゃダメだからね。皆が僕をからかって遊んでるだけだから”
瑞希姉ちゃんの目に涙が溜まっている。もう少しで泣き出しそうだ。
”私、もう限界。耐えられない”
瑞希姉ちゃんは机をバンと叩いて、椅子から立ち上がると大きな声で叫んだ。
「蒼ちゃんは私の宝物なの。誰にも渡さないんだからー! 皆とデートなんて絶対に許さないんだからー!」
美咲姉ちゃんも、楓姉ちゃんも、恵梨香姉ちゃんも、凛姉ちゃんも、自分のお弁当を持って、席を立って逃げ出した。
美咲姉ちゃんが舌先を口からだしている。
「ちょっと、瑞希をからかい過ぎたか。とうとう瑞希が怒った!」
瑞希姉ちゃんが大声で叫んだおかげで、食堂に集まっている生徒全員が僕と瑞希姉ちゃんを見ている。
瑞希姉ちゃんは席に座って、顔を真っ赤にして、お弁当を急いで食べている。僕も必死で自分のお弁当を食べた。2人でお弁当を食べ終わって、席から立って、食堂から逃げ出した。
僕達が食堂から出た瞬間に、食堂にいた学生全体が喧噪の渦に巻き込まれた。