恐怖の後始末
田舎女子爵の朝は存外早い。
朝起きて侍女と一緒に昨日きたドレスのチェックと補修。お酒でシミになっていたり、引っ掛けてほつれていたり、その時気づかなかった汚れなんかを朝日の元で確認するのだ。
なんでそんなことする必要があるかって。それはもちろん、ほいほいドレスを新調できるほど裕福ではないから。
朝食を食べて今日の予定を執事に確認する。社交シーズンに王都でやれることをやってしまわないといけない。自分の領地で特産になりそうなものを買ってくれる商人を見つけたり、新しい技術や道具の情報を手に入れたり。
うん、情報。残念ながら情報だけなんだ。現物を購入できるほど裕福じゃないから。
会っておくべき人リスト、そのリストに上がっている人に会うために会うべき人リストを更新する。スライゴ侯爵のように黙っていても人が群がるようなそんな人間なら不要なんだろうけど、メリットがそうそう見出せない田舎女子爵はこうしてちまちまゆっくりと人脈を築くしかない。
そうしていると招待状が届く。同じように会いたい人に会うために招待してくれたり、近況を共有するためだったり。いつものメンツばかりじゃないように、昔の人にも挨拶をして。機械的にスパスパと手紙を開封していく。
「ぎゃー!」
透かしの美しい封筒。流麗なヴィアトリーチェ・スード女子爵という文字の招待状はてっきりイザベラ嬢からの新しい麦の話のお茶会かと思い、シックな黒に近い藍色の封蝋の紋章をよくよく確認せずに開封し、これまた上質な便箋に書かれた文字を読んで、最後の署名を確認し、そして私は可愛くない悲鳴をあげた。
「なるほど、そのユングリング公爵から手紙が来たんだね」
椅子から転げ落ちて怯える私に悲鳴を聞いて集まって来た執事以下使用人一同は驚き、同様に驚いているエミールにまた驚き、収拾のつかなくなった自体をようやく落ち着けてエミールの部屋で今私は状況を説明している。あの夜会の恐怖体験から。
「スライゴ侯爵の夜会で初めて会ったイケメン独身公爵から一曲ダンスに誘われて他に誰も踊る人のいない大広間で二人きりで踊ってそのまま公爵は帰った、と」
「そういうロマンス小説的なんじゃないから。捕獲され脅迫されて辱めを受け、スライゴ侯爵とお近づきになれて」
「ハッピーエンドだね」
まあスライゴ侯爵とお近づきになれてイザベラ様とも知り合うきっかけができたのはまさしくハッピーなんだけど。
「そのユングリング公爵? の手紙にはなんて書いてあったの?」
文面を思い出して震えてきた。
「ヴィアトリーチェ様、お茶が溢れてしまってますよ」
ソーサーに並々と溢れた紅茶をこぼさないように侍女兼メイドのリリィは一旦下がっていった。
「ユングリング邸でお茶を如何でしょうかと」
「え? 公爵邸への招待?」
「公爵からの招待に30歳未婚田舎女子爵は断ることができるでしょうか」
「無理だね」
「もうこれ招待じゃなくて召集だよ……」
どうして、どうしてこうなった……。
「ひょっとして公爵は姉さんのことが気に入ったとか!」
「それはない。絶対ない」
気に入られることなんて何もしていないけど、不快にさせるようなこともしていないのに、なんで召集……。なんで血祭り……。
「きっと火あぶりだ……」
「それはない。絶対ない」
リリィが新しいカップと紅茶を持ってやってきた。
「うーん、でもユングリング家って知らないなあ。元々は子爵家?」
「そうみたい。ケニオン男爵が戦場で……あ、そうそう! 今度また遊びに来たいって言ってたけど、いい?」
「姉さんがいいならいいよ」
エミールは戦場でのことを今でも話さない。エミールが戦場にいた2年、きっと仲間だっていただろうし連絡をとることだって王都にいれば簡単なはずなのに、しない。
だから私は聞かないし、話題にしない。
元々はエミールの話し相手が欲しいけれど戦争を思い出させるような人では困るということをケニオン男爵に相談したところ、じゃあ自分がと遊びに来たのが最初だ。軍人貴族ということで不安ではあったけどエミールも楽しそうで本当にありがたいことだ。
「子爵家から公爵家なんて、考えられないな」
「そうね、例えばエミールが公爵になるなんて……。ダメ、全然想像つかない」
「そもそも僕もきっと生前の父様でも公爵家の方に会うだなんてなかったんじゃないかな」
「どうしよう、お腹痛いって言って断っちゃダメかな」
「公爵家に対してすっごく失礼だね」
「ですよねー」
そんなこと私もわかっている。十二分にわかっている。ただ、招待を受けてどうしたらいいのかわからないのだ。何着ていけばいいの? 手土産は? あれ、お返事はどうやってするの?
「いつなの?」
「5日後」
「すぐなんだね」
「……例え10日後でも私が準備できることなんてないんだけどね」
「ユングリング家について調べておくくらいしかできることはないかな」
貴族年鑑、調べてみるか……。
「私もユングリングという名前、聞いたことがあります」
リリィがエミールのカップに紅茶を注ぎながら言った。
「え? なんで」
「うーん、どこかで聞いたことあるんですよね、昔」
「古いお家なのかしら? っていってもリリィは貴族じゃないのに知ってるってことは相当有名な家なんでしょうけど」
「それならなおのこと僕らがきちんと覚えていても良さそうなのに」
家にあった貴族年鑑ではユングリング家はまだ子爵位で、「ウェル・ユングリング子爵 ユングリング家」としか書かれていなくて、紙媒体はダメだなと思いました。