恐怖の報酬
来たときと同じようにまっすぐ最短ルートでユングリング公爵は帰っていった。
今では身について意識することもなくなった「貴族の歩き方」を思い出した。ユングリング公爵は歩き方が軍人なんだ。
礼法で最初に教えられた「歩き方」に貴族も平民もあるかと思っていた4歳の私に教えてあげたい。歩き方1つで人に与える印象というものはとても大変に変わってくるのよと。
「いやあ素敵なダンスを見せてもらったよ」
響く拍手に大広間の人間はそして私も魔法に解けたように夜会仕様に動き出す。
「スライゴ侯爵の夜会ですのに私めが中央に出てしまい、お目汚し失礼いたしました」
「いやいや、まさか公爵がお一人でいらしてくださるとは思っていなくてね。娘も、急に体調が悪くなってしまったようで実のところ少し困っていたんだよ」
「お役に立てたようでしたら何よりです」
スライゴ侯爵。富める領地を多く持つ富豪貴族だ。
と、いうと普通の貴族のようだがスライゴ侯爵のすごいところは下賜された領地はもともと荒廃して誰ももらいたがらないような土地だということだ。人呼んで内政侯爵。
ひどい土地を喜んで貰いうけ繁栄させる。今回の長い戦争でも侯爵領の豊富な資源で支えられたと言っても過言ではなく、戦後新たに領地を下賜されたが、その土地がこれまた酷い。今日の夜会はそのお祝いなのだが、祝うってレベルじゃないくらいのひどいところだ。
「そうそう、スード女子爵はリル山脈麓の領地だったね」
「はい。なかなか厳しい土地ではありますが、人は優しい土地です」
「今ね、イザベラが小麦を寒冷地でも強く育つよう改良しているんだ。実地検証のためスード女子爵の領地で育ててみたいんだが、どうかな」
イザベラ嬢は先ほどユングリング公爵に紹介されて震えていたスライゴ侯爵の娘だ。非常に優秀でスライゴ家の血を感じさせる。そしてまた美しいのだこれが。スライゴ家の方針なのか、他の家の令嬢と違いイザベラ様は夜会やお茶会だけでなく様々な場に侯爵と一緒にお出ましになり、顔が広く知られている。その美しさは有名だ。
身分とか縁とか関係なく私の弟嫁候補ベスト1がこのイザベラ嬢なのだ。今日の夜会もイザベラ様と少し、すこーしお近づきになれたらいいななんて思っていたりしていたのだが、なんという僥倖!
「そのような素晴らしいものを、よろしいのですか?」
「私なりにスード女子爵は信用しているつもりだ。イザベラにスード女子爵を薦めたのも私だ」
「ありがたく頂戴いたします」
「追ってイザベラから連絡するよう伝えよう、本当はイザベラ自身会いたがっていたのだが……」
その体調不良の原因はもう事故だと割り切って、あのイザベラ様が私のことをご存知でお会いになりたいと思っていたことを喜ぼう!
「シーズンはタウンハウスにおりますのでいつでもお声がけください」
一礼して私はスライゴ侯爵から離れれば、すぐさま侯爵の周りは人でいっぱいだ。
この人脈、富める領地、豊富な資金、誰もかれもがスライゴ侯爵とお近づきになりその一部のおこぼれをいただきたいと考えている。もちろん私も。まさか、こんなミラクル起こっちゃうだなんて!
怖かったり嬉しかったりでなんか感情の振り切れすぎちゃっていつもより疲れたな……。帰ろ。
盛り上がる大広間を背にして私はエントランスに向かって歩く。喧騒は一歩ごとに遠ざかり、華やかさという光量がなくなる廊下は薄暗さとは違う静けさ。私はこの静けさが好きだ。
「ヴィアトリーチェ子爵!」
「あらケニオン男爵」
大きな声で呼び止められればケニオン男爵が小走りでこちらに向かってくる。
「帰られるんですか?」
「ちょっと今日は、色々、いろいろあって疲れたので帰ります。帰りたい……休みたい……安定したい」
「……お気をつけて」
私の疲れた顔が相当に疲れているのか、ケニオン男爵は察してそれ以上何かを言うことがなかった。
「あの、今度子爵邸へお邪魔してもよろしいですか?」
「え、そりゃもちろん。エミールも喜ぶし」
ケニオン男爵は一人エントランスで微笑んで胸に手を当て一礼した。
私の好きな静けさのような笑顔で。