恐怖の出会い
「ヴィアトリーチェ子爵、美味しそうですね」
「あらお帰りなさい、ってケニオン男爵、ここに来てどうするのよ」
「ざっと挨拶回りはしましたよ」
あれから令嬢に声かけまくりの私は非常に充実した時間を過ごしている。今は別室で食事タイムだ。これからピークタイム。令嬢たちも殿方たちもアプローチに忙しい。邪魔せずこうして休憩時間とさせていただいている。
こうした軽食の用意された部屋というのは戦前にもあったが、簡単な娯楽室に女性が男性と混じってカードゲームで楽しむなんてことは決してなかった。殿方とカードゲームだなんてはしたない、それが戦前だった。今思うとなにがどうはしたないのかよくわからない。
確かにずっと踊ってずっと立ち話で疲れちゃうし、ここは大広間の喧騒がBGMで会話をするにはもってこいだし、理にかなってるっちゃかなってるわよね。私はカードが弱いからあんまり楽しめないけど。
「あなたやる気あるの?」
「もちろんありますよ」
「ならこんなところで茶飲み話しない!」
ケニオン男爵ぐいぐい押して大広間に戻れば、静まり返ってゆったりしたワルツだけが響いている。人々の視点は一点に集中していた。
「誰かしら?」
「ユングリング公爵……。帰っていらしたのか」
「え、知らない」
「戦功叙勲で公爵を賜ったんです」
「え!? でも戦功叙勲は原則男爵までで……」
「彼がいなければこの戦争は負けていたかもしれないです。それぐらいの偉大な功績を残されたお方ですよ」
戦後、軍人貴族というものが生まれた。戦功叙勲だ。王国に貢献した者は平民でも爵位を継げない次男三男にも男爵位が与えられた。
「元々子爵家だそうですよ、ヴィアトリーチェ子爵のほうが詳しいんじゃないですか?」
「うーん、知らない……」
子爵位のやつらはだいたい友達、と言うほど、そもそもあったこともない家が多いが家名は記憶している。ユングリングなんて家名、あったっけ?
「にしても……どうして軍服なの?」
よくわからないが襟と胸につけられている勲章のおびただしさに、何をしたということよりもどれだけの貢献したかということが察せられる。それはつまり、戦場で多く勝利したということだ。それがどういう意味を持つのかわからないほど子供ではない。
その武功を知らしめたいから? これまで夜会に軍服で来た人なんかいないからどういう意図があるのかさっぱりだ。そもそもそんなにすごい人のことを田舎暮らしとはいえ、全く知らないってことはないだろうに……。
「ケニオン男爵はなぜご存知だったの?」
「戦場で一度。圧倒的だったよ。で、すぐにまた別に戦場へ行かれたけどね」
さざ波のように彼の身元が伝わっていく。未婚の女性は色めきだったが尻込みしている。身分はもちろんだが……。
「怖い、に尽きるわね」
「そうですね」
「美しいと思う前に怖さが際立つのって、それってどうなの?」
美しい顔立ちだ。中央の血を引くのか黒髪は黒曜石のように艶やかで、切れ長の瞳と合わせてエキゾチックな様相だ。漆黒の軍服は引き締まった公爵の体に沿って下手したら華奢なイメージがある。少年のような大人のような、この夜会の会場にいる殿方の誰とも違う異質な空気をまとっている。人を寄せ付けず、誰も信用しない。そんな雰囲気は社交と正反対の気質だ。例えるなら孤高の鷲、群の長の獅子。
「スライゴ侯爵に挨拶してるわね、知り合いなのかしら?」
「知っていてもおかしくはないですけどね」
「あ、侯爵が娘を紹介している。可哀想に顔が怯えてるわ」
「侯爵の秘蔵っ子ですよね、彼女」
「紹介したということは公爵は独身なの?」
挨拶が終わったようで、佇むイケメン独身公爵ならすぐに子雲雀のように令嬢たちが群れをなして取り囲みそうだが、どの子も動く気配はない。ちょっと軽いいじめのように人が避けている。
イケメンで独身で公爵でも夜会の場に軍服を着てくるような人は、どういう人なのか誰もわからないのだ。
盗み見たイケメン独身軍人公爵と目があった。まあ、遠くだしたまたまよねと視線をそらすその直前、公爵はこちらに向かって歩き出した。まぁ、遠くだしたまたまこっちに向かっているような感じ、よね……。人が左右へと避けて道を作る。公爵の覇気で作られた道の先にいるのは、まさに今私のいるこの場所だった。
きっちりとまっすぐ私とケニオン男爵がいるこの一点を目指している。なんでとかどうしてとか考えている場合じゃない。これやばいやつだから逃げなきゃと静かに後ずさりをはじめたところ、ケニオン男爵に腕を掴まれる。焦る私はなんとかこの場を離れようとするも、腐っても軍人貴族。掴んだその腕はピクリとも動かなかった。ちょっと、ちょっとちょっと。
「ケニオン殿、お久しぶりです」
魅惑のバリトンボイス。イケボ、マジイケボ。甘く囁かれれば落ちない令嬢はいないだろう……けど、振り幅間違えて威圧感をマックスにしたその声はさながら戦場で降伏を迫る指揮官のようだ。戦場、知らないけど。
「覚えていただけて光栄です。ユングリング公爵」
「あの厳しい状況を覆したケニオン男爵の独創的な手法は忘れられない」
「いえ、決定的なのはユングリング公爵の戦法とその兵力でした」
「しかし、あのように兵站のことまで考えられる人はなかなかいない。あれがあってこその勝利だった」
「ありがたきお言葉」
「では逆にあのとき敵が防御に転じていた場合には……と、ここ話すことではないな」
私は壁。私は壁。私は壁。微笑みを貼り付けてひたすら無心であろうとした。
ぐるりと音がしそうなほど首を回してユングリング公爵は私を見た。いや、眼光によってダメージを与えられた。
え、すごく怖くて、殺されそうなんですけど。
「こちらはケニオン男爵の奥様ですか?」
「名乗りもせずもうしわけありません。私、ヴィアトリーチェ・スード女子爵と申します」
こんなに緊張した淑女の礼はデビュタントでの陛下への謁見時以来だ。ちょっと膝が笑ってる。
「………そうでしたか。」
私の回答を不服と思われたのか眉間にしわを寄せとてもとても睨まれている。私、睨まれている。私、悪いことしたかな。名乗っただけなんだけど。嘘偽りない私の名前なんだけどなあ。
「申し訳ない」
ユングリング公爵はきっちりと体を90度折りたたみ頭を下げた。
いやいや、間違いなんて誰にでもあるから。というか、こんな大勢の場所で公爵が子爵と男爵に頭下げてるのがむしろ申し訳ないことだから。
「頭を上げてください、公爵。私は全然、気にしておりませんから」
黙っているケニオン男爵の脇腹をつつく。
「あ、はい。全く問題はないので」
ケニオン男爵のフォローしてんだかしてないんだかの言葉にようやく頭を上げた公爵は納得したんだか怒っているんだか、不快に思っているんだか、今この場を燃やし尽くそうとしたいのかよくわからない顔をした。
「どうも夜会というものの勝手がわからない」
見た所、公爵も戦前の夜会を知っている年齢かしら。さっきケニオン男爵が戻ってきたことに驚いていたということはこれまで戦場にいらして、戦後の夜会は初めてってことでなかなか色々図りかねていらっしゃるのだろうか。
「夜会はいつだって変わりませんわ。大いに語らい、楽しく踊ればそれで」
ほんとはこれくらいシンプルな話なんだろうね。夜集まってワイワイする。でも階級だとか資産だとか派閥だとかドレスの色かぶりだとかはやりのかみがたとかそういったものでどんどんどんどん負荷がかかってしまっているだけ。この戦勝祝いの無礼講モードが終わってしまえば戦前みたいな窮屈さになってしまうんだろうか。
「誰も踊ってはいないが」
大広間中央は特異点むき出しのように人気はなく、きっと素晴らしい演奏家たちによるワルツがか細く聞こえるのみ。
さっきまではみんなここで楽しそうにしていたんですよ。さっき、あなたが、いらっしゃるまでは。
この異常状態を引き起こした張本人は、獲物を狙う獣のように鋭い眼光で辺りを見回し、最後に私を見つめる。
肉食獣に睨まれたウサギってきっとこんな気持ちなんだな、私はそう思った。
「では一曲お相手いただけますか?」
彼は公爵で私は1代限りの女子爵。断ることなどできなかった。静かに私たちの会話を鑑賞していた周囲の人もこれにはざわめく。そりゃそうだ。戦後、公爵と踊った子爵なんていないだろうから。いや、戦前もかな。
ケニオン男爵に掴まれた腕をすり抜けてユングリング公爵と対峙する。手を取り合い、私は肩へ手をかける。
怖くて手汗がひどい。
ワルツの基本的なステップ。難しくもなんともない初心者用の「パートナーと語らい親睦を深める」ステップ。
そんな単調なステップを私とユングリング公爵はただ黙々と、そうレッスンのように踊る。いや、レッスンの方がもっと情感こもっていたような気すらある。ワルツよりもドレスの衣擦れの音が大きく聞こえる。
近くで見るユングリング公爵は彫像のように美しく整った顔立ちで、女性を敵に回しそうな肌のキメだなと思った。
え? どこ見てるかって? 秘技、照れ臭いので目の周りを見ることによって顔は向いているが目は合わせなくて済むよ状態! まゆげとか鼻とか近いけど目じゃないところを見つめていれば恥ずかしくないよ。だ。
それでもターンしたあとなんかにうっかり公爵と目があってしまう。じっと見つめるその目が何を訴えようとしているのかわからず、いやそもそもなんでダンスに誘ったのか、なんで私が踊っているのか、どうしてこうなっているのか、もう何が何やら……。
と、頭がパニックで満足に動かない状態でもこの単調なステップは踏み間違えることないのだから、本当につまらないダンスだろうに、周りの皆様もなんでこれを見なくちゃいけないんだきっとそんなお気持ちでしょう。参加していいのよ、ここフリースペースだから皆様も踊って良いのよ?
「これが『大いに語らい、楽しく踊る』か」
「あ……」
囁くように呟いた公爵の言葉は私がさっき言ったことだ。
「お気に召しませんでしたか」
「『語らう』には大いに同意する」
「でしたら次からは『大いに語らう』をお楽しみください」
「そうしよう」
つまんないことさせて怒らせてしまっただろうか。公爵になるほどの戦功を上げたかたが怒るとどうなっちゃうんだろうか。あれ、私、つんだ?
私の血圧の引き具合とワルツのデクレッシェンドが相まって、この世の終わりのようだ。ユングリング公爵の手がゆっくりとゆっくりと私から離れる。
「すまないが今日はこれで失礼する」
背中を汗が伝う。