使えない頭の中
あれから鏡を見ると、自分の顔が自分の顔じゃないようで、自分が自分じゃないようで不思議な気持ちになってくる。
いつもの私はくすんだ色の髪と瞳、のっぺりした顔につく鷲鼻と薄い唇。やる気のない散漫な顔。それが明るい栗色の髪に瞳、ぱっちりお目目じゃないけれど彫りは深くて眼光が厳し目な、薄い唇ではあるけどキリリとして。
いや、急に目の冷めるような美女になった! と、いうつもりはない。断じて。
デビュタントで大勢の同じ年頃の令嬢が同じ場所に同じようなドレスで集まったときに、自分がすごく不恰好で浮いてるんじゃないかって、人種が違うような違和感を感じて怖かった。
私はブサイクだからだと思っていたけど、丁寧に正確に言い直せばこの世界の顔に馴染んでいない違和感だ。
でも普通じゃん。美しくも醜くもない普通。よくある顔。
あれ、私って何を見ていたんだろう。
「見ていたというよりも、記憶していたということではないかと思う」
「記憶」
ユングリング公爵邸。
私が相談できるのはユングリング公爵だけだった。このことに気がついたのが、というより、私が何か別の知識を持っているということを信じているのがユングリング公爵だけだったからだ。
エミールに至っては「姉さんはいっつもこんなもんだよ?」でおしまい。
「スード女子爵が記憶している顔と実際の顔に差があるということですよ」
「毎日鏡を見ているのに間違えようがありませんよ、そんなの」
「毎日見ている以上にあの顔を記憶していたのでしょう。その宮殿に」
「宮殿ってなんですか?」
「記憶の宮殿。私の記憶が衣装箪笥ならあなたのそれは宮殿だ」
公爵の衣装箪笥は私のものとは比較にならないだろうななんて思ったが話の腰を折るのも悪いので黙っていた。
「なにを記憶しているのかはわからないが……ちなみにあなたのこれまで話したことで私が理解できなかった単語だが説明できるものは?」
紙にびっしりと書かれた単語はどれも見覚えがないものばかり。めんへる……?
「会話の流れで意味を推測できる部分もあるが、どうもその記憶はかなり高度な文化が由来になっているようだ」
「この大陸で今の王都以上に繁栄しているところなんてありませんし、私はこの大陸どころか王都と領地の往復くらいしかしたことないです」
「例えばこの『くらうど』大勢の人間で瞬時に共有するという意味合いだが、どうしたら大勢で時間差なく共有できるのかわからない」
「無理じゃないですか?」
「しかしあなたの口から出てきた言葉で、さも当たり前のように言っていたが?」
そういうものを知っている「私」。
「でも私、そんな特別な教育を受けたりなんてしてないですし」
「そう、それは聞いた。だから不思議なんだ」
その不思議を解明しようとしているのか、考え込んでいる顔が怖い。怖さで考える深度がわかるようになったけど、この人を殺すレベルは相当だな。ユングリング公爵がここまで考えてもわからないことなんてあるのか。
どうなってるんだ私の記憶の宮殿。
「そして今この世界にないことを知っている可能性が大いにある」
「……それでは、私は『エミールの目を治す方法も知っている』かもしれないの?」
「おそらく」
「だったら是非に思い出したい!」
私の頭の中にエミールの目の治療法が……。
……。
「寝てませんか?」
「寝てません! そんなベタな関西ボケしません」
「……かんさいぼけ……。多分あなたは会話をしている時のほうが思い出すんじゃないだろうか。また今も謎の言葉を」
「……そうですかね。でしたら医療の話にお付き合いいただいてもよろしいですか」
ユングリング公爵の話す医療の話は異常に高度で、この方には知らないことがないんじゃないかと思った。これが本当のチート。
「す、すみません。全然全く話していることが理解できません……」
「そうですか」
「私、多分普通のことしか記憶していないんじゃないでしょうか」
エミールに目が見える治療法だとか山岳地方の厳しい土地でも作物がウハウハに育つノウハウとか、新しい商売とかそういう役に立つ専門的なことを私が記憶してるだなんて思えない。
私が。私でない私が。
「それって役に立たないですよね」
専門的なことを知らないだろう私。ブサイクって思ってる私。
この記憶の宮殿、結局私の知らない私のコンプレックスしか残ってなくない?




