1ー6 招かれざる客
2020.04.11 加筆修正
2020.04.14 加筆修正
ボナの町、北東の森。
取引の時間まで、あと三十分。
シャーロットはヴェルメリオと共に、周囲を警戒していた。
今のところ自分達以外の気配はないが、警戒を説く理由にはならない。
『ドラウプニル』を所持する一党以外に、上級騎士を含めたアヴァロンの騎士、それにエニグマも現れるかもしれないのだ。油断はできない。
「それ使い続けたら体が金になっちまうぞ〜……って教えてやったらどうだ?」
木に背を預け、左手の指環をいじるヴェルメリオ。
ファナイオスの発動は初めてでなくとも、実戦で使うのははじめて。
顔にこそ出していないが、珍しく緊張しているのかもしれない。
「ヴェルメリオ調停官ならば、どうしますか。そう言われて」
「嘘ハッタリだと思うね」
「ならば向こうも同じでしょう。ですが試しに言ってみては? 万が一、と言うこともありますから」
シャーロットなりの軽口だったのだが、ヴェルメリオに睨まれてしまった。
常々感じていたことだが、自分は冗談の類が上手くないらしい。
いや、冗談が冗談に聞こえないのかもしれない。
「──覚悟はできていますか」
梟の鳴き声にも負けてしまいそうな声だったが、ヴェルメリオには聞こえている。
シャーロットは視線を、自分の『神器』──フォルトゥナへ向け、そしてヴェルメリオを見た。
取引相手はもうすぐ現れる。
何事もなく平和に終わる可能性もあるが、十中八九、戦闘になるだろう。相手は民間人なので、『神器』の使用は避けるに決まっているが、もしも騎士が現れれば、状況は一瞬にして変わる。
ヴェルメリオが騎士相手に遅れを取るとは思っていないが、『神器』をうまく扱えないとなると、
やはり勝率は変動するだろう。
「『神器』に選ばれたとは言え、未だファナイオスはヴェルメリオ調停官を主人と認めていないのでは?」
「……わかるのか?」
「そんな気がするだけです。いざ発動──と言う時になって、使い物にならなければ意味がありません」
ヴェルメリオは黙ってしまった。
それは下手な言い訳よりもわかりやすい答えだ。
彼は未だ、ファナイオスに認められていない。──発動はできるだろう。発動もできない雛鳥を、正義元帥が送り出すとは考えられないから。
けれども本来の力を発揮することは難しい。
今のヴェルメリオは、ホルダーが『聖遺物』を発動させる状態に近しいと言える。発動しても、不完全なのだ。
「……こんなとこで死ぬつもりはない。生きて帰るさ、オレもお前も」
指環をなぞり、ヴェルメリオは背筋を伸ばす。
シャーロットは何か助言をすべきかと思ったが、どうやらそんな時間はないらしい。佇まいを正し、視線を取引相手を待つネロ──その向こうへと向ける。
取引の時間まで、まだ十分ある。
だが彼らは、存外真面目らしい。十分前にやって来た。
「あんたもこりねぇな。これで何度目だ?」
「三度目、ですね」
暗がりの中から現れたのは、写真で見た男。ジャックだ。
写真で見るよりも背が高く、肩が広い。たくましい胸板と、太い手足──腰には見せつけるかのように銀色の銃が光っている。
それ以外に目立った武器が見当たらないのは、幸運と言うべきだろうか。
シャーロットとヴェルメリオはいつでも飛び出せるよう、気配を押し殺し、身構えた。
「前回の倍──ご用意させていただきました。腕環を譲っていただけませんか?」
うまく隠れているようだが、森の中にはジャックの仲間がいる。
それでもネロの穏やかな笑みは消えない。交渉の場合、弱気になってはいけないと知っているのだ。
かといって強気にグイグイおせば良いというものでもない。
何事も臨機応変に。
ネロは交渉官として、それなりの場数を踏んでいる。交渉そのものは、ネロを信頼して問題ない。
「こっちの答えはわかってんだろ? オレ達はお前らホロウなんかに腕環を渡さねえ。アレはオレ達のもんだ」
「誤解をしないでいただきたい。我々『機関』は、私利私欲のため動いているのではありません。確かにその腕環は、あなた方にとってさぞや魅力的でしょう。ですが同時に、危険も孕んでいるのです」
この場に腕環の保持者──レベッカはいない。
はなから取引に応じるつもりがないので、連れて来なかったのだろうか?
だとしたら、少し困ってしまう。取引の対象が目の前になければ、用意した旅行鞄いっぱいの紙幣に出番はないのだから。
ネロは背後のふたりに合図を送るべきか悩んだが、腕環がこの場にないだけで交渉を続ける意味がない──と、判断するのは早計すぎると結論付け、合図を送るのを先延ばしにした。
「貴方は確か──ジャック、でしたね。ジャック、あなたは知っているのではありませんか? あの腕環を使い続けた者が迎える最後を」
ほんの一瞬、ジャックの眉間にしわが寄った。
それを見逃すほど、ネロも馬鹿じゃない。
やはりこの男は知っているのだ。腕環を使い続けた末に待つ、最悪の結末を。
だから自分で、腕環を持とうとしない。
森の中で隠れているジャックの仲間は、それを知っているのだろうか?
もし知らないのであれば、一石を投じてみようか?
うまくいけば仲間割れを起こしてくれるかも。失敗しても、彼らの心の片隅に小さな疑念は残る。
ネロは微笑みの仮面を外し、役者のように大袈裟に、憂いてみせた。
「知らないのであれば、どうか聞いてください。あの腕環を使い続ければ、体は黄金と化すでしょう。神々より異能を与えられたあなた方のその身では、奇跡を正しく扱うことはできないのです。今ならまだ間に合います。腕環を──こちらへ」
思っていた通りの反応だった。
ジャックは忌々しげにこちらを睨んだが、背後の森で隠れるその仲間には、明らかな動揺が広がっている。
「言う相手が違うと、嘘ハッタリに聞こえないものですね」
その様子を黙ってうかがっていたシャーロットだったが、不意に素直な感情が口からこぼれた。
「今のは聞かなかったことにしといてやる。……腕環のガキ、いると思うか?」
「どうでしょうか。私ならば、大事な宝物は誰にも見せず、隠しておきます」
「オレもそうするね。けど臆病な奴に限って、近くにないと不安がるもんだ。──いるんじゃねえか」
ヴェルメリオが動き、シャーロットの隣に立つ。
ヴェルメリオからすればこの状況、まどろっこしいの一言に尽きるのだ。
痺れを切らして飛び出さなければいいが。
「適当なこと言わないでよ!」
瞬間、夜の闇に響いたのは怒りを含んだ少女の声だった。
『涙する黄金の薔薇』の今の保持者──レベッカだ。
健康的な肌と、しなやかな四肢には生気が満ち溢れている。
まだどこも、黄金と化してはいないようで安堵した。
「現れましたね」
「だな」
待ちに待った主役の登場。
けれども自分達はまだ、舞台に上がる時ではない。
「ご健勝で何より。些細なことでも良いのですが、どこか体調に変化はありませんか?」
「近寄らないで!」
レベッカで手にしているのは、ナイフだ。
フォルトゥナよりも刃渡りは短いが、身幅はあちらの方が広い。
とはいえ、レベッカがナイフの扱いに慣れているようには見えないので、シャーロットやヴェルメリオの目に、彼女が脅威として映ることはない。
それはネロも同じだろう。
「嘘をついて騙し盗ろうとしたって無駄よっ。この腕環は、誰にも渡さない!」
「……信じたくない気持ちはよくわかります。ですが私は、真実を知っているのです。その腕環を使い続ければ、貴女の全身は間違いなく黄金と化す。以前、その腕環を所持していた方は、どちらに──?」
「そいつは抜けたんだ。もうここにはいねえ」
ジャックがレベッカの前に立ち、ネロの視界から隠す。
まるで大切な宝物を守るかのように。
「さようですか。ではどこへ行かれたのでしょう? いえ、こう問うべきでしたね。──誰に売ったのです?」
「……デタラメ言ってんじゃねえぞ」
湧き上がるジャックの怒りは、正当なものだろうか?
恐らくネロの問いは、真実そのものだ。
レベッカの前に腕環を所持していた者はもう、手遅れだったのだろう。気づかぬ間に体が黄金となり、息絶えた。
いや、気づかぬはずがない。
シャーロットが目を通した資料によれば、すぐに腕環を放棄すれば問題ない、との記載があった。
もしも腕一本、あるいは足一本が完全に黄金化しても、切り落とせば本体は助かる、とも。
だが趣味の悪い記録もあったことを、シャーロットは思い出す。
偶然にも腕環を手に入れた男が、その腕環が富をもたらした結果に伴う悲劇に気づいた。
だがその悲劇に気づきながらも、腕環を手放すのは惜しいと考えた男は、ある孤児を引き取った。
孤児は大喜びしたそうだ。自分を引き取ってくれたのが、町一番のお金持ちだったから。今まで食べたこともないような豪華な食事、自分だけの部屋に絹の服、そして肌身離さず持つよう与えられた、黄金の腕環。
孤児言われた通り片時も腕環を離さず、男の望むままに黄金の薔薇を生み出し──そして死んだ。
その体を黄金に変えて、死んだのだ。
そして男はまた新しい孤児を引き取り、黄金の腕環を与える。
そんなことを幾度か繰り返し、ようやく男を不審に思った者が動き、驚愕する。
男の絢爛豪華な屋敷には、それはそれは精巧な黄金の像がいくつも並んでいたと言うのだから。
その端正な顔をわずかばかりに歪めジャックを見ていたシャーロットだったが、見過ごせない気配を感じ、視線をそちらへ向けた。
ヴェルメリオもほぼ同時に、シャーロットと同じ方を見た。
「招かれざる客のお出ましだ」
闇の中、月明かりを受けて輝くのは白銀の鎧。
あれはまぎれもなく、騎士だ。
先頭を行くのは昼間、列車の中で仲裁に入った上級の騎士。
ヴェルメリオはホルスターから銃を抜く。
彼らは未だ、シャーロットとヴェルメリオに気づいていないようだ。
このまま奇襲をかけても良いが、自分達の目的はあくまでも戦闘ではなく回収。
とはいえ、警戒するに越したことはない。
ヴェルメリオに合わせるように、シャーロットもフォルトゥナを抜いた。夜の闇の中、鋭利なナイフは欠けた月のように煌く。
「体が黄金と化すのは本当です」
気配を押し殺すシャーロット達に気づくことなく、騎士達が取引の舞台に上がる。
「それを持ち続けるのは危険です。命に関わる。だからどうか、素直に腕環をこちらへ渡していただきたい」
金髪の青年騎士が、一行のリーダーと見て間違いない。
目的はやはり、シャーロット達と同じ。
ただこちらのように、大金を持って現れたわけではないようだ。
「騎士が来るなんて聞いてないぞ?!」
「や、ヤバいんじゃないか……?」
森の中で、ジャックの仲間が怯えの声を漏らす。
騎士の登場は予想外でしかない。
彼らは短期間で大金を手に入れ、優雅な生活と、一生手が届かないと思っていた上流社会に顔を出せるようにもなった。
でも結局、それらは薄っぺらな紙幣で取り繕った借り物。
生まれも育ちも労働者階級である彼らの中に、勇ましくも騎士と剣を交えようと思う者はいない。
だって騎士だ。幼い少年が一度は憧れ、けれども夢に終わる『高潔都市アヴァロン』の騎士!
一人の男が、耐えきれず逃げ出した。
「おい! 逃げるなっ」
逃げ出した男は新参者。甘い蜜を吸いたかっただけ。
このままここに残れば、騎士に敗北し、捕まる。
腕環が自分達の持ち物だったとしても、行って来たのは間違いなく詐欺だ。言い逃れなどできない。
だから逃げた。賢明と言うべきか、臆病と言うべきか。
「ほっとけ! 逃げたい奴は逃げればいいさ。……騎士にもホロウにも、腕環は渡さねえ。お前らになんの権利がある! これはオレ達のもんだ!!」
ジャックは叫ぶ。連れて来た仲間の半分は臆病にも逃げたが、自分はまだここにいる。
レベッカもいる。
自分とレベッカさえいれば、どうにでもなる。
──この場を切り抜けられれば。
「……そうよ。これはあたし達のもの」
レベッカが前に出た。
「この腕環のおかげで、あたしの弟は学校に行けた。あたしの母さんは病気が治って、自分の店も持てた。確かに人を騙して手に入れたお金だよ。でもっ!」
腕環をはめた右腕を、抱きしめるように、守るように自分の胸へ寄せる。
「でも薔薇を売ったのは金持ち連中だけ! みんなが苦しんでるのに、自分達だけが贅沢してた最低野郎!! 何が悪いって言うのよ! あたし達貧乏人は、我慢してのたれ死ねってこと!?」
心からの叫びに、青年騎士は悲痛に顔を歪めた。
ここに来るまでの間、必ず腕環を持ち帰る、そう思っていたはずなのに、決意が一瞬、揺らいでしまったのだろう。
「レベッカ、走れ!!」
騎士がすぐに動かないことを好機とみたジャックが、レベッカの手を引き、走る。
騎士と戦っても、勝ち目はない。
ならば逃げるのみ。
その判断は正しい。
でも逃しはしない。
シャーロットとヴェルメリオが、揃って飛び出した。