1ー5 青髪の交渉官
2018.02.17 加筆修正
2020.04.11 加筆修正
商業都市メルクリウスの手前にあるボナという町は、富裕層が集まる町として有名だ。
そのため街並みや店が富裕層向きのデザインとなっており、一言で表現するならば華美。
もっと簡単に言えば、派手。降り立った駅のベンチだけでなく、柱一本でさえも細かな装飾が施されている。
ケラウノスの中央駅は機能性重視の鋼鉄製、アストライアに至っては人影もない寂れた駅。
それを思うと、ボナはなんだかそう──目に痛い。
「お待ちしておりました、エルミス調停官、アウローラ調停官」
ボナに到着したふたりを出迎えたのは、ふたりと同じ黒い調停官の制服を着た水色の髪の男性。
「お久しぶりです、アイスベルク交渉官」
「ネロで構いませんよ。まずは移動しましょう。宿を取っていますので」
ふたりに一礼するのは、ディーラーであるネロ・ヴォワ・アイスベルク。青色の髪と琥珀色の瞳、そして眼鏡は知的な印象を相手に与える。背はヴェルメリオよりも低く、細身。
だがシャーロットより高い。
「遅ればせながら、おめでとうございます、エルミス調停官。『神器』を手にされたそうですね」
「……そりゃどうも」
ネロの先導で、ふたりは駅を出る。
ボナに到着しても雨は止んでいないが、幾分、雨足は弱くなっていた。フードをかぶれば十分だろう。
「事前にお伝えしておきます。この町には現在、騎士がいます。その従者も」
「列車の中でも会いました」
騎士は二種類。騎士王が治める『高潔都市アヴァロン』の騎士か、教皇が治める『天空都市ウラノス』の宗教騎士。
後者は一般的に『白騎士』と呼ばれ、全身が白で統一されている。
ふたりが列車内で出会った騎士は、全身白ではなかったのでアヴァロンの騎士だろう。
「その列車で会った騎士は、恐らく上級騎士です。この町に滞在している騎士と合流すると思われます」
「上級? 厄介だな」
あの若さだから、ただの騎士だと思っていた。
だと言うのに、騎士の更に上、上級騎士だったとは。
「あの若さで、ですか。……実力もあるのでしょうね」
雨で濡れた前髪が、ひたいに張り付く。
それを手で払いながら、シャーロットは小さく言葉を漏らす。戦闘は避けられない──覚悟していたことではあるが、今回の任務は長引きそうだ。
ソロではなくデュオであることに、一瞬、感謝してしまいそうになったが、そういえば今回の相棒は『神器』初心者であることを思い出す。
「私は悲観していませんよ。『神器』を持った調停官がおふたりも来てくださったのですから」
「そのうちのひとりは初心者だ。あまり期待はするな」
雨が鬱陶しいのか、それとも別の理由からなのか、ヴェルメリオの機嫌が悪い。ボナに到着しネロに会うまで、ヴェルメリオは一度も口を開かなかった。
「指導を受けたのでは?」
「じじいからな。けど教えられたのは発動とか使い方だけだ。ぶっつけ本番も同然だぞ」
ヴェルメリオがじじいと呼んでいるのは、『正義元帥』のこと。調停官の基礎を叩き込む養成所や、『学舎』『学府』を管理する文部局の局長を務めている。
『神器』を管理するのは聖遺物管理局だが、『神器』を手にした調停官の指導は『正義元帥』が行う。
既に六十を超えているのだが、まだまだ前線で戦える体力と技術を持つ。
シャーロットも『宣告する運命の刃』を手にした時、お世話になった。
「着きました。中へどうぞ」
ネロが立ち止まったのは、町の中心地から外れた場所にある宿。繁盛しているようには見えないが文句は言っていられないし、何よりも町の中心地で看板を掲げている宿が、調停官の制服を着た者を歓迎してくれるとは思えない。
「おふたりの部屋も用意していますが、まずは私の部屋へ」
宿に入り、シャーロットとヴェルメリオは雨で濡れたコートを脱ぐ。ぽたぽたと雫を床に落としながら、階段を上がり二階の角部屋へ。
「現在、『ドラウプニル』を所持している一行は、ここボナに向かっています」
部屋へ入るなり、ネロが仕事の話を始める。報告書では最後の目撃情報はボナとなっていたが、一行は移動していたらしい。
だが戻って来る。
ネロはふたりに木の椅子を用意し、ベッド下から旅行鞄を引っ張り出す。
数日寝泊まりしているはずの部屋だが、私物が一切置かれていない。今すぐにでもチェックアウトできそうだ。
「オレ達は先回りしてるってことか?」
「そうなります。調査官からの定期連絡によると、今日の夜ですね。町に入るのは」
「まだ時間があるな」
雨雲に隠れていて空の色はわからないが、現在はお昼過ぎ。準備万端で挑むことができそうだ。
「この町に向かっている理由はなんです?」
「彼らはボナで取引をすることが多いんですよ。金持ちが多いですからね。今回もそのためです」
「取引……。それはどこで?」
「町の北東にある森です。その森で、取引することになっています」
「なっています? その言い方だと……ああ、取引相手はお前か」
椅子に座るヴェルメリオが、納得したように頷く。
「はい。取引相手は私です。おふたりにはその場にいていただきます。彼らが取引に応じるのであれば、おふたりの出番はほぼないでしょう。ですが応じない場合は──おふたりにお任せします」
ネロは今回が三度目の交渉になると言う。
『機関』が穏便にことを済ませたくとも、向こうにその意思がなく頑なであるならば、武力行使も致し方ない。
シャーロットとヴェルメリオは、武力行使をギリギリまで選びたくないというネロが用意した威嚇要員、ということ。
「なるべく迅速に終わらせたいですね。第三者の介入は厄介ですから」
「それは彼ら次第ですね。えっと……資料はどこに入れたかな」
ネロの旅行鞄の中身は、顔に似合わずぐちゃぐちゃだった。
「あったあった、コレだ。『ドラウプニル』の発動は、この少女──名前はレベッカ。彼女が行うようです。他の者は腕輪に触れさえしていません」
「なんでだ?」
「理由はわかりませんが……恐らくこのリーダー──ジャックは知っているのかもしれませんね。ホルダーが『聖遺物』を使い続けた果てに待つ結末を」
「かもな。オレだったら大事なもんを他人に預けておかねえし」
うまく立ち回れば、多額の金が定期的に懐に舞い込む。金の卵を産むニワトリを、わざわざ殺すバカはいない。
どうせなら自分で管理した方が安心できるだろうに、一行のリーダーだと言うジャックは十代の少女に預けてしまっている。
それだけ信頼している、と言えなくもないだろうが。
「なあ、『ドラウプニル』をホルダーが使い続けたらどうなるんだ?」
ヴェルメリオが問いかけた相手は、黙って話を聞いていたシャーロット。
ホルダーの世界に浸透しているかは知らないが、ホルダーは『聖遺物』を正しく扱うことができない。
『神器』や『神具』は使い手を選ぶが、それらに分類されない『聖遺物』は向き不向きはあるものの、使い手を選ぶことはない。
だがそれは、ホロウの場合。ホルダーが『聖遺物』を使おうとすれば、正常に発動しない。
『ドラウプニル』によって産み落とされた黄金の薔薇が、時間と共に崩れ落ちていくのがその証拠。
そして何より、使い続ければ身体、あるいは精神に異常を来す。
「騎士に奪われた『カンタレラ』を使い続けた女がいたろ? あいつは毒で皮膚がただれたって聞いた。『聖杯』によって助かった奴らは死後、彷徨える亡者になった。『ドラウプニル』はどうなる?」
「……この目で見たことはありませんが、使い続ければ体が黄金と化す。そう聞いています」
「黄金と化す……」
つまりは死だ。『ドラウプニル』使い続けた果てに待つものは。
「黄金化しているという報告は受けていないので、まだ猶予はあるのかもしれませんね」
ネロはそう言って、ベッド下からもうひとつ旅行鞄を取り出す。
それは重いらしく、両手で持ち上げている。
「さて、おふたりはどうされますか? 取引までまだ、時間がありますが」
重い旅行鞄を開ければ、中には隙間なく詰め込まれた紙幣。
これが今夜、取引に応じた場合支払う額。ディーラーは交渉のすべてを『機関』によって一任されている。支払う額は、ディーラーが決めて良いのだ。
それだけの権限が与えられているだけに、交渉官の数は少ない。
何せ求められる能力が、調停官や調査官とは大きく異なるのだ。
それぞれの役職には、やはり特化した能力を求められるものだが、交渉官には戦闘力など求められていない。護身術の心得くらいはあるだろうが、彼らに求められるのは“交渉力”なのだ。
常に冷静に、時に大胆に。争いを避け、穏便に事を済ませる。
故に、交渉官の肩書を得られる者は少ない。
「どうすっかなぁ……お前は?」
確実に交渉官には向かない性質のヴェルメリオが、濡れたコートを手に、椅子から立ち上がる。水滴が落ちるほどではないが、ヴェルメリオの赤い髪は湿っていた。
「宿にいます。仮眠を取った方が良いかもしれませんし、何より──」
シャワーを浴びたい。
ホロウだろうとホルダーだろうと、濡れたままの状態でいたら、風邪を引いてしまう。コートのおかげで制服はそこまで濡れていないが、それでも体は冷えているはずだ。
今は熱いシャワーを浴びて、それから次の行動を考えたい。
「オレもそうするかねぇ」
「念のため、いくらかお渡ししておきます。ここは物価が高いので」
そう言ってネロは、懐から財布を取り出す。
そこから何枚か紙幣を抜き取り、ふたりに手渡した。
「ん。オレの部屋は?」
「隣の隣です。アウローラ調停官は隣ですよ。時間が来たら声をかけますので……そうですね。陽が落ちる頃には部屋へいてくださると助かります」
「わかりました」
ふたりは立ち上がり、自分達の荷物を持って部屋を出る。
ひとりになったネロは、慣れた手つきで旅行鞄の中の札束を数え始めた。
◇◇◇
部屋に入るなり、シャーロットは髪を解いた。腰を隠す長さの白金が、さらりと背中に広がる。
それから、部屋の中に設けられたバスルームへと足を向け、少し嬉しく思った。
さすがはボナと言うべきなのか、街の中心地から離れた宿だというのに、バスルームにはバスタブが用意されていた。
バスタブがあるのだから、使わないのはもったいない。銀色の蛇口をひねれば、熱いお湯が勢いよく流れ出した。
すぐにバスルームは、湯気でいっぱいになる。
「……ふぅ」
コートを壁にかけ、ワンピースを脱いで、ブーツも脱ぐ。
それから忘れちゃいけない。太もものナイフを外す。
このナイフが、シャーロットの『神器』──『宣告する運命の刃』である。柄は黄金、鞘は白銀、その切れ味は永遠に落ちることはなく、使い手の意思に呼応して姿形を如何様にでも変えるという。
多くの調停官が、調停官になって『神器』を持つのに対し、シャーロットは調停官になる前から『フォルトゥナ』の主人に選ばれていた。
だがいかにホロウと言えど、調停官でない者が『神器』を手にすることは認められていない。
ヴェルメリオは言っていた。
調停官になる理由は、望むか望まれるか。
ヴェルメリオが周囲の人間に望まれたように、シャーロットは『フォルトゥナ』によって望まれた。
シャーロットは体から離した『フォルトゥナ』を手の届く範囲に置き、バスルームへ戻る。
どんな状況でも、自分の身を守る物はそばに置け──正義元帥の教えを、シャーロットは今でも忠実に守り続けていた。
「あったかい……」
お湯をたっぷりはったバスタブに全身を沈めると、つい気の抜けた声が口から漏れてしまったが、仕方ない。
ずっと緊張の連続だったのだ。
今この瞬間くらい、肩から力を抜きたい。
目を閉じ耳をすませば、子どもの笑い声、犬の吠える音、風が窓を叩く音──それらアストライアでは感じることのない雑音が聞こえてくる。
これが平穏、なのだろうか?
目を開き、几帳面にたたまれたタオルの上に置かれたナイフを見る。
手を伸ばせばすぐそこに、神が地上に残した“奇跡”がある。
それは美しいが、同時に彼女が振るう残酷な武器。
悲しいかな。
これを抜くことを躊躇した初心な娘は、もういない。
さあ、心静かに夜を待とう。
嵐はもう、すぐそこだ。
ネロ・ヴォワ・アイスベルク
性別:男性 年齢:28
髪色:青 瞳の色:琥珀
所属:聖遺物調停管理機関調査局交渉部第一課
秘匿名:群青
礼儀正しい交渉官。
メガネが知的な印象を与えるが、片付けが苦手。
特技は紙幣を数えること。