1ー4 奇跡の強奪者
2017.07.28 加筆・修正
2020.04.11 加筆・修正
「やっぱ降って来たか」
メルクリウス行きボナ経由の列車に乗車してから三十分後。曇天の空から降り落ちて来たのは、大粒の雨だった。雨足はどんどん強くなっている。
「……濡れたくねえのに」
「仕方ありませんね」
シャーロットは淡々と言葉を返し、書類に目を通す。
ヴェルメリオに一方的に押し付けられてしまったので、シャーロットが任務の詳細を把握しておくしかない。
『涙する黄金の薔薇』が最後に目撃されたのが、ボナという町。
調査官の報告によると、腕環を所持しているのは十代の少女だが、少女がひとりで行動しているわけではない。十人くらいで行動しているらしく、リーダーは三十代男性。添えられている写真には、リーダーの男性と腕環を所持する少女が映っている。
「確認してください」
写真をヴェルメリオに渡す。
これから戦うかもしれない相手の顔だ。しっかりと覚えておかねば。
「素直に渡すわけねえよな」
「ディーラーが何度か交渉したそうですが、相手にされなかったそうです」
『機関』としても、無意味な争いは望んでいない。
調停官とは、シャーロットやヴェルメリオのように『聖遺物』を回収する任務が与えられる者のこと。
アストライアを出て『聖遺物』の調査をする調査官は、『シーカー』と呼ばれる。
そして最も特殊と言われているのが、『ディーラー』。
彼らは外交を担当しており、調停官やシーカーに求められる戦闘力は必要ない。必要なのは、交渉力。
基本的に『機関』は、なるべく穏便に『聖遺物』を回収したいと考えている。
そのため、シーカーが『聖遺物』を探し、本物であると確証を得た後、まずはディーラーが動き、相手が望むのであれば、多額の金、あるいは相手が欲する物を渡す。──出来うる限りの範囲で。
とは言え、いつでもすんなり、というわけではない。
「そりゃそうだろ。いくらでも金を生むんだぜ? 交渉に応じるのは、よほどのバカだろうよ」
写真をシャーロットに突き返し、ヴェルメリオは視線を車内に向けた。
先程からずっと、見られている。ケラウノス行きの列車で向けられた視線よりも、更に強く深い憎悪の視線。
シャーロットも気づいているが、シャーロットはなるべく波風を立てたくない、と思っている。
が、ヴェルメリオは違う。相手が向けてくる怒りや憎悪を、真っ直ぐに受け止めようとする。
何故わざわざ、そんな生きにくい方を選ぶのか、シャーロットには分からない。
「──お前ら、『無価値』だな」
ヴェルメリオが視線の主を見つけるよりも先に、視線の主が自らふたりに近づいて来た。男性だった。くすんだ金色の髪と、怒りに燃えるのは青色の瞳。服装からして、労働者階級。
「だったら何だよ?」
なんか文句でもあんのか──シャーロットが何か言う前に、ヴェルメリオが口を開いた。
その瞬間、男がヴェルメリオの胸ぐらを力任せに掴んだ。
「初対面で胸ぐら掴むとか……礼儀ってもんを知ってるか? おっさん」
相手を煽るような物言いは、ヴェルメリオの標準装備なのかもしれない。
シャーロットは呆れ半分で、ヴェルメリオとその胸ぐらを掴む男性を見上げる。
「礼儀だと? お前らホロウに、礼儀を語られたくねえんだよ!」
初対面で胸ぐらを掴んだだけでは物足りなかったのか、男はヴェルメリオを殴りにかかる。
しかし、その拳がヴェルメリオに直撃することはなかった。ヴェルメリオはいとも容易く、男の拳を受け止めてみせたのだ。
「この野郎……!!」
男が悔しそうに唇を噛み、拳を受け止めたヴェルメリオの瞳には穏やかではない色が見え隠れしている。
「ヴェルメリオ調停官」
争い事は避けて通るべき──そんなシャーロットが腰を浮かせ、ふたりの仲裁に入ろうとする。
こんな場所で乱闘なんて、歓迎できるものじゃない。
「我々の目的はなんです? 彼らと争うことではありません。もうすぐボナに着きますし──」
「お前らのせいで、俺の妹は死んだ!!」
シャーロットの言葉を遮り、男が叫ぶ。悲しみと苦しみ、痛みと怒り、あらゆる感情が染み込んだ男の声と瞳に、ヴェルメリオは一瞬、反応が遅れた。
いとも容易く受け止めたはずの拳を、今度は受け止め損ねたのだ。
「──ッ」
殴られた衝撃と列車の揺れも相まって、ヴェルメリオは床に尻餅をついた。
それを情けないと思ったが、シャーロットはひとまず、ヴェルメリオと男の間に立つ。
ヴェルメリオを殴った男の怒りは、今も消えてはいない。シャーロットを押しのけ、立ち上がろうとするヴェルメリオに襲い掛かりそうな気配すらあった。
「どけ、アウローラ」
「あなたがソロの時に、誰とどこで何をしようとも、私には関係ありません。ですが今はデュオです。ここは私に従ってもらいます」
「…………」
不満そうな気配を感じるが、知らんぷりしておく。
「事情はわかりませんが、私達はあなたの妹さんの死に関わっていません。人違いでは?」
聖遺物の回収で止むを得ずホルダーと戦闘になることはあるが、基本的に、殺しはしない。
シャーロットが冷静に問えば、目の前の男の瞳にさらなる怒りの炎が生まれる。
「お前らホロウが俺の妹を殺したんだ!!」
「……っ」
怒りで我を忘れる──そういう感じだ。男はシャーロットの髪を乱暴に掴み、激情のままに声を荒げる。
「三十年前、お前達ホロウはパナケイアを滅ぼした! あそこに俺の妹がいたんだ!!」
パナケイア──その都市の名が車内に響き渡る瞬間、その場にいる誰もが男の怒りに同調した。
シャーロットは男の怒りの理由を、今この時ようやく知り、なんとも言えない気持ちになる。
この男の怒りは、至極もっともと言えた。
「三十年前……パラケイア……聖杯戦争か」
ヴェルメリオも理解したらしく、立ち上がりながら苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「お前達は救えたはずの命を見殺しにした! 妹を返せっ!」
「痛っ」
髪を力任せに引っ張られ、シャーロットの顔に苦痛の色が浮かぶ。
その瞬間、ヴェルメリオの表情が一変する。
「おい──手を離せ」
腰のホルダーから銃を取り出し、男の眉間に冷たい銃口を押し付ける。動きがあまりにも素早すぎて、シャーロットが止めるのも間に合わなかった。
「俺も殺すのか? 妹みたいに」
「あんたの妹のことは申し訳ないと思うが、それとこれは別だ。さっさと離せ」
男の怒りは至極もっともで、亡くなった妹の冥福は祈る。
だからと言って、与えられる暴力を黙って享受するつもりはない。
「お前らホロウは人殺しだ!! 俺のことも殺してみろよ!!」
「──黙れ」
「……ヴェルメリオ調停官っ」
髪を掴まれた状態のままではあるが、シャーロットはなんとかヴェルメリオを落ち着かせようとする。
調停官が『聖遺物』もエニグマも関係していないのに、人を──ましてや自分達よりも遥かに戦闘力の低い民間人を傷つけることなどあってはならない。
たとえ相手が異能を有していたとしても。
だがヴェルメリオは、銃をしまう気配すらみせない。
──本気で撃つはずなど……。
そう思いたいが、ヴェルメリオのまとう空気があまりにも張り詰めていて、これではまるで、一触即発。声を発した瞬間、爆発してしまいそうな爆弾のようだ。
この場をどうやって切り抜けるべきか、シャーロットは必死に考える。ひとりの時なら、こんな騒動、絶対に起こさないのに。
「──そこまでだ」
シャーロットが何か行動を起こさねばと考えながらも答えが出ずにいると、車内に若々しい声が響いた。
車両にいた全員の目が、声の聞こえる方に向く。
そこには声の若々しさを裏切ることのない、青年が立っていた。太陽神のような黄金の髪に、鮮やかな青色の瞳。身につけているのは白地に青の刺繍が目を引く──あれは騎士の服だ。
「……最悪だわ」
思わず、シャーロットの本音が漏れる。
報告書にあった騎士、かもしれない。
「大切な妹さんを亡くしたあなたの気持ちは、痛いほどにわかります。ですが女性に乱暴してはいけません」
青年騎士はシャーロットの髪を掴む男を、真摯に諭す。
その瞳はどこまでも真っ直ぐだ。曇りを知らぬ青空。若々しい外見に反し、青年はとても落ち着いていた。
「き、騎士様……けど……」
「悲しみを乗り越えましょう。忘れるのではなく、乗り越えるんです」
青年騎士の背後には、少女がいた。年齢はシャーロットと変わらなそうなのだが、濃いピンク色の髪のせいだろうか。少し幼く見える。
「よければお話を聞かせてください。私も共に祈ります」
意外な人物の登場に、車両の雰囲気が一変した。
男はシャーロットの髪をようやく離し、シャーロットは安堵して息を吐く。
しっかり編み込み結い上げた髪は乱れてしまったが、どうでもいい。
ずっと掴まれていたから、髪が解放されてもまだ痛む。
「大丈夫ですか?」
心配そうな顔で、青年騎士がシャーロットに声をかける。
怒りに打ち震えていた男は、少女と共に隣の車両へと移動していく。
その姿を青年の肩越しに見送りながら、シャーロットは姿勢を正す。
「ご助力に感謝します」
それだけ伝えて、青年騎士を視界から追い出す。
騎士に嫌悪感を抱いているわけではないが、立場上、関わりたくはない。
青年騎士がシャーロットの気持ちに気づいたのかはわからないが、彼は穏やかな笑みと騎士の礼を残し、仲間の後を追うように隣の車両へと戻っていく。
「……助けようとしてくださったことは、素直にお礼を言いますが──」
「わかってる。わかってるから……、何も言うな」
己の行動のどこを反省すべきなのか──ヴェルメリオはよくわかっている。銃をホルスターに戻し、座席へと腰を下ろす。
シャーロットも腰を下ろし、乱れた髪の具合を確かめるため、触れてみる。
今朝結った髪は、思っていたよりも乱れているようだ。車窓に映る自分の姿は、だらしない、の一言に尽きる。
これは結い直す必要がある。
「……聖杯戦争……知ってるか?」
窓の外に視線を向けているヴェルメリオは、わずかばかり眉間にしわを刻んでいる。
先程の男の行為は褒められたものではないが、その根本にある怒りの原因を知ってしまった以上、一方的に責める気にはなれない。
そんな顔だ。
「三十年前、救済都市と呼ばれるようになったパラケイアで起きた争いのこと、ですね。当然ながら、私は生まれてもいないわけですが……過去の資料に目を通したことがあります。それに」
「『学舎』でも教えられるからな。知らない奴の方が珍しい」
後に『機関』によって聖杯戦争と呼ばれることとなった、『救済都市パラケイア』での『聖遺物』回収。
ホロウが奇跡の強奪者と呼ばれることになった原因が、この聖杯戦争にある。
『機関』は詳細が外部に漏れないよう徹底しているため、ホルダー側には正しい情報が行き届いていない。
それは仕方のないことで、こちら側が説明することはないだろう。何より説明したとしても、受け入れられるはずがない。
「……やるせない、って言うのはこういうことを言うんだろうな」
「我々調停官が掲げているのは、秤のない天秤。善悪の所在を問う必要はありません。──調停官であり続けるのであれば」
シャーロットの答えに、ヴェルメリオが納得したのかはわからない。
けれど列車がボナに着くまで、ふたりはこれ以上の言葉を交わすことはなかった。考えても悩んでも、やるせなくても、過去は変わらない。悲劇にしろ喜劇にしろ、起きてしまったのならば、それまで。
そう結論づけるのは人情味に欠けるのだろうが、そう結論づければ自分の心は守れる。
自分達が生きている世界は、どこまでいっても残酷だ。目を逸らしたくなる現実に、耳を塞ぎたくなる真実に、心はいつだって傷つけられる。
それでも前へ進まねばならない。奇跡の強奪者と呼ばれても、前へ、前へ。
「我々は裁く立場にあらず。ただ粛々と、果たすのみ。──遠き日の約束を」
言葉を紡ぎ、髪を結っていた紐を解く。
解放されたシャーロットの髪は、夜空で輝く月の女神のような輝きを宿していた。
『調査官』
調査局に所属し、『聖遺物』に関する調査を行う。
『交渉官』
シーカー同様、調査局に所属し、『聖遺物』を手に入れたホルダーとの交渉を一手に引き受ける。