1ー3 無価値(ホロウ)
2020.03.03 加筆修正
アストライアを出たケラウノス行きの列車は、徐々に乗客の数を増やし、三時間後には満席。
それでも乗客は増える一方で、通路は立ち乗り客で溢れている。
鋼鉄都市ケラウノスには工場が多いため、この時間は近くの町や村から働きに向かう労働者が大半を占めていた。
そんな中、シャーロットとヴェルメリオが座る座席は、まだ座る余裕があるというのに、誰も座ろうとしない。
むしろふたりを避けるかのように、立ち乗り客も近づこうとしない。
「……チッ──『無価値』と乗り合わせるなんて、ついてねぇ」
ふと、男の吐き捨てるような声が聞こえた。
シャーロットは視線を上げることもせず本を読み続けたが、起きていたらしいヴェルメリオはフードの隙間から、その赤い目を覗かせた。
──誰が言った? 獲物を探し出す猟犬のような目で、視線を車内に這わせる。
誰もが視線を逸らす。目を合わせれば食い付かれるのでは、と怯えているように見えた。
「大人気ないですよ」
ヴェルメリオを諌めたのは、シャーロットだった。視線は本に落としたまま。
『無価値』──それは、異能の力を持たない者達の呼び名。
今や世界人口の九割は、異能の力を持つ者──『異能力保有者』が占めており、異能の力を持たない『無価値』は悠久都市アストライアにしか住んでいないと言われている。
あながち嘘ではないのだが、ホルダーからすればホロウは蔑みの対象と見なされることが多い。
それは奇跡の強奪者と呼ばれるが故。
「大人気ないのはどっちだよ」
ヴェルメリオが馬鹿にしたような笑みと共にそう言えば、車内の空気がピンと張り詰める。良い緊張ではない。重くのしかかるような、呼吸が苦しくなるような緊張。
シャーロットは呆れたような目をヴェルメリオに向ける。
黒い服に秤のない天秤──これを目印に、アストライアを一歩でも出れば、ホロウは好奇と軽蔑、嘲笑の対象として見られる。
そんなこと容易に想像できるのだから、なるべく波風を立てず、任務を終わらせたい。
シャーロットはそう思っているが、ヴェルメリオは違うらしい。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言えよな」
ヴェルメリオは機嫌が悪いのだ。望んでもいないのに、『ファナイオス』の主人に選ばれてしまった事実が、彼を不機嫌にさせている。
その言葉を受け、立ち乗り客のひとりが何か言おうとしたが、別の立ち乗り客がそれを制止する。
シャーロットには見えなかったが、ヴェルメリオにはその光景が見えていたらしい。
「……ハッ。根性無しが」
「言い過ぎですよ」
他の誰でもなく、シャーロットがヴェルメリオを睨む。
それ以上、乗客を煽るようなことを言えば、私が黙らせる。
視線だけでそれを伝えれば、ヴェルメリオはつまらなそうに舌打ちをして、フードを深くかぶり直す。
それから腕組みをし、動かなくなった。
シャーロットは残り数ページの本に視線を落とし、自分達に向けられる怒りと憎悪の中、読書を再開する。
ケラウノスまで残り──二時間。
◇◇◇
六時間の列車の旅は、ようやく終わりを迎えた。
ヴェルメリオは凝り固まった体をほぐすように、列車を降りるなり大きく伸びをする。お互い、最小限の身動きのみだったので、背中や腰、お尻に違和感があった。
「次は?」
「メルクリウス行きの列車に乗り換えます。降りるのはメルクリウスの手前ですが」
「じゃあ切符、買っといてくれ。オレは便所」
「私もお手洗い、行きたいんですけど」
六時間、お互いに席を立っていない。
それでも当然ながら水分はとっていたわけで、訪れるのは無視できない尿意。
ヴェルメリオは旅行鞄をシャーロットに預け、ひとり勝手にトイレへ行ってしまった。
「……なんて人なの」
思わず口から漏れた不満は、喧騒の中に飲まれて消える。
鋼鉄都市ケラウノスは、交通の拠点。多くの都市国家行きの列車が分単位、あるいは秒単位で運行している。
それと同時に、工場も多い。周囲の町や村からだけでなく、別の都市から働きに来ている者も少なくない。
そのため中央駅には、実に様々な階級の人間がいる。
いかにも金持ちといった服装の女性に付き従うのは、見栄え重視で雇われたであろう若い執事。
そのすぐ近くには、顔についた油を汚れたタオルで拭く少女が、親方らしき男性の指示に耳を傾けている。
「嫌だわ……ホロウがいるじゃない」
シャーロットの存在に気づいた華美な服装の女性が、扇子越し、汚いものを見るかのような視線を向けた。分かりやすいその視線に、シャーロットは気分を害することもなく、切符売り場へ足を向ける。
調停官になったばかりの頃──二年前、十六歳の頃は、この視線に戸惑うこともあった。
だが今は、慣れてしまった──と言うよりは、気にならなくなった、という感じ。
「邪魔。どけよ」
切符売り場に並ぼうとしたシャーロットは、自分と同じくらいの背丈の少年に、わざと肩をぶつけられた。転びはしなかったが、列からははみ出してしまう。
「……並び直しだわ」
「いや、割り込めよ」
律儀に最後尾に回ろうとするシャーロットの腕を掴んだのは、トイレから戻って来たヴェルメリオだった。
一瞬、その手はきちんと洗ったのだろうか、と気になったが、濡れているようなので洗ったのだろう。
ただそのせいで、制服の袖部分がわずかばかり濡れてしまったことが、今度は気になった。
「メルクリウス行きの本数は多いので、並び直しても問題ありませんよ」
押し付けられたヴェルメリオの旅行鞄を、本人に突き返す。
「そういう意味じゃねえよ。……ったく」
明らかにシャーロットは故意に肩をぶつけられ、列から追い出された。
そのことに不満を感じているのは、追い出された本人ではなく、トイレ帰りにその光景を目にしたヴェルメリオ。
シャーロットはわずかに濡れた袖部分を気にしながら、列の最後尾に並び直す。
ヴェルメリオは不満を前面に押し出した表情をしていたが、気にしない。
「お前、いつもこんな感じなのか?」
「そうですね」
「……信じらんねえ」
「ヴェルメリオ調停官は違うんですか?」
ふたりの周囲には、不自然な空間が出来上がっている。誰も近づこうとしないからだ。
「オレは常に、近づくなオーラを出してるからな」
自信満々に言うことではないような気がする。
シャーロットは任務の際、存在感を消し空気に溶け込もうとするが、ヴェルメリオは逆に、自分はここにいると主張するのだ。
なんとも真逆の二人組。
「それでうまくいきます?」
「ある程度はな」
ふたりは無事、切符を買い終えた。メルクリウス行き、ボナ経由の切符だ。
だがこの列車が出るには、まだ少々、時間がある。
「少し早いですが、昼食にしても?」
「だな」
ふたりは中央駅のあらゆる場所に設置してあるベンチのひとつに腰掛け、紙袋から、各々の昼食を取り出す。
シャーロットは野菜とタマゴのサンドイッチ、ヴェルメリオは牛肉のサンドイッチだった。
それを黙々と食べ進める。通り過ぎて行く人々が、自分達に向ける視線を気にすることもなく。
「列車の時間まで、まだ余裕があります。何か予定はありますか?」
ひとりならば、本屋に行くかもしれない。
そこで適当な本を購入し、時間が来るまで読書に没頭する。
それがシャーロットのいつも通り。
だが今回は、二人組。相手の予定も聞いておく必要がある。
「予定? あ〜……弾を買いに行っとかねぇと」
「支給されてないんですか?」
「された。けど足りねえかもしんないだろ」
手についたソースをペロリと舐め、ヴェルメリオは空の紙袋をぐしゃぐしゃと潰す。
「ボナで調達してもいいんだが……町によっては売ってくれねえかもだし」
ある調停官は言った。
ホルダーとホロウ──外見的な違いはない。
だが多くのホルダーは、服装でホロウかどうかを判断する。
何故かと言うと、アストライアから出て他の都市に向かうのは、いつだって調停官だから。黒い制服、金糸で秤のない天秤。
ホルダーが知るホロウは、いつだって調停官の制服を着た者達。
これでは任務に支障が出てしまう。ホロウを憎むホルダーは多いのだ。
──奇跡の強奪者と呼ばれるが故。
食堂で料理を注文しても、すぐに出てこなかったり、通常の倍以上の料金を取られたりする。
それは他の店でも同様。ひどい時は商品を売ってくれなかったり、宿に泊めてくれなかったりもする。
ある調停官は言った。彼は若く、新人だった。
調停官の制服を、ある程度は隠すべきなのでは、と。
黒い制服に、金糸で秤のない天秤──これを見て、ホルダーはホロウだと決めつける。事実そうだから、否定はしない。
この制服──コートだけでも、秤のない天秤を刺繍すべきではない。
そうすれば、無用な争いを避けられる。
それが、ある調停官の主張。
しかしながら、この主張が聞き届けられることはなかった。
ホルダーはこの黒い制服に秤のない天秤を見ただけで、ホロウだと思う。
この制服は、ホルダーに思い込ませるためなのだ。
他のホロウが、アストライアの外で疑われることなく、動きやすく、あるいは生きやすくするためにも。
「一緒に行くか?」
席を立ったヴェルメリオが、残りのサンドイッチを急いで口に放り込み飲み込むシャーロットを見下ろす。
「……行きます」
支給された弾薬をほぼ使い切ることのないシャーロットは、店のある場所は把握しているが、弾薬を購入したことがない。行くのはいつも、本屋とかパン屋とか、そんな感じの場所ばかり。
空になった紙袋を鉄製のゴミ箱に捨て、ふたりは一旦、中央駅を出て行く。
「雨が降るかもな」
中央駅の天井はとても高く、鉄枠の中にガラスが埋め込まれていて、空がよく見える。
そのガラスの向こうに見える空には、徐々に雨雲らしきものが増え始めていた。
中央駅を出れば、雨が降るかも、じゃなく、雨が降る、と思えた。雨の匂いがしたのだ。
ヴェルメリオを先頭に、シャーロットはケラウノスのメインストリートを歩く。
やはり周囲の視線を集めてしまうが、ふたりとも気にする様子はない。
メインストリートを歩いて数分、ヴェルメリオが薄暗い角を曲がった。
「こっちに弾薬を売る店なんてありましたか?」
シャーロットが把握している店は、もっとメインストリートに近い場所にある。
だがヴェルメリオはどんどん、メインストリートから離れて行く。
「表通りの店は高いだろ。経費削減に貢献してんだよ」
「……そうですか」
道は狭くなる。
それに、綺麗とも言えなくなる。空の酒瓶が転がっていたり、腐った何かが異臭を放っていたり、地面にそのまま座り込む男性もいた。
あと、工場の音が近くに聞こえる。視線を上に向ければ、長く太い煙突から煙が出ているのが見えた。何本も見える。
「着いたぞ」
そこには確かに、店があった。お世辞にもお洒落と言えるような外観はしておらず、鉄の看板が風でゆらゆらと揺れ、キィキィと鳴っている。
「買ってくる」
シャーロットは店の外で待つことにした。分厚い本が入った旅行鞄は、まあまあ重い。古本屋に売ってしまおうか──そんな考えが頭をよぎったが、別に持てない重さじゃない。
どうしても邪魔になったら、捨てるなり売るなりすればいい。外へ持ち出す本は、いつ汚れても、どこで無くしても構わない本だから。
そう答えを出すのと同時に、買い物を終えたヴェルメリオが店から出て来た。
「行くか。ちょうどいい時間だろ?」
「ですね」
ヴェルメリオを先頭に、中央駅へ向かって歩き出す。少しばかり、ゆっくりとした歩調で。
異能力保有者
異能の力には個人差がある。ひとつしか保有していない者もいれば、複数保有している者もいる。生まれた時は異能を保有していなくても、成長と共に異能が使えるようになる者も少なくない。
無価値
異能の力を持たない者達。
その多くはアストライアで生活している。ホルダーからは歓迎されない。
奇跡の強奪者と呼ばれるが故。