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1ー1 悲しみの鐘の音

2020・03.03 加筆修正


 鐘の音で、シャーロットは深い眠りから覚めた。

 この鐘の音はアストライア全体に響き、調停官の死を人々に伝える役目を持つ。調停官が死ぬ時しか、鳴らない鐘。

 これは悲しみの音だ。


 シャーロットは瞼を持ち上げるのと一緒に、体も起こす。白金プラチナブロンドの髪が、さらりと肩から滑り落ちる。紫電の瞳は窓の外に向けられたが、カーテンが邪魔をして外は見えなかった。

 シャーロットはベッドから降り、カーテンを開ける。空は青、流れて行くのは白い雲、輝くのは太陽。外には変わることのない『永遠の春』が広がっていた。


「……葬儀はきっと、午後からだわ」


 窓から離れたシャーロットは、部屋に備え付けられた洗面所で顔を洗い、そして恥じらいもなく寝間着を脱ぎ、部屋の隅に置かれたクローゼットから清潔な白いシャツを取り出した。袖を通し、ボタンを留める。

 次にクローゼットから取り出したのは、黒のワンピース。背中でボタンを留めるタイプのワンピースだったが、シャーロットはそれをひとり、慣れた手つきで着た。

 服装だけで言えば、調停官の制服と似通っている。違うのはワンピースの長さと、金糸の刺繍が無いことぐらいだろう。

 そして黒のタイツ、ヒール付きの黒い靴を履き、鏡の前へ移動する。


 ついさっきまで眠っていたというのに、白金の髪には寝癖ひとつない。艶めいていて、櫛を通したばかりのよう。

 その髪を編み、結い上げ、乱れのないシニヨンを作り上げる。

 もう何年も、この髪型だけ。慣れてしまった作業は、朝の身支度を驚く程の速さで終わらせてくれた。


 起床して数分で、シャーロットは自室を出る。廊下は静かだったが、それは当然と言えた。女性調停官は極端に少ないのだ。

 そして調停官に与えられる自室は、男性用女性用と分けられる。静かなのは、至極当然。


 シャーロットは静かな廊下を歩き、その足を食堂へと向けた。



 ◇◇◇



 食堂へ行けば、シャーロットよりも先に起床していた機関の職員達が朝食を食べていた。中には夜勤を終え、これから休む者もいるだろう。

 この食堂にいる者の大半は、機関の職員。調停官は非常に数が少ないのだ。


 そんな食堂で、シャーロットは昨日も会った人物を見つけた。

 ヴェルメリオ・エスパーダ・エルミス。黒髪に赤目、左耳には金色のピアス、相変わらずの猫背。

 とは言え、声をかけたりはしない。いつもなら。

 ただ今日は、いつもと違っていた。

 と言うのも、食堂にいる調停官や職員が順番にヴェルメリオの元へ赴き、祝いの言葉をかけているのだ。

 何かあったのだろうか?

 シャーロットは他の調停官と同じように、その足をヴェルメリオの元へ向けた。


「エルミス調停官、おめでとうございます」


「……ああ」


 既に何度も言われたらしいヴェルメリオは、ぶっきらぼうな態度だった。


「何か喜ばしいことが?」


 今し方、同胞の死を告げる鐘が鳴ったばかりだというのに。

 ヴェルメリオに祝いの言葉をかけた男性調停官に、シャーロットが問いかける。


「アウローラ調停官。帰還されたのですね。ご無事で何より。──喜ばしいことならありましたよ。エルミス調停官が、次なる『黄金を弓引く者ファナイオス』の主人に選ばれたのです」


「それは……確かに喜ばしいことだわ」


「羨ましいですよ。自分はまだ、『神器』に選ばれていないので」


 柔らかな笑みを浮かべて、男性調停官はその場から立ち去る。


「おめでとうございます」


 改めて祝いの言葉を告げれば、ヴェルメリオは食事の手を止め、シャーロットを睨んだ。


「……何がめでたいんだよ」


「多くの者は喜びます。一人前と認められた証──ですから」


「ならお前にやるよ。オレは『神器』なんて欲しくない」


「私は既に、『宣告する運命の刃フォルトゥナ』の主人です。それに、総帥閣下や元帥閣下が──何より、『ファナイオス』があなたを選んだんですよ、ヴェルメリオ調停官」


 これは名誉なこと。誇って良いこと。

 それなのに、ヴェルメリオの表情は一向に明るくならない。影を落とすばかり。

 シャーロットは何かを言うべきだと思った。

 だが何を言えばいいのかは分からない。互いの名を知りはしても、親しく談笑するような仲ではないのだ。


「食べないのか? 朝飯」


 立ち去るべきか、それとも彼の内側にある想いに耳を傾けるべきか。

 珍しく迷うシャーロットに、食事を再開したヴェルメリオが声をかけた。

 もちろん、朝食を食べるため、食堂へ来たのだ。

 ヴェルメリオの席から離れ、シャーロットは食堂と厨房を分ける長いカウンターに足を向け、注文を手早く済ませる。

 基本的に、朝は軽く済ませることが多い。注文した料理が乗ったトレイを受け取り、シャーロットはどの席に座ろうか、と歩きながら考える。相席は好きじゃない。窓際、一番端の席が理想。

 そう思っていたのだが、ヴェルメリオと目が合った。

 いつもなら気にもしないことだが、今日は少しばかり、ヴェルメリオのことが気にかかる。


 シャーロットは窓際の一番端の席ではなく、ヴェルメリオの向かいの席に座った。


「……なんだよ? 珍しいこともあるもんだな」


「扱う『神器』は違いますが、『神器』の扱いでは私の方が先輩です。……不得手ではありますが、その、聞きましょうか?」


 調停官歴で言えば、ヴェルメリオの方が長い。

 だが『神器』──まだ神々が地上で人間と共に暮らしていた頃、神のその手によって作り出された『聖遺物』の中、武器に分類されるそれを与えられた年数で言えば、シャーロットの方が長い。

 ヴェルメリオは調停官になって五年経つが、未だ『神器』を持っていないのだ。

 とは言えそれは、珍しいことではない。調停官の数は少なく、その中で『神器』持ちはもっと少ないのだから。


 そんなシャーロットの慣れない気遣いに、ヴェルメリオは笑みを返すことはせず、ただため息を思わせるような長い息を吐き出した。


「……お前に言っても分かんねぇよ」


 白い皿の上、半分程食べ進められているのは、牛肉のステーキ。

 こんな朝早くから、よくそんなものを食べられるものだ。

 シャーロットのトレイには、大盛りのサラダしか乗っていない。


「悪い意味に取るなよ? オレは調停官になりたかったわけじゃねえから、『神器』に選ばれても、嬉しくねえんだよ」


 ヴェルメリオは気怠げに語る。

 『神器』選定の話は、度々持ち込まれていた。主に母親──平和エイレネ元帥によって。

 だがヴェルメリオは全てを拒絶し続けた。──選ばれたくない。

 声に出すことは無かったが、行動で示していた。己の本心を。


「では何故、調停官に?」


 大盛りのサラダに、ドレッシングをかける。なるべく野菜本来の味を邪魔しない程度の量を。


「……なる理由は、ふたつだろ。望むか、望まれるかだけだ。オレは後者だった」


 怠惰な生活を送っていた。昼夜が逆転するような生活。

 幸か不幸か、エルミス家は裕福だった。ヴェルメリオが働かずとも良い程に。

 だが周囲は、ヴェルメリオに求めた。調停官になることを。父親のように、英雄と呼ばれた男のようになれ、と。


「……死ぬ確率が上がったな」


 ヴェルメリオは吐き捨てるように言い、席を立つ。皿の上にはまだ、ステーキが残っている。


「午後からアーベント調停官の葬儀だ。──授与式が先延ばしになることが、せめてもの救いだな」


 トレイを持ち、ヴェルメリオは立ち去る。

 その背を見送りながら、シャーロットは心の中だけでヴェルメリオに同意する。


 死ぬ確率が上がる──まさしくそうだ。

 『神器』持ちは、他の調停官よりも危険な任務に送られる。人間では扱えぬ神の力を、その手で振るうことを許された存在だから。


 シャーロットは生き残って来た。

 だがダヴィドは死んだ。


 そのダヴィドが残した『神器』に、今度はヴェルメリオが選ばれた。

 これは名誉なこと。誇って良いこと。

 だと言うのに、シャーロットは同意してしまう。


 これは宣告だ。

 いつか死ぬ日が来るのだと言う、宣告。

 お前は──お前達は──戦いの中で死ぬ。

 それは名誉なこと。誇って良いこと。


 だから我々は享受せねばならない。

 たとえ拒みたくとも。選ばれたくなくとも。


 これは名誉なのだと。誇って良いことなのだと。


 そうして己を騙すのだ。死が訪れる、その瞬間まで。




 ◇◇◇




「我々は今日この日、同胞を見送らねばならない」


 『最後の女神アストライア』の像が見守る大聖堂で、ダヴィド・オルドル・アーベントの葬儀は恭しく、そして盛大に執り行われた。悲しみの音──鐘の音が響く。遺族の嘆きの声をかき消す鐘の音。

 シャーロットは私服から調停官の制服に着替え、参列者の最前列に並んでいた。

 総帥シリウスの声が、朗々と大聖堂に響いている。

 多くの者が、悲しみの中にいるのだろう。

 だがシャーロットの胸の内に湧き上がるのは、悲しみでもなければ嘆きでもない。


 いつか自分も、こうして同胞たちに見送られる日が来るのだろうか──?

 その思いが、じわじわと湧き上がる。


 朝食の席、ヴェルメリオとそんな会話をしたからだろう。死者のことではなく、己のことばかり考えている。


「我々にできることは少ない。だが祈ろう。同胞の魂の安らぎを」


 シャーロットは瞼を閉じる。己のことばかり考えていたが、この瞬間だけは、ダヴィドのことを思うべきだ。

 ダヴィド・オルドル・アーベント──親しくはなかった、同胞。

 シャーロットが連れ帰った、片腕と片目しか残らなかった同胞。

 その同胞の死を悼み、そして死後の世で安らぎが得られることを願い、長い長い黙祷を捧げる。


 そして心の奥底で思うのだ。自分は死ぬ時、体のどの部分が残るのだろうか。……孤独の中、ひとりで死ぬのだろうか。


 悲しみの音が止んだ。

 それを合図に、瞼を持ち上げる。

 世界は太陽の光を受け、輝いていた。

 その光を真っ直ぐに受け止め、シャーロットは同胞に別れを告げる。



 ──さようなら。




ヴェルメリオ・エスパーダ・エルミス

性別:男性 年齢:25

髪色:黒 瞳の色:赤

神器:黄金を弓引く者ファナイオス

秘匿名:黒炎


聖遺物調停管理機関に所属する調停官。

目つきが悪く、背は高いが猫背。

六元帥のひとり『平和エイレネ元帥』の息子。



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