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0ー2 聖遺物調停管理機関

2020.03.03 加筆修正


 『聖遺物調停管理機関』──その本部へと続く道には、透明なガラスが敷き詰められていた。初めて歩く者の多くは、恐らく躊躇するだろう。割れるのではないか、と。

 そんなガラスの道を、シャーロットとヴェルメリオは何の迷いも恐れもなく、周囲に広がる萌ゆる緑の芝生にも離れた場所に建つ白いガゼボを見ることもなく、ただただ無言で歩き続けている。

 ふたりは知り合いだが、お互いに友人だと思ってはいない。同じ車両に居合わせても、声をかけることさえしないのだ。共通の話題を探すようなこともしない。

 やがてふたりの視界に、建物が見えた。ふたりの身長を足せば超えるかどうかの重厚な扉の両脇には、娘がふたり、立っていた。


「調停官シャーロット・ユースティティア・アウローラ様」


「調停官ヴェルメリオ・エスパーダ・エルミス様」


 ふたりの娘はそっくりだった。

 ひとりは剣を持ち、ひとりは杖を持っている。

 ふたりは扉の前に立つシャーロットとヴェルメリオの名を、朗々と読み上げた。

 そして、


「ご帰還でございます」

「ご帰還でございます」


 同じ言葉を、同時に口にした。

 それを合図に、扉が開く。扉は完全に開くことはなく、ふたりが楽に通れる幅まで開くと、その動きをピタリと止めた。

 シャーロットとヴェルメリオは当然といった様子で扉を抜け、建物の中に入る。屋内は、外と同様に明るかった。天井がガラス張りなのだ。天井が無いのでは、と思ってしまう程の透明度を誇るガラスは、太陽の光を遮るような愚かな真似はしない。


「アウローラ調停官、エルミス調停官──無事のご帰還、心より嬉しく思います」


 屋内に入れば、老紳士がふたりを出迎えた。左目に片眼鏡モノクルを装着した老紳士は、ヴェルメリオと良く似た服装をしている。

 ただヴェルメリオのように、着崩してはいない。

 そんな老紳士が、悲しみを宿す表情でシャーロットが持つ旅行鞄トランクを見た。


「──“回収”、できたのですね」


「……はい。──総帥閣下に、ご報告申し上げます」


「それが良いでしょう。エルミス調停官は、アウローラ調停官の次に、総帥閣下へのご報告をお願いします」


 老紳士が手を上げれば、足音も立てずに眼鏡をかけた女性と、背の高い女性がやって来た。

 自分に一番近い、眼鏡をかけた女性に、シャーロットはずっと小脇に抱えていたままの分厚い本と、脱いだコートを渡す。旅行鞄トランクは渡さず、自分で持った。


「あ〜……既に聞き及んでいると思うのですが、女神は私に微笑んでくれなかったんですよ、ヴァルゴ補佐官」


 背の高い女性にコートと荷物を預けたヴェルメリオは、老紳士──総帥補佐官ヴァルゴに、苦笑を浮かべつつ言葉を向ける。


「ですので、総帥閣下へのご報告は免除というわけには……」


「なりません、エルミス調停官」


 優しい声音ではあったが、そこには有無を言わせぬ強さが宿っていた。

 ヴェルメリオはどうにか交渉を続けようとしたが、ヴァルゴは微笑みを浮かべるだけで、何も言わず歩き出す。

 荷物を預かったふたりの女性は、深々と頭を垂れ、長い廊下の先に進むシャーロット達を見送った。


 ヴァルゴを先頭に、三人は無言のまま歩き続ける。

 ヴェルメリオは交渉を諦めたらしく、ズボンのポケットに手を突っ込み、まるで下町の不良のように歩いていた。

 よく磨かれた廊下に、三人分の足音が響く。

 三人が歩く廊下には、何もなかった。調度品もなければ、絵画もない。

 ただ真っ直ぐに、総帥が待つ部屋へ伸びている。


 そして、ヴァルゴの足が止まった。


「アウローラ調停官は中へどうぞ。エルミス調停官は、私と共にこちらで待ちましょう」


 何もなかった廊下の終着点には、木製の扉。

 その両脇には、赤い布地が目を引く椅子が四脚、置いてある。


「……なるべく早く頼むぞ」


 椅子に座るヴェルメリオが、シャーロットに恨みがましい目を向ける。

 そんな目で見られる筋合いはないのだが、と胸の中だけで思い、シャーロットは木製の扉をノックした。


「シャーロット・ユースティティア・アウローラ、帰還しました。総帥閣下並びに元帥閣下に、ご報告申し上げます」


「──入りなさい」


「失礼します」


 シャーロットは金色のドアノブに触れ、そっと扉を開いた。室内に一歩踏み込めば、硬質だった足元が真っ赤な絨毯に移り変わったことに気づく。

 開けた時同様、そっと扉を閉め、シャーロットは一礼する。


「──近くへ」


 部屋の主が、視線を手元に落としたまま、声だけでシャーロットを呼ぶ。

 シャーロットは静かに、部屋の中央に置かれた円卓へ歩み寄った。

 円卓には総帥シリウスを除き、六人、座っている。性別も年齢もバラバラな六人は、無言でシャーロットを見つめている。

 肩の力を抜いて気楽に、と言えるような場ではないが、シャーロットは緊張していない。円卓に向かう六人の顔を順に一瞥し、最後に総帥シリウス・ラディウス・アストライアを見た。

 輝く白銀の髪は散らばることなく背でひとつに結われ、青紫の瞳は、自身に真っ直ぐと注がれるシャーロットの視線を悠然と受け止めている。


「無事の帰還、嬉しく思う」


 シリウスは間違いなく、『機関』の最高責任者。

 ただひとりの総帥。美しい総帥。

 しかしながら、若かった。総帥という重責を担うには、若すぎる。四十には未だ、至っていない。

 円卓に座る数名、部屋の外に控えるヴァルゴの方が、ずっと年上だろう。

 だが誰も、シリウスの年齢など気にしない。誰もが認めている。

 この者は我らの『王』なのだ、と。


 シャーロットはねぎらいの言葉に、一礼を返す。


「しかし、報告を後回しにし休めとは言ってやれん。許せ」


「理解しております」


「そうか、感謝する。では──結果を」


 瞬間、室内の空気ががらりと変わった。重苦しいものが一気に、シャーロットの肩にのし掛かったような気がした。

 シャーロットはその重苦しさを感じたまま、足元の旅行鞄トランクを手に取り、円卓に乗せる。慣れた手つきで旅行鞄トランクを開け、今一度、自分の目でしっかりと中身を確認した。

 そこに、シャーロット個人のものは何ひとつとして、入っていない。


 これ・・を今から、見せるのか。


「良いのです。見せなさい」


 シャーロットの躊躇いを言い当てたのは、赤い髪の女性だった。髪色と同じ赤い瞳には慈愛が宿り、右耳に金色のピアスが光っている。

 彼女は『平和エイレネ元帥』。名を、スカーレット。ヴェルメリオの母である。


 シャーロットは自分を見つめるスカーレットに頷きを返し、旅行鞄トランクの中身を全員に見せた。

 ひとりは眉間に皺を深く刻み、ひとりは口元に手を当て涙を流し、ひとりは燃える炎の怒りを己の内に押し込めるため唇を噛み、ひとりは目に焼き付けるように瞬きすらしない。

 スカーレットはただただ、戻った我が子を見る母のような顔をしていた。


 そしてシリウスは、感情を押し殺した顔をしていた。

 それは未熟者の顔だ。感情を押し殺している、とシャーロットに気づかせてしまったのだから。


「──ダヴィド・オルドル・アーベント調停官の“帰還”をご報告致します」


 抑揚のない、感情の一切を排除した乙女の声が響く。


 シャーロットが開いて見せた旅行鞄トランクの中には、確かにダヴィド・オルドル・アーベント、と言う名の男がいた。

 正確には、その男の片腕と、くり抜かれた一方の眼球、が。


 これは数日前──シャーロットが自らの手で切り落とし、くり抜いたもの。

 片腕には腐敗を防ぐための防腐措置エンバーミングを施しているため、腐敗臭はしない。眼球は、透明な瓶を満たす液体の中に浮かんでいる。青い瞳だった。


 これが、ダヴィド・オルドル・アーベント、である。


「──聞こう」


 声を発したのは、シリウスだった。声は冷静そのものだったが、瞳には様々な感情が揺れている。

 そんな己の未熟さにシリウスは気づいているだろうが、今はそれを心の奥深くに押し込み、旅行鞄トランクの中に収まり切ってしまった同胞を思う。


「私が現場に赴いた時、アーベント調停官は既に、取り込まれていました。そのほとんどを」


 シャーロットは数日前のことを思い出し、語る。


 あの地に赴いたのは、初めてだった。

 鉱山都市・エナリオスから北東に進んだ先にある、廃鉱。故郷の方がよりずっと寒いが、それでも故郷──アストライアを思い出させる寒さの中に、その廃鉱はあった。


 シャーロットがランタンの明かりだけを頼りに、光も通さぬ廃鉱の奥深くに辿り着いた時、既にダヴィドは戦いに敗れていた。廃鉱の奥深くは、濃い血の匂いが充満していた。

 あの濃さは、人間一人の濃さとは到底思えない。

 恐らくあの廃鉱で死んだのは、ダヴィド一人だけではないはずだ。

 そのぐらい、血の匂いが濃かった。


 シャーロットは来るのが遅すぎた──そう思ったが、わずかばかり女神がシャーロットに、いやダヴィドに微笑んでいたのだろう。


 ダヴィドはまだ完全に、取り込まれていなかった。暗闇の中で蠢く、仮面をつけた黒い化け物──自分達が『エニグマ』と呼ぶ存在は、ダヴィドの骨も臓器も残さず食い尽くしていた。

 が、まだダヴィドは残っていた・・・・・

 人の形へと姿を変えようとするエニグマのその片腕、それは間違いなく人のそれだった。

 ダヴィドの腕だとシャーロットはすぐに気づき、仮面のその奥に光る青い瞳もまたダヴィドのものであると気づいた。


 シャーロットは時間の感覚が麻痺する程の時間を、エニグマとの戦いに費やし、勝利した。

 そしてエニグマの中に残ったダヴィドの片腕と片目、それから、彼が持つ指環──『黄金を弓引く者ファナイオス』を旅行鞄トランクにしまい、今しがた、故郷へ帰還したのだ。


「──報告は以上です」


 最後までシャーロットは、感情を声に乗せるようなことはしなかった。淡々と恬淡てんたんと、物語を読むかのように、報告を終えた。


「……ご苦労だった」


 報告を聞き終えたシリウスが、心からの労いの言葉をかける。

 しかしシャーロットは、その労いの言葉を素直に受け取ることができない。


 シャーロットは自身に課せられた任務を、間違いなく完遂させた。誰も異論を唱えたりしないだろう。

 だが本人は、納得できないでいる。

 もう少しでも早ければ、ダヴィドは死ななかったのでは?

 もし助からなかったとしても、孤独の中、ひとり死ぬことはなかったのでは?


 そう思えてならない。人形のような美しいその顔に、一瞬だけ憂いと、己を責めるような感情が浮かんだ。


「アウローラ調停官。貴女は貴女に与えられた役目を全うしたのです。己を責めてはいけませんよ」


 優しい声だった。女性の柔らかな声。

 シャーロットは声の持ち主──『紡織クロト元帥』を一瞥し、無言のまま礼を返した。


「誰もお前を責めはせん。見よ。同胞を連れ帰るだけでなく、『ファナイオス』まで持ち帰った。胸を張れ」


 経験を感じさせる老人──『正義ディケ元帥』の言葉に、誰もが頷く。

 シャーロットは彼らに気を遣わせてしまったことを恥じ、すぐに己の顔から感情を削ぎ落とした。


 それを見たシリウスを始め全員が、困った娘を見るような顔になる。


「──では、ダヴィド・オルドル・アーベント調停官を預かる。こちらへ」


 『破壊アトロポス元帥』が、『ファナイオス』を抜き取った旅行鞄トランクをシャーロットから受け取る。


「『ファナイオス』はわたくしが預かりましょう。次なる主人が見つかる、その時まで」


 『ファナイオス』は『紡織クロト元帥』の手に渡った。

 ここで完全に、シャーロットの任務は終わりを迎えたことになる。


「シャーロット・ユースティティア・アウローラ調停官、ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」


「失礼致します」


 シャーロットは教本通りのお辞儀をし、総帥及び六名の元帥に背を向ける。扉へ向かい、退出する前にまた一礼。

 そうしてようやく、シャーロットは廊下へ出た。


「──長ぇ!」


 廊下へ出た瞬間、シャーロットはヴェルメリオの怒りのこもった声を投げつけられた。


「お前気づいてるか? 二時間だぞ、二時間! 報告にどんだけ時間かけてんだ!?」


 ヴェルメリオは怒っているというより、苛立っている感じだった。

 黒いベストは赤い椅子の上に投げられ、二丁の銃もホルスターに入れられたまま、同じように椅子の上に置かれている。


「お疲れ様でした、アウローラ調停官。さあ、エルミス調停官。身だしなみを整えてください」


「……何を報告しろってんだよ」


 不平不満を吐き出し続けながら、ヴェルメリオはホルスターを腰に装着し、ギリギリまで開いたシャツのボタンを留め、外していた黒いネクタイをしっかりと締め、最後にベストを着た。


「……ったく──ヴェルメリオ・エスパーダ・エルミス、帰還しました。総帥閣下並びに元帥閣下にご報告申し上げます」


「入りなさい」


 扉が開き、そこに母親の姿があることに若干の不満があるらしいヴェルメリオの眉間に、ほんの一瞬だけ皺が浮かび、そして消えた。

 シャーロットは入室するヴェルメリオを見送ることはせず、背を向け、歩き出す。三人で来た道を、今度はひとりで。





聖遺物

 神々がその手で作り上げ、そのどれもが例外なく奇跡を起こすと言われている。

 ただし正しく扱えるのは異能の力を持たない者『無価値ホロウ』のみとされている。

異能力保有者ホルダー』は使い続けると身体、あるいは精神に異常を来す。


神 器

 聖遺物の中で、武器に分類されるもの。


神 具

 聖遺物の中で、防具に分類されるもの。



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