第二十二話 敗荷(一)
叱られている。ケイさんは例によって例のごとくただひたすら甘やかすんだけれど、他の皆にはがっちり叱られた。小梅や真知子さん、理沙嬢に叱られ、嵐太郎にも叱られた。これがいちばん理不尽な気がする。なんで甘チャラ男に叱られなきゃならないんだ。解せぬ。そして今日も私は叱られている。
「おやーたしゃま、いけましぇん、おやすみください」
洗濯かごをよいしょ、と持ち上げたところで厨房の入口で仁王立ちする小梅に見つかった。
「まだほんちょうしでないとききまちた。おやしゅみください!」
以前と変わらぬ幼児姿で口調もぽやんぽやんした舌足らずのままなんだがわずかに早口だ。大きな美しい目に深遠と混沌、人でないものの気配が宿る。
* * *
お久さんが亡くなった台風の日からしばらく寝込んで私たちを心配させた小梅だったが、高熱を発して快復後、目を覚ましたときに白梅に替わっていた。
「――ごぶさたちておりましゅ。……ってなんでこんなに使いにくい頭なんでしゅか」
再生後しばらく幼い身体に慣れないのはいつものことだ、と白梅はいっていたが、私にぶちぶちと愚痴った。
「おやーたしゃま、今回の憑依体を甘やかし過ぎでしゅ」
でしゅ、と噛んで悔しさの余り白梅は涙目になっている。
「仕方ないでしょう。かわいいんだもの」
「おやーたしゃま、大吾しゃまはしょーらいのためにと、みちるをきびしくしつけてくださいました」
「いやほんと、かわいいから」
白梅はふるふるぷるぷるしながら
「でも……でも……!」
と真っ赤になって何ともいえない表情をする。嬉しさに抗って苦情申し立てを続行したい、でもかわいいといわれて嬉しい、そんな心のうちが読まずとも丸見えだ。
お久さんの死について、お互いに口にしない。
白梅は自分の選択を悔やまないと決めたのだろう。ただ時折、姿が見えなくなる。探しに行くと白梅が花のなくなった青い炎の庭にひとりで立ち尽くしていることがある。
* * *
厨房の入口で仁王立ちする白梅の後ろからケイさんが現れた。
「白梅、何をそんなに怒ってるんだ」
「おやーたしゃまが、だっておやーたしゃまが」
「そんなに心配しなくてももう詩織は大丈夫だから。主治医の俺が請け合う」
「しゅじいっていうのはあてにならないんでしゅ!」
「へ?」
ケイさんが首をかしげている。嵐太郎め。白梅や憑依体に何をしたんだ。
「ああ、そうだ。もうそろそろ涼しいからなんとかって師匠が菜園に」
「なんでしゅと! お茄子の危機でしゅ!」
ぱたぱたと白梅が裏口から外へ駆け出す。茄子はもうそろそろおしまいだけどね。
嵐太郎は無精かと思えば意外にまめで、この夏ばたばたとして誰も菜園に手が回らなかったというのに管理を買って出た。冬に向けて新しく苗の植え付けもやってくれてとても助かる。天敵の茄子も丁寧に世話してあったのには驚いた。
抱えていた洗濯かごをケイさんにひょいっと取られた。
「あっ」
「重いだろう。俺がやっておく」
「でも」
「書類をチェックしてもらっていいか」
「分かりました」
執務室でできあがった書類の確認作業をした。スプレッドシートの数値と関数をチェックし、書類とつきあわせる。項目と数値。その根拠となる書類。それぞれをリンクさせてファイリング。事務仕事は地味な作業の蓄積だ。
こうした仕事が苦手だったケイさんだが、慣れてきたらしく以前ほど辛そうな様子を見せない。作業速度も上がってきた。その分ミスが出てきたけれど、それも慣れてきたからこそといえる。書類にメモを書きこんだ付箋を貼り、データのバックアップを取って確認作業を終えた。
「あー、やっぱり間違ってるか……」
ケイさんが入口で苦笑していた。
「こういうのは違う人間がチェックしたほうがいいんです。ミスを洗い出しやすいから」
「そんなもんか」
「そんなもんです。ケイさん、あんなに苦手そうにしていたのにもう慣れてきたんですね。すごいじゃないですか」
そうかな、といいながら嬉しそうにしている。いっしょにファイルの片付けをしながら、今後の予定について話した。
「そうだな。慣れてきたこともあるけど、もうそろそろこの手合いの仕事も落ち着いてきたし、時間に余裕ができると思う。なぜ?」
「あまりこちらを空けるわけにはいきませんけど、少し息抜きができれば、と思いまして」
「そうだな。じゃあ、蓮見の続きをしようか」
外出そのものは反対されないのだが、やたら心配されている。
「とにかく心配でしゅ。おやーたしゃま、ぜったいにひとりにならないでください」
「白梅、俺がついているから心配ない」
「けーしゃん、あなた、あてにならないんでしゅよ!」
ケイさんは幼女につんけんつっこまれても平気な顔をしている。ただ見た目があどけない子どもだからといって駄々をこねていると決めつけるわけにいかない。中身は高機能演算機能を搭載しているという実験記録装置だ。
「何か気がかりがありますか、白梅」
「気がかりもなにも、おやーたしゃまがとちゅうで疲れてしまわれたら……」
単に心配しているだけだった。真知子さんと嵐太郎は
「たまにはいいんじゃない」
「行ってらっしゃい」
と快諾してくれた。
* * *
そんなわけでケイさんとふたりでくだんの神社にやってきた。まず手と口を清め、
がら、がらり。
ぱん、ぱん。
鈴を鳴らし、並んで柏手を打つ。
――お邪魔いたします。
――いろいろあったけれど、なんとかやっていきます。
願い事ともいえないようなことなどを念じながら頭を下げる。この夏、境内を乱してしまったのでせめてお詫びにうかがわなければと気にかかっていた。こうして頭を下げたからといって何が変わるわけではないがこちらの気は軽くなる。
やはり土地に根付き長年愛されてきた神域はよい。たたずまいが落ち着いていて心が静まる。
サブタイトルの敗荷は「やれはす」と読みます。やぶれた蓮の葉のことです。秋の季語です。




