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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
序章  皮剥鍋と乙女
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第九話  白梅(八)


「えー、コイツが『詩織ちゃん』なのー?」


 コイツいうな! 美少女のくせに洟垂らしやがってその上口も悪いとは残念至極だな!


「理沙ちゃん、失礼ですわよ。あなたことば遣いを改めなさいと何度いったら」

「だってだって『詩織ちゃん』って、ちーばーちゃんの孫でしょ? ちーばーちゃんって、おばあちゃんの幼馴染みで同い年じゃん。ボクと年が近いと思ってたのにコイツ、ずいぶんと年上……」

(とう)が立っていてごめんなさいね」


 ゆらりと立ち上がった私に目を向け、洟垂れ美少女と隣でおたおたわらわらしていたケイさんが同時に「ひいいい」と仰け反った。

 何だよ、悪いか。確かにケイさんのことをおっさん呼ばわりしたがまあ私だって三十代も半ば、四捨五入してしまえば情け容赦なくアラフォーにくくられちゃうわけで、そこそこ年輪を重ねていることは認める。だからってその手の輪っかを重ねると何かい、女として人間として終わるとでもいいたいのかい、きみたちは。そんなことはなかろうよ。実際ここにこうしてゴージャスに年輪を重ねた老……んんん?


「あなたが『詩織ちゃん』ですのね」


 洟垂れ美少女から洟を取り除き、ちんまり愛らしいままうまく年輪を重ねた感じの老女が窓から身を乗り出し、私の手を握った。ふわふわとウェーブのかかった銀髪が皺の寄った額や頬のまわりで躍動している。興奮の成果頬が薔薇色に紅潮し、瞳が輝いている。私の手を包みこみその手をぶんぶんと振る、その動きにつれてワンピースに過剰についているレースやらフリルやらがわっさわっさ音を立てて揺れている。エキセントリックなレース遣いを色合いやデザインでぐいっと「変てこ」の範疇(はんちゅう)から力技で押し出し上品に着こなしている。仮に少女趣味を有する女性を乙女と定義するならば、この老女はまさしくそれを体現しているといえよう。かわいい。


「孫が失礼してしまって申し訳ありませんわ。千草ちゃんからあなたのお話をよく聞いていましたの。――あなたが詩織ちゃん……、会いたかったんですのよ」


 にこにこと無邪気な微笑みを向けられて心があたたまる。握られているのと反対の手で彼女の両手を上から握ると、笑みがさらに深くなった。



 そこへかしましく言い合いながら三人の男女が現れた。

 ひとりはみちるさん。激怒している。不機嫌メガネが不機嫌を通り越し不動明王レベルの恐ろしさに達している。

 そしてもうひとり。淡い若菜色の小袖に藍色の袴を身につけ半白の髪を後頭部でひとつにまとめたきりりとしたいでたち、細い目をした初老の女性もやはり不機嫌だ。みちるさんが不機嫌メガネ不動明王バージョンならば、和装の女性は不機嫌糸目金剛力士バージョンといったところか。いずれ劣らぬ恐ろしさだ。

 最後のひとりは、人のかたちをしたふたつの恐怖に挟まれ小突かれている細身の青年だった。ジャンパーにチェックのネルシャツ、ジーパンとカジュアルなわりに小ぎれいなんだが何といえばいいのだろう。特徴がない。次に街で会って「ああ、この間お目にかかりましたね」と声をかけられれば十中八九「どちらさまでしょう」としか返せない、そんな具合の影の薄さだ。その影薄青年が恐怖の大王ふたりに責められている。


「身柄の確保ができなかっただけでなく、人相も確認していないわけ?」

「いや、そうなんスけど!」

「この腐れたわけが!」

「洗濯物に気をとられて不審者を取り逃がしたってわけ? この役立たず!」

「そうなんスけど、面目ないんスけどだってオレ、生まれて初めてなんスよ、女の子のパンツ触るの!」


 どさくさに紛れて下着泥棒していたのか、青年よ。

 空は紺色に暮れ、海へ落ちた太陽の残照が橙色のグラデーションをなし燃える。そんな早春の夕暮れ、古い豪邸の離れ前で全員が全員、夕空の美しさをめでることもできず凍りついていた。

 沈黙を破ったのは影薄青年だった。ずざざ、と窓辺に駆け寄り(ひざまず)くと


「理沙さん! あなたのしましまパンツ、お返しします!」


 手を窓に向かって高く上げた。しっかりとその手に水色縞模様の布きれが握られている。洟垂れ美少女は鼻まわりだけでなく目も涙で潤ませた。風呂上がりの濡れた髪からぽとり、と滴が落ちる。


「……いらない」

「ええっ、いらないんスか? じゃっ、じゃあこれ、オレがもらってもいいっスか!」


 いいわけないだろう。

 影薄青年を除く全員が同じ思いを抱いたと私は確信したね。アホだな、コイツ。ケイさんが影薄青年の握るしましまパンツをすっ、と上から引き抜いた。


「ああっ、この糞オヤジ、何するんだよ」

「おまえ、帰れ」

「いやだ、しましまパンツ、オレんだ、返せ」

「駄目だ、帰れ」

「そんなこといって糞オヤジ、そのパンツを自分のものにするつもりだろ、スケベオヤジ」


 ケイさんは「なんで俺がそんな悲しいことをしなきゃならんのか」と深いため息をつくと影薄青年の襟首を掴んだ。そして私に「つまみ出してきます」と断るや、青年を引きずり歩き出した。


「あっ、このっ……ん? ちょっと待てよ、パンツがここにあってしかも風呂上がりということはもしかして理沙ちゃん今ノーパ」

「そんなわけないだろう、余計なことを考えるな。とにかく命のあるうちに帰れ。そしてもう来るな」


 ケイさんは「しましまパンツ、パンツううう」と喚き散らすアホを引っ掴んでどこかへ行った。あんな衝撃的アホ場面をもたらしたのに道ばたで出くわしても「ああ、あのアホね」とならないに違いない。青年のあの影の薄さが社会に役立つ日がくるといいが。

 凍りついていた残りの面々がほう、と安堵のため息をついた。まず動き出したのはみちるさんだ。


「詩織ちゃん、怪我はない?」

「はい、平気です」

「みなさん、こんなかたちでご紹介するのは何ですけどこちらは千草さんのお孫さん、高野詩織さんです。故人の遺言どおり相続され白梅荘に住むことになりました」


 残る三人が「まあ」「ここでいっしょに」と目を輝かせうなずき合う。


「こちらが川原真知子さん。お裁縫や手芸全般が得意でいらっしゃいます。こちらがお孫さんの勢田理沙さん。釣りが好きでいつもおいしいお魚をたくさん釣ってきてくれます。そしてこちら、権藤久子さん。お久さんはご親戚の合気道道場で師範代を務めていらっしゃいます。――そしてケイちゃん、私、詩織ちゃん。この六人が白梅荘の住人ですよ」


 仲良く暮らせるといいな。にこにことこちらを見上げる乙女たちに私は微笑み返した。





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