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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第四章  月見酒と乙女

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第十四話  野分(五)


     *     *     *



「申し訳ありません」

 私はじりじりと西日になぶられながら畳に手をつき、頭を下げた。


「本当に、申し訳ありません」


 隣でケイさんも同様に頭を下げている。

 はああ。

 頭に向かってため息が降ってきた。中年の男の静かな声がため息の主を制するように割って入る。


「母の――権藤久子の遺体を返していただけませんか」

「申し訳ありません。既に私どもで――」


 いらいらとした老人の声がひっくり返る。


「あんたら、おかしいだろうッ」

「申し訳ありません」

荼毘(だび)()したのなら、なぜ妻の遺骨をこちらに戻せないんだッ」

「――申し訳ありません」


 あの日、私は乙女を失った。あの台風の日――。



     *     *     *



 明け方からしとしとと雨が降り始めた。熱帯夜であれだけ蒸し暑かったのに徐々に気温が下がり、朝になるといくぶん涼しくなった。

 全員がそろった朝食の席だというのに、小梅は機嫌が悪い。


「けさはおさんぽにいけませんでちた」


 小鉢の中の納豆をぐりぐりと親の仇のように睨みつけかきまぜながら小梅が唇を尖らせた。眉間に皺が寄り、下三白眼の剣呑な目つきなんだが、小梅の年頃だとこういうふくれっ面もたいそう愛らしい。


「おそとにいきたいでしゅ」


 お久さんが鯵の干物から骨を取り除きながら、


「台風が来るというからのう。仕方あるまいて」


 と(なだ)めた。小皿に取り分けた干物の身を小梅の前に置く。茄子ほどではないが鯵の干物も好物なので、小梅の目が輝く。


「ひーしゃん、ありがとでしゅ」

「うむ。しっかり食べて大きくならんとのう。そうじゃ」


 手拭きで指を拭いながら、お久さんが小梅を見て微笑んだ。


「お散歩は無理じゃが、路地に出るくらいならかまわないじゃろう。真知子殿のご出勤をお見送りしてはどうかの」

「わざわざ悪いですわ。毎朝土間で行ってらっしゃいしてくださる、それで十分ですのよ」

「おそとでいってらっしゃい、したいでしゅ!」

「あらあら、そんなかわいらしいお見送りをいただけるなんて、今日のお仕事はずいぶん(はかど)りそうですわね」

「まーしゃん、はやくかえれましゅか」

「そりゃ真知子ちゃん、頑張っちゃうよねえ」

「ええ、もちろんですわ」


 小梅は下三白眼から一転、目をくりくりとさせわくわくした表情になった。


「おそと!」

「ちょっとだけですよ」

「おーそーとー!」

「朝ご飯をきちんと食べてくださいね」

「あい!」


 小梅はがつがつと朝ご飯の攻略に取り掛かった。急ぎ過ぎて少々、おしとやかとはいえない食べ方であるが、仕方ないか。

 雨脚が少し、強くなった。

 朝食後、身支度を整えた真知子さんが出勤するのを、私とケイさんは普段通り裏口の土間で見送った。


「私たちは片づけをいたしますのでここで失礼いたしますね」

「行ってらっしゃい」


 真知子さんのお見送りだというのに、小梅は浮かれて先に駆け出してしまった。


「これこれ、待ちなされ」

「小梅ちゃーん、待っておくれよう」


 お久さんと嵐太郎がばたばたと小梅を追いかける。

 静かになった。表で細かい雨粒が地面をたたく高い音が土間に響く。電灯に照らされても心細くほの暗い土間で、鮮やかな彩りの小さいものに目が吸い寄せられた。


「小梅ったら、傘――」


 ピンク、黄色、水色のにぎやかな動物柄の小さな傘が傘立てに残っていた。


「俺が行ってこよう」


 ケイさんが小さな傘を手にするのを、私も下駄をつっかけて追った。


「いっそのことみんなでお見送りしましょうか」


 ケイさんの傘に入れてもらう。外の路地につながる裏口のドアを開けようとしたとき、

 ききききき――!

 耳障りな金属の(きし)む音、そしてどす、と何かが叩きつけられる鈍く重い音がした。近い。まさか。


「詩織、待て」


 ケイさんを押しのけガレージを駆け抜け、路地へ出る。

 明るいブルーの傘が転がっている。銀色の車が路地に斜めに止まり、乱暴に開いたドアから人が飛び出した。ガレージ脇の躑躅(つつじ)に半ば埋まるようにして子どもが膝をついている。


――小梅。


 小梅は目を見開きわなわなと震えている。その視線の先にこちらに背を向け人が、お久さんが横たわっている。

 私の視界から色彩が失われた。

 お久さんの頭部からどくどくと流れだす血だけが朱い。

 真知子さんが悲鳴を上げている。嵐太郎が傘を放り出し、駆け寄ろうとしている。

 車から降り立った男二人がお久さんを見て動きを止める。


「死にましたか」

「分からん。――ばあさんには用はない、子どもの乙女を連れて逃げるぞ」


 男二人――近頃不自然なタイミングで引退したという元議員とその秘書だ――が小梅の腕を掴もうとした。


「こっちへ来い!」


 小梅はお久さんを見つめわなわなと震えている。


――遠い、間に合わない――!

「立て!」


 議員だった男の手が小梅に届きそうになったそのとき、私は左掌を突き出し、形が定まらないままの探索子を叩きつけた。


「触るな!」


 ばちり。

 男の手が音を立てて跳ねた。手の甲が手首と接し、だらりと腕が垂れ下がる。


「――うわ、わ、わあああ、手が、手がッ、痛い、痛い痛いッ」

「せ、先生!」


 手をかばい、のたうつ元議員を見て秘書がいったん掴んだ小梅の腕を放した。


「小梅!」


 駆け寄った私の声に気付いた小梅が立ちあがった。


「退がっていなさい!」


 小梅がよたよたと駆け出す。それを確かめて私は男二人に向き直った。


「私の乙女に何をした」


 雨に打たれるまま地面に尻もちをつく男二人の私を見上げる目に怯えが走る。


「何をしたのか、訊いている。――答えろッ!」

「し、白梅のご当主、わしだよ、わしだ。ほれ、以前ストーカーを撃退してやっただろう――」


 一歩前に踏み出す。蹴出(けだ)しが露わになるがかまわない。


「お前が何者かはどうでもよい。質問に答えろ。私の乙女に何をした」

「久子ちゃん!」「お久ちゃん……!」


 背後で嵐太郎と真知子さんが叫ぶ声が聞こえる。

 私の体内で何かが急速に大きくなる。怒りと憤り、そして――渇きだ。ひりひりと焼ける痛みに似たあの渇き、理沙嬢の抜き針の儀式後に感じた乙女の喪失により生まれたあの渇きが甦る。


――そんな。まさか。


 振り返る。地面に横たわるお久さんは動かない。雨が強くなった。


「ひーしゃ、ひーしゃん、――お久!」


 小梅がお久さんに(すが)る。


「お久、お久あああああ」


 向き直る。元議員と秘書が尻もちをついたままじりじりと後ずさりしていた。


「わしらは、悪くない。あのばあさんが勝手に飛び出してきたんだ」

「そ、そうだ、俺たちは悪くない」


 みしり、みしみししし。

 怒りが私の身体を開いた。後頭部に肉の花が咲く。


「お前らには質問に答える気がないのか。仕方ない」


 髪の毛から生ぬるいしずくがぼたぼたと垂れる。ぶるり、と振り払うのと同時に複数の探索子を放射状に展開した。


「質問を変えようか。何をしにきた。答えろ。答える気がないのなら」


 もう一歩、前へ出る。うねうねとケーブルが伸び、宙を舞う尖った探索子とつながっている。


「答えを引き出すまで」


 探索子をがす、がす、と二人の心に打ちこむ。めりめり、と力任せに心の外壁を剥がした。


「あ……あ、……やめ、やめ」

「やめてくれ……痛い、痛いいい」


 根っこのように洞窟状の内壁を這う意識の繊維をめりめりと毟り取る。それをまとめて左手で握り、ぐいっと引っ張った。男たちの記憶もいっしょに引きずり出す。


――噂を聞いたか。白梅荘に新しい乙女が来たらしいじゃないか。

――乙女として契約済みなのだな? 取り上げてしまえ。

――まだ子どもだと。却って都合がいい。

――子を産めるようになるまで隠して育てればよい。

――その子ども、新しい乙女をここに連れてこい。

――今までの失敗をなかったことにしてやってもよいぞ。


 しゃりっとした着流し、帯に般若の根付け――。


「お前たちの目当ては小梅か。連れてくるようにいわれたのだな?」

「そ、そうだ。川向こうの盟主さまに」

「わ、わしらは悪くない」


 二人を見下ろし、意識の繊維をぐぐーっと引っ張る。


「やめ、やめてくれ、苦しい」

「やめてくれ」


 もがく男二人に構わず、意識の繊維を引きずったまま背後を振り返った。ケイさんが立ちはだかり、視界を塞いでいる。


「詩織、見るんじゃない」

「どいて」


 ケイさんを押しのけ、一歩、二歩、とお久さんを囲む三人へ歩み寄る。後ろから、男たちが「あ……あ……」と呻きながらずりずりついてくる。


「お久、お久、いや、逝かないで、お久」


 お久さんの身体に縋り泣きじゃくるのは、小梅の姿をしたみちるさんだった。


――どうして過去の人格が出てきている?


 惑乱する大巫女の前で疑問は心の深み、泥濘(ぬかるみ)へ滑り落ちていった。


「もう、いやだ、再生なんて異能、何の役にも立たない……私に力があれば、お久にこんなことをしたやつらに仕返しを……力さえあれば、ああああああ」

「みちるさん」


 血の気の引いた白い顔で、小梅の姿をしたみちるさんが私を振り仰ぐ。


「どうしますか。司直の手にゆだねますか」


 ううう。私を振り仰いだままみちるさんが泣く。悲しみに歪む顔を雨が容赦なく叩く。


「司直の手にゆだねる場合はお久さんのお身体を証拠として――」

「ああああああ――駄目、駄目ですおやかたさま乙女の身体は白梅が、白梅がいただくことになっているのです。いけません」


 小梅。みちるさん。白梅。目まぐるしく入れ替わる。

 ず、ずずずずず。

 生け垣の下、躑躅の植えこみを突き破り、黒々と湿りところどころ苔生(こけむ)しひび割れた肌をした触手が這い出てきた。


「白梅、選べ」


 お久さんの身体の近くまで来てぴたり、と触手が動きを止めた。


「お久さんのお身体を私にゆだね、人の世の理でこの男どもを裁くか、それとも、――呑むか」

「おやかたさま」

「呑む場合は白梅、人の世の罰をこれらは受けない」

「おやかたさま、いやです赦せません。この男どもに罰を、罰を」

「それでは司直の手にゆだねるのだな?」

「いや、いや、誰にも渡さない。私の、白梅のものでございます。誰にも、誰にも渡さない。お久、お久」


 あああああ。

 ふるふると震えたかと思うと触手のひとつがぐぱあ、と大きく先端を広げ、

 ずずずずず、ずぞぞぞぞ。

 お久さんの身体、あたり一面に広がるお久さんの血を呑みこんだ。

 まるごと吸いこんで触手は

 ず、ずずずずず。

 躑躅の植えこみの奥へゆっくりと戻っていく。小梅が意識を失い、倒れた。嵐太郎がその小さい身体を抱きとめる。


「は、は、ははははは。やった、よかった」

「これでわしらがあの女を轢き殺した証拠はなくなった」


 背後で男二人が引き()りながら笑う。

 風が冷たく、強くなった。雨脚が弱まる気配はない。



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