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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第四章  月見酒と乙女

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第九話  精霊馬(九)


「遅い遅い、遅いでしゅっ!」

「あー……すまない」

「かえりが遅くなるときは、れんらくしないといけないの、でしゅっ!」

「ごめん……」

「れんらく、しましたかっ」

「してない……すまない」

「なんにちたったと、おもってるでしゅか」


 指を折って数えようとした小梅はすぐに諦めた。


「かぞえきれましぇんっ!」


 白梅、早く目覚めておくれ。かわいいんだけど、このままだとなんだかかわいそうな気がする。


「おやーたしゃま!」

「なんでしょう」

「けーしゃんに、めっ! しましたかっ」

「いいえ、していません」


 ケイさんが「え? 俺、まだ叱られてなかったの?」といいたげに私を見る。「ああん?」とガンつけてやったさ。何かご不満でも? あんなんで叱られ足りてたということはありませんよね?

 ケイさんは小梅に視線の高さを合わせようとうずくまっているけれど、それでも小梅からすると山のような大きさに見えるだろう。その目の前のでっかい男に向かって、仁王立ちの姿勢のまま両手を腰にあてふんぞり返った小梅が


「けーしゃん、めっ!」


 と叱りつける。ケイさんは巨体を縮めてしょんぼりした。大小の対比がほほえましくもある。ちょっと離れたところで他人のふりして見ている分には。

 でこぼこな二人は、踊りの輪に加わったり外れたり、燈籠(とうろう)のあかりに照らされ歩く人々の笑みを誘っていた。


「小梅ちゃん、大変だ!」


 理沙嬢が「事件、事件だよ」と小梅に呼び掛ける。


「わたあめが大好評! このままだと売り切れてしまうよ!」

「な、なんですと……! うりきれるとまたお店のおじちゃんが雲をつかまえにいってしまう……すると小梅はまた踊りをがんばらなきゃいけない! あれ? 楽しいみたいな、気がする?」


 途中で自分の言葉に疑問が生じた様子で人差指を顎にあて眉間に皺を寄せ考えこんでしまった。わたあめ屋のおやじがちょいちょい席をはずすのは雲を捕まえに行っているわけじゃなく、ほんとは(りょう)とりついでに煙草を吸いに行っているだけなんだが。


「小梅ちゃん、わたあめ買いに行くなら今だよ!」

「行く! 行くでしゅ」


 理沙嬢が


「けーちゃん、貸しひとつね」


 のっそり立ち上がるケイさんに向かってにやり、と笑いかけた。



 いちご、メロン、レモン、ブルーハワイ。色とりどりのかき氷。

 焼きそば。フランクフルト。チョコバナナ。

 焼きとうもろこし。じゃがバター。わたあめ。

 食べ物のできあがる様、鮮やかな手つきに見惚れていると、腹が鳴る。

 正義の味方、魔法使い、動物。しばしの間、自分でない何かに変身するためのお面。

 ヨーヨー。金魚。射的。

 きゃっきゃとはしゃぐ少女と幼女の後を私たちは団扇(うちわ)をつかいながらぞろぞろとついて歩いた。



     *     *     *



 後ろへ、前へ。

 すらり、すらり。

 よいよいよいよい。

 どどん、ぱ。

 踊りのお囃子(はやし)が徐々に遠のいていく。山を迂回し、川沿いの道へ出る。送り火を()く家があるのだろうか。おがらの燃えるにおいがかすかに漂う。上流から燈籠が流れてきた。暗闇の中ちらちらと揺れる炎が水面に映える。

 腕の中で小梅がもぞもぞと身動(みじろ)ぎをしている。よっこらせ、と抱き直した。


「詩織、代わろう」


 ケイさんが腕を伸ばしてくるのを止めた。


「結構です」

「重いだろう」

「結構ですよ」


 ケイさんがため息をついた。


「……俺、しばらく獣化する心配ないから」

「そうですか。きっといいことなんでしょうね。でもなぜ今そのお話が出るのか、さっぱり分かりません。そしてもうすぐ着きますから代わっていただかなくて結構ですよ」

「でも」


 腕をそっと押さえられた。あてられた掌が熱い。


「ケイちゃん、あのな、ちといいかの」


 前を歩くお久さんがちらりと振り向いた。


「詩織ちゃんはおぬしが小梅ちゃんを傷つけるとは思っておらぬよ。心配なのはおぬしの身体、怪我と疲れじゃろうて」

「詩織ちゃん、抱っこさせてあげればよろしいのよ。ケイちゃんは力持ちなんですから」


 物言いにそこはかとなく突き放した色合いが見えるが気のせいか。熟女乙女はいうだけいうと、理沙嬢と非力自慢の嵐太郎を伴いすたすたと先に行ってしまった。


「小梅ちゃん、おいで」


 寝入り(ばな)を引き剥がされて、小梅が「ふええ」と手足をばたつかせてぐずる。しかし背中をぽんぽんと叩きあやすとすぐにケイさんの胸もとで身体を丸め寝入った。先に行った面々を追ってケイさんが背を向ける。つい、シャツを掴んでしまった。皺になったシャツが指の間をすり抜けていく。唇を噛み、うつむく。


「詩織」


 振り向いたケイさんに片腕で強く抱き寄せられた。


「すまなかった」

「何度も謝らせてすみません」

「きみが(ゆる)してくれるまで何度でも謝る。すまなかった」


 親しげな日向のにおいがする。太く熱い腕に閉じこめられ、私は大きい人の胸に頬を寄せた。ケイさんと小梅、私の鼓動が混じる。川面を渡る涼風が昼間の温気(うんき)を払い、首筋をなぶる。暗闇の中、赤い炎の群れがちらちら動く。燈籠が静かに川を流れていく。

 顔を上げた。

 浅黒い肌にくっきりと刻まれた笑い皺。厚い唇に太く猛々しい鼻すじ。白髪交じりの硬そうな髪がかかる垂れ気味の眉。切れ長の目に宿る光が揺れる。

 会いたかった。再び大きい人の胸もとに頬を寄せる。小梅をしっかりと抱き直した大きい人は、もう片方の手で私の背をゆっくりと撫でた。


――だいじょうぶ、だいじょうぶ。


 浴衣の薄い布地の外側を伝う、大きな掌の熱さに体がわななく。ため息とともに低く太く穏やかで、艶やかな声が降ってくる。


「今夜、きみの部屋へ行ってもいいか」


 大きい人の胸もとから頬を離す。見上げる私の笑みが強張(こわば)った。


「――いいわけないでしょう? 何を考えているんですか」


 呆れた。さっきさんざん謝らせたから怒ったりしませんよ、しませんけどね。心底呆れた。何の断りもなく出て行ってやっと帰ってきたかと思ったら、いきなりお肉のぶつかり的アフェアかよ。このどスケベが。


「え? 何をって――詩織、違う、そういう意味じゃあの、いや待てよ、確かに今なら俺――ああっ、待って詩織、詩織さん?」


 身を翻し、ぷんすか川縁の土手を歩く私を大きい人が追ってくる。


「小梅ちゃ……ごめん、俺が悪かった、うるさかったな、ごめん。ほんとごめん。小梅ちゃん、ちょっとそこ叩かれるとたんこぶあって痛いんだ。痛いからやめてゆるして。よーしよしよし」


 そりゃ耳もとでわあわあ(わめ)かれりゃ驚いて目が覚めますわな。握りしめた拳でケイさんのおでこやら鼻のあたりをぽかすか殴る小梅に


「痛いんですって。やめましょう」


 と声をかけ、背中を撫でてやる。

 大きい人の腕の中でぐずる小梅の涙や(はな)(ぬぐ)ってやると少し表情が和らいだ。ぽかすか殴りつけていたくせにひし、としがみつく。ぼさぼさになった髪を撫でてやると眉間の皺がなくなり、目がとろんとしてきた。


「ん、んんん」


 頭をケイさんの顎にすりつけ、歌うように小梅が唸る。


「もう少しでおうちに着きますからね」

「ん、んんん。おうち」


 うなずく小梅の背をケイさんが優しく撫でる。


――おうち。


 はっ、と唇に手をあてた。そうか。そういえば、そうだ。今は白梅荘が私たちのおうちなのだ。隣を歩く大きい人を見上げる。ケイさんもこちらを見下ろしている。

 河口近く、流れのゆるむ川面のあちらこちらを燈籠が漂う。黒々と濃い夜空に星が瞬く。

 私の光。私の熱。私の半身。


「――おかえりなさい」

「――ただいま」



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