第二十三話 蓮見(五)
蓮池の小島に川向こうの盟主と二人きりで残された。
「――おやおや、意外に気丈な」
男が嗤う。
「いっしょに行くとごねるかあるいは――泣いてすがるものとばかり」
じりり、とこちらへにじり寄ろうとする。
びしり――。
探索子のひとつを地面に叩きつけた。鋭く砂埃が上がる。相手に見えずとも、私の後頭部からは夥しい数の探索子が触手のように生えている。
「あなたにはハイブリッドコードがないと……」
だから異能もないはず。それなのにどうやってハイブリッドコードキャリアを、ケイさんを操ったのか。
男は探索子が地面につけた傷を見ていたが少し後ずさり、にやりと笑った。
「確かに、ないねえ」
白いパナマ帽を深くかぶり直し、男は片目だけでこちらを見遣った。
「白梅のご当主、あなたの異能は精神干渉だと聞いている。だからわたしの心を、心の表層を調べたはずだ。そりゃあもう熱心に」
この男の心の表層。大理石のようなつるりとした表面に生えた夥しい数のプラグ。年月を経て古び、錆びてもなお堅牢な心の入口を象徴する金属製の扉。緩みかけていたハンドルがぎゅるぎゅると逆回転し、しっかりと密閉された。あれだけ激しく上下していたプラグも静かになっている。
ふふふふ、はは、はははは。
男は心底愉快、といいたげに嗤った。
「そんなところ、いくら調べたところで何もトラップなんぞありはしない。わたしは異能者じゃないんだからねえ。わたしは大きな播種拠点の家令を務めた家系の出でねえ。ウチのご先祖様の仕事はなかなかに大変だったんだと。異能者相手だ、そりゃあ伊達や酔狂じゃあ務まらない。ふふふ」
慎重に距離をおいたまま、川向こうの盟主は私をじっとりと見る。
「重ねがさね意外だ。白梅のご当主には効かないのかね」
「何でしょう」
「嵐太郎さんと周平さんだけでなく、先ほどの五木さんにも効いたんだがねえ」
イライラする。
「だから、何のことです」
びしり。
再度探索子を地面に叩きつける。
「おお、怖い怖い。こちらも異能者を相手にするからには徒手というわけにいかない。色々と仕掛けが必要でね。それが何かはいえない。歳をとっても我が身がかわいいからねえ」
す、と男が後ずさった。
「ところでさっきのビジネスの話、獣化遺伝形質の件とは別にもうひとつあるんだが、こちらはもっと簡単だ」
ふふふふ。
「ご当主のところの大巫女をいただきたい。再生能力のからくりを解き明かし、不死化する方法が手に入れば、獣化異能者の兵士など目じゃないほど儲かるからねえ」
男は少しずつ後ずさりながらいった。
「大巫女をいただければ、五木さんをお返ししてもいい――ご本人が望めば、の話だがね。嵐太郎さんや大巫女と一緒によくよく検討するがいい」
ふふふふ、はは、はははは。好き勝手に嗤い、川向こうの盟主は蓮池の小島から去った。
太陽が高いところにある。じりじりと照りつける日差しを嫌うのか、蓮の花はいつの間にかつぼみに戻っている。つぼみに戻り切れない熟した花だけが
ほと、ほとり。
音を立て、散っている。
――何が気丈なものか。
痛い。片腕どころではない、半身が引きちぎられたように痛む。ぎりぎりと歯噛みする。悲しいのか悔しいのか腹が立つのか、自分の心が揺さぶられるのを抑えることができない。気がつくと全身がじっとりと冷たい汗で濡れていた。
ちぎられた半身。失った熱。
影が動き、境内の木々から漏れる日差しが肌をじりじりとなぶる。大きい人を失った私は炎暑にさらされても凍りついたままだった。




