第二十一話 蓮見(三)
侮られるのも戦術のうち。そう割り切ったつもりでもむかむかと憤りが腹の底に滾る。
――抑えて、抑えて。
日傘で視線が合うのを遮り、こちらのぐらぐらと煮える攻撃的な気持ちを悟られないようにする。
対して川向こうの盟主の心の表層は平らかで乱れは見えない。今まで見てきた人々の心の表層は崖や草むらに扉がついていたりして、自然の景観を模したものが多かった。しかしこの男の心の表層は変わっている。磨いた大理石のようにつるりとしていてところどころにプラグのようなものが突き出ている。そして心の入口は金属製の扉だ。堅牢で重厚。ハンドルや隅に錆が浮き出ている。
表層が平らかなのは私を侮っているから、と決めてかかっていたがどうなのだろう。あの老獪な嵐太郎が足止めを食うくらいの相手だ。あちらを侮らせはしてもこちらが相手の力量を見誤ってはならない。
――落ち着け、私。
ぐらぐらと腹の底で煮えるような感情のうねりを無理矢理抑えこむ。
「お気を悪くされましたか。寡聞にして存じませんが、女性は贈り物を喜ぶのものと思っておりましたのでな」
川向こうの盟主は慎重に間隔を置いて、私の隣に立った。恰幅が良いといってもだぶだぶと太っているわけではない。一文字に結んだ口もとと感情を露わにしない細い目から精悍な印象を受ける。若いころといわず今もそこそこに女性にもてているのだろう。口から出ることばと裏腹に自信満々な様子がうかがえる。
――あほくさ。
女にもてるからって、アプローチ全部同じパターンかよ。あなたがもててたんじゃなくて、そこそこ整った見た目で金があるというダブル好属性が女性を惹きつけてたのかもよ? 確かに成功体験ってクセになったりするものだよね。それも同じパターンで何度も成功しちゃうと他の方法を試す気もなくなっちゃうかもね。自分が数をこなす質でないからよく分からないけど。それに浴衣を見立ててやるという申し出、これはむかっ腹立つね。俺好みの女になれってか。呆れた。それでもここは話題に乗っておくか。
「贈り物、私も大好きですわ」
「ほう、白梅のご当主もお好きですか。たとえばどんなものを?」
「私が男性に送られて嬉しいもの――」
がら、がらり。
ぱん、ぱん。
鈴を鳴らし、柏手を打つ音が聞こえる。きっと大きい人がやってきたに違いない。気を悪くさせるだろうか。でも今は目の前の男を挑発し、相手の挑発にも乗りたい気分だ。
「――献身です」
「けんしん?」
「ええ。私の場合、いただきたいのは心ですが」
「心?」
川向こうの盟主の心の表層にぶるり、と動揺が走った。「私が欲しいのはあなたの真心よ」的オチを期待したいのだろうがそうはいかない。私が白梅荘の当主だと、館の主だと知った上で近づいているのだから、軟着陸できないと分かっているはず。
「ええ、心を隅から隅まで。感情の起伏も記憶もすべて。気まずさも怒りもやるせなさもすべて隠すことのかなわない、私の精神干渉という暴虐に心を進んで差し出すこと、それが私が男性に求める贈り物ですわ」
日傘を閉じ、たたむ。背後から日向のにおいがする。
「待たせた」
振り返ると、ケイさんが立っていた。にこにこしている。
「浴衣か――いいね。そういうきっぱりした柄はきみによく似合う」
「そう? ほんとに?」
ケイさんはおや、という顔をした。
「気が立っているな。神域だぞ。詩織、落ち着いて」
私の手を取って胸に当てた。そうだ、ケイさんのいうとおりだ。落ち着かなきゃ。ここはよその神様の御座所だ。なぜこんなにも私の心は乱れ荒れるのだろうか――。現状。選択肢。樹形図の分岐を辿り戦術を検討する。目まぐるしい思考の回転に紛れ、その疑問は心の深層へ沈み消えていった。
大きい人の乱れのない鼓動が私を現実に――んん、なんだこりゃ? のんびりとした低い声。揺らぎのない瞳。普段通り穏やかに見える。
ケイさんの心も穏やかに凪いでいると思いきや、そうじゃなかった。真逆だった。風穴にびゅうびゅうと風が吹き荒れ、セノーテが黄色い警戒色に変化しごぼごぼと泡が立ちのぼる様子をアンカーが送ってくる。
――え? え?
掌からばくばくとアップテンポ乱れ打ちの鼓動が伝わってくる。
――「落ち着け」ってどっちが?
心配させてしまったようだ。もう大丈夫、と微笑みかけると大きい人は目を細めた。
「詩織。こちらの方は?」
ケイさんは改めて私の手をぎゅ、と握り、私の顔を覗きこんだ。さりげなく体の向きが変わった。川向こうの盟主の視界を遮って私を隠そうとしている。背中にあてられた掌が温かい。
「私の写真をご覧になったんだそうです。どうも映りが良くなかったらしくって」
――気づいて。
そっとアンカーを震わせると、分かっている、といいたげに再び手が握りこまれた。
こういうのって私たちにその気がなくても「んもう、やめてくださいな」「ふふ」的いちゃこら小芝居に見えるらしい。
「仲がよろしくて何よりですな」
苦笑交じりに抑えてあるが、吐き捨てるようにいいたげなのがうかがえる。意外なことに川向こうの盟主に隙ができた。自分が手に入れようとしたものが他にかっさらわれている目の前の状況が彼の競争意識に火をつけたらしい。
探索子で川向こうの盟主を囲んだ。これでケイさんの身体で視界が半ば遮られていても相手の様子が手に取るように分かる。
「白梅のご当主は我々を誤解されておいでのようですが」
つるりと硬質な心の表層に夥しく突きささるプラグのようなものが緩み、脈打つように出たり引っこんだりしている。重厚な金属製の扉には変化がない。そして心の内側に忍びこむ隙は見えない。顔の上に表れる表情の変化と見比べてパターンを覚えるしかないか。ケイさんのから少し顔を出して川向こうの盟主を注視する。目もと、口もとだけでなく、指先の動きや脚の位置の変化にも気をつけよう。
「我々は大きく評価しているのですよ。神の遺伝子を運ぶ船としての白梅の乙女たちを」
川向こうの盟主が語り始めて、ケイさんの鼓動が落ち着き始めた。
「それだけに白梅の乙女たちが高齢化しているのが残念ですな。出産可能な乙女はもうご当主、あなたしかいない。聞けばご当主はあの敏腕で有名だった先々代の直系子孫にあたるとか。白梅荘、ひいては多々良が浜の今後の発展のために経済的にも政治的にも力ある男性と縁組されるべきでしょう」
男の顔に熱に浮かされたような表情が浮かぶ。心の表層のプラグがひょこひょこと出たり引っこんだりを繰り返す。プラグの根元から蒸気のようなものが漏れはじめた。
――それにしてもまたその話か。
相手に悟られないよう密かにため息をついたのをケイさんに見られてしまった。握った手に力がこもる。
「そして白梅のご当主は出産可能な乙女をリクルートされるべきです。できるだけ若い女性がよいでしょう。我々にはご当主のより政治力の高まる縁組、乙女のリクルートなどをお手伝いするための具体的なプランがある」
男は言葉を切った。まるで見得を切るような達成感に満ち、加えてこちらへ挑むような視線を熱っぽく送るこの表情、いわゆるドヤ顔だ。
シャツをぎゅうぎゅう握ってしがみつき目を丸くする私を見てちらり、と美しい歯を見せ苦笑したケイさんが口を開いた。
「そのプランとやら、あなたのテリトリーで実行すればよいのでは?」
男ははああ、と呆れたようにため息をついた。
優位に立ったことを確信する男のそのつるりとした心の表層で先ほどまでばらばらに動いていたプラグが一斉ににょきにょきと出たり入ったり、躍動し始めた。プラグの根元から蒸気のようなものが勢いよく噴き出す。プラグが踊る男の心の表層にトラップはない。――おかしい。何かがおかしい。
このちりちりと炙られるように痛む危機の予感はどこから来るのだろう。男の心の入口は金属製の扉だ。錆が浮き出たハンドルがぎちぎちと軋みながらゆっくりと回りはじめた。




