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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第三章  茄子と胡瓜と乙女

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第十六話  疾雷(八)



 夜半の雨で幾分暑さは和らいだが、陽が昇るともわもわと朝から蒸す。


「みちるちゃん、うらやましいですわ……」


 今朝も真知子さんはマルカワ・カンパニー会長室へとドナドナされていった。昨夜泊った理沙嬢もいっしょだ。こちらは「また来るよー」と元気いっぱいだ。

 今日も今日とてどんよりとした空模様である。いつ降り出してもおかしくない。洗濯物はシーツなどの大物もすべてサンルームに干す。ガラス窓が大きくて開放的な部屋とはいえ、やはり時季が時季だ。ぱりっと乾かない。

 サンルームからは裏庭が見渡せる。

 この裏庭がみちるさんの労作なのだ。梅雨の今、クロタネソウやトケイソウ、クレマチスなどが咲いている。空色、浅縹(あさはなだ)瑠璃紺(るりこん)勿忘草(わすれなぐさ)色、青藤色。色が濃かったり薄かったり、色味が異なったりするものの、咲いているすべての花が青い。

 みちるさんにとって「再生」は死を意味するのだと思う。一度心停止し、子どもの身体に生まれ変わる。そのとき人格は新しいものとなり、記憶がいったん封印される。

 姿が変わるのではない。生まれ変わって現れるのは小さなみちるさんではない。別の人なのだ。不機嫌メガネで敏腕弁護士で、意地悪なくせに案外情に厚くてかわいらしいみちるさんがいなくなってしまう。想像もつかない。忙しくて不在がちではなくほんとうにいなくなってしまうだなんて。

 みちるさんは白梅荘の庭全体を丹精しているのだが、この裏庭は格別だったようだ。


「詩織ちゃん、ここはね、梅雨になると青い花畑になるようにしてあるのよ」


 いつだったか、あれはまだここに引っ越したばかりの春浅い頃だったろうか、みちるさんから聞かされたものだ。みちるさんはやわらかな笑みを庭に向けていた。その頃はまだ冬枯れて地味な草ばかりの生えた、庭というより草むらといった印象だった。その草むらが梅雨時に見せる美しい姿を、みちるさんはあのときすでに思い描いていたのだろう。

 アーチに絡みつく蔓であったり、小道にはみ出るほど繁茂した草であったり、裏庭の至るところで青い花が咲いている。重くのしかかるように垂れこめる梅雨の曇り空が日光を遮る。鬱々として昼なお暗いというのに、ゆらりゆらりとやわらかく風を受ける花びらが、炎のように青く燃えている。みちるさんの青い庭は幻想的で美しい。洗濯物を干し終わった後もしばらく、私は窓辺で立ち尽くし裏庭の青い炎を眺めていた。


 裏庭の一角、母屋の裏口に近いあたりに人影が現れた。みちるさんと、お久さんだ。おそらくこの青い炎の庭は今日のようなほの暗い日により映えるのだろう。咲きはじめから何度も見ているに違いないお久さんがゆらゆらと浮き上がるような青い炎の花々の美しさに細い目を(みは)っている。みちるさんが何か語りかけると、両手で口を覆ったお久さんの目から涙があふれた。抱き合う乙女二人の周りでゆらゆらと青い炎が揺れる。

 昨夜、とっさのことであったけれど、再生を二週間後に引き延ばす提案ができて良かった。サンルームを出て厨房に戻り、ランドリーコーナーで籠を片づけ頬を拭う。


「だいじょうぶ?」


 背後に嵐太郎が立っていた。

 はい、と答えると、いつもの人を食ったようなチャラついた笑みでなく、真剣な表情をしている。


()いてもいいかな」

「なんでしょう」

「どうしてみちるさんの契約錠を抜かなかったの? みちるさんから儀式のリクエスト、されたでしょ?」

「ええ」


 いったん聞き流しそうになったがひっかかった。違和感がある。


「みちるさんって……」

「ああ、呼び方ね。――僕も分かっているんだよ。あの人がみちるという名前でおりんちゃんとは違う人だって」

「……」

「確かに今、再生を間近に控えてみちるというあの人の中におりんちゃんの記憶は蘇っている。でもあの人はおりんちゃんじゃない」


 違うといい切っているのにその事実から目を背けてしがみついている。美しい青年の姿を保つ五代前の当主は、二百年生きてなお執着を断ち切れないでいるように見える。


「抜き針の儀は本人が強く希望しなければ成立しません。みちるさんの場合、別の要因もあって儀式の執行が難しいです」

「別の要因って?」

「白梅によるとみちるさんの脳内で契約錠が大きく育ち過ぎていて体組織と癒着してしまっていると。分かちがたく結びついているから無理に契約錠を抜くと死に至る、と」

「……」

「みちるさんもそれがお分かりなのでしょう。強く望まれませんでした」

「死ぬと明言されたらきみも儀式をやるとはいいづらいね、確かに」

――それで問題を後回しにして現状維持を選ぶんだ。


 そう(なじ)られているような気がする。しかし嵐太郎の目に非難の色はなかった。話題を変えることにした。


「再生当日、あなたのサポートが必要だとただそれだけ白梅から聞かされていましたので昨日はあのようにお願いしたんですが、嵐太郎さんはその――かまわないんですか?」

「ん? 何か問題ある?」

「いいえ、『白梅荘がなくなればいいと思っている』とあのとき」


 嵐太郎は厨房の窓に目を向けた。

 電灯をつけていない厨房は昼間だというのに暗い。窓から差しこむ曇天(どんてん)の光は力なく、嵐太郎の整った顔を照らすに至らず却って濃い陰影に沈めている。


「僕の意見はその通りだ。気持ちも変わらない。でもここがめちゃくちゃになればいいなんて、そんなことを考えているわけじゃない。当主の命には従うよ。乙女ではないけれど白梅荘の一員だからね、僕も」


 「命」か――。そういわれると弱い。確たる根拠があって命令しているわけではないし、そのつもりもないから。嵐太郎はふふと微笑み、窓を背にしてこちらを振り返った。顔がすべて影に沈む。


「そんなにすまなそうな顔をしないで。気持ちは分かるよ」


 再び窓に顔を向ける。影から現れ光に照らされる嵐太郎は厳しい表情をしていた。


「おりんちゃん――みちるさんのボディはもうそろそろ再生不能になる」


 再生というだけでも受け入れるのが精一杯だというのに、その再生ができなくなるかもしれないというのか。


――到底受け入れられない。


 その気持ちを抑えこむ。取り戻さなければ、平常心を。

 みちるさんは繰り返し再生してきた。実験記録装置白梅のコミュニケーション端末としての大巫女ポジションを継続して担うためだ。この大巫女がいなくなる場合どうなるのか。現状、予測しうる未来、問題点を大雑把に解析し、組み立てる。

 材料が足りない。

 過去にさかのぼって分析してみる。判断するには材料が不足している。

 現状から得られるファクターを無理矢理つなげても得られるのはただの「こうあってほしい」という妄想の産物でしかない。レースのように穴だらけの解析結果であっても、現状得られるのはここまでだ。敢えてつなげずに穴だらけにしておこう。新しいファクターで埋めていけば今と全く異なる姿が浮かび上がってくる気がする。そのままプライベートの記憶エリアに格納した。


「すみません。取り乱しました。みちるさんのボディが再生不能になるという、その根拠をお訊きしたい」


 私の表情の変化をつぶさに観察していたらしい嵐太郎は再び窓の向こうを見やり、語りはじめた。


「僕が初めて彼女の再生に立ち会ったのは十五歳のときだ。あれはとてもショッキングなできごとだった」



     *     *     *



 秘儀を行うために潔斎(けっさい)し屋敷の奥の(ほこら)(こも)った大巫女は、終了の刻限を過ぎても姿を現さなかった。その頃まだたくさんいた乙女たちがうろたえるので、当時次期当主のひとりとして警備のために屋敷に滞在していた嵐太郎がじれて


――そんなに気になるのならば入って本人に尋ねてみればよかろう。


 と乙女やほかの警備の若衆が止めるのも聞かず祠に入った。


 外からは小さく見えても何の調度もないその祠の内部は案に相違して広かった。ただでさえ新月の闇夜、灯りもない中を手探りで探しあてた大巫女は板敷きの祠の片隅に倒れていた。

 たまに会うといっても、次期当主候補の集まりに現れるその老女を候補の中でも末席に位置する嵐太郎は遠くからちらりと見るだけであった。それでもその特徴ある姿を少年だった嵐太郎はよく覚えていた。倒れている老いた女の半白の髪は当時珍しい肩で切り揃えた尼削(あまそ)ぎで、(まご)うかたなく大巫女のものだった。抱き起こした老女のぐったりと頼りない様子に嵐太郎は慌てた。


――死んでる。


 松明(たいまつ)煌々(こうこう)と焚かれ、祠の扉の隙間から違う世界のように明るい光が差しこんでいる。それなのに光は扉近くで力を失い、老女を抱える嵐太郎のいる祠奥まで届かない。「いかがでしょう、大巫女様は」「まさか大巫女様に変事が」などと外から掛かる声もずいぶん遠く感じられた。秘儀の進行を妨げる何か、あるいは不都合があったとしてもまさか大巫女が死んでいるとは思いもしなかった。嵐太郎がぼうぜんとしていると、


――ぐ、ふう。


 死んでいるはずの老女の胸が大きく上下した。蘇ったか、と安堵しかけた嵐太郎の腕の中で突如、老女の身体が燃えた。


――あっ。


 熱さも痛みもない。炎は初め青く、そして瞬きをする間もなく白く変じて激しく老女を、嵐太郎の視界を()いた。

 激しい光に(くら)んだ目がやっと見えるようになったとき、抱きしめていたはずの老女に声をかけようとすると、腕の中の女は小さく縮み子どもに入れ替わっていた。子どもの髪は黒々と艶のある尼削ぎであった。体がずいぶん小さく、ふくふくとやわらかな頬で幼い顔つきをしているのに、前髪が伸びて振分け髪になっているところが賢げな眼差しと相まって大人びて見える。


――おぬし、白岩のらんたろか。


 舌足らずな声で里と名前をいい当てた腕の中の童女は外の乙女たちとは異なる白衣、白袴という、先ほどまで大巫女が着用していたのと同じ装束を身につけていた。しかし装束が大き過ぎて肩が片方抜けている。いかにも寒そうなその肩の震えがかわいそうで、嵐太郎は水干を脱ぎ、童女を包んだ。


――あったかい!


 童女は嬉しげに目を細め、嵐太郎の胸もと、白い小袖に頬を寄せた。腕の中の童女は体温が高く、細い手足をしているのにやわらかだった。しばらくすりすりと顔を小袖にすりつけ艶やかな黒髪をさらさらいわせていた童女だったが、顔を上げ背筋を伸ばすと


――わが名はりんこ。あらたにうまれかわった、しらうめの大巫女である。


 凛としていい、そして小さくくしゃみをした。



     *     *     *



「これが僕とおりんちゃんの出会い。僕からすると腕の中のおばあちゃんが一瞬で子どもになっちゃったからびっくりしたんだけどね、秘儀ってそういうものだったみたい」


 乙女が止めるのも聞かずに中に入った(とが)は、いつの間にか「慌てふためく乙女たちを制して大巫女を助けに入り蘇生を手伝った」という武勇伝にすり替わっており、末席でくさっていたはずの嵐太郎は一気に次期当主候補筆頭に躍り出ていた。秘儀の後に正式に選定する予定だった次期当主は、もともと頑是ない大巫女の養育係を兼ねることになっていたとかで、大巫女本人の強い希望により嵐太郎に決定した。


「まあなりゆきで懐かれちゃって当主になっただけなんだけどね、そんなんだからすぐ駄目になっちゃって」


 と嵐太郎は口を濁した。


「僕は当主をやめた後、勉強して医者になったんだ。おりんちゃんの再生のサポートをしたかったから。僕が十五歳のときは仮死から再生まで時間がかかって遅れる程度だった。でも五十年後、おりんちゃんは自力で再生できなかった」


 窓の外を向く嵐太郎の目から涙があふれた。


「おりんちゃんが再生するとき、僕はもう当主でなかったから、ほんとうは自分の生まれた村で隠居するなり、江戸へ出て医術で身を立てるなりしているはずだった。でも、どうしてもおりんちゃんに――」


 言葉に詰まった嵐太郎に私は声を掛けられなかった。いつも人を食ったような笑みを見せ、嘘か真か分からないことばかりいう五代前の当主の、この昔語りに嘘はないように思えた。


「記憶がいったん封印されることは聞いていたから、仮死状態になるまえにせめてもうひと目、と祠に忍びこんだらおりんちゃんはもう死んでいた。当時まだ心臓マッサージや人工呼吸なんていう医療技術がないころだったからね。うろたえていろいろ試したことで偶然、おりんちゃんの蘇生に成功した」


 上を向いていた嵐太郎が(うつむ)いた。頬を涙が伝う。顔の半分が闇に沈む。


「次の再生からは主治医として立ち会いの指名を受けた。最初のうちはただ生き返ってくれるだけでよかった。生きて、いつかおりんちゃんとして僕のことを思い出してくれたら、そう願っていたんだ。でも回を重ねて気づいた。再生までの期間は短くなっている。仮死から再生までの時間は長くなってきている。それなのに今回、おりんちゃんは六十年も耐えた。僕が見てきた中でいちばん長い間耐えた」


 嵐太郎は顔を背けた。私ももうまっすぐ顔を向けていられない。わななく唇を両手で抑える。


「もちろん、心肺蘇生に必要なものはすべてそろえてある。どんな事態にも対応してみせる。でもおりんちゃんはもう何回も死んでいるんだ。契約錠が食いこんでいようといなかろうと、もう体があれ以上の死に耐えられるとは思えない。詩織ちゃん、お願いだ。もうおりんちゃんを、みちるさんを、解放してやってくれないか」

「――でも、解放は――」

「詩織ちゃん、抜き針の儀は不要よ」


 厨房の入口にみちるさんが立っていた。陽の光の届かない廊下は暗く、そこにいるのが本当にみちるさんなのか、みちるさんの口真似をする白梅なのか、分からない。


「まだ死なないわ。死ねない」


 みちるさんの声で、口調で、きっぱりとその女はいい切った。女の顔は半分、闇に沈んでいる。



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