第十三話 疾雷(五)
怪我をした私に代わり夕飯を作ることになったケイさんがどえらくご機嫌である。
「もう、しばらく厨房に入らないとこれだから駄目だなあ」
「ちゃんと食材がそろってないし」
とかなんとか口から出るのは愚痴なのに生き生き浮き浮きしている。
「お、冷蔵庫に入っているちびっこいこれ」
ケイさんが手にした保存容器には小さく丸い茄子やひょろりとして小さい胡瓜がたくさん入っている。
「きみが育てている例の?」
「はい。みちるさんに教わって育てているんです。一番目、二番目につける実は早めに収穫したほうがいいと聞いたので」
「じゃあ、これ使おう」
相変わらず手際がいい。色とりどりのサラダや、スープなどが瞬く間にできあがっていく。同時に少し甘めのドレッシングや、炒めものの下ごしらえが進んでいく。冷やしておくもの、あとで温めなおせばよいもの、どんどん作っていく。
「よし、あとはじゃじゃっと炒めるだけだな」
時計を見て一息ついたケイさんは
「少し時間があるからお茶を淹れよう」
とやかんに水を汲んで火にかけた。茶葉や茶器を取りだし用意をしながら、気遣わしげに私の腕を見る。聞きたいというので、昼間の出来事をケイさんに細大漏らさず伝えた。
「周平のことなんだけど」
「なんでしょう」
「なんであんなに白梅荘にこだわるんだろう」
「分かりません。今回は白梅荘ではなく、ハイブリッドコードキャリアを必要としているようでした。乙女契約が解除になった理沙嬢に執心していて――」
気づくべきだった。
白梅との乙女契約解除によって実験記録装置が異能を後押しすることはなくなったが、理沙嬢がハイブリッドコードを後世に伝える母体となりうる、そのことに変わりはない。契約を解除するときはまさか他の拠点からちょっかいがかかるとは思いもしなかったのだが、これは検討する材料が少ないとはいえゼロではなかったことを考えると、私の手落ちだ。私たちは湯が沸く音を聞きながら暗澹たる思いにとらわれた。
「朽ち縄、実験記録装置というのは人の体の中に収まるくらい小さいものなんだろうか」
「ケイさんは見たことがないんですか?」
「ない」
「私も白梅の本体がどこにあってどんな形や大きさをしているのか、そういえば知らないです」
屋敷のシンボルツリーに擬態し、みちるさんに憑依するけれど、どちらの姿も端末に過ぎない。存在は感じているものの、白梅荘で暮らしていても実験記録装置としての白梅との直接の接点はない。それは「島」でも事情は同じだったのかもしれない。
「周平のあの皮膚の下の光ったりする異常な様子が気になるな。あれが体内に納まっている、そのせいで周平と朽ち縄、双方に拒絶反応が起きている可能性はないだろうか」
「皮膚の内側が光るだなんて、いかにも身体によくなさそうですよね。拒絶反応だと考えると話が合いますね。本来拠点に固定されているはずの実験記録装置が持ち出され、機能維持を求められた結果、エネルギーを濫費してしまうのかも」
「活動再開後二年でストックしていたエネルギーが激減して、契約できる被験者を求めている、この線はありそうだな。ただ――」
「ただ?」
「ちょっと気になることがあって。もう『島』のハイブリッドコードキャリアが周平と俺しか残っていないから朽ち縄には選択肢がない、周平はそういっていたな」
「ええ。その状態に追いこんで無理やり管理者にさせたと」
「原則『島』の長、つまり朽ち縄の管理者は女性なんだ」
原則――。
白梅の主は男性だと聞いた。女性が主になった例がないわけではないが、少ないと。男女が異なるだけで「島」でも同じなのかもしれない。
「周平は遊び相手も兼ねてエネルギー源となるハイブリッドコードキャリアを探しているつもりなのだろうが、もしかしたら朽ち縄は周平の与り知らないところで新しい管理者を求めているのかもしれない」
「女性であることのほかに、朽ち縄の管理者に選ばれる条件があるんでしょうか。河川敷で会ったむちむちしたあの女性は朽ち縄との契約者でしたが、朽ち縄は管理者にせず――エネルギー源として取りこんでしまいました」
「うーん。自分が候補ですらなかったから何とも。そういえば母が『島』の長だったんだが、通常の管理業務は他の人に委ねることができるが、祟り神を鎮める仕事は代わりがきかないといっていた」
「そこが重視されるんですね。――では、朽ち縄はエネルギー源ではなく管理者として理沙嬢をスカウトする可能性があると」
「可能性はある。それで生命の危険がなくなると楽観視できないんだが」
「分かりました。その可能性を考慮します」
「それと……詩織、少しいいにくいんだけど、ダイブの件で」
ケイさんと私の間で「ダイブ」というと海に潜ることを指さない。私がケイさんの心の中に潜ることをいう。ここのところ週に数回のペースで夜寝る前にトレーニングと称してダイブしている。
最初の頃のように苦しそうな様子は見せないけれど、やはり心に他人が入りこむ違和感は拭えないだろう。こっそり潜りこむミッションを想定して違和感を少なくする工夫もしているのだが、苦しいのだろうか。
「やっぱり負担が大きすぎますか」
「そうじゃない。――違う。誤解させてすまない。きみを心の中に迎え入れるのに慣れてきたから、更に奥にも行ってほしいのと」
ケイさんは赤面してもじもじとうつむいた。
「その、きみの心にも触れたいと思って……。やはり俺には精神干渉力がないから無理だろうか」
「直接入っていただくのは難しいと思います。でも心の景色を見ることなら可能かもしれません」
精神干渉の異能持ち同士であれば心象風景を共有できるようだ。河川敷で対決したむちむちさんとの間ではできた。手の上で探索子を銛の形に復元したり、回しながら高く掲げたときも相手は目で追っていたから、全く同じものを見ているかどうかはともかくある程度イメージの共有ができているのは間違いないと思う。他の精神干渉能力者といえば嵐太郎だが、あれは何重にもトラップを張っていそうで踏みこめないし、どんないたずらをされるか分かったものじゃないのでこちらの心にも招き入れたくない。
アンカーで合図を送ることができているわけだし、信号だけでなく映像を送ることも可能なんじゃなかろうか。なるほどそういう方面で使えるようになるとさらに用途が広がりそうだ。
それにしても、もじもじしたり赤くなったりするようなことだろうか。ケイさんの照れた様子に首をかしげていると、時間切れになった。
陽が落ちて、また雨が降り出した。土砂降りでも小雨でもなく、細かくまんべんなく点描で画面を埋めつくすような雨だ。
食堂には交代で風呂を使った住人と客が集まっていた。
「それでは、いただきましょう」
と声をかけ、食事を始める。皆それぞれに忙しかったので久々に全員がそろった感じがする。やはり理沙嬢が加わると食卓が明るい。
向かいに座るみちるさんは、お久さんに「今日もお疲れさんじゃのう」とビールを差し出され、疲れの滲む目もとを緩ませている。お久さんの向こう、かつての定位置に違和感なく収まる理沙嬢が「おばあちゃんしょうがないなあ、ちょっとだけだよ?」とこちらも真知子さんの手にしたぐい呑みに酌をしてやっている。
「そこの真知ちゃん似のカノジョ、僕にもお酌おねがい」
甘ったるい優男はテーブルの一番奥、一番の上座にごく自然に陣取り、真知子さんと理沙嬢という、熟し切ったのと熟す前の、美女二人に挟まれる位置に収まってたいそうご機嫌だ。
「ええええ? ボク、このおじさん知らないからなんていっていいか分からないんだけど」
「こらこら、おじさんじゃないよ?」
非実在レベルの爺だ。
「そういえば理沙嬢はこの方と会うのは初めてですね。嵐太郎さんです。ケイさんのお師匠さんでお医者様、そして白梅荘の五代前の当主です」
「うーん、要するに昔の人」
「ま、そういうことです」
非実在レベルの爺、もとい、嵐太郎が割って入ってきた。
「ちょっと、ちょっと? 詩織ちゃん、紹介の仕方が雑なんじゃない? 異議ありだよ。昔の人って何? 僕のことは『らんちゃん』って呼んでね」
「はいはいはい、注目」
ぱんぱん、と拍手して注意を喚起する。
「理沙嬢、このおじさんは確かに昔の人ですが、せっかく紹介したんですから名前を呼んであげてください。それからそこの昔の人」
「詩織ちゃん、何気にひどい」
「真知子さんにそっくりなこのお嬢さんは勢田理沙さん。ご存じなのに知らないふりをしていると見ましたが、マルカワカンパニーのご令嬢です。そしてその出自に関わりなく若いお嬢さんに酌を要求しない。さて、ケイさん」
「ん?」
「あなたの師匠、酒を与えても大丈夫ですか」
「大丈夫。ウォッカひと瓶開けて手術執刀したこともあるくらいだから」
「私の代ではそんな野放図な振る舞い、許しません。でもお夕飯のときに飲酒したければどうぞご自由に。ただし乙女に酌をせがまないこと」
「えええええ、そんなあ。じゃあ、詩織ちゃんでいいや」
おのれこの甘チャラ非実在爺め。この私は乙女の範疇から外れるとでもいいたいのか。お前も薄皮問題を持ち出すのか。しかし実在非実在レベルのご長寿が集うこの席でたとえ小娘同様の年齢であろうと私は大人だ。クールに、穏便に乗り切って見せろ。
「誰も酌なんぞしません」
びしり、といい切る。
「お酒はお過ごしにならない程度にご自由に。では食事を再開しましょう」




