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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第三章  茄子と胡瓜と乙女

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第八話  梅雨寒(八)


 防御体勢を整えても間に合わない。


――ならば。


 灯台躑躅(どうだんつつじ)の茂みに針毛を投げた。弧を描き、的に吸いこまれていく。

 ぐしゃり。


「おああああああっ」


 鋭い爪を高くかざし、私に向かって振りおろそうとした瞬間、大山猫はもんどりうって落ちた。耳から血を流していたが、すぐに傷が塞がったようだ。

 治癒能力が底上げされていても、痛覚がなくなるわけではない。これだけ治癒が早ければ傷は治ったのに痛みだけが残り、かなり混乱した状況に陥る可能性もある。

 お久さんが棒を激しく回し、打擲(ちょうちゃく)する。しかししなやかな胴体をくねらせ、大山猫は素早く棒を避けた。


 それがどういう仕組みかは知らない。

 私が精神干渉力を利用して遠隔操作可能な探索子を作り上げるのと似て、周平も体のパーツのコピーを作れるようだ。先日、白梅の老木の前の周平の行動を思い起こしていて発見した。灯台躑躅、薔薇、犬槙(いぬまき)の茂みの陰に小さな丸い毛玉のようなものが落ちていた。それが何なのか、すぐには分からなかったが、独特の臭気のような気配を発しているので周平のものであることは理解できた。そこで直接接触しないよう慎重に探索子でその毛玉のようなものをくるんでおいた。精神干渉はお久さんの要塞化の異能と同じく、外見に現れにくい。そうした異能は同じ力を持った者でなければ目視できないらしい。そこを利用して目印として利用することにしたのだ。


 私はくるんでいる探索子ごとその毛玉を針毛で貫いた。

 何らかのダメージを周平に与えるはずだと睨んでいたが、当たりだ。耳から血を流していたところを見ると、盗聴が機能のメインの何かなんだろう。周りをくるんだ探索子を破壊するため私自身もダメージを受けるけれど、このくらいならばどうということもない。

 大山猫が後ろ脚でお久さんを蹴り飛ばす。棒を前方にかざして防御態勢を取ったお久さんが持ちこたえ、踏ん張った勢いそのままに跳躍し棒で打ち据える。お久さんと大山猫はくんずほぐれつしながら前庭から遠ざかって行った。

 梅の木の前にケイさんと私が残された。


「ケイさん、ごめんなさい」

「……」

「こんな話を聞かせたくなかった。私がふがいないばかりに」


 がっくりと膝をついたケイさんの獣化がゆっくりと解けていく。乱れた前髪の隙間から傷ついた瞳がのぞく。


「あとで話しましょう。部屋に戻っていらして。母屋の中なら安全です」

「……詩織は? どうするんだ?」

「私は」


 中庭の方向を眺める。怒号や気合い声が遠くで飛び交っている。


「お久さんに加勢します。当初の予定通りできるだけ情報を引き出します」

「……俺も行く」

「駄目ですよ。あなたの兄の長期的な狙いは白梅の乗っ取りかもしれません。でも短期的な狙いはあなたである可能性があります」


 ケイさんが傷つき潤んだ目で私を見上げる。


「実験記録装置がなぜハイブリッドコードキャリアと契約するのか、考えてみました。『播種計画』の交配実験のためであるのは間違いありません。でも他にもきっと理由がある。おそらく実験記録装置は、契約関係にあるハイブリッドコードキャリアの遺体でなければエネルギーとして利用できないのだと思います」

「……」

「白梅は今、エネルギー不足で十分な活動ができません。朽ち縄も近い状態になりつつある可能性がないとはいえません。河川敷で会ったあの女性を呑みこんでもまだ飢えていて被契約者であるあなたの身体を呑みこむためにきたのか、あるいはもとの被験者契約を回復するために連れ戻しに来たのか。いずれにせよ、朽ち縄と周平はあなた必要としているのです」

「……」


 ケイさんが目を(みは)る。まなじりからつつ、と涙がこぼれ獣化の解けた頬を伝う。


「ケイさん」


 大きい人の濡れた頬を指で拭う。今の惑乱した状態のケイさんに話して聞かせても事態を把握できないかもしれない。頭で理解できてもきっと、心がついていかない。ケイさんの心のあの美しい風穴が、穏やかに澄んだセノーテが荒み傷つくかと思うと身が切られるようにつらい。無力な自分がもどかしい。

 涙の筋をたどり、ケイさんの唇に指先で触れた。熱く、心もとないくらいやわらかい。


「ケイさん、あなたは朽ち縄と契約した被験者です。でも私はあなたを朽ち縄に渡さない」

「……」

「ケイさん、私にとってあなたは、何?」

「きみの、乙女だ」

「そう、私は白梅の乙女の主です。でもそれだけじゃない。あなたは私の対。そして唯一の人」


 私はケイさんの手をとり、左胸にあてた。


「私の心の中にあなただけが住む場所がある。他の誰のためでもない、あなただけの場所が。忘れちゃった?」


 大きい人が(ひざまず)いたまま私をぎゅうっと抱き寄せる。胸もとで(むせ)ぶ大きい人の頭、つむじと額の間に口づけた。


 中庭の方向からお久さんの叫ぶ声がしたのを最後に、戦闘の気配が途絶えた。おかしい。大きい気配が近づいてくる。位置が――不自然に高い。ケイさんを屋内に退避させている暇はない。

 ストールの内側から二本、針毛を抜き左掌に突き立てた。びちびちと溢れる血をケイさんの周りに円を描くように()く。


「白梅、起きなさい! ケイさんを守って――」


 ばさ、ばさばさり。

 怪鳥。いや、(とび)か――。

 中庭から滑空して近づいてきた大きな鳶が梅の木の上、母屋の壁に激突する寸前、羽ばたいて姿を変えた。大きな守宮(やもり)だ。するすると壁を伝い降り、再び大山猫の姿に変わり高く跳躍する。


――これが「王化」。


 このわずかな時間で三種類の動物に完全に、そして状況に応じ自在に変異している。先ほど前庭に出た当初、壁に張り付いていたときは人型だった。目的によって部分的な変身も可能なのかもしれない。ケイさんのヤマアラシ姿が完全な獣化でないことを考えると、周平の「王化」による変身が相当に高度であることが知れる。

 背後の白梅の老木からひび割れた肌の触手がどっと生えた。一斉に伸びるそれらがケイさんと私を包もうと殺到するけれど、きっと間に合わない。白梅に示した領域、自分の血で描いた円から踏み出し、両手に針を構える。白梅が動いているのであれば、私は怪我をしても癒える。ちょうどよい。傷つき、流す血を対価にすればよい。こんなときにそういう損得勘定をしてしまうなんて。滑稽だ。

 ふふふ。

 すぐ目の前に爪を振りかざす大山猫が迫っているが、却って余裕ができた。

 考えてみてよく分かった。私にはほとんど勝算がない。

 私と周平は、お互いにそれぞれの実験記録装置から治癒能力を与えられている。不慮の事故で命を失い、実験記録装置の管理者が不在にならないように。周平も私も、お互いがそうやって守られていることが分かっている。だから常人ならば死に至る傷を相手に与えるのに躊躇などしない。

 そして私より周平のほうが戦闘経験値ははるかに高い。高慢で残忍で計算高く、そして人を傷つけることを楽しむ。そんな相手を前に、私の戦略眼など所詮付け焼き刃でしかない。頼りの白梅もエネルギー不足で十全に活動できない。

 それでも私の背後には大切な人がいる。一歩も退けない。白梅が動けば目の前のこの事態をカバーできなくても、怪我は治してもらえる。そしてどんなに痛くても傷は必ず癒える。戦いどころか、喧嘩すらろくにしたことがない。それでも負けてはならない。じゃあ、どうする。

 ほとんど勝算がないということは何をしても無駄、ということとを意味しない。ほとんどないだけで勝算そのものはあるのだ。

 山猫の形をした暴虐の嵐を前に、痛みと敗北に臆するわななきを振り払い防御を捨て去ったところに生じる小さな勝機に賭けよう。

 狙え。牙を剥き、噛みつこうと開けた口の中、喉の奥を刺して相討ちを狙え。

 前脚を振りおろし一閃、もうひとつの前脚でさらに一閃。私の貧弱な身体を引き裂こうと重く強い爪の斬撃が迫る。

 大山猫の爪を一度は避け、二度目は避けずに左腕を前に出して突進する。山猫の爪が私の腕を、シャツの袖ごと抉るがそのまま前へ踏み出す。右手の中の針をぐぐ、と握りしめる。そして再度爪をかざそうと前脚を開いた大山猫の胸もとに飛びこみ下から上へ、右手を突き上げた。

 相手の胸を一突きするのでは、腕にこめる力が同じでも勢いが足りない。胸でなく、さらに上の口の中へ、振り抜けば勢いをつけてより大きな力を拳に載せられる。

 背後の大切な人を守りきることが今回の勝利条件だ。

 右手を失うことになってもかまわない。非力で技術も経験もない私の、勝利を得るために当然支払うべき対価だ。

 この右手に握った針を、拳ごとこの山猫の口の中、喉の奥へ――。


「詩織」


 針を握りしめ振り抜いた手を、ヤマアラシの人が掴んでいた。いつの間にこの人が目の前に。


「こんなことまでさせてすまない。俺が悪かった」

「ケイさん――」

「おあああああっ」


 ずずず。

 針毛を逆立てたケイさんの背後で、大きいものが地面にたたきつけられた鈍い音がした。のたうつ大山猫の腕や腹に(おびただ)しい数の針毛が刺さっている。


「うあ……痛、ううう。――ネズミ、何しやがる!」


 灰色の毛皮がヒトの肌に徐々に戻る。皮膚の内側が目まぐるしく発光する。周平は体に刺さる針毛を(むし)るように引き抜きながら(わめ)いた。


「周平。千草さんの遺体をどうした」

「……」

「『川向こう』はどの川のことだ。多摩川ではないな」

「……」

「荒川か」

「……」

「利根川か」

「知らん。知っていても教えん」


 針毛を引き抜く、そのそばから傷が(ふさ)がっていく。


「周平。朽ち縄と話せるか」

「さあな。そこでぐちゃぐちゃいってれば聞こえるんじゃないか」

「……朽ち縄、すまない。俺は『島』にはもう戻らない」

「……いうことはそれだけか、ネズミ」

「ああ」

「朽ち縄の意志がどうであれ、今はオレが朽ち縄のあるじだ。ネズミ、お前の契約は解除しない。貴重なエネルギー源だからな。そして『川向こう』の連中とは関わるな」

「なぜだ」

「あいつらは(たた)り神文書を解読できる人間を欲しがっている。文書を読めるだけでなく実験体にもなるからな、お前は」


 周平は「ええい、ちくしょう」などと悪態をつきながら針毛を引き抜き、東雲(しののめ)の空を見遣った。

 不思議だ。自分と違う理に生きる周平の、思惑の読みづらいスリットの縦長に開いた瞳に昔を懐かしむような光が過ったように見えた。


「ネズミ、お前は頼まれれば断れないし、頼られれば簡単に心をゆるす」


 周平の顔はすぐに元の冷たく見下す表情に戻った。


「川向こうの連中に関わるとすぐに用済みにされてホルマリン漬けになっちまうぞ。白梅の当主がそれで構わないというのなら、ネズミは朽ち縄に返してもらう」


 すべての針毛を引き抜き終え、周平は立ち上がった。あれだけ変身しまくってしかも部分でなく全身まるっと獣化していたので当然なのだが、服なんぞ吹っ飛んで全裸である。変態には常に服を与えなければならない。


「オレのスタイリッシュなヌードに見惚れたか、白梅の」


 こんな呆れたことをぬかしやがるからである。


「あばら骨の浮いた貧相な体型をスタイリッシュと形容するとは知りませんでした。好みでないので見惚れません」

「じろじろ見てるくせに」

「どんな反応を期待しているのか知りませんが、『きゃ』などと赤面するような年でもないんで」


 結局欲しい情報をすべて引き出すことはできなかった。成果が全くなかったわけではない。接触する機会は減るはずだが深追いしないほうがよいか。それにしても周平は何を求めてここにきているのだろう。


「もうここに来ないでください」

「オレはオレの行きたいところへ、気が向いたときに行く」


 何かが内部で(うごめ)いているような不思議なパターンで周平の肌がまだらに輝く。


「村尾、おぬしの進入許可は取り消されたぞ」


 油断なく棒を構えたお久さんが薔薇の茂みの向こうから現れた。


「久子、白梅の当主の頭越しにそんなことをしていいのか」


 周囲に住宅がほとんどないとはいえ、これ以上騒ぎが大きくなるとまずい。緊張が高まる二人の会話に割って入った。


「よいのです。あらかじめお願いしておきましたから。庭の植えこみに残されていたあなたの毛玉はすべて機能停止しているはずです。あれを足がかりに侵入することもできない」


 周平は無表情だったが、ぬめる肌が目まぐるしく明滅した。


「千草さんのご遺体をどうしたのか、話せないのならもう帰ってください。そしてここにはもう来ないでください」


 周平はふふ、と笑うと腰を落とした。すると、大きな守宮がわさわさと私の傍らをすり抜け、白梅の木の後ろの壁を滑るように登って行った。そして屋根に届きそうなところまで登りいったん力を溜めたかと思うと大鳶に変身し、飛び立った。

 翼を広げた大鳶が悠々と旋回しながら上昇していく。

 とにかくいやな男で、時間をかけようが努力をしようが到底分かり合えそうもないのだが、獣化した姿は不思議と美しかった。



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