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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第三章  茄子と胡瓜と乙女

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第五話  梅雨寒(五)



 その日の夜遅く、帰宅したみちるさんに軽めの夕食を給仕しながら報告した。眉間に皺を寄せひととおり話を聞いたみちるさんが不機嫌メガネモードで斬り捨てた。


「あの議員先生、近頃駄目らしいと聞いてたけどほんとにもう駄目ね。うちの事務所の顧客でなくてよかったわ」

「めちゃくちゃでした」


 議員先生御一行の言動だけでなく小応接室の調度もな。半べそかいて掃除したが、お気に入りの水盤だけでなく、ソファも駄目になっていた。座面と背もたれのゴブラン生地が裂けてしまっているし、脚や肘掛に大きな傷がいくつもつけられていた。


「うーん、なんか夕方に、代わりのものをとか何とか秘書からこっちの事務所に連絡があって何が何だか訳が分からなかったんだけど」


 例の秘書はアポなし突撃訪問して暴れた、肝心のそのあたりを伏せて説明しようとしたらしい。


「応接室のソファと水盤ですか? うちの当主が気に入っていますからお譲りできませんよ。それに年代物ですから代わりのものは簡単に入手できないはずです。博物館級の骨董ですし」

「は、博物館級? まさかあんなぼろ……あっ」

「ぼろ?」


 みちるさんに撃沈されたようだ。

 いい気味だ、ざまあ見ろ、と嘲笑いたいがそれよりもあのお気に入りのソファと水盤の換えが利かないことが堪える。あいつら、許さん。


「みちるさん、お聞きしたいことが」

「なに?」


 お久さんから要塞化の能力について聞いたことを話した。


「お久、詩織ちゃんにその話したんだ」

「お聞きしないほうがよかったですか?」

「本人がいい出したんでしょ、問題ないない。それより本人がね、あまり能力の話をしたがらないのよ」

「タブーだと聞いています」

「それもある。乙女になったいきさつがいきさつだけに話しづらいんでしょう。私は千草さんと一緒に勧誘に行ったからというのもあって事情を知っているけれど」


 湯気の立つ湯呑みを掌で包みこみ、みちるさんは目を伏せた。長い睫毛が頬に影を落とす。疲れているのに悪いなとは思ったが、なかなか時間を取れないので話を続けることにした。お茶のお代わりを淹れ、好評を博した生姜の砂糖漬けを添える。


「完全遮蔽とまでいかずとも普段から透明の要塞で敷地全体を囲っているとお久さんからうかがいました」

「そうね。もともと力があまり強くないし、進入可否の条件が細かいとその分集中しなければ要塞を維持できないみたい。ちゃんと機能させようとするとかなり疲れると聞いたわ」


 昼間、要塞の完全遮蔽するさまを目の当たりにしたため信じがたいが、お久さんは異能のレベルが低いのだという。力の弱さは要塞の強度にも表れるが、どちらかというと繊細なハンドリングに影響が出る。こまかな条件指定などのせいで疲労がたまる。いくつもの要塞を一度につくり、維持するのも難しい。


「それでもウィークポイントの補強などを行っていれば通常、不法侵入など不可能だと聞きました。それが機能していれば理沙嬢のストーカーのようなしつこく入ってくる連中はすべて撃退できていたと」

「その通りよ」

「実はまだお久さんに話していないのですが」


 しばしばこの要塞結界を超えて侵入する人物がいることを話した。


「そんな。あり得ないわ。あれは簡単に破れるものではないはず」


 そうなのだ。同じ能力の持ち主同士であっても簡単にクリアできるはずがない、そんな厄介な能力であるはずなのに自由に出入りする。


「今、この白梅荘の住人は私と乙女が四名、みちるさん、お久さん、真知子さん、ケイさん、計五名ですね」

「そうよ」

「でも住人以外に自由に出入りできる人物がいる。理沙嬢です」

「ええ、そうね。もう乙女ではないけれど住人と同じ扱いだわ。彼女は通常の結界であれば自由に出入りできるはず」


 みちるさんは生姜の砂糖漬けにのばした指をびくりと宙に浮かせ、私を見つめた。


「詩織ちゃん、まさか理沙ちゃんを」

「違います。そうじゃありません。侵入しているのは明らかに理沙嬢と無関係の男です。理沙嬢と同じように住人扱いされている人物が他にいるのではないかと思ったのですがどうでしょう。自由な出入りを許可された男性の住人について教えていただきたいのです」


 みちるさんは手を湯呑みに戻し、うーん、と考えこんだ。


「ケイちゃんと……三十年前に亡くなった前のおやかたさま、そしてアレがいた、五代前の当主。他はどうだったかしら」

「問題の人物はケイさんの兄にあたる人です」

「え、ケイちゃんにお兄さんいるの? ――あ」


 つぶやいたみちるさんは姿勢を正した。


「それで乙女でなく住人といういい方をしたのね。かなり昔の話だけど、いたわ。正確には住人ではなく客人、一時期よく泊まりに来ていて居候に近い扱いだったわね。前のおやかたさまのご友人でケイちゃんと同じ『島』の出身よ」

「周平という名の人ですか」

「現在の戸籍名は分からないけれど、当時は村尾周平という名前だったわ」


 そうだったのか。ここによく来ていたのか。


「いわれてみればなんとなくケイちゃんと似ているといえなくもない、かしら? 華奢で繊細な人で、優しかったわ」

「私の知る周平とかいう男と同一人物とは思えません。見た目は三十代前半、ぬらぬらとしてねちっこいストーカー気質の細身の気障男です」

「変ね。やっぱり違うのかしら」

「いいえ、間違いありません。その人物でしょう」


 お久さんに結界を見直してもらうことにして、その夜はお開きになった。生姜の砂糖漬けは食べてもらえなかった。


     *     *     *


 未明。

 ここ数日雨が続いたが、上がったようだ。夜明けまでまだずいぶん間がある。冷えた空気が淀んでいる。あたたかな布団の外に出たくない。しかしもたもたしていられないのも事実だ。仕方ない。気が進まないが行くか。大きい人に気づかれないようそっと体を起こそうとしたのだが、太く長い腕が絡み、ぎゅっと抱き寄せられた。


「どこへ行く?」

「起こしてしまいましたか。すみません」

「――俺も行こう」


 起きようとするケイさんをとどめる。


「まだしばらく忙しい日々が続きますから、ちゃんと休んでください」

「でも」

「すぐに戻りますから」


 ベッドに腰掛けケイさんの頬を撫でる。腕を私の腰に巻きつけ口をへの字にしていたが、大きな頭、ごわごわと硬い髪を撫でてしばらく経つと、すうっとケイさんの体から力が抜けた。腰に巻きついた腕をそっと解く。少し緩んだへの字の口の端にちゅ、と口づけて私は立ち上がった。

 ストールを羽織り、サイドチェストに置いておいた針を掴む。そしてそっとケイさんの寝室から外へ出た。


 裏。表。迷ったが、表玄関から外へ出た。

 雨が上がり、風もない。湿気を帯びとろとろとした冷気が堆積し、淀んでいる。その重い空気をかき分けるように歩く。できるだけ音を立てないよう、静かに梅の木の前へ向かった。

 正直なところいなきゃいいと思っていたんだが、こういうときに限ってタイミングが合うものだ。ああ、やだやだ。

 梅の木の上、二階居住エリアの、ここしばらく使っていない私の寝室の窓近くの壁に貼りつく人影があった。予想はしていたけれど、梯子も足がかりもない高いところにへばりつく人影を眼前にするとやはり驚きを禁じえない。落ち着け、私。

 べと、べとり。

 その人影は窓に手と顔をくっつけて暗い寝室を覗きこんでいる。しばらくじっと見つめた後、二階の高いところから人とは思えない素早い動きでわさわさと頭を下にして壁伝いに降りてきた。

 ぞぞぞぞぞ。

 体が悪寒で震えるのを止められない。()えた気配がする。黒いシャツに黒いズボン。壁をわさわさと伝って降りた周平が私のすぐ目の前に立った。


「白梅の当主は朝が早いな」

「あなたはいつもに増して気持ち悪いですね」

「これはこれは。いずれ夫となるオレに対してずいぶんなご挨拶だな」


 私の頬に手を伸ばしてくる。ざ、と右手で掴んだ針毛で払いのけた。残念。外したか。


「私に触れるな。どんなに時を重ねようが、どんな手段を用いられようが私があなたの妻になることはありません」

「まあ、そう決めてかかるな。オレも悪くないぜ。それにしても物騒なものを持っているな。それは危ないぞ。怪我をするから捨てるんだ」


 ケイさんの兄弟だからだろうか。変なところでいうことが似ている。しかしぼんやりとそんなことに思いを馳せている場合ではない。針毛を掴む私の手に触れようとする周平を再度()ぎ払った。


「危ないな、白梅の」

「触れるな。私の心が乱れるとこの針毛の主に気づかれます」

「ネズミ、寝てるのか。なんと悠長な」


 周平の雰囲気が和らいだ。ケイさんが近くにいないと知って安心したのだろうか。


「白梅の、わざわざオレとサシで話しにきたというわけか。惚れた女がツンツン針振りまわすってのもかわいくて悪くないな。嬉しいねえ」

「勘違いするな。あなたにはあのむちむち精神干渉女がいるじゃありませんか」

「むちむち? 精神干渉?」


 周平は片手で顎をさすりながら考えこんでいたがしばしのちにああ、と合点がいったようだ。


「むちむちで精神干渉ってあれか。左のおっぱいに黒子(ほくろ)


 識別するポイントがそのあたりにあるわけね。


「そのむちむちさんです。あなたにずいぶんご執心でしたよ」

「そうだったねえ。もう死んだけど」

――死んだ?


 心にさざ波が立ちそうになるのを懸命に抑える。


「あの女、アンタにずいぶん前から迷惑をかけてたみたいじゃないか」

「今さら何を」

「いや、今さらって――男を横取りしたり放火したりってのはオレ、マジで無関係だから」

「そこはもうどうでもいいです」

「そうなの? あの女、ずいぶんアンタに執着していたみたいだったから殺した。目障りだったから」


 心の中で恐怖が泡立ちそうになる。落ち着け。落ち着いてこいつから情報を引き出すんだ。右手の中のつるりとした針毛の感触を確かめる。


「そんなに怖がるなよ、白梅の」

「近づくな!」


 針で薙ぎ払う。

 周平はまたひらりと避けた。ケイさんと似た面差しでにやりと笑う。すす、と再び近寄ってくる男の目の、縦長のスリットだった瞳孔が大きく黒く(うつ)ろに開いている。


「白梅の、アンタのために殺したんだ」

「そ、それのどこが私のためになるのか、わけが分かりません」

「アンタに執着してオレの邪魔をする奴が赦せないのさ。オレはアンタを独り占めしたいんだよ、白梅の」


 周平の顔がすぐ近くに迫る。それなのに体が震えおののいて針を振るえない。虚ろな空隙(くうげき)と化した大きな瞳孔に吸いこまれてしまいそうだ。感情が読めない。読めないのに、(くら)い空隙から強い(かわ)きと飢えがにおう。

 一閃、二閃。

 針で薙ぎ払う。


「アンタを傷つけ貶める存在を、それがたとえ運命であってもオレは(ゆる)さない。オレはアンタを守るのに手段を選ばない」


 ひらりひらりと避けた周平がまたすす、と近寄ってくる。


「オレのものになれ。白梅の」


 頬に生臭い息がかかる。ぞぞぞ、と悪寒が走る。


――駄目だ。気持ち悪い。怖い。

――怖がっては駄目。まだひとりでやれるはず。

――でも怖い。怖い――!


 すす、と退く気配と、風を巻いて駆けつける気配。がくがくと震える手が背後から掴まれる。


「詩織。もう針は必要ない。手を離して」


 強張(こわば)る指を一本一本、剥がすように緩める。からん、と乾いた音を立て針毛が地面に落ちるのと同時にぐい、と抱き寄せられた。日向のにおいよりも濃い、甘く粉っぽい香りに包まれる。がくがくと震えるのを抑えきれないまま、目の前のヤマアラシの人に(すが)った。頬がふかふかとやわらかい胸毛に埋まる。


――駄目だ、何も聞き出せなかった。


 大きくあたたかな人に包まれて安堵するけれど、無力な自分がもどかしくて悔しい。


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