第十九話 雨
千草さんが生きている。白梅がそう考えている。
街道沿いの食堂に出前してもらった蕎麦だの丼飯だの、思い思いのメニューで夕食を済ませた。白梅から聞いた話の報告と聞き取り調査は話題が遺体に関することなので、食後のおなかが落ち着いたころを見計らっていった。乙女たちは、
「遺体がなくなるので葬儀を行えないのは聞かされておったのじゃが、まさかそのように利用していたとは、驚いた」
「俺も知りませんでした。興味深い。他の実験記録装置も同じなんだろうか」
「仕組みがそうそう異なるとも思えませんわ」
白梅の遺体処理の話に驚いていたようだが、千草さんの生存の可能性については
「千草ちゃんが生きている……? それはまずありませんわ」
「うむ、我々が看取ったからの」
「死亡判定は、ハイブリッドコードキャリアであるか否かに関わらず同じ手法をとる。医者として間違いなく亡くなっていたと断言できる」
「私は臨終の場には立ち会えなかったけれど、ご遺体とお別れすることはできた。間違いなく亡くなっていたように見えたわ」
口をそろえて否定した。
「そもそも白梅はなぜ千草さんが生きていると思いこんでいるのかしら」
「遺体を受け取っていないそうです」
「そんな」
「まさか」
「それはおかしいのう。庭の梅の木の前に、定められたとおりご遺体を安置したのじゃが」
乙女たちが首をひねる。その後千草さんの死の前後の出来事を聞き取り、解散した。
深夜。みちるさんを伴って大広間へ向かった。
「みちるさんも話し合いに参加できるといいのですが」
「ごめんなさいね」
「いいえ、ただご一緒していただければ心強いというだけなので無理には」
「白梅と私は背中合わせなの」
みちるさんはふ、と目をそらした。
「先代の大巫女さまに憑依した白梅と話して以来かしら。私はもう何百年も白梅と話していない。ただ必要な情報を共有するだけ」
重たげに頭に手をやった。俯いたみちるさんが顔を上げたそのとき、ふ、と梅の花の香りがした。初老の美人敏腕弁護士みちるさんのままなのにどこか童女めいている。目に混沌と深遠、人でないものの気配を帯びた白梅がそこにいた。
「おやかたさま」
「白梅、聞き取りを行いました」
「はい。皆が一様に先代当主が亡くなったという、それであれば自分の知っていることと同じでございます」
ぷい、と白梅が顔を背ける。
「まあ、待ちなさい。問題はおば様、先代当主の生死ではない。そのお身体がどこにあるか、でしょう? 私が行ったのは先代当主の死の前後に関する聞き取りのみです。それでもすでにいくつか疑問点がある」
白梅の頬に手をあて、視線を合わせるよう促した。
「白梅、お前にも思い出してほしいことがあります」
しばし情報のやり取りを行う。大広間からみちるさんが静かに出て行った後も私は立ち尽くしていた。
集めた情報を並べる。ナンバリングする。グループ化してみる。それを解いてみる。相関性を分析する。再度時系列に沿って並べ直し、俯瞰して全体像を見る。
今手もとにある情報をつなげてストーリーをつくるための作業ではない。欠けているものは何か。闇雲に壊しては組み立て直す作業を繰り返しているようで、徐々にぽっかりと開いた穴が形になってきている。
あぶり出してやる。さあ、出てこい。
ふ、と梅の花の香りが漂う。扉の外に立つ人に声をかけた。
「どうぞ。お入りください」
黒い大きなかばんを持ったケイさんが入ってきた。
「お医者さまみたい」
「医者なんです」
シャツのボタンをはずしばんばん服を脱いでたたんでいたら、ケイさんが首をかしげた。
「なんで脱いじゃうの?」
「え?」
「採血するだけだぞ?」
「えっ?」
真っ赤になってもう一度服を着ようとしていたら、後ろから抱きしめられた。
「別にそのままで構わない。採血するのに問題ないから」
「いやいや、お医者さんのいうこととも思えない」
なんだかんだで押し切られて下着姿で採血されてる。おかしくないか。しかも下着に擬態したアグレッシブなサムシングを着用しているので露出度が高い。
「眼福だ」
変態だ。変態がここにおる。
にこにこしながら駆血帯で二の腕を縛り、消毒し針を刺し、とてきぱき手順をこなす。
「採血って看護師さんのお仕事なのかと思っていました」
「看護師さんがいない職場が多かったのでね。自然と手技に磨きがかかる」
夕食後、白梅の代替エネルギー問題についての話題になった。あまり気持ちの良い話ではないが、私の血液をそれにあてることも乙女たちに報告した。みんながみんな血液を提供するといってきかなかったが、ほんとははっきりいっちゃいたかった。白梅が好むかどうかに関わらず、ジジバ……エルダリーな皆さんから血抜くなんて無体はできないっての。そこら辺は懸命にぼかして、白梅の指名によるものであることを強調、渋々といった態ではあるが納得してもらった。
ケイさんが計って採血した二百ミリリットルの血をだばだばと大広間の中央にこぼす。
ずずずずず、ずぞぞぞぞ。
飛び散って周囲を汚す間もなく、ビーカーの中までつるり、と透明な舌で舐られたように血液が消えた。
「なんだか、白梅がもうちょっと欲しそうにしてますが」
「駄目だ」
「私なら大丈夫ですよ。もう一回、今のと同じくらいだったらいける気がします」
「駄目だ」
針を刺した痕をアルコール綿で押さえながら、道具の後始末をするケイさんを眺める。背中を丸めちょっぴりしょぼしょぼとして見えるこの大きい人がとても頼りになることを、私は初めて会ったときから知っていたような気がする。
――そんなわけないのに。
そうしてぼんやりしていたのがいけなかったか。片付けを終えたケイさんが私を膝に乗せた。露出度が高くてつるつるした布でできた下着越しにすりすりと背中を撫でて嬉しそうにしていたが、ひとしきりそうした後に私の顔を覗きこんだ。
「何をそんなにしょんぼりしているんだ」
「しょんぼりしてませんよ」
「採血量だったらあれが限界。次に採血できるのはおよそ一ヵ月後だ」
「そうなんですか。じゃあ白梅には今の血でしばらくしのいでもらうしかないですね」
「何を気にしているんだ。理沙ちゃんのことか?」
「そうでした、今日は色々ありましたね……。その件を忘れていました」
そうそう。用事が終わったんだからお楽しみタイム。
「……ちょっと詩織、何してるの」
「何って、服脱がせてますよ。もしかして獣化って身体に負担かかっちゃいます?」
「そんなことはないけど」
「ケイさんのヤマアラシ姿、まだ二回しか見てない。もっともふもふしたいのに」
「すぐ脱ぎます」
ヤマアラシ化してもらった。横になってもらって胸毛ぱふぱふし放題だ。乗っかったままままうつ伏せになって、三日月形の白いふさふさした毛の帯から首にかけて頬ずりする。もふもふだ。
「そんなに気に入られるとは思いもしなかった」
「これはねえ、素晴らしいもふもふですよ。それにケイさん、すっごくいいにおいがします」
「そうなの?」
「こういうご褒美があると、またがんばろうかな、がんばれそうだな、そんな気持ちになるんですよ」
「そうか」
この前は悔しそうに涙目になっていたけれど、今回は目を細めている。
「はあ、ふわふわで気持ちいいです」
「詩織、もしかして千草さんの遺体は」
「……もう、せっかく楽しんでるのに。無粋ですね」
「すまない」
ごまかしきれないな、とため息をつく。
「おば様が生きておられるとかいう白梅の説は現実的でないと私も思います」
「じゃあ」
「ええ。遺体は盗まれたのでしょう」
「何のために」
「分かりません。情報が少なくて」
「きみのことだ。候補を絞りこんであるはずだ。教えてくれ」
この人にも予感のようなものがあるのかもしれない。私の中でおぼろげにかたちづくられる推測のひとつ、分岐のいくつかがある可能性を示す。こうあってほしくない結果が得てして現実となるものであるが、それでも予断は許されない。
「やだ」
「え?」
「教えてあげない」
「ちょっと……詩織さん?」
「もふもふ途中でストップされたから、教えてあげない」
おずおずと私にのばされた手をとりその掌に口づける。人型のときと違って黒い掌はそれでも人のときと同じであたたかくやわらかく、ところどころささくれがある。私の頬に伸びた爪が掠るたびに傷つけることを懼れるのかびくり、とおののく。
「こういうことも、これからは控えなければなりませんね」
「……そうだな。白梅の治癒支援が期待できない今、きみは極力怪我を避けたほうがいい」
ものいいたげなヤマアラシの人の厳しい視線に気づかず、胸もとにすがってあたたかな毛並みを指で梳くことに夢中になっているふりをした。密やかに窓を叩く雨の音がする。私はヤマアラシの人の鬣を撫で、口づけた。




