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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第二章  新茶と乙女

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第十六話  新茶


 あちこちで渋滞に引っかかったが、寄り道した磯から多々良が浜まで大した距離ではない。なんとか午後遅めの時刻に白梅荘に着いた。松並木の続く路地に一時駐車してガレージを開ける。私は両手で抱えられるだけ荷物をぶら下げて車を降りた。


「こんにちは」


 ガレージの外に、石部少年が花束を持って立っていた。


「こんにちは。先日はどうもありがとう。そのお花、きれいですね。お使いですか」

「いえ、あの、理沙ち……さんの、お見舞いに」

「あらら、そうなんですか。うーん、今、おばあちゃんが不在であの娘も実家に戻っちゃってると思うんですが」

「……そうなんですか」


 少年はがっくりと肩を落とした。ケイさんがガレージから顔を出した。


「どうした。――ああ、石部くん。その節はどうもありがとう。お世話になりました」

「いえ、とんでもないです」

「詩織、俺はこっちの後始末をして残りの荷物を運ぶから、きみは先に行ってくれないか。そして、石部くんにお茶を」

「そうですね。せっかく来てくれたんですから。立ち話もなんですし」

「おかまいなく」


 今日も安定の大人っぽさだな、小学生のくせに。しかも連休中にまたでかくなったんじゃないか。目の位置が私より明らかに高くなっている。


「重そうですね。お手伝いします」


 石部くんによる少年紳士の(かがみ)のごとき気遣いで両手いっぱいの荷物と花束を交換することになった。


「新茶を買ってきたので良いタイミングです」

「おいしそうですね」


 などと話しながら裏口の扉をがらっと開けると、理沙嬢が階段から顔を出した。


「しおちゃん、お帰りいいいい! ボクにも当然東京のお土産ある……」


 私の前で理沙嬢が、隣で石部少年がぼぼっ、と同時に赤面した。


「あの、あのあのあの、お見舞いにまいりました!」


 ひょこひょこと足をかばいながら階段を降りてきて目の前に立った理沙嬢に、石部少年はいささかきっぱりし過ぎる感じで宣言した。


「えっと、いらっしゃい? ……違……ありがとう?」


 理沙嬢もかなりうろたえているのか、いい淀んでいる。うろたえついでに上目遣いでもじもじしている。紅潮した頬、潤んだ大きな目の美少女の上目遣いかなり来る。どこに来るのか分からないが、私にも来た。ぐっと来た。

 隣に立つ石部少年には相当に来ている様子で、赤面を通り越して血の気が失せてきている。倒れるんじゃなかろうか。落ちつけよ、小学生。大きなかばんや紙袋を両手にぶら提げたまま、「持っていただいてありがとうございました」とひとこと断り私の手から花束を(むし)りとると、石部少年は


「お見舞いです!」


 と叫び、花束を理沙嬢に差し出した。腕にぶら提げた大荷物がぐらんぐらん揺れる。


「ありがとう、ございましゅ」


 理沙嬢は噛んだ。花束を受け取ってますます頬が赤くなる。

 ほうら、いわんこっちゃない。普段からちゃんとしたことばを遣い慣れておかないからこういうときにぼろが出るんだよ。「ましゅ」じゃないんだよ、十六歳っていったらもう少しで大人なんだからさあ、と呆れつつ、つっこんだら同意を得られるに違いない、と隣りを見やると、石部少年がいったん青くなった顔色を再度沸騰しそうなくらい真っ赤にしていた。おいおいおい。


「あ、あの、僕はこれで!」


 と回れ右して裏口から外へそのまま出ようとするので、シャツを掴んで引き留めた。


「ぐえ」

「石部くん、その荷物、運んでくれるんじゃなかったんですか」

「あ、そうでした」


 困りますよ。その荷物、持って帰られちゃ。下着に擬態したデコラティブでアグレッシブなサムシング入りですからね、そのかばん。


「ひとまず落ち着こうか」


 高い位置からのんびりとした低く太い声が降ってきた。私を安堵させる日向のにおいが背後にあった。

 ケイさんが乙女たちに帰宅の報告をしてくれるというので、私は若人二人の相手をすることになった。小応接室にまとめて押しこんでしまうのが楽でいいのだが、何となくはばかられて厨房にいざなう。高校生と小学生で何か間違いがどうのこうの、本来はそういう組み合わせじゃないのだが、さっきの二人の様子だとちょっと……。読んで字のごとく老婆心そのものの気のまわし方で我ながらすっごくいやだけど。

 このまえおいしそうに飲んでくれたし、やっぱりお茶、買ったばかりの台湾の新茶を豪勢に出しちゃいましょうかね。


「なんだか、いつも厨房でお茶を出すことになっちゃって、申し訳ないですねえ」

「そんな、おかまいなく」

「しおちゃん、何か手伝う」

「り……おねえさんはまだ怪我が治っていないんだから、座っていてください。お手伝いでしたら、僕が」


 いや、きみがお客さんだから。とにかく落ち着け。スツールを二脚出して二人を座らせる。

 やかんに水を汲んでガスレンジにセットし、点火した。紙袋から茶葉などを取り出し、作業台に並べる。後で食糧庫にしまうものなどをより分ける。

 クールダウンしたほうがよさそうじゃないの? このふたり。

 炭酸飲料のでかペットボトルとポテトチップスなどをどーんと出して「なになに、ゲームでも持ってこようか?」と思いっきり子ども扱いするのも手だ。しかし残念なことに白梅荘は住民の年齢層が非実在レベルでエルダリーなのでその手合いの用意がない。炭酸飲料はアルコール入りだし、ポテトチップスはお久さんがやんちゃして食べつくすので健康上の理由で常備していない。ゲーム機か。熟女乙女たち、意外にはまるかもしれないな。コントローラーを手にきゃっきゃうふふする乙女たちを想像したら、何というかその、思いのほかぐっと来た。相当かわいいんじゃないのか。今度購入を検討しよう。マジで。

 棚から茶器を取り出す。少し逡巡したが、大きい茶盤(ちゃばん)を選ぶ。茶壷(ちゃふー)と呼ばれる小ぶりな急須、細長く小さな聞香杯(もんこうはい)茶杯(ちゃはい)茶海(ちゃかい)と呼ばれるサーバーなどを茶盤の上に並べる。やかんをもうひとつとりだし、湯を沸かす。


「あの……もう、りさちゃんって呼んでくれないの?」

「いや、それはその」

「助けてくれたときは、そう呼んでくれたのに」

「そうしたいけど、その」


 甘酸っぱいな、おい。石部少年が助けを求めるようにこちらをちらちら見ているのに気づいたが、おばちゃんだってどうしたらいいか分かるわけがない。知らぬ顔、会話が聞こえてないふりを決めこんだ。

 それより、茶葉だ。

 この甘酸っぱい状況にマッチしてなおかつインパクトと鎮静効果のありそうな茶葉、ございますよ。いろいろ買ってきてよかった。東方美人かな。いや、文山包種だ。ほんのり甘いけれどさわやかな香りがさっぱりとさせてくれて、甘酸っぱいがしかしそこはかとなくべとつくサムシングを洗い流してくれそうじゃないか。

 昨日店で試飲した感じでは熱湯でがばーっと入れて適当に蒸らしてマグカップでふうふうぐいぐい飲んでも十分においしい、そんなよくできた茶葉なんだと思う。しかし敢えてちまちまこまこました道具を出してちょこちょこいじって、香りと味を存分に引き出す工夫をするのでね、お願いだから落ち着いて、きみたち。

 湯が沸いた。

 茶盤の上の茶器に茶壷、茶海、茶杯、聞香杯、と順に湯を張り、温める。茶壷に茶葉を入れ、湯を満たす。浮いた泡を切り、茶壷に蓋をする。聞香杯の湯を茶壷にかけて、蒸らす。

 掌に収まるよりさらに小さい茶杯や指でつまむくらいに細く小さい聞香杯を並べて細かい作業を順に順に、とこなしていると心楽しい。普段遣いの煎茶の茶道具より種類が多く小さいので、子どもたちも興味深そうに私の手もとを見る。

 腕時計で大雑把に抽出時間を計測する。茶こしをセットした茶海に一煎めを注ぎ笹の葉を模した白磁の杯托を二人の前に並べる。二人分の聞香杯に茶海から一煎めを注ぐ。

 ここからは一気だ。

 聞香杯の上に茶杯という小さな湯呑みをかぶせる。迷わずぐいっと上下ひっくり返し、杯托に載せる。これをふたり分、繰り返した。


「さ、どうぞ。おあがりなさい」


 二人とも以前、それぞれに私からふるまわれてこうした手順が初めてではないが、慣れているというほどでもない。恐る恐る聞香杯をつまみ、持ちあげた。中の茶が茶杯に満たされる。


「香道やお茶ではね、香りを聞くというらしいですよ」


 聞香杯を置いて茶杯を手に取ろうとするふたりに声をかけた。


「繊細な香りは、嗅いだり吸いこんだりというよりその調子を聞くものだそうです。聞香杯を手にとって、香りを聞いてごらんなさい」


 さささ、香りが逃げる前に。そう勧めると、子どもたちは聞香杯に鼻を近づけた。二人の表情が怪訝そうな好奇心混じりのそれから、気になる何かをとらえたものに変化した。


「香りが甘い」

「お花みたい」


 聞香杯に鼻をつっこんだまま、顔を見合わせ二人は微笑み合った。香りの飛んだ聞香杯を置き、今度こそ茶杯を手にとって茶を口に含む。


「おいしい。甘い」

「ほんとだ。すっきりしてるのに甘い」


 赤くなったり、青くなったり、倒れちゃうんじゃないかと心配になっちゃう状態はひとまず脱したようだ。よかった。こまこまとした、指でつまむようなサイズのかわいらしい茶道具を湯や茶が行ったり来たりする、そういう手順を眺めているとあわあわふわふわした気持ちも落ち着くというものだ。


「足はもういいの?」

「腫れも引いたし、明日から学校に行くのもなんとかなりそう」

「それはよかった」


 白磁の茶杯は、石部少年の手の中におさまってますます小さく見える。短く刈られた髪も肌も日に焼けている。身長のわりに肉づきが薄く、華奢でアンバランスだ。理沙嬢に微笑み返して照れ、目を伏せると思いのほか長い睫毛が年齢相応にすべらかな頬に濃い影を落とす。成長途上であるものの、男前度の高さといい、きりりと整って男らしい顔つきといい、将来有望というより現時点ですでに女子高生にキャアキャアいわれること間違いなしの硬派な好男子なのだ。さすがにキャアキャアいわないけれど、うっとり見上げちゃってる子がここにいるし。理沙嬢、いかにでかくて頼もしくても相手は小学生だぞ。

 そしてさっきの石部少年の様子からして、本人の自覚は薄そうだけど明らかに恋だよね。まあなあ、身内の贔屓目を差し引いても理沙嬢はかわいいからねえ。

 困ったものだ。

 五歳の歳の差は、大人になってしまえば大したことはない。ほんとですよ? 私の恋人も六十五歳年上ですし。恋人が六十五歳じゃないんですよ、六十五歳も年上なんです。それでもなんとかなっちゃうものです。

 でも、それはお互いが大人だからなんだよね。

 子どもは恋愛しちゃ駄目かというとそうじゃない。そう思ってないんだけど、うーん。

 理沙嬢と石部少年は恋している。これは明らかだ。で、私としては二人に恋愛してほしくない。今は。


――あ、まただ。


 石部少年の心の外壁をぼんやりとした何かが守るように囲っている。それがふとした拍子にひらりと光るように感じられるのだ。


――力はごく弱い。けれどおそらくこの子はハイブリッドコードキャリアだ。


 それも私と同じ精神干渉の異能持ちである可能性が高い。


――欲しい。


 目の前の少年を手の内に囲いこみ、契約してしまいたい。ひりひりと焼けるような痛みをともなう渇きと焦りが甦る。白梅にこのことを悟られてはならない。少年を巻きこんではならない。新しい乙女を迎え入れてはならない。


――止めたものかどうしたものか。


 現時点で、理沙嬢は突っ走るためにスタート地点についたところだろうか。狙ったターゲットを必ず手中に収める、そう考えるまでさして間がない。差し迫っている感じだ。

 これが石部少年もそうであれば止めようがない。しかし現時点で石部少年はテンションが異なる気がする。彼は見た目が大人っぽくてもまだ小学生だ。彼は理沙嬢を見て「年上の女の人だけどかわいいなあ、好きだなあ」、このくらいは考えていそうだ。しかし相手の好意が彼自身に向けられていることに気づいていないのではないだろうか。年上の女子高生がまさか小学生の自分に恋をしているとは思っていまい。

 考えこむうちにまた目の前の子どもらの間にラブ度の高い空気が出来上がっていた。


「その……理沙ちゃんはワンピースもよく似合うね」

「ほんと?」


 うれしい、と理沙嬢が紅潮した頬を押さえうつむく。また変な虫が湧きそうな愛らしさだ。しかし今回、石部少年は動じなかった。


「うん。とってもかわいいけど、カワセミを見に行くときはズボンと滑りにくい靴を履いてね」

「……はい」


 しばらくカワセミの話で盛り上がる。ポットに湯を張り、二煎めの用意をする。さっきと同様の手順で茶を出し、勧めた。そこへ、ケイさんが顔を出した。


「お、新しいお茶を飲んでるね」


 にこにこしながら子どもたちに声をかけ、私のもとへやってきた。隣に立つ彼がずいぶん近いな、と思ったらば腰に手をかけぐい、と抱き寄せられた。耳もとに唇を寄せる。


――ごめん。そのままで聞いて。

――きいきい怒って見せてくれて構わないから。


 分かったと、了解の意思を示すために腰にかけられたケイさんの手を上からぎゅ、と握る。表情と口はあわあわ焦った様子を装う。


「ちょ、ちょっと何するんですか」


 いや待て、これは装ってない。半分以上本音だ。腰の上で掌がすりすり動いてるし。何するんじゃ、こら。「ステイ」したい。ふざけた仕草と釣り合わない、深刻な情報がもたらされた。


――みちるさんの様子がおかしい。

――おかしいのがみちるさんなのか、白梅なのか、俺では判別がつかない。

――様子を見に行ってほしい。


 腰の上ですりすり妖しく動くケイさんの手を「了解」の意をこめてぎゅ、と握った後で思いっきりつねる。


「痛い痛い、詩織さん、つねるのはちょっと」

「変態、スケベ」


 ケイさんの腕の中から出てつーんとそっぽを向いてから子どもたちに声をかけた。


「私、帰宅の報告をしてきますね。お茶のお代わりとかお茶請けとか、おいしいのをたくさん買ってきましたから、そこのおっさんに出してもらってください」


 そして再度ケイさんを振り向き、こてん、と小首をかしげて見せた。「おっさん」呼ばわりされてしゅんと萎んだケイさんの表情が輝く。これが好みの角度だって分かってたよ、変態うなじフェチめ。


「じゃ、あとよろしく。おっさん」


 といい捨てて厨房を出た。

 フリーズ気味だった子どもらが


「けーちゃん、あれはひどい」

「僕から見ても駄目だと思います」

「ねえ」

「うん」


 と口々におっさんを非難する声が聞こえてきた。いい気味だ。



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