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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
序章  皮剥鍋と乙女
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第四話  白梅(三)

 老女たちが寄り添ってきゃっきゃうふふするこぢんまりしたアパートというのは私の勘違いだったようだ。白梅荘は豪邸だった。

 古くても堂々としたたたずまい。和洋折衷だが雑多な感じはなく溶け合うように調和している。門から建物をつなぐ庭は、冬枯れの芝生が錆びて古びた印象を強めているが無造作に配された草花が玄関脇の梅の老木へと視線を導く。節くれだった老木にはこぼれんばかりに白い花々が咲いている。ふわり、と風に乗って梅の香りが門脇にまで漂う。


――いいにおい。あかるくて、きれい。


 それなのになぜだろう。身体の奥で自分の知らない何かが身動ぎする不穏な気配を感じる。苦しいようなそうでないような。その不安がどこから来るのか、記憶を探ろうとすると気配は途絶えた。

 洋館と白梅の老木を眺めていると、声がかかった。


「高野さん、駅からずいぶんかかりましたね」


 見るとそこにいたのは人のかたちをしてぎらりと光る刃物を携えた布の塊だった。「ぬおおお!」と叫んで案内のおっさんのセーターを掴み、その背後に隠れた私を誰が責められよう。当のおっさんを除き。


「あああ、伸びますううう、セーターが伸びるからやめてくださいいいい」


 などとおっさんが呻いていたような気がするがそのときの私はそれどころではなかった。

 その布の塊は人型の何かだった。分厚いジャケットの下にエプロン、手はグローブに覆われ、カーゴパンツにゴム長靴、そして頭部を完全に覆った帽子。刃物のようなもの、これはもしかして剪定ばさみか。装束すべてが茶色でしかもところどころ泥がくっついてまだらになっている。

 怪しい。だがしかし顔が判別不可能なほど布で囲まれたこの帽子のようなもののせいで怪しい何かに見えるんであってやっぱり人だ。しかも私の名前を呼んだ。すなわち知人である可能性が高い。ということはこの案件にかかわる唯一の顔見知り、つまりあの人か。


「城下弁護士さん?」


 顔と思しきあたりの隙間からぎらりと何かが光ったような気がするんだが、怒らせたんだろうか。


「お顔が隠れていると声がこもりますし、誰だか分かりにくいですよ?」


 高い位置からのんびりした汽笛のような太い声が降ってきた。城下・ロッテンマイヤー(仮)弁護士はちらりとおっさんを見上げるような仕草を見せ


「それもそうね」


 と帽子を取った。すっぴんでも炯々(けいけい)としてアグレッシブな視線の威力は変わらない。不機嫌メガネ怖い。


「みちるさん、案内がちょっと不親切だったかもしれませんね」

「どうして?」

「こちらの方、裏門の前で困っておいででした」

「ああ、そうか。初めてだと分かりにくいみたいだものね、ここ」

「また土いじり始めちゃって。お客様でしょう、こちら」

「だって久しぶりの休みなんだもん」


 おおお、()ねている。すっぴんだとロッテンマイヤーさんというより悪女めいた美しさだ。それなのに城下弁護士、ほっぺたぷうっとやらかすとかわいい。悪女めいた初老の美形不機嫌メガネがほっぺたぷうって、ギャップが大きくて破壊力すごい。

 くすっとほころぶ気配を感じたので見上げると、おっさんが笑っていた。あ、いかんいかん。ここにきてやっとおっさんのセーターをぎゅうぎゅう掴んで引っ張っていたのに気づき私はぱっと手を離した。頬が熱い。


「ちゃんとお仕事してくださいよ」

「ちぇー」


 城下弁護士は


「応接室でお待ちください」


 と言い残すとふたたび怪しい帽子を装着し、地面に置いてあったブリキのバケツを掴み建物裏手へ去った。

 ほおお。私も在職時はそこそこに小難しい顧客や上司、後輩をなだめすかし持ち上げていたものだが、この大きいおっさんの城下弁護士の転がし具合はツンデレマスター、いや、猛獣使いレベルに到達している。あんなに怖いのに。感心した。

 大きいおっさんは私の送る尊敬のまなざしに何を見出したのか、


「すみません」


 とまたまた謝った。

 何について「すみません」なのか分からなかったけれど、このおっさんは体格に反して腰が低いようだから口癖なのだろう。



 いざなわれ、おそるおそる白梅荘に足を踏み入れた。おっさんは私を応接室に案内するとどこかへ行ってしまった。

 どっしりした外観と違わず、白梅荘は屋内も豪華だった。

 大正ロマンだとか、昭和初期の華族の別荘とか、まさにそんな感じだ。そういえば祖父の家はそういうところだった、と思い至った。私は愛人の孫だからまったく関係なしに育ってきて、テレビドラマの話みたいに聞き流していたけれど。

 梅田家は旧家だ。古くから連綿と続く一族で土地神の守人だという言い伝えが残っているらしい。亡くなった祖母はよくその話を――うるさいくらい――聞かせてくれたものだがいかんせん幼いころのことでよく覚えていない。両親は「もう関係ない家のことだからねえ」と苦笑するばかりであまり話したくない様子だった。こんなことになるならちゃんと話を聞いておけばよかった。

 祖父の代は東京に本邸があって、事業をいくつも成功させていたはずだ。そう考えると相続人が私しかいないわりに白梅荘とプラスアルファ程度、さっきは荷が重いと感じたが遺産が少ないと考えることもできるのか。祖父と本妻であったおば様との間に子ができなかったために会社関係でいろいろと揉めたとも聞いた。そういうもろもろもあっておば様の生前に財産を整理したのかもしれない。お金持ちはお金があるためにいろいろとたいへんなのだ、遺産目当てと周りに勘繰られると付き合いも一切できなくなってしまう。そう両親に言い聞かされていたためおば様との接点も最小限にとどめていたのだけれど、こうして亡くなってからでないと接点が持てないんじゃ意味がないじゃないか。「あなたはほんとにおじい様とよく似ているわ」と幼い私の頬を愛しげに撫でたおば様の手の感触がありありとよみがえる。

 こみ上げる後悔と取り残されたさびしさを払うように顔を上げ、室内を見まわす。

 新築当時はさぞかしきらきらしていたんだろう。時を経て重厚さとともにくたびれ加減も増した、そんな落ち着いたほの暗さがそこかしこに見える。前庭に面した大きなガラス窓から燦々と早春にしては明るい日差しが入ってきていても、弾けるように咲き誇る白梅の花が窓近くで揺れていても、いや、外が明るいからこそ際立つのかもしれない。年月を経て積もった(おり)のような疲れが建物内部に淀んで見える。

 どんなに手入れしても修理してもどうしようもないところは出てくるものだ。たとえば今座っているソファ。スプリングが固くてお尻の下がなんとなしにぼこぼこしていて、カバーの精緻な織りにところどころ綻びそうな箇所が見られる。しかしこの年代物のソファには丹念に手入れし、手すりに塗りを重ねなおした痕跡がある。暖炉の上の絵画の額も、レリーフの施された化粧漆喰(しっくい)の天井も、埃がたまらないよう丁寧に清められている。

 経年による(いた)みと淀みごと愛されている。

 所有者であったおば様が亡くなった今もおそらく以前のままに調度の手入れが行われ、整えられているのだろう。水盤に活けられた水仙の花を見て思った。


「だいじょうぶですか?」


 遠慮がちな声が降ってきた。

 先ほどの大きいおっさんが茶器の載った盆を手に立っていた。気づかなかった。おっさんはゆっくりと大きな身体をかがめ膝をつきテーブルに盆を置くと、ポケットから白いものを取り出し私に差し出した。ガーゼのハンカチだった。

 手渡されて初めて気づいた。私は泣いていた。恥ずかしい。借りたハンカチで頬を拭う。ハンカチはほのかにあたたかく、日向のにおいがした。


「まだ怪我が痛むんですか?」


 ティーカップや焼き菓子の載った鉢を並べながらおっさんがこちらを見ずに言った。そうだった。迷ったけど結局モヘアの帽子を被ったままなんだよな、私。


「いいえ、もう平気です。あの、お部屋の中で帽子はまずいですかね、これはその、実は怪我したときに髪を剃られたんですがまだ生えそろっていないもので……見苦しくてすみません。あっ、それからその、泣いてたのは違うんですよ痛いんじゃなくてその、おば様、じゃなくて梅田、さんにちゃんとお目にかかっておきたかったと思ってその」


 気まずい。泣き顔を見られたのも気まずければことばのチョイスも間違ってるんだか正しいんだか実際のところどうなのよ的状況、このおっさんはおば様と面識がありそうだけど私はこの人と初対面だし、おば様と親戚といっても血のつながりはない上に行き来もほとんどなかったわけで、この場合はおば様を身内呼ばわりしたことば遣いで正しいのかどうか誰か教えろくださいそれよりさっき出会ったばかりの大きいおっさんを困らせてるみたいなんだけど気まずいなもう!


「ケイちゃん、わたしにもお茶お願い」


 開け放した入口に城下弁護士が立っていた。ナイス、ロッテンマイヤー! 片眉上げた意地悪ロッテンマイヤー女史風のお顔が天使に見えるよ、あまりに気まずくて!



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