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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第二章  新茶と乙女

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第四話  白梅


――詩織、今は意味が分からなくていいのです。ただそのまままるごと覚えなさい。

――覚えなさい。そして忘れなさい。鍵を見つけるそのときまで。


 はるか昔。私の頭を撫でるごつごつとした大きな手。低く穏やかで丸い声。


――詩織、成功させるには条件があるのです。場所とタイミングを間違ってはいけませんよ。絶対に。


 大広間の中央、つるつるの床の上でそのまま眠ってしまっていたらしい。夜になっているようだ。大広間の中は灯りも点いていないのにほのかに明るい。天井、床、壁が光を放っているのだ。それにしてもこんな固い床の上で寝たというのに疲れが取れている。なんだかんだで白梅の治癒支援は強力だ。今回はどれが契機になったのか分からない。記憶の錠前がいくつか外れている。

 なんなんだよ、この壮大な後出しは。こんなんだったら、そもそも大学受験も資格試験も苦労しなくてすんだはずなのに。しかし来し方の苦労をしみじみ思いだしている暇はない。ほんとに、切実に時間が足りないな。

 それでもここしばらくないくらい気力が充実しているのを感じる。よし、考えろ。使える知識は全部使って戦略を組み立てろ。


 ふ、と梅の香りがした。扉の外に誰かいる。


「入れ。許す」


 想像した通りの人物がそこにいた。


「ずいぶんお楽しみだったではありませんか」


 ものすごくいやそうな顔をした不機嫌メガネだ。眼鏡の奥の目に混沌と深遠が宿っている。


「みちるさんは」

「眠っております」


 そうか。じゃあ、遠慮なく。彼女が悲しむと嫌だから抑えようかと思ったが不要らしい。


「データを取るだけでなく出歯亀までやらかすとはうちの白梅はなかなかに根性が悪い」


 いい返すと、みちるさんの体に宿る白梅は案の定くわっと目を剥いた。


「なんですって。他に誰もいないからあるじとして認めてやったというのに、これだから野良は」

「ほう、あるじを野良呼ばわりするんだ」

「違いありますまいよ。この白梅のもとで育てばこのようなことには。この白梅のあるじが野育ちの女とは! すでに(とう)も立ち、純潔も失い、その上あのように粗野な拠点の出の者となど」


 ずいぶんなもののいい方だな。


「ふーん」

「……」


 気まずそうに目をそらす。あの理知的なみちるさんの姿でこういう子どもじみたことをやられると違和感が半端ないな。


「みちるさんの通勤着と同じだけど、姿を借りてるホログラムとかでなく、本人なんだ?」

「さようです」

「白梅の本体である実験記録装置は」


 掌で膝の近くの床をぺちぺち、と叩く。


「ここの奥にあるけれど、コミュニケーション用の端末はみちるさんの中にあるということだね?」

「そのとおりです。野良のくせに呑みこみの早い」

「一言多い。控えなさい」


 白梅はびしり、と固まった。


「……失礼いたしました。おやかたさま」

「いいでしょう。今回は(ゆる)します」


 胡坐(あぐら)をかいたまま、ゆったりと構える。ここで緊張したら失敗する。


「白梅のもとで育てばお前好みの別のあるじとなったであろうが、私は女です。女とはね、白梅。侮られるものなのです。あるじが女であるということは、白梅そのものが侮られるということです。

 そのまま乙女と同じように育てばいずれ来る事態に対応できないあるじとなったかもしれない。記憶を封印し野良として私を放った祖父の判断を無駄と簡単にいい捨てないでほしい」

「しかし、ご両親があのように」

「それは祖父だって予言者ではない。仕方のないことです。それに両親は白梅荘はともかく、白梅のことを知らなかった」

「さようでしたか」

「今回である程度祖父がかけた記憶の錠前も外れただろうけれど、まだ完全ではない。白梅、ケイさんの話を聞きました。敢えて滅んだ拠点の話を聞かせたのは理由あってのことですね」

「はい。白梅荘とあちらの『島』で配された命題は異なりますが、仕組みは同様でございます。隣り合った拠点同士、力ある者を――今はハイブリッドコードキャリアというのでしたね、――奪われたり奪い返したり、昔は何かと諍いもございました。拠点がどんどん減ってしまって……先々代様のころからでしょうか、行き来をするようになったのです」


 遠くへ投げられた視線は()し方を顧みているのか、白梅の目に懐かしげな光がちらりと揺れた。が、すぐに顔を(しか)めた。


「それにしても先々代様は何をお考えになっておられたのか……。いずれ後代が受け継ぐからと記録を白梅に移し、紙の写しに至るまですべて破棄させられたのでございます」

「後代……」


 私のことだろう。「紙の写しに至るまですべて破棄」というくだりに引っかかりを覚えた。


「すべてというのは紙だけでなく?」

「ええ、あらゆる物理的メディアが破壊の対象でした。拠点開設時から現在に至るまでの記録となりますと少々荷が重うございます」


 白梅はふう、とため息をついた。


「では記録を移しましょう」

「どちらへ」


 混沌と深遠を宿す白梅の瞳が私を見つめる。お互いの手の内をすべて(さら)していない。それもお互い分かっている。立ったままのみちるさん、いや、白梅を見上げ私は命じた。


「今までのものも、これからのものもすべて、記録は私の脳内に。バックアップは今までどおり白梅、おまえがお持ちなさい。祖父が決めたように、紙、ディスク、あらゆる物理的メディアに記録しないこと」

「しかしおやかたさま、ただびとの脳内にそんな――」


 反発しようとして白梅は驚きに目を(みは)った。探られている気配が遠のく。


「記憶領域に問題はないでしょう?」

「はい。これほどに余裕があろうとは」

「ま、若い頃ろくに勉強してなかったからね」

「……」


 なんかフォローしろよ。目をそらすなよ。


「確認できたのならば気遣いは無用です。私は白梅のあるじ。白梅荘の記録すべてを私の脳内へ移しなさい」


 白梅が(ひざまず)く。

 私は左手の薬指を口に含み、指先を歯で食い破った。血があふれ出る。血の滴るその指を、床の上に差し出した。

 ずぞぞぞぞぞ。

 血が吸いこまれていく。


「バックアップ、移動……完了しました」


 すでに癒えた指先を確かめていると白梅が声をかけてきた。わずかに焦れている色がうかがえる。


「おやかたさま。先ほどのその、脳内の記憶領域ですが……」


 この情報を出すタイミングが難しい。さっき封印が解かれた記憶とやっとつながったばかりだ。しかし出し惜しみしていても仕方ない。


「白梅、私は祖母から『(ぬえ)』と呼ばれました」


 鵺はキメラのようなものだ。いろいろな獣が合わさったおぞましい姿。

――なんてこと。いくつも力を持つなんて。

――おぞましい。よりによって鵺とは……!

 祖母が嘆き、私を蔑み罵る姿が脳裏をよぎった。


「な、なんと……。あの男をつまにしてはなりません。危のうございます」

「問題ありません」

「しかし針で刺されては交わることも……、他の候補を。あれではおやかたさまのお命に障りが」

「駄目」

「なぜです」

「おそらく子を()すとしたら機会は一度きり」

「そんな」

「白梅、異能を多く持ち寿命の極端に短い私に、ハイブリッドコードを持たない男をあてがうの?」


 嗅覚、戦略眼、脳内の拡張された記憶領域、精神干渉と、しかも白梅によって与えられた治癒の能力と、私は寿命を削るほどの異能力を背負っている。生殖能力に生命力を割けば、寿命はさらに短くなる。すでに現在三十五歳。出産の機会も、おそらく人生の残り時間も少ない。記憶がずっと封印されていて今になってこの後出しは精神的に結構きつい。が、感傷にかまけている暇はない。

 みちるさんの姿をした白梅がショックを受けている。やはり他の候補というのは単にこのあたりの金持ち土地持ち、ハイブリッドコードを持たない者しかいないのだろう。今回はなんとかはったりが()いた。


「分かりました。確かに相手はハイブリッドコードキャリアが望ましいですね。特にあの大きい乙女の特徴からして優先すべき交配実験の対象となります」

「獣化の件は、私がなんとかしましょう」

「しかし、おやかたさま」

「獣化を無理やりに緩和すれば子をなす機会が余計に減るんじゃないの?」

「……そうなのです」

「やはりそう。本人があれだけ気にしているのだから、そう簡単に死ぬことはないと思う」

「おやかたさま」

「なに」


 みちるさんの姿で、その実験記録装置は首をかしげた。


「ほんとうにそれでよろしいのですか?」

「私は白梅のあるじになりたかったわけじゃない。他に誰かいるのなら譲るに(やぶさ)かでないよ」

「他に誰もいないのです」


 白梅はさびしそうにそういった。野良と蔑んだ私にさせるくらいだ。よほどの人材不足なんだろう。


「みちるさんが目覚めたら、今後の対応について話し合いましょう」


 話し合いは深夜まで続いた。いくら寿命が短いといっても今日明日でどうこうなるわけではないのだが、白梅は焦りを感じているようだ。それがみちるさんにも影響している。みちるさんは情緒不安定な様子で、話題が行ったり戻ったりして少し手を焼いた。


 だから夜半過ぎ、ここのところ習慣となっているので当たり前のようにケイさんの部屋へ行き、寝室で起きて本を読んでいたその人の腕の中でとろとろとまどろみはじめてやっと、自室に戻ったほうがよかったんじゃないかと気づいた。すぐに眠ってしまったのだけれど。

 大人っていうのは現状を維持するのが好きだったりするよな、と自分でもうんざりすることがある。それでも大きい人の腕の中で目覚めると気分よく、心地よくてやめられない。



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