第二話 白梅(一)
天国のお父さん、お母さん。リストラされて彼氏に逃げられ、つくづく自分はついてないと思った。何てこった。災難って続くときは続くものなんだね。
白い壁、白いカーテン、白いシーツに掛布。目が覚めたら病室で寝ていた。見れば身体のいろんなところからチューブが生えている。点滴とか。導尿管とか。そして傍らにきっちりスーツを着こんだ初老の美人がいた。表情が険しい。看護師さんとか付添人さんとか、そういうホスピタリティがありそうな感じではない。ロッテンマイヤー女史っぽい。外見がどうのでなく雰囲気が似ている。アルプスの少女ハイジをねちねちいじめるあの人に。目の前で苦虫かみつぶしたような顔をしている彼女のことはロッテンマイヤー女史(仮)と呼ぶことにしよう。ただし心の中で。叱られそうだから。
お若いころはさぞ、というよりお年を召した現時点でもすっごい美人なんだけど、般若みたく怖い。そしてただ美しいだけでなく折り目正しく知的、デキる女特有の怜悧な空気で周囲(私を含む)を圧している。いつもならうっとり鑑賞するところだけど、つつつ、と顔を逸らす。ロッテンマイヤー女史(仮)の怜悧な圧に潰されそうだから。
私が目を覚ましたことに気づいたロッテンマイヤー女史(仮)は居住まいを正し
「わたくしは梅田千草さんの代理人としてまいりました。弁護士の城下みちると申します」
といった。
ほう、和製ロッテンマイヤー女史(仮)は弁護士先生でいらっしゃる。似合うなー。いやいや、肝腎なのはそこじゃない。梅田千草といったか――おば様の名前だ。
梅田千草という人は祖父の本妻だ。
愛人の孫である私には実の祖母が別にいたわけで、彼女のことはおばあさんでなく「おば様」と呼んでいる。祖母は幼馴染みだった祖父と初恋を実らせ私の父を授かったのだけれど、結婚を許されなかった。おば様はコブつきの愛人がいるとは知らず嫁いだというわけ。いつの時代の昼ドラだよ。
おば様とは三十年ほど前に亡くなった祖父の葬儀で初めて会った。血のつながりがないので接点を持たないのが普通なんだろうけれど、性善説を地でいくど天然タイプのおば様は幼い私をひと目見るや「まあ、旦那様にそっくり!」と花のほころぶような笑顔で喜び、凍りつく周囲に構わず私の手を取ってくださった。
以来法事で顔を合わせ、年賀状をやりとりするだけの間柄だったけれど、両親亡き今たったひとりの親戚であり、大好きな人でもある。
「おば様、お元気ですか?」
「――梅田千草さんは亡くなられました。故人は遺産相続人としてあなたを指名されました」
おば様が亡くなられた? しばらくそのことばの意味が分からなかった。
――そうか。
祖父が亡くなって三十年。両親が亡くなって十二年。おば様もお年を召されたのだから、亡くなってもおかしくない。おかしくないのだけれど、早い。まだまだ先の話だと思っていた。ああ、とうとう天涯孤独だな、私。身寄りがないのはおば様も同じなのに、看取れなかったんだな。
城下・ロッテンマイヤー(仮)・みちる弁護士は早口で何かいっていたのだけれど、途中で言葉を切り私をじっと見つめた。
「依頼人はあなたに会いたがっていました」
「いつ亡くなったんですか」
「一週間前に」
「そんな前に。――おば様はどうして知らせてくださらなかったんでしょう。自宅が火事になったり殴られて気絶したり、確かに昨日は散々でしたけど一週間も前だったら駆けつけることができましたのに」
つい繰り言を口にしてしまった。ついでにぶわわわ、と涙も噴き出た。相手がえらい弁護士さんだろうがなんだろうが知ったことか。城下・ロッテンマイヤー(仮)弁護士方面から困惑の気配が伝わってきた。
「たったひとりのお身内ですから無理もありませんが、落ち着いてください。わたくしどもは依頼人の容態が急変した一週間前、あなたと連絡をとろうとしました。しかし不可能だったのです。ちなみに放火によりあなたのご自宅が全焼したのも一週間前です」
えええええ。自分ではひと晩寝て起きた程度の感覚なんだが一週間も寝てたのか、いわれてみれば身体中ぎしぎししているような気がする。
「念のため確認しますがあなたは高野詩織さん三十五歳、間違いありませんね?」
「はい」
「実はもうひとり、高野詩織と名乗る人物がいまして」
「同姓同名とか?」
「いいえ、**区***南*丁目**番**号に住む高野詩織だとその女性は名乗りました」
なんですと? それ、私の住所なんですが。いったい何が起こったのか。城下・ロッテンマイヤー(仮)みちる弁護士によると、事の顛末はこうだ。
高野詩織と自称するその人物は、私の元恋人の運命の女なんだとか。自称高野は、都心にほど近い地域に庭付き一戸建て住宅(ただし狭小)を所有している私の情報を寝物語で元恋人から得た。
(一)元恋人と私が結婚
(二)慰謝料と不動産を巻き上げて元恋人名義に
(三)都内一戸建てとオトコを漁夫の利しちゃってウハウハ
他人からすれば何ともお粗末な、しかし時間をかけて周到に用意すれば実現できなくもない本人にとってはゴールデンなプランを実行するつもりだったらしい。慰謝料と不動産を巻き上げるって、私サイドの有責行為をでっち上げるつもりだったのか。怖!
ところが寝技が効き過ぎてオトコが「運命の女と出会った!」と先走り、ターゲット(何も知らない私のことだ)と法的に婚姻関係を結ぶ前に破局。肝腎の慰謝料と不動産をゲットし損ねた自称高野が「じゃああの女になり切っちゃえばいいんじゃないの」とプラン変更して暴走、「ぼろ家はいらないから念入りに灯油を撒いた」んだそうな。そんなあ。放火されて両親との思い出のぼろ家は家財と共に全焼。ターゲットたる私にとっては折悪しくとも、本人の帰宅は自称高野にとっては天の采配だったらしくぼろ家といっしょに火にくべてしまえ、とはっちゃけた。
たいへんな騒ぎになったんだそうな。そりゃそうだろう。
火事で大騒ぎになり集まった近所の人々、警察、消防、ヒャッハーして喚く放火犯に昏倒して目覚めない私。幸い手配が早く、延焼は隣家の壁を焦す程度ですんだらしいが家は手遅れだった。右往左往する人々をまとめて捌いたのが城下弁護士であるらしい。見た目を裏切らない有能さだ。
それにしてもこれからどうすりゃいいんだ。こんなときに頼りになるのが弁護士です、とロッテンマイヤー女史(仮)に胸を張られたよ。彼女によればおば様の遺産を私が相続することになっているのだそうな。条件付きで。資産家だった祖父の本妻であったから、おば様もまた資産家である。さすがに祖父の生前ほどでないがけっこうな遺産があるという。部屋を貸している店子若干名が契約する間、不動産をそのまま維持することが相続の条件だとか。
そんなこんなで退院後、おば様から譲り受ける白梅荘とかいうところへ行ってみることにした。