後編
いよいよクライマックスへと進んでいきます。
果たして、化印はどうなるのでしょうか。お楽しみ下さい。
第10章 新たなる脅威
この日は大学で部活の連中に会いに行っていた。卓球部は、練習には2年の後半から練習には出なくなったが、合宿、試合、イベントなどには必ず参加して、その中でも同期や一部の後輩とは部活以外でも集まって遊ぶほど、特別な仲間であった。
校門から出ると、何とそこには風の化印の力を使う相模真であった。彼はインディーズのバンド、ナイトメア・メビウスのメンバーで、彼らの中では実力派であり、かなりの人気を勝ち取っていた。メジャーデビューするという噂もあるという、れいなの疑わしい情報もあった。
「よう、浩助」
彼は赤いレガシーの助手席を開けて、手を中に入るように差し出した。僕は疑念を拭い去ることができず警戒していると、周りが騒がしくなってきた。
「いいから乗れよ」
僕は周囲を気にしながら返す。
「まだ、死ぬ時期じゃないんでね」
「これでも、1回も事故ったことはないんだぜ」
「ペーパーだったのか?なおさら、ご免だな」
彼はそれを聞くと声を出して笑った。
「お前って、面白いな」
そして、周囲を見回す。後部座席の浩太もウィンドウから顔を出しているのを見て、僕はすぐにピンときて言った。
「修太郎はいないぞ」
「化印使いが化印といない?浮遊霊じゃあるまいし、一体、何に憑いているんだ」
僕はそれに答えずに駅に向かって歩き出した。慌てて真は車に乗り込んで僕を追いかける。
それを横目に見て、本当に彼が敵なのか疑問が湧いてきた。邪気を彼からも少年の化印からも感じないのだ。
立ち止まって、霊視を始めた。レガシーも止まり、真はすぐに僕の行動で察しがついた。
「お前、俺を疑っているのか。いいから乗れ」
僕は助手席に乗る。何人の女性がここに座ったのだろうか、といかがわしいことを考えた自分を恥じた。
真は横目で僕を一瞥した。彼はやはりバンドを組んでいるだけあって、格好がよく僕は怖気づいてしまった。
「で、どうする?」
「とりあえず、修のいる僕の部屋に行ってくれ」
僕の言葉に真はアクセルをベタ踏みした。心地よいエンジン音で前方の車をごぼう抜きしていった。
僕はアパートに着くと、近くの100円パーキングに止めた。バックで急カーブしながら、プロのレーサー並に一瞬で車を納めた。
部屋の玄関ドアの前まで来ると、ドアが開いていることに不信に思った。鍵が開いていたのだ。
不信に思って、そっと中を覗くとれいなと修太郎がくつろいでいた。普通に振り返って手を上げた。
「よ、お帰り」
「よ、お帰り、じゃないよ。どうやって入ったんだよ」
すると、れいなは少し言いにくそうに、テーブルの上のクッキーを頬張りながら言った。
「いつも、浩助が修太郎とかいう幽霊が私に憑いているって言うじゃない?試しに浩助の部屋の前で、『修太郎。いるんなら、鍵を開けてよ』って。そしたら、開いちゃった」
僕は呆れてバッグを放って彼女の向かいに腰を下ろした。
「開いちゃったじゃないよ。不法侵入しておいて、そのふてぶてしい仕草。…いつものことか。修太郎のこと信じていないって言い張っていたのに」
「そんな細かいこといいじゃない、男らしくない」
「人の菓子まで勝手に食べて」
僕は振り返って、真達に叫んだ。
「飛んだ侵入客がいるけど、入れよ」
真は浩太と入ってくるや否なや、れいなは瞬時に髪を梳かして正座をして口をパクパクさせた。
「ナイ・メビの真さん、ですよね?私、れいなといってナイ・メビの大ファンなんです」
「あ、『俺の』ファンじゃなくて、バンドのファンなのかい?」
すると、彼女は慌てて否定する。
「独人のファンだって言っていた癖に」
そういう僕の足をつねって、れいなは作り笑顔を作った。
僕はその驚くべき変わりように呆れた表情を露骨に見せた。
端正な顔立ちのれいななので、真もまんざらじゃない顔を見せる。
お茶の用意をして、小さなテーブルに僕と真、そして、れいなと修太郎が囲んでいる。浩太は部屋の隅で膝を抱えてこっちを見ている。
僕がそれを気にしていると、真は説明した。
「あいつはいつも、ああなんだ。人と馴染めないっつうかさ。元々、生い立ちに問題があってさ。チビの頃から親父に虐待されて、そういう子を預かる親切な金持ちの屋敷に厄介になるようになったんだけど、そのオヤジが狂って、預かっていた子供達を次々に虐殺したんだよ。浩太もその犠牲者だ」
僕は物憂げに浩太を見た。彼は自分の嫌な過去をばらされたのに、まるで、感情がないようにこちらを平然と見ている。れいなはその話が何故今されたのか理解不可能の表情を見せている。
「浩助、彼女が好きなのか?」
そこで、僕はれいなを見て、誤魔化すことにした。修太郎にも目配せでアイコンタクトを送る。
「れいなじゃ、米は獲れないだろう」
それに修太郎が続く。
「耕すなら、近代はコンバインを使うでしょ」
この訳の分からぬやりとりに、れいなは呆然とやり取りを眺めている。真は少し考えて、なぞなぞを解いた子供のようにポンと手を叩いた。
「そうそう、こうやって人間で畑を耕して、ってそりゃ鍬や鍬の『スキ』だろう。修太郎、お前もノルな」
そこで、れいなは身を乗り出した。
「もしかして、真さんも修太郎とかいう幽霊が見えるの?」
そこで彼は逆に幽霊を信じていないれいなに目を見張った。
「修太郎に憑かれているのに、霊感が0なんだ。ああ、俺も見える。そして、俺達は化印使いだ」
そこで首を傾げてれいなは僕を見た。
「…良く分からないけど、いつの間に浩助、真さんと仲良くなったのよ」
僕はすぐに手を横に振った。
「別に仲良くなんかないさ。この前、れいなとライブハウス行ったろう。そのときに知り合ったんだ」
「じゃあ、あのとき、ナイ・メビの皆さんがいたんですね。行けばよかった」
僕はそこに割って入る。
「独人様もそこにいたからな」
また、れいなは僕の足をつねった。
「で、僕に何の用だったんだ?」
そこで、真はニヤリと笑って、冗談をこれから言おうとしていることがバレバレであった。
「愛の告白」
僕は以外な回答に、半ばわざと茶を吹き出してみせた。
「俺、本当にコントみたいに茶を吹き出す奴を始めて見たよ」
右膝を立てて、それを肘掛にして、すっかりくつろいでいる真が楽しそうに笑った。
皆、昔からの友人のような感じがしてきた。それが真の人懐っこい魅力なのだろう。いつものれいなと僕だけの空気と明らかに違う。
「で、どうなの?2人は…」
僕はその恋愛話を避けるように真の言葉を切った。
「僕の質問の答えを言っていないぞ」
「だから、告ろうと、…わかったよ。本当のこと言うと、あのライブハウスでのお前の行動が気になってな。何を疑っている?」
本当に真は敵ではないのか、天然なのか。僕はカマをかけずに単刀直入に質問をした。
数日前に、れいなと某有名ライブハウスの前に通りかかった際、悲鳴が聞こえてきたので、彼女を入り口に残して裏手に回り、女性が殺されているところに出くわしたのだった。
「あのとき殺害された女性は、お前のバンドのボーカルと付き合っていたらしい。悪霊になったときに愚痴っていたよ。しかも、あそこに待ち合わせたって。その待ち合わせた場所と時間に、当の本人は練習していて殺人鬼が都合よく現れて、偶然持っていたナイフで、まるで最初から彼女をターゲットにしていたかのように彼女だけを一刺しで殺した、そう思うか?」
そこで、修太郎が僕の言葉に続いた。
「そのすぐ後にお前が現れて、殺人鬼を生きながらにして魂を砕いた」
その修太郎の言葉を切って、再び僕は話の主導権を取り戻す。
「これが何を意味しているか分かるか?いくら鈍感な奴でも僕の言いたいことは分かるだろう?」
そこで、れいなが僕を横目に言った。
「分からないんですけど」
僕達はシリアスなシーンに水を差されて、真は肘を膝から落とし、僕はテーブルに顔を伏せた。
そして、真の弁解を聞くことにした。
「俺は、本当にあの女を助けるつもりだった。それに、翔希が誰かと付き合っているということはない。その女は追っかけでストーカーだったんじゃないか?妄想で、翔希を彼氏と思い込んでいたんだよ」
坂上翔希。彼らのボーカル担当である。
「それなら、本人に尋ねるんだな。幸い、明日はライブがある。終わったら、楽屋に来いよ。関係者には通すように言っておく」
そして、れいなに流し目を使う。
「勿論、君も大歓迎だよ」
「本当!やった」
れいなは飛び上がって喜んだ。僕は疑惑を晴らすことができず、真が敵なのか、味方なのか判断に迷っていた。
どう見ても、嘘を付いているように見えないし、演戯もしているように見えない。修太郎に視線を送ると、彼も同様のようであった。
彼はすくっと立ち上がると、浩太の手を引いて玄関に向かいながら言った。
「後は若い者に任せて、俺達は退散するか」
僕はその言葉に乗った。
「パーキングの100円が惜しいしな」
「それもあるな。じゃあ、また会おう」
彼は去り際も格好よかった。出て行くと、れいなは今までのひと時が夢であったかのように瞳を輝かせて、僕の頬をつねった。
「夢かどうか判断するのに、頬をつねるって漫画なことするな。しかも、お約束で僕の頬をつねるし」
「浩助と幼馴染でよかった」
それが僕に対する評価でないことに、少々残念に思えた。
僕はすぐにアパートの駐車場に降りた。そこには、真が浩太と待っていた。
「修太郎が何か感じたんだろう?あのライブハウスで」
確かに真の言うとおり、修太郎の様子はあのライブハウスの前では少しおかしかった。霊体でありながら、頭痛もしていたようだし。
「幽霊は死の瞬間の記憶はなくさない。化印は死の前後の記憶をなくすが、それは表面上の意識的記憶だけだ。心の奥、魂の奥には深く刻み込まれている。殺害された人の網膜に殺人鬼の最後の姿が焼きつくがごとく」
そこで、真も仲間を信じるとともに疑ってもいるのだと気付いた。彼は犯人の共犯ではないのだろうか。 それとも、中立と思わせる演技なのだろうか。
「もし、死の直前に目にした犯人を目前にすれば、必ず分かるし恐怖も生まれるだろう」
すると、背後に邪気が発せられていることに気付く。
「つけられたな、真。誰かに僕に会いに行くことを話したか?」
「バンドのメンバーに、練習前にお前に会うことを話した」
「バンドのメンバーだけだな。つまり、あいつも聞いている訳だ。修太郎がもし、彼のことを犯人だと示せば、僕は修太郎の無念を晴らすために彼の魂を浄化するだろう。れいなの命もかかっているしな」
そこで、修太郎が僕の服を掴んで訊いた。
「姉さんの命って、どういうことだよ」
僕が戸惑っていると、真が真剣な顔で言い放った。
「化印に憑かれている人間は3ヶ月後に魂の力を使い果たして死ぬ」
修太郎は絶望に落とされたかのように、地面に伏せて震えた。
「俺は何てことをしてしまったんだ…」
「そんなことは問題じゃない。一刻も早く犯人を見つけて倒す。それで全てが丸く収まるんだよ」
僕がそういうと、真もそれに付け加える。
「無念が晴れれば、憑いているものから解放される」
そのうち、時計に魂の力を集めた真は、オーラを高めた。もし、れいなが死ねば、憑いている修太郎は解放されて、居場所を失いあの部屋に取り憑くだろう。祖父の本には、ある言葉も書かれていた。
…化印が取り憑くことができるのは、3度までである。
最初は修太郎の実家。次にれいな。最後にもし僕の部屋に憑いたら、もう犯人は自分が殺人犯とばれることはなくなる。
「れいなの命が危ない」
僕がそういうとともに、ふと疑問が湧いた。何故、化印が3度しかもの、人に憑くことができないことを知っているのだろう。それを狙って、れいなの命を求めるのだろう。
やはり、真への疑惑を拭い去ることはできなかった。
れいなの部屋からガラスの割れる音がした。幸い、彼女は僕の部屋にいる。僕がすぐに行こうとするが、その前に真は手から圧縮空気を放って高く飛び上がり、その割れた窓に飛び込んだ。
僕も修太郎の物理現象を放ってもらい、高く飛び上がって後に続く。彼女の部屋には、1人のコート姿の人間がいた。ハンチングをかぶり、ブランドのサングラスにマスク。この暑い中、重装備であるために彼、または、彼女はどのような人物であるか判別できなかった。
すぐに真は叫んだ。
「悪しき気を抱く御霊よ。我が霊力と化印を持って、清め全てを浄化せん」
風の刃が彼に複数、飛びかかった。さっと避けたので、謎の人物は無傷であった。彼の風の力は物理攻撃もできるらしい。コートが数箇所切れていた。
高く跳ぶときの風の力もそうだが、僕の光の力とは違い便利なものである。
物理現象でいうと僕の場合、せいぜい暗いところで視界を保つのが精一杯だろう。
そのまま、玄関の方に駆けていき、予め鍵を開けておいたのか、鍵が何故か開いていて、しかも、それを知っているかのようにドアから外に出て行った。僕と真はお互いの化印とともに後を追う。
廊下に出ると、そこにはすでに誰の姿もなかった。僕達は顔を見合わせて、どこにあの人間が消えたのか思案に暮れた。
僕は霊能力で感知を試みたが、遠くに2つ、見知らぬ強大な魂が急速に離れていくのが分かった。
そのまま、視線を真に向けると、彼は欠伸をして割れた窓の外をのんびりと眺めていた。
第11話 ライブ
謎の空き巣が入って窓が割れてしまったれいなの部屋。ガラスにダンボールを貼り付けて、また強盗が来るかもしれないと僕の部屋に留まった。
18時が過ぎている。真が帰ってから、まだ、彼に会った余韻を噛み締めているようだった。
突如、彼女は立ち上がるとキッチンに向かった。
「なぁ、何をするつもりだ?」
僕が訊くと、彼女らしくない、にこやかな笑顔で答えた。
「キッチンで洗濯をする訳ないでしょ。料理に決まっているでしょ」
「まだ、死にたくないんですけど」
しかし、僕の毒舌にれいなは拳を放つことはなかった。
「誰も浩助の分まで作るとは言っていないでしょ。それに、料理くらいできるわよ…多分」
「その爪で?僕が作るから、テレビでも眺めていろよ」
れいなは鮮やかなネールアートを見つめて、振り返って僕に言った。
「デリバリーにしましょ」
僕の料理の腕も信用されていないらしい。結局、ピザの出前を取った。そこで、無言で食事をしていると、れいなはチーズを伸ばしながら頬張って言った。
「修太郎も今、ここにいるの?」
僕はピザを掴んだ手が止まった。
「れいな、僕の言うことは信じないのに、真の言うことは信じるんだ」
「当たり前じゃない」
その答えに僕はピザを落とした。その隙にそれすら掴んで口に入れた。
「僕のお金で買ったんだぞ。食べすぎ。それに太るぞ」
「残念でした。私は食べても太らない体質なんです」
僕は溜息をついて、小さな切れ端を口に放り込んだ。
テレビでは、連続殺人のニュースが流れていた。そこで、不可能犯罪であると、コメンテーターが説明しているのに気付き、僕は修太郎の方に目をやった。彼も僕と同じことを考えているらしい。
「僕は、修太郎を殺害したのは、この連続殺人犯で、彼はその行動から愉快犯だと思う。生きている人間にも霊体が肉体に存在する。生きながらの悪霊、しかも、あの真のメンバーの1人だと思う」
すると、修太郎がすぐに言う。
「あのボーカルの坂上翔希がそうだと?」
「そう、で、あのライブハウスでお前が苦痛を伴ったのは、その殺害した犯人の翔希がいたので、その霊気で過去の忘却の記憶が蘇りそうになったからだ」
「じゃあ、生きている人間も悪霊の魂に変化することがあるの?」
れいなが初めて霊について関心を持った。僕は面食らいつつも答える。
「化印じゃないかぎり、死んでいる人間の魂は生きている人間のそれよりも劣化していて、それが徐々に進み残留思念だけになる場合が多いんだ。肉体と魂、つまり、心や精神は密接な関係を持っているのは知っているよね」
すると、れいなはつまらなそうにテーブルに頬杖をついて呟く。
「難しい話は嫌い。それ、長くなる?」
「自分から訊いておいて…」
僕は溜息をついて、修太郎に説明するように離した。
「例えば、心が病んでいると肉体も病む。自律神経失調症や副交感神経失調症がそれに当たる。自家中毒も同様だね。最近、多く耳にするようになったPTSD(心的外傷後ストレス障害)や冷たい棒を熱い物と思い込まされて触られると、火傷の症状が現れるのも同様。逆に肉体の病気や怪我で精神的に病んでしまったり、ストレスで精神を病んでしまうこともある」
「肉体と精神が密接な関係があるというのは分かった。でも、それで死んだ者の霊が生きている人間の霊より劣化しているのも分かるけど、だから、生きている人間は悪霊になるのかどうかの答えになっていないんじゃない?」
修太郎が珍しく難しいことを口にしたので、僕は刹那言葉が出なかった。
「だから、悪霊という不安定な状態になる可能性はかなり少ない。ただ、必ずしもそれはありえないとはいえないけど」
そこで、テレビを消して振り返ってれいなは言った。
「馬鹿馬鹿しい。翔希がそんな連続殺人犯で、しかも、生きた悪霊なんてありえない。もう、私寝るから、寝室に入ってこないでね」
「ここ、僕の部屋なんだけど。まぁ、頼まれても入るのはこっちからお断りだけどね」
「それはこっち台詞」
修太郎は僕達が険悪な状態なのを残念そうに見ていた。
翌日、ソファから起き上がると、そこに奇妙な匂いがしていた。驚いてその発生元を辿ると、キッチンに立つれいなが目に入った。
「何をやっているんだ?」
彼女はとても食べられるものの香りには思えないものを皿にのせて言った。
「これが遊んでいるように見える?」
「いや、自殺の準備に見える」
そこで、包丁が飛んできて、僕の足元のカーペットに刺さった。
「全く、本気なんだか分からないよ」
そこに修太郎が隣の部屋から壁を通ってきた。
「結局、誰も来なかったよ。人間はね」
僕は眉を細めた。
「人間は?」
「チビの幽霊なら通り過ぎていったけど」
「まさかな」
僕は嫌な予感がした。1つは犯人の生霊。もう1つは呪い。または、幽体離脱、ドッペルゲンガー。そして…。
そして、食事をするれいなをよそに、僕は外出の用意をしていた。勿論、戦いの準備を忘れない。鍵型のネックレスをして、ロザリオをポケットに忍ばせた。
彼女が自分の部屋で準備をしている間、僕は修太郎と話し込んでいた。
「いよいよ、修の宿敵を倒す機会がきたな」
「俺がいなくなって、寂しくて兄貴は泣くなよ」
「清々するさ。プライベートも確保できるし」
「それにしても、姉さんは遅いな。まさか、敵に襲われているんじゃ?」
僕は苦笑して首を横に振った。
「あいつは今日はライブの用意でここに来られないさ。それに、れいなの用意は1時間以上覚悟しろよ。化粧が半分かな」
修太郎は笑って、うんうんと頷いた。
「確かに、あの厚化粧は長い」
そこに玄関ドアが勢い良く開いて、れいなが仁王立ちして現れた。
「悪かったね、厚化粧のせいで待たせちゃって」
そのまま、入ってきて拳を放つ。僕はさっと避けて言う。
「土足、土足」
「あ、ここは下足OKじゃなかったんだ。汚いから分からなかった」
「昨日、ここでくつろいでいたのは誰だっけ」
彼女はぷいとそっぽを向いて、外に出て行った。
ライブハウスまでは、電車で向かうことにした。ライブに行く人なのか、不思議なファッションの人も多数見かけられた。
駅から真っ直ぐライブハウスに辿り着くと、僕はその霊気、邪気に身を強張らせた。見ると、ライブハウスの入り口に人だかりができていて、そこに分け入りドアに貼られた貼り紙の文字を目でなぞった。
『本日、メンバーの体調不良のため、ナイトメア・メビウスのライブは中止します。ご迷惑おかけしまして申し訳ありませんでした。後日、チケットの払い戻しをいたしますので、通知をお待ち下さい』
「へぇ、体調不良ねぇ」
僕はその偽りの言い訳に心の中で嘲笑した。
人だかりから抜け出ると、れいなを連れて裏口に向かう。そこで、修太郎の力で鍵を開けてもらい、中に侵入した。誰もいないように見せかけても、僕には感知できる。
細い通路を通っていくと、控え室を見つけて霊気のする部屋のドアを開けた。そこにはメンバーが勢ぞろいしていた。
れいなは感激して、何を言っているのか分からなく騒いでいるが、僕は真剣な面持ちで言った。
「場所を移そう」
ライブ会場はそんなに広くはなかった。
ボーカルの坂上翔希、ギターの相模真、ベースの蔓独人、ドラムの真西良平が僕達の前に並ぶ。れいなを後ろに遠ざけて、僕は真に言った。
「答えを聞かせてもらおう。生きながらにして、悪霊と化したボーカルの魂の劣化が原因でライブが中止になったんだろう」
独人と良平は面食らって戸惑っているが、真は笑みを浮かべた。翔希は明らかに正気を脱していて、まるで獣のように僕とれいなを睨んでいた。真は悪びれる様子もなく言う。
「そうさ、生きている者は抱いている魂が悪霊になると、肉体との結びつきが気薄になって劣化していく。つまり、死んだ人の霊の魂のようになる」
「それを知っていながら放っておいたのか?」
「仲間だからな」
僕は彼らにどれだけの強い結びつきがあるか知らないが、罪のない人の命が奪われるのを黙ってみていた彼らを許せなかった。
「今までは意識をちゃんと保っていたんだけどな。今日には、もう悪霊として狂気に捕らわれちまったんだ」
良平が付け加えた。
「生きているとしても、彼は悪霊。連続殺人も行っているんだ。何故、何も対処しない?どんな強い思い入れがあるか知らないが、許されることじゃないことぐらい分かるだろう」
すると、れいながくしゃみをした。緊迫した空間が一気に白けてしまった。
と、同時にそのくしゃみに驚いた浩太が小学生低学年くらいの子供の霊と身を潜めているのを、僕は天井に感知することができた。
すぐに僕は修太郎に視線を送る。
「あいつだよ、昨日、姉さんの部屋に来たのは」
僕はさらに嫌な予感がした。真と僕がれいなの部屋に不審者が入り、その現場で感じた霊気は2つであった。修太郎を殺し、連続殺人犯の可能性のある翔希は、その小さな幽霊を使役していることになる。
「やっぱり、翔希は化印の使役者か」
流石の真も同様を少し見せた。
「だったら、お互いに感知できるだろう?真、お前はそれを見逃していたのか?」
浩太とその霊は下りてきて、4人のメンバーの後ろに回った。僕はすでに悪霊と化した翔希を元の魂に戻すことができないことを悟ると、連続殺人の歯止めのために呪文を唱えた。
「悪しき気を抱く御霊よ。我が霊力と化印を持って、清め全てを浄化せん」
修太郎は意識を飛ばし、光の玉を僕に放った。僕は鍵型を握った拳にそれを当てて光の剣、降魔の剣を発した。すると、真も同じ呪文を唱えて浩太から光の玉を腕時計に受けて風の剣を発した。
2人が対峙する中で、突如、翔希が叫んだ。
「悪しき気を抱く御霊よ。我が霊力と化印を持って、清め全てを浄化せん」
「お前が悪しき気を抱く御霊だろう」
思わず、僕は突っ込んでしまった。場が一瞬、呆れた雰囲気で止まる。
「お前、この緊迫した雰囲気なんだから、もっと真面目にやろうぜ」
そして、風の剣を振るいながら、走ってきた。その攻撃をあっさりと避け続ける。
「これでも、この攻撃より凄いのを毎日避けているから、慣れているんだよ」
僕は剣の光を刹那、思い切り光らせた。目を瞑った僕以外は目を押さえて、膝を突いた。そこに真に向かって剣を振り下ろそうとしたそのとき、翔希が炎の玉を放ってきた。
「お前は火の化印使いか」
その火は会場の壁を焦がした。僕はここが火事になる前に事を収めようと、すぐにターゲットを翔希に移した。光の剣を振り下ろす。しかし、今度は真がそれを風の剣で弾いて庇った。
2対1はかなり不利である。れいなは遥か向こうのドアの外から隙間を開けて見守っている。僕はもう1度呪文を唱えた。
「悪しき気を抱く御霊よ。我が霊力と化印を持って、清め全てを浄化せん」
今度は修太郎が光の弓を構えて破魔矢を射る。真がそれを避ける隙に僕は翔希に飛びかかった。すると、彼は屈んで手を床につけた。炎の壁が床から噴出した。すると、驚いたことに、真が呪文を唱えると風がその炎から僕を救った。
僕と狂気に満ちた翔希は真に視線を向けた。彼も冷や汗を流して立ち尽くす。
翔希は真が裏切ったと本能で悟ると、おそらく勝てるはずだが2対1が不利だと思ったのか、そのまま駆け出していった。僕達は能力を収めると呆然としていた。
僕は真に視線を向ける。真はゆっくりと言葉を零した。
「お互い、化印使いだから、感知できる。だから、敵、味方を騙して味方の振りをするしかなかったんだ。おそらく、俺達が2人がかりでも勝つことはできないだろう。奴は強大な力を持った悪霊の化印使いなんだ。今まで、悪かったな」
そして、良平はそれに続いた。
「僕達は普通の人間だ。霊能力のことは知っていたけど、無力なので何もできなかったんだ。命が惜しいからな」
独人に視線をやると、彼は恐怖も感じていないらしい。ただ、沈黙を保ち続けていた。れいながすぐに飛びついてくる。
手を差し伸べた僕を通り越して、独人の手を取った。
「あれ?」
僕は唖然としてれいなを見る。それを見て真は笑った。
「あのう、前から…」
そこで僕はれいなの言葉を切った。
「それは後にしろ。今は翔希を追おう」
真と2人の化印は頷くと、全員で後を追うことにした。裏口から出ると、翔希とその化印の霊気を辿りながら、この街中をさ迷った。
これから、最後の戦いが始まろうとしていた。
第12話 最後の浄霊
僕とれいな、そして、3人のナイトメア・メビウスというインディーズの人気バンドのメンバーと、化印という特殊な幽霊の修太郎と浩太は、そのバンドのボーカルであり、生きながらにして悪霊と化した、化印の使役者の翔希を追って、街中を駆け回っていた。
僕と真はある廃ビルの中に邪気を感じて、その中に先頭で入っていった。翔希は化印にここの入り口の鍵を開けさせたのだろう。これもバブルの落としたものなんだろう。
剥がれたタイルの床は足音を高く響かせていた。その中で階段を見つけて駆け上がっていった。
ペントハウスに辿り着くと、その霊気の強さにドアを開けることを躊躇った。
屋上に出ると、風が強く吹いていて全員それに耐えながら前に進んだ。
奥に翔希がこちらを向いて立っていた。彼の後ろには幼い少年の霊が、彼の足にまとわりついてこちらを不安そうに見ている。
「とうとう、だな」
修太郎にそう言うが、真が言葉を挟む。
「俺達が2人、束になってもかなわないぞ」
独人と良平は、れいなとペントハウスからこちらを見ている。
「当たって砕けろだよ」
僕はそう言って駆け出した。そして、ネックレスを外して握ると呪文を唱えた。
「悪しき気を抱く御霊よ。我が霊力と化印を持って、清め全てを浄化せん」
光の剣、降魔の剣を構えて駆け出した。真も足取り重く風の剣を発して後に続く。
向かってくる僕達に翔希は火炎放射を発した。真は風の壁でそれを防ごうとするが、さらに炎が強まってしまう。僕は真がターゲットになっている隙に、回り込み降魔の剣を翔希に向けて叫んだ。
「天や地に舞う精霊達よ。我れは願う。汝と我の前に立ち塞がる者達に浄化と滅びを与えんことを」
剣先から光弾が放たれた。それは巨大で凄まじいスピードで翔希に向かい、彼の火炎と反応して大爆発をした。まだ、エネルギーが消滅していないことを感じ取ると、その幕煙の中を視界がないまま走っていく。感覚だけを頼りに剣を振るった。
その中で、真の必死の声が聞こえた。
「俺に向かって攻撃するな」
「なんだ、生きていたのか」
「俺を囮にしたろう」
「今はそんなこと言っている場合じゃない」
無口になった真は、集中して呪文を唱えた。
「天駆ける気紛れな精霊よ。我は願う。我と汝とともに禍をもたらす敵に滅びの風を与えんことを」
真の風で爆風は吹き飛ばされて視界が確保された。
僕は真の姿しか見ることができなかった。修太郎と浩太は少し離れたところで見守っている。
「どこに逃げたんだ?」
と、真が呟く。
「結構、ダメージを受けたはずだろう」
僕の言葉を真は真っ向から否定した。
「あいつはあんなもんじゃ、よくてかすり傷程度だ」
気付くと、翔希の化印が僕の背後に移動していた。
「そうか、翔希は自分に化印を憑けているんだ」
その僕の言葉に真は意味が分からず、首を傾げながらその化印を見つめた。
「だから、彼自身、それだけの能力を持っているんだ。悪霊程度なら、死霊の方がよっぽど性質が悪い」
「理屈は分からないけど、とにかく、見つけようぜ」
僕は冷や汗を流しながら囁く。
「その必要はない。さっきも言ったろう。化印は翔希に憑いている」
そこで、背後に立つ小さな化印に向けて回し蹴りを放った。すると、その化印は受け止めて、姿を翔希のそれに変えた。真はぽかんとしていると、僕はすぐに剣を振り下ろす。
翔希は炎を放って距離を保った。僕はすぐに屈んでかわすが、髪が焦げる匂いがした。今度は、彼は手を屋上につける。すると、屋上一面に緑の炎が広がった。僕と真は風の力で浮き上がり、屋上の手摺りの上に乗った。
「何だこれは?」
真の疑問に僕は冷静に答える。
「これは上界の炎だ。本物の化印や紫燕のいる高次元の炎だな」
彼の頭ははてなマークでいっぱいだろう。僕でさえ、無意識に知識が入り込んでくるのだから。祖父の書物の知識はほんの少しである。
翔希は動けない僕達を放っておき、ペントハウスに走っていった。そして、れいなの首に腕を回し、人質にした。良平は怯えきってそのまま逃げてしまった。独人は冷静に冷たい三白眼でそれを見つめていた。
僕は真に言った。
「この炎の野原を風で消してくれないか?」
「無理だと思うけど、やってみよう」
彼は再び詠唱呪文を唱えた。
「天駆ける気紛れな精霊よ。我は願う。我と汝とともに禍をもたらす敵に滅びの風を与えんことを」
すると、足元だけは奇妙な炎は消え去った。そこに飛び降りると、僕は試しに足をその炎に触れてみた。しかし、熱くない。焼けることもなかった。
「そうか、これは法の炎なんだ。だから、邪悪な者しか燃やすことができない」
そして、振り返り真に向かって言った。
「だから、お前は駄目」
「俺のどこが邪悪なんだよ。お前が平気で俺が駄目なんてことありえるか?」
そして、足を踏み出そうとすると、真の靴は音を立てて焼ける嫌な匂いが鼻についた。
「絶対にありえない」
「そういうことだから、じゃあな」
僕はその緑の炎の中を進み、ペントハウスの翔希、そして、彼に捕らわれている怯えるれいなを見た。翔希は人差し指に炎を灯して、彼女の首筋に近づけている。
「れいな、君なら自力で脱出できるんじゃないのか?」
「こんなときに冗談は止めて。早く助けてよ」
もう半べそをかいているれいなに哀れみを感じて、僕はすでに顔が崩れかけている翔希の顔を睨んだ。
僕に何もできないのだろうか。最期を悟って、れいなは僕に向かって言った。
「今までありがとう、浩助。私、浩助のこと好きだよ」
すると、僕の脳裏にある感情が流れ始める。拳を握って僕は叫んだ。
「これ以上、僕を怒らせるな。さぁ、彼女を解放しろ」
そこで、初めて翔希は言葉を出した。それはすでに人間のものではなかった。
「お前に何ができる?すでに化印と融合し、悪霊の魂を手に入れた俺に勝てるとでも思っているのか?愚者の極みだな」
僕はある言葉が頭に浮かんだ。それに賭けることにした。
「古の血の契約により、上界の灰色に属する者、化印よ。我は願う。ともに目の前に立ち塞がる邪悪なる者に光の滅びを与えんことを」
周りの空間が凍りつき始める。そして、降魔の剣が輝きを強めて、鍵をくれて、以前、紫燕という上界の者から僕の命を助けようとした、同じ灰色の上界の存在、化印が召喚された。
実は、修太郎や浩太などの特殊な幽霊は化印と呼ばれるが、この本物の上界の化印が力を少し与えた霊であった。いわば、化印の使いとでも言うべきだろうか。
本物の化印は光を体から放ち始めた。眩い空間は外の屋上の緑の炎を一瞬にして消し去り、翔希の幼い化印を消滅させた。すると、ただの魂が悪霊である人間と化した翔希は、炎の力を失い指先の炎も消えてしまった。
と同時にれいなの肘鉄が炸裂した。僕はすでに経験済みなので、その衝撃は想像を絶するものであることを悟り、自分のことのように表情を歪ませた。
「助けてくれてありがとう」
れいなはすぐに蹲る(うずくまる)翔希から離れて僕に飛びついた。
「いや、自分で脱出してるから」
そして、後始末をしようとすると、真が後ろからやってきて僕の肩に手をやった。
「ここは仲間だった俺に任せてくれないか?」
彼の悲哀の瞳に僕は頷いた。真は時計に力を溜める。
「悪しき気を抱く御霊よ。我が霊力と化印を持って、清め全てを浄化せん」
真の拳に風の剣を握る。それを振り上げて、今までの仲間としての翔希の想いを噛み締めて、力いっぱい振り下ろした。翔希は魂を砕かれてそのまま倒れてしまった。
膝をついて変わり果てたかつての仲間を抱き上げて、真は何かを積み上げているが、僕はそっとしておくことにした。れいなと修太郎と階段を下り始めた。
廃ビルから出ると、僕は振り返って修太郎を意味ありげに見た。心なしか彼が霞んで見えた。
「これで終わりだな、相棒」
感慨深い思いで修太郎に言う。れいなも修太郎のいる方向に顔を向けている。見えてはいないはずだが。
すると、修太郎は親指を立てて、笑顔で言った。
「I’ll be back」
「戻ってきちゃ駄目だろう」
呆れて僕はそう呟いた。
「今まで、ありがとうな。兄貴。姉貴と仲良く、あっ」
「おい、『あっ』てなんだよ?おい!」
そのまま、彼はオレンジの光の筒に包まれて、天へと昇っていった。それは、僕が見る初めてみる浄霊の形であった。気になる言葉を残して…。
修太郎を見送りながら、僕は修太郎との楽しい日々を思い出していた。
結構、いい奴で気に入っていたのだ。天を仰いで手を振り、別れを惜しんでいると、隣に気配を感じて手を下ろして冷や汗を流して、冷たい視線で横の存在に横目で見る。
修太郎が僕と一緒に自分の別れを惜しむように手を振っていた。僕はそれが洒落になっていないので、修太郎にロザリオを翳した。彼はすぐに離れて僕に言った。
「おい、兄貴。もう少しで成仏するところだったよ」
「どの口が言っているんだ?その成仏をしたんじゃないのかよ」
「ほら、兄貴達を縁結びするっていう無念があってさ。で、戻ってきたんだ。今度は姉さんじゃなくて兄貴の鍵のネックレスに憑いたから、心配しないで」
僕は顔を手で覆って俯いた。でも、半ばうれしさもあった。
「それじゃあ、ずっと成仏できないぞ」
「それに、兄貴も俺がいなくなると寂しくなるだろう」
僕は修太郎を殴る真似をするが、彼の体をすり抜ける。
「清々するって言ったろう」
「強がるなよ」
僕達は微笑み合うと手を叩き合った。れいなは修太郎が見えないが、僕の行動からそこに修太郎がいることが見えるように分かって、涙を拭った。
その背後で、独人と真が翔希を運んでビルから出て行く姿があった。僕達はあえてそれに触れることをしなかった。それからすぐに、救急車のサイレンが辺りに鳴り響いた。
僕はれいなに訊いた。
「さっき、僕のことを好きっていったよね?」
すると、頬を染めて彼女は首を横に振った。
「そんな馬鹿なこと言う訳ないでしょ?頭だけじゃなく耳まで悪くなっちゃったんだ」
そして、早歩きで帰路を急いだ。僕はれいなを追いながら、横の修太郎に言った。
「だから、言ったろう。僕達をくっつけるのは、れいながオリコン一位の歌姫になるより難しいって」
修太郎は黙って微笑んでいるだけであった。
こうして、僕達の不思議な犯人探しの生活は終わって、全てが一段落したのだった。
第13話 エピローグ
窓が破壊されてから、れいなは僕の部屋に転がり込んできた。自分の部屋は引き払って手狭になったので、結局、引越しを余儀なくさせられることになった。
2LDKのアパート。2部屋をそれぞれの部屋にして鍵をつけた。家賃は割り勘になったが、光熱費は彼女が払っている。彼女は僕に共同生活と自分が一番光熱費を使うという負い目を感じているかららしい。
修太郎は僕の部屋に入り浸りだった。デスクに向かってパソコンで卒論の仕上げを打ち込んでいると、ベッドの上で寝そべっていた修太郎はこう言った。
「姉さんと同棲しているのに、部屋が別々って…」
そこで、僕はすかさず話に割って入る。
「前から言っているけど、『同棲』じゃなくて『共同生活』。れいなはルームメイト。分かったか?」
「分からなーい」
子供のように答える修太郎を無視して、僕は再びキーボードを叩く。すると、隣から声が聞こえた。
「浩助、コーヒー入れて」
ここに来てから、家事はほとんど僕がやっていた。ボーカルレッスンとアルバイトで忙しいのは分かる。 最近では、ライブ活動も始めている。何と、あのナイトメア・メビウスのボーカルである。翔希がいなくなったので、ボーカルを探していたところ、ボーカル志望の彼女に真が目をつけたのだ。勿論、れいなも憧れの独人のいるバンドに入ることに何の躊躇もなかった。
コーヒーを持って彼女の部屋を開けると、彼女は何かの紙を差し出して待っていた。いきなり顔の間近にそれが来たので、何が書いてあるのか分からなかった。
距離を取ってよく読むと、そこにはメジャーデビューの登竜門の1つというべく有名ミュージシャンプロデュースの音楽事務所、㈱WIZ主催のオーディションの最終選考通知であった。
「じゃーん」
「嘘!?」
僕は思わずコーヒーを零しそうになった。
「ちょっと、零さないでよね。このカーペット高かったんだから」
毛長のベージュのカーペットはれいなのお気に入りであった。しかし、僕は肌触りはいいが歩きにくいので苦手であった。
「何で、そんなに驚くのよ」
「まぁ、他のメンバーがインディーズナンバーワンの腕だからなぁ」
すると、れいなは僕を睨みつけて拳を出した。僕はやはりあっさり右に避ける。
「私の美声のおかげでもあるの。バンドの7割はボーカルの力なのよ。どんなにいいバックでも、ボーカルが駄目だったら終わり。逆も同じ。ボーカルさえうまければ、多少、出来の悪いバックでも大丈夫」
すると、僕の背後から声が聞こえた。
「出来の悪いバックで悪かったな」
振り返ると真がいた。いつの間に入ってきたのだろう。
「で、浩太の調子はどうなんだ?成仏させたのか?」
すると、ハードのギターケースをダイニングのテーブルに置いて、真は首を横に振った。僕はコーヒーをれいなの部屋の真ん中の丸い小さな(使い勝手の悪い)テーブルに置くと、部屋を出て真の向かいに座った。
「あいつの場合、自分を殺した犯人が死んでいるからな」
「成仏も難しいって訳か」
気付くと彼はあの腕時計をしていない。
「どうして、浩太の時計をしていないんだ?」
「バンドのときは時計を外しているんだぜ」
「これから、バンド?念のために持っておいた方がいい。化印の力が必要な場合、どうするんだ」
真は足を組んで言った。
「そのときはお前を呼ぶさ。元々、その力がないのが普通なんだしな」
黒のファスナーやチェーンだらけの服を着たソフトパンクファッションのれいなが部屋から出てくる。
「どう?格好いいでしょ。これから、オーディションなの。浩助にも見せてあげるから、光栄に思って来なさいよ」
僕はそのれいなの腰に手をやる姿に頬杖をして溜息をついた。
「真、いつも、れいなってこんな感じ?」
「いや、お前の前だけ」
すると、修太郎が出てきて、リビングのソファに座ってこう言った。
「姉さんは兄貴が好きなんだよ。だから、本性を出せるっていうか気が置けない感じなんだって」
「それはないない」
僕が手を振ると、れいながすぐに真と僕の間の椅子に背もたれを抱えて跨る。
「修は何だって?」
あの翔希事件以来、れいなは修太郎の存在を信じているのだ。
「れいなが浩助のことが好きなんだって」
すると、頬を染めて首をこれでもかってほど横に振った。
「そんなことないもん」
真は横目で言う。
「じゃあ、何で同棲しているんだ?」
そこで、僕とれいなは声を合わせて言った。
「同棲じゃなくて共同生活」
「お、今のユニゾン、いいじゃん。うちもツインボーカルにするか?」
真がそう言うと続いて修太郎も言葉を投げる。
「気が合っている証拠だよ」
「馬鹿言ってないで、真、浩助、行くよ」
僕が運転する車の中で、真がふと呟いた。
「ちゃっかり、助手席を陣取っているし」
しかし、れいなは真には手を上げなかった。僕は聞こえない振りをして、後部座席の真に訊いた。
「正直、れいなの歌って、そんなに上達したのか?」
そこで、彼女が僕の頬をつねったので、危うくハンドルを変な方に切りそうになり、車は多少蛇行した
「確かに最初はどうかと思ったけど、俺達の指導でコツを掴んでからは飛躍的によくなったよ」
「奇跡ってあるんだな」
すると、今度はれいなは僕の左手を叩いた。
「浩助、本当はMだろう?本当に仲いいよな、お前達」
「そんなことない」
今度は僕とれいなに合わせて、真の隣の修太郎がわざと声を合わせて言った。
「3人のユニゾンか。今度はハモリな」
「冗談は顔だけにしろ」
「こんなイケメンに何言っているんだ」
しばらく、沈黙が続くが、れいなが僕に言った。
「でも、ライブっていいよね。音楽で皆が一体になって気持ちいいし」
「俺も最初はそうだったよ。ギターがメンバーの曲に解けて1つになる感じで、今まで感じたことのない楽しい感覚だよな」
そこで、彼は翔希を思い出したのか、急に黙ってしまった。そこで、僕のハンドルを掴む腕は動かなくなってしまった。ハンドルの効かないまま、車は走り続ける。修太郎がそのとき、こう叫んだ。
「近くに悪霊がいる」
確かに僕にも感じることができる。真は周囲を見回しているが、サーチできていないらしい。
振り向いて目を細めると、リアウィンドウに翔希の顔が大きく浮かび上がっていた。
「馬鹿な。魂を破壊したはずなのに」
車がカーブにかかったところで、れいながハンドルを強引に曲げて難を逃れた。路肩に止めて、僕は叫んだ。
「とにかく、ここは僕に任せて2人は先に会場に向かえ」
僕の必死の叫びに2人は頷くと、何の躊躇もなく先に行ってしまった。僕の鍵型のネックレスに移った修太郎は、僕にこう言った。
「もし、前のまま姉さんに憑いていたら、兄貴はあいつに対抗できなかったな」
「っていうか、あの2人。いくら僕に力があってオーディションがあるからって、何の躊躇もなく行くか?少しは心配しろって」
「それだけ兄貴を信用しているってことさ」
僕は手の硬直を、九字を唱えて解いて車から降りた。
翔希の霊は僕と面と向かっている。
「何故、魂を砕いたお前が霊となっているんだ?」
彼は微笑む。そこで僕は気付いた。化印である修太郎のような特別な霊でない限り、微笑んだり僕の手を止めて車を止めたりできない。目の前の霊には、明らかに自我が存在する。でも、化印ではない。何故なら、何にも憑いていない浮遊霊なのだから。祖父の書にも化印の特徴には載っていなかった。
「そうか、分かった。こいつはダミーだ。しまった!2人が危ない」
「どういうことだよ」
修太郎はぽかんとして僕に質問する。
「こいつは式神や鬼のような使役される存在だ。傀儡なんだよ」
僕はすぐに魂の力を一気に最大限に高めて、両手の指先を軽く合わせるような印を構えながら。
「ナウマク・サマンダバザラダン・カン」
この護摩法は凡俗全てに効果があるが、特に怨敵調伏の効果もある。途端にその翔希のような霊は消え去った。
「なぁ、翔希さんの魂のようだったけど、違うんだろう?」
「確かに魂を真似ることは、僕達の魂ではできない。魂は独特で個性があり、質をどんなに別に見せようとしても、別人のそれに変化させることは不可能。雰囲気を隠すことは多少なりともできるけどな」
「でも、じゃあ、さっきのは?」
しばらくの間、僕は考えた。そして、真が時計をしていなかったことを思い出す。
「浩太だ。思い出せ。前に上界の灰色の存在に会ったろう。僕を滅しようとした紫燕が言った。僕達が上界の力を持つことは世界、宇宙の秩序を乱すって」
「混沌に属しながら法を目指す人間に対して、兄貴は心が出来ていて法に属する完全な存在だから大丈夫だって」
僕は首を横に振った。そんなに大それた存在ではない。
「人より法に近く、それで本物の化印にオーラを分け与えられた祖先の血を受け継いでいるだけ」
「それでも凄いって。本物の化印に護ってもらったし、その鍵のネックレスで新しい強い力ももらったしね」
「…って、話している場合じゃない。説明している暇はない。浩太は化印じゃなかったんだ。俺達が見ていても化印よりも通常霊に近い印象があったろう」
携帯電話でメモリーかられいなに連絡を取ろうとした。しかし、現在使われておりませんという機械的なメッセージが流れて舌打ちをした。
「何で、身近に暮している僕に携帯変えたことを教えないんだ。全く…」
僕はすぐに走り出した。
「どういうことだよ」
修太郎は混乱しながら、僕を追いかけて横を飛んだ。
「返しから、ギターの音が弱いので、ミキサーを調整してください」
オーディションの舞台で、真はギターをチューニングしながら言った。返しというのは、バンド奏者に自分達の音を聞こえるように客に対して逆向きに床に添えてあるスピーカーのことである。
よく、ロックシンガーやギターリストが足を乗せることのあるアレである。音声が調整されると、ハウリング(スピーカーから各自の音声道具の反響による耳障りな音である)が起ってれいなは耳を塞いだ。
カラフルな照明が彼らを照らし、ドラムの良平がカウントを取る。そして、ドラムがビートを刻み、バスドラムでベースが入り、ギターが鳴り始めたところで、ギュイーンという音を立てて、真はエレキの弦を切った。エフェクトからシールド(コード)を抜くと、真は全員に演奏中止のジェスチャーをして、客席の審査員達に向かって言った。
「済みません、弦交換のために少し時間を下さい」
すると、全員が渋い顔をしたが、1人の審査員、ミュージシャンの神堂多岐が手を上げて言った。
「いいでしょう、皆さん」
彼の言葉に怪訝そうに審査員一同はひそひそ話しながら、結局、チャンスをもらうことができた。
すぐに近くの荷物からペグ回し(弦を張る調整をする、ギターのネックの上のネジをハンドルで回す道具)で弦を素早く緩めていく。弦をニッパーで切ってボディの裏から弦を抜く。
弦を全て取ると、スペア弦を取り出しボディ裏の穴から通してねじれを気にしながらペグに伸ばす。そして、ペグに伸ばしストリングピンに素早く取り付けていき、弦の張りを馴染ませて調整する。
弦高の調整を細い六角レンチで行い、チューニングし直した。
彼のギターはフェンダー(1列にペグが並んでいるスマートなタイプ)で、ストラト・タイプ(弦が1本ずつ完全に独立していて、弦高のあるテイルピースのないタイプ)のものである。
ちなみにペグ回しはアコースティックギターのピン抜き付きであり、やわだけど安いものである。
でも、弘法も筆を選ばずである、と真は思っている。弘法大師こと空海は仏教の類である密教を日本に取り入れた真言宗の祖である。その密教の真言を使う真にとって、その諺はまさにピッタリであった。
準備が整うと、立ち上がって構えてメンバーを見渡した。審査員達は溜息をついて腕を組んだ。彼らに対する評価はこれでさらに厳しくなることは否めなかった。
僕は走りながら修太郎に説明する。
「他の要因によって、浩太は化印になったんだ。つまり、他の魂、いや、存在がくっついているんだ。それが上界の者だ。で、化印の使役者という、宇宙の秩序を乱す強力な力を持った人間を滅ぼすために、真に大して攻撃を始めたんだ。だから、浩太を危険に思った真は時計を手放した。演奏のときのファッションが理由なら、身につけていなくても所持していればいい訳だし」
そこで、さらに混乱した修太郎が言葉を放つ。
「紫燕みたいのが浩太に憑いていて、それが真を危険と感じて攻撃をした。そこで、真が時計を、浩太を封印してしまったので、浩太から離れてその上界の者は真に攻撃を始めるために向かっていると」
自分の頭を整理し始めた修太郎は、そこでふと疑問が思った。
「でも、幽霊に上界の者が憑くって?」
「僕も良く分からないけど、生きているときに、多分、上界の者の使者をその体に召喚されたんじゃないか?魔術で人間に悪魔を憑依させるかのように」
「それは何なんだろう。俺達じゃ叶わないんじゃないか?」
僕は修太郎を睨んだ。
「それでも真を助ける」
「姉さんを、の間違いだろ」
「いや、危ないのは真だけだ」
すぐにホールに辿り着くが、警備員に行く手を阻まれた。そこで裏手に回って、修太郎の霊力で高所に飛ばしてもらい、2階の窓に飛びついた。そこで、修太郎は壁を通って中に入り、中からクレセントを外した。
窓を開けて中に入ると、僕は2階通路に飛び降りた。すでに2回、修太郎は物理現象を使ったので、今日はもう修太郎はものを動かせない。
すぐに廊下を駆けて階段を下りて、1階のオーディション会場に入った。
「では、始めて」
審査員の1人の掛け声で、良平はカウントを再び始めた。ドラム、ベース、ギターと曲を奏で始めて、れいなが歌い始める。そこで、審査員達はざわめいた。1回目のサビが終わると急に電気が落ちて照明が暗くなった。当然、ギター、ベースが音をなくし、れいなの地声とドラムしか聞えない。それもすぐに止んだ。
「どうしたんだ?」
全員が戸惑う。次の番の袖にいるバンドも舞台に顔を出してくる。
真だけはその暗闇の中で見えた。浩太が自分の前に現れるところを。
「逃げろ、そいつは浩太じゃない!」
僕の声がホールにかき消された。しかし、真に聞えたらしい。すぐに舞台から飛び降りると、僕の方に駆けてきた。その浩太の姿の者は、追ってくるが僕は鍵型のネックレスを握り叫んだ。
「古の血の契約により、上界の灰色に属する者、化印よ。我は願う。ともに目の前に立ち塞がる邪悪なる者に光の滅びを与えんことを」
あのときのように、周りの空間が凍りつき始める。そして、眩い輝きの降魔の剣が鍵から生じて、以前、紫燕という上界の者から僕の命を助けようとした、同じ灰色の上界の存在、化印が召喚された。
化印は僕以外の人間である真も助けてくれるだろうか。と、戸惑っていると、化印は眩い光を放ち、浩太の姿の存在はまるで道化師のような姿に変化した。
それは人形に似ていた。
「あれは魂の破壊者だ。本体なく、なおも存在することは、本来はない」
化印がそう振り向かずに、誰に言うでもなく言葉を零した。
「何かが上界でも起っている」
そう言い残して、光線を浩太の姿の上界の存在、『魂の破壊者』に放った。すると、浩太の姿のものは、まるで燃え上がるように消滅していった。
そのまま、化印は上界に帰っていった。
電気は戻る。僕はすぐに舞台に真を連れていった。
オーディションは何もなかったかのように進み、ナイトメア・メビウスはグランプリを受賞した。
オーデションが終わって、その打ち上げが僕とれいなの部屋で行われた。リビングとダイニングに5人は陣取り、ビール、カクテル、ワインが消えていった。
「でも、何だったんだ?」
真が僕に訊いた。僕は曖昧な推論を答えることしかできなかった。
「浩太に生前、魂の破壊者という上界の者の使者が乗り移ったんだ。原因は分からない。そして、殺された。しかし、その無念から自縛霊になった浩太にそいつは乗り移ったままで、そいつの作用で化印になっていたんだ」
「で、紫燕のように俺が秩序の混乱の元凶と思って襲ったと」
「だから、時計を外していたんだろう」
「まぁな。浩太が俺に攻撃を始めたんで、時計を封印した。最初は無念を解消できない八つ当たりかと思ったが、エスカレートしてな」
そう言って、真は500mlのビールの缶を飲み干して、ゴミ箱に投げた。それは箱に外れて床に転がった。
「上界の者って何だろうな」
その僕の質問に誰も答えることはできなかった。そして、嫌なことを忘れてグランプリとこれからのメジャーデビューに酔いしれることにした。
完
どうでしたでしょうか。
そもそも、コードと併せるつもりではなかったのですが、絡まる要素が出てしまいました。
でも、この物語を単独で楽しめるので、読んで下さりありがとうございました。