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第九話 塩と馬と何かの前触れ

 事の発端は僕が軒を借りている宿の女主人、キティさんの発言からだった。


「あー、お塩が切れちゃった。アキちゃん、悪いけど採ってきてくれない?」


 そう言いだしたのは僕が部屋から出て階下へ降りてきた直後。

 カウンターの奥の扉を開けっ放しにしながら料理をしていたキティさんが僕を見つけてそう頼んできたのだ。


「買ってくる、ではなく採ってくる、ですか?」


 近場に岩塩を採掘できる場所でもあるのかな。

 さすがにこの辺りの地理までは把握していないけど、そうと知られているものなら場所を知らない僕ではなくこの町に根付いている冒険者にでも頼んだ方がいいと思う。

 そんなことはキティさんも分かっているはずなのに僕に頼むということは何か理由があるんだろう。


「そう、採ってくるで合ってるよ」

「はあ、別にいいですけどその採掘場はどこにあるんですか?」

「町の西側になるかな。というか採掘場って何を勘違いしてるの? 私が行ってほしいのは海なんだけど」


 海って、あの海のことだよね。

 この町って港町だったんだ。

 確かにこれまでは町の東側、門に近い所で生活していたけれど、海の匂いもしないし全く気づかなかった。

 でも気付こうと思えば気付けたかもしれない。

 例えば門の前で売ってる屋台の料理が海鳥の魔物であるペギーの肉だったり、この町で食べた料理が魚料理に偏っていたことなんかから推察できたような気もする。

 まあ、それを先に知ったからってどうなることでもないんだけど。


「アキちゃんにお願いしたいのはソルトスライム狩りなんだけど、知ってる?」

「いえ、知りません。ランクの低い魔物は大概頭に入れたのですが、何か特殊な魔物だったりするんですか?」

「あー、魔物図鑑か。ソルトスライムが載ってるのは食材図鑑系だから知らないのも無理ないかな」


 食べるのか、スライムを。

 確かに作品によればそういう描写があるものも存在したけれど、現実的に考えて野生そのままに生きている液体生物を飲んだり食べたりは遠慮したい。


「ソルトスライムの生態は特殊でね、基本的には海にぷかぷか浮いているだけの無害な魔物なんだよ。なんで魔物と呼ばれているかは人間でも動物っぽくもないからなんだけど、それはともかく海に浮いているってことは塩水にいつも触れてるってことだよね。ソルトスライムはその塩だけを集めて塊にするんだよ」


 地球風に言えば浸透圧の問題かな。

 スライムの体内に侵入してきた塩分を体内の一か所に貯めておく性質があるということだろう。


「私が頼みたいのはその塩の入った袋を集めてきてほしいということなんだ。倒し方は核を潰せば一発だし、ソルトスライムは半透明だから簡単だと思うよ?」

「分かりました。浮いているということは海に行けばそこら中に?」

「集まってるのは港の北側だね。海岸沿いは砂浜だから海には入りやすいと思うし頑張ってきてね」


 濡れるのは確定なんだ。

 まあ着替えは買ったからいいけど潮臭くなるのは勘弁して欲しい。

 あの匂い、少しなら気にしないけど毎日だと僕には無理だ。

 この宿が東側で本当に良かった。


 かなり大きめの布袋を受け取って、では行ってきますと店を後にする。

 背中にかかる声に手を振って店を出ると外はまだ薄暗かった。

 夜明けの紫がかった青い空に点在する雲が太陽の反射で光っている。

 月もまだ残っていて木の実のような細長い姿を空にさらしていた。

 時刻は大体午前の五時くらいだろうか、夏の朝の生暖かい風が通りを流れ去っていき、海鳥が活動を始めている。

 中央通りにはぽつりぽつりと道行く人影があって、こんな朝から働いている人もいるんだなと半ニートの僕は申し訳ない気持ちになった。


 少し気分が落ち込んできたので体を動かすことにする。

 太陽を背後に歩き出して数分、今まで来たことのない場所へ到達する。

 町並みは変わらないけど風が正面から吹いてきて微かに潮の香りを感じた気がした。

 さらに進むといきなり開けた場所があって、何と言うか絶景だった。

 視界一面に海が広がっている。

 町の西側には高低差があるらしく、坂が海へ向かって下っており、僕がいるのは丁度坂の上に当たる場所だった。

 そこから見える景色は町の西側半分と後はすべてが海だ。

 どうやらこの町は三日月型をしていたようで、町の北側と南側で両端が岬のように海側へ突き出ている。三日月のちょうど真ん中から南側の部分は港になっているらしく、西を向いている僕の正面には小さな漁船が、左側には商船――ガレオン船のような船が停泊していた。


 こんな世界でも人は航海をするらしい。

 というかこんな世界だからこそ交易が儲かるのかもしれない。

 とはいえ海には巨大生物がいるのが定番だし、僕には無謀なものにしか思えないけど。


 坂を下ると傾斜がきつい中にも左右に家が建てられている。

 地価が安いのだろうか、パン屋や靴屋など規模の小さな店が乱立していた。


 東側でも見た種類の店だけれど、西側の人にとってはわざわざ坂を上がって買うようなものでは無いということだろう。


 ただ、東側の店にとっては下へ降りないという選択肢は取れないようだ。

 その理由は港の南側にある露店売場、朝は市場になるらしいそこのせいだ。

 近づくにつれて声が聞こえだし、人の量も多くなる。

 この時間帯に働いている人がいるのではなく、この時間帯には働いているのが普通らしい。

 実際に遭遇したことは無いけれど、物語で描かれる暴力的なバーゲンセールの光景を見た気がした。

 こういう時は、と腰に付けている財布代わりの布袋を後ろ手につかむとほぼ同時に誰かの手が当たって少し驚く。

 こういう場所だとやはりスリは居るのだろうか。

 周りを見てもそれらしき人影は無い。

 おかしな話だけど物語チックで少し興奮した。


 一旦見に来た南側から離れて海岸沿い、北側を目指す。

 漁船を左手に少し歩けばキティさんの言っていた通り砂浜が見えてきた。

 緩やかに西にカーブしていて奥は岩礁になっている。

 逆に海を少し離れると畑が一面に広がっていて、その中に一つぽつんと家が建っていた。

 煙突から煙が出ているところを見るに朝食の用意でもしているのだろうか。

 そういえば朝食をとるのを忘れていたと、お腹は空かないのに食欲がわいた。


 それにしても海のそばに畑って大丈夫なのかな。

 海風にあおられれば塩害もあるだろうし。

 少し気になったけど答えが返ってくるわけでもないので放置する。


 さて、海に入ろうか。

 と言ってもそう深いところまで行くわけではないのだけれど。

 砂浜とあぜ道との境目で靴と靴下――この世界でも普通に存在していてくれて助かった――を脱いで裾をめくって海岸へ。

 このころには日も上がっていて日中と変わらずに景色が見れる。


 海に近づくとそこらじゅうに半透明のブヨブヨした球体――クラゲのようなものが浮いているのを発見した。

 中には野球ボールサイズの赤い球と白い球が一つずつ浮いている。

 多分白い球の方が潮の袋で赤い方の球がスライムの核なのだろう。

 キティさんはそれを潰せと言っていた。


 本当は木の棒でも探してきた方がいいのだろうけど……周囲を見渡して人気が無いのを確認する。

 一応の配慮として左手を服の中へ差し込み、そこでダンジョンコアを棍棒型へと変形させた。


 手になじませるために数回ほど素振りしてから一番近くにいたスライムに目を付ける。

 ひざ下がつかる程度の浅瀬に入り、力を込めて上から叩きつけると盛大に水が跳ねてそばにいた僕はびしょ濡れになった。

 まあ予想通りだ。


 スライムがいたはずの場所を見れば、赤い球が割れて絵の具が水に溶けるように海水の中へ消えて行くところだった。

 白い球の方は割れずに水中へ沈殿している。

 力を入れると割れてしまうような気がして恐る恐る拾い上げてみると、意外と表面が厚くゴムのような感触で投げても大丈夫そうだ。


 何度か上に放り投げてキャッチするという遊びを繰り返し、靴を置いた場所へ戻ってその横に置いておく。

 ここに並べておくことにしよう。

 そう思ってもう一度海へ入り、今度はモグラ叩きの要領で素早く確実に潰していく。

 さっきの様子を見れば、潮の球は流れに乗らずに下へ溜まるようだから少しくらい放置していても問題はないだろう。


 砂浜の半分を叩いては最初の地点へ戻り、塩玉を拾っては靴のそばへ集めていく。

 何度か繰り返してもスライムの数は減ったようには思えない。

 少し辟易しながら塩玉集めを続けていると、塩玉の山が僕の腰辺りまで来たころになって鐘の音が鳴り響いた。

 どうやら正午になったらしい。

 腰の痛みに思わずうなりながら靴のそばへ座り込み、そのまま砂浜を枕に寝転がる。

 どうせどこにも行きやしないんだし、袋に入れるのは後でもいいかな。

 少しだけ、休もう。




 目が覚めたのはどれほど経った頃だろうか。

 太陽はいまだ空にあり、暑さもそう変わらない。

 一度は濡れてしまったのだし、もう一度海に入るのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら微睡んでいると、周囲を走り回る足音が聞こえてきた。

 一体何事だろうか。

 上半身だけ起こしてその場へ座り込み、腰を捻って体をほぐす。

 その頃になって周りの声が聞こえてきた。


「暴れ馬だ! 暴れ馬が出たぞ!」


 ……は?

 固まったのは一瞬ではない。

 ゆっくり群衆が指差す方向、背後に視線を向けると、いつかの馬がこちらへ向かって走ってきていた。


 もう十メートルもない。

 僕が地面に体を付けたまま横に回転するかのようにギリギリで回避すると、馬は塩の山を吹き飛ばしながら走り去っていく。

 何が起きたのだろうか。

 僕は寝ていたからわからない。

 分かるのはあれがまた向かってくるようだということだけだ。

 とりあえずは身体を起こし、近くで倒れこんでいた人を引っ張り上げる。


「大丈夫ですか? 僕には状況が理解できないのですが、何かご存知ですか?」


 矢継ぎ早になってしまったけれど仕方がない。

 現状を知らなければ取れる手も取れないのだから。


「おう、ありがとよ嬢ちゃん。現状か? 見て分かる通り暴れ馬が襲ってきてんだよ。どうやら北の浅瀬から壁を周ってきたらしいぜ」


 つまり野生馬と言うことだろうか。

 前に見た馬車につながれていた個体ではないらしい。

 それなら話は単純で、倒せばいいことなんだけど。


 高さ五メートルに体重は二トン近くあるんじゃないだろうか、さすがにあれを倒す方法はすぐには思いつけない。

 突進してくることもあってぶつかった時の威力も相当なものだろうし、速すぎてすれ違いざまに何かをすることもできそうにない。

 ダンジョンコアを使えればよかったんだけど、こんな衆人環視の中では手の内を明かせるわけも無し。

 とりあえずは戻ってきた馬に塩玉を投げつける。

 いくつかがヒットし、馬の視線がこちらを向いた。


「ひきつけますから誰か冒険者を呼んできてください!」


 叫んでいくつかの塩玉を手にあぜ道の上を駆け出す。

 わざわざ塩玉を取った理由はもちろん投げて注意を引くためだ。

 馬の進行方向に対して斜め前にすれ違うように動いて躱し、カーブを描いて戻ってきたところにまた塩玉を投げ、再度塩玉を拾う。


 それを何度繰り返したか分からない頃になってやっと、

「連れてきたぞ!」

と言う声が聞こえてきた。


 突進してきた馬を躱しつつ叫び声の方を見れば、そこに居たのはイリスさんだった。

 なんとも微妙そうな表情で、右手にはあの剣が握られている。

 いまだ馬は振り向いてすらおらず、こちらには気づいていない。

 イリスさんはゆったりした動きで馬の動きを見ている僕の背後にやってきた。


「お久しぶりです」

「うん、久しぶり」

「次、右に抜けます。」

「分かった」


 それだけ交わして馬に集中する。

 緩やかなカーブで戻ってきた馬はどうやらイリスさんに気付いたらしく、一瞬速度を落としたものの、すぐにまた戻して先ほどまでと同様に正面から突進してくる。

 僕は背後にイリスさんの気配を感じながら、タイミングを見計らって右前方へと飛び込んだ。

 上体から飛んだ背後で甲高い音が聞こえる。

 飛び込み前転の要領で転がって片膝立ちのまま振り返ると、逆側に飛び込んだイリスさんが剣を振り切ったところだった。


 その後何事もないかのように走り去っていった馬は十数メートルほど進んだところで膝から崩れ落ちるように倒れ、切断された馬の首からは血液が流れだしていく。

 まるでデュラハンでも乗っていそうな首無し馬だと変な感想を持ちながら現実逃避していた僕は、イリスさんに声を掛けられるまで固まっていたのだった。


「アキ、大丈夫だった?」

「え? あ、はい。大丈夫です。生き物が死ぬのを間近で見るのはこれが初めてだったので」


 少し血の気が引いているようで、軽いものだけど貧血にも似た症状が今になって出てきている。

 スライムとか意思が微弱な生き物ならそう深く考えることもないんだけど、今回の相手は完全に僕を認識していたし、怖くなかったと言えば嘘になる。

 魔物を倒すということを甘く見ていたかな。

 少し考え直す必要がありそうだ。


「ならしょうがないよね。誰だって最初はそうなるよ」

「速く慣れるように頑張ります」

「その意気その意気」


 それで、なのだけど。イリスさんの腕をつかんでみる。


「この間はからかってしまってすみません」

「うん、許す。けど、この手は何かな」


 笑顔が引きつっていますよ、イリスさん。


「また逃げられたら面倒だったので」


 僕がそう言うとイリスさんは深いため息を吐いた。


「逃げないから離してくれないかな」

「繋いでいたら、いけませんか?」不安そうな顔で。

「いや、ダメじゃないけどさ」顔を赤くして。

「もう、あんまりからかわないでくれないかな」


 ぶつぶつと呟きだしたので、そろそろ終わりにしよう。手を離して最後に一言。


「はい、あまりからかいません」




  あの後、僕の言葉に反応したイリスさんの問いをさんざん躱して今は塩玉が入った袋を背中に宿屋へ向かっているところである。

 さっきからぶすっとしているイリスさんは、されども僕の隣に並んでいる。

 どうやらギルドへ報告へ行かないといけないらしく、塩を置いたらついでに僕も行こうかと誘って魔神の森亭へ。

 戻るとキティさんが出迎えてくれた。


「お疲れ―。なんか大変なことになってたみたいだけど、お塩の方はどうだった?」

「はい、ざっと五十個ほど回収できました」


 採集ではなく回収。

 馬に投げたものも含めて周りにいた人たちが散らばった塩玉を拾い集めてくれたのだ。

 どうやら軽かったのがよかったらしく、割れていない袋が大半で、最終的には総勢五十個ほど集まったのである。

 本当にありがたいことだ。


「おー、いっぱい集めたね。これなら当分困らなそうだよ」

「そうですよね。自分で言うのもなんですけど、少し集めすぎました」


 一体何キロになるんだろう。

 当分どころか数年持つような気もする。

 潮だけこんなにあってもどうしようもない気がするけど。

 塩飴でも作るのだろうか。


「とりあえず、用事はこれでいいですよね?」

「うん、宿泊代二日分追加しておいてあげるね」

「それはありがたいです。手持ちが心もとなくなってきていたので」


 事実だ。

 ちょっとギルドに入り浸りすぎたかもしれない。

 路銀が尽きてしまったら居座ることもできないし、そろそろ依頼を受けるべきかと思ってその確認にこれからギルドへ向かおうと考えている。


「そう、じゃあしっかり働いてきて家にお金を落としてね」


 笑顔で言うことではないのではないかと思います。

 少し呆れながら挨拶をして、外で待ってくれていたイリスさんと連れ立ってギルドへ向かうと、道の向こうから通りに響き渡るほどの大声が聞こえてきた。


「だから何度も言ってんだろうが! ダンジョンだよ! 町の北西にダンジョンができてやがった」


 風雲急ってやつだね。

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