第八話 おっさんと美女と吟遊詩人
芳しいコーヒーの香り、ではなく鼻につく酒の匂い。
静かな店内とラジオの音、ではなく騒がしい店内と談笑する人々の声。
僕がこのギルドカウンターに居つくようになってから、はや二日が経過していた。
別段ギルドにこもりきりだったわけでもない。
着替えを買いに服屋へ行ったり(女物を買わされかけた)、八百屋なんかを覗いてみたり(知らない野菜ばかりだった)など色々あったけど、一番落ち着く場所がここだったというだけの話だ。
「おいアキ、暇なら依頼を受けてみたらどうだ」
「面倒なのでパスします」
今僕はカウンター横の椅子に座って頭を机に微睡んでいる最中だ。
せっかくのいい気分なのだから邪魔しないでもらいたい。
というかこのギルドのマスターであるところのギルさんでも今の僕の邪魔はさせない。
「あら久しぶり。元気そうね」
だから、あの時の金髪の女性がやってきても――起きるしかないよね。
「ええっと」
「フレイシアよ。よろしく、アキ」
僕をそう呼んだフレイシアさんは、金髪というより金に近い赤毛と灰色の瞳を持った綺麗なお姉さんだ。
以前はまさに魔法使いらしいローブを羽織っていたのが、今はいっぱしの剣士のような革鎧を装備して細剣のようなものを腰に佩いている。
髪もまとめられており、女戦士と言った様相だ。
そんなお姉さんがなぜだか僕に話しかけてきている。
いったい何の用事だろうか。
「なんで僕の名前を?」
「今、マスターが呼んでいたわよね」
どうやら僕たちの会話を聞いていたらしい。
それならいいというのはおかしな話だけど、ストーカーではなかったので本気で安心した。
ストーカーにはちょっとトラウマが……。
「今日は少し聞きたいことがあって。いい?」
「はあ、どうぞ」
そう言って隣の椅子を引くとフレイシアさんは礼を一言そこに座った。
「私は飲み物を頼むけれど、あなたも何か注文する?」
「いえ、ご遠慮なく」
片手でレンさんを呼んで注文する。
どうやらこの時間からお酒を飲むらしく、頼んだのはシードル――リンゴ酒だ。
名前の響きから勝手にサイダーのようなものだと思っているのだけど、実際の味はどうなのだろう。
少し待ってレンさんが持ってきたカップと言うかジョッキからは強いリンゴの香りが漂ってきて喉が鳴ってしまった。
「気になるのであれば飲んでみてはどう?」
自分の前にあるジョッキを指さして笑うフレイシアさんはからかう気が全面に出ている。
誘いに乗って飲んでしまいたいけどアルコールはやっぱり駄目だろう。
法律が無くても健康面で問題なのだから。
「それで聞きたいことなのだけれど、あれから大丈夫だったの? 実をいうと少し心配してたのよ。あの子の問題もあることだし」
あの子とはイリスさんのことだろうか。
どうやら知り合いのようだし、どういう関係なんだろう。
仲がいいにしては前回はかなり不穏な雰囲気だったけど。
「特に問題なく。町についてからはここを初めとしてあちらこちらと案内していただきましたし、宿の紹介までお世話になりました。ですので今のところ大丈夫だと思います。あ、今は少し避けられていますがすぐ解決するのでそちらも問題ないです」
僕がそう言うとフレイシアさんはくすくすと笑う。
「避けられているだなんて一体何をしたのよ」
「ええ、僕が男だということに気付いていなかったようで。テントで固まって寝たことをからかったらものすごい勢いで照れていました」
「……は? 男? 誰が?」
「僕が、です」
これでからかうのが完全に癖になってしまっている。
しょうがないのだ。
ここに来てみんなの反応が面白いのがいけないのだから。
「なるほどねえ。それは逃げるわね。私でも固まったもの」
ため息をついてしみじみと。
そこまで、とは言えないことは僕が一番よく知っている。
僕も自分が女装した時は何とも言えない気分になったものなのだから。
「ああそういえば、あなたに聞きたかったことはもう一つあるのよ。あれのことは隠しておいた方がいいの?」
あれとはダンジョンコアのことだろうか。
確かに空飛ぶ魔道具だなんて町に来てからも一度として見ていないし、どう考えてもレアものだ。
話に上ってもおかしくは無いことなのになぜだろうかと思っていたのだけれど、どうやら彼女が止めていてくれたらしい。
「できればそうしておいて欲しいですね。手の内がばれるのは良いことではありませんから」
僕がそう言うとフレイシアさんはウインクを返してきた。
普通はキザすぎて出来ないものだけど彼女の雰囲気には似合っている。
僕の場合は片目だけ閉じようとすると反対側の目が半目になってしまうから似合う似合わないにかかわらずやらないことにしている。
「大丈夫よ。あいつらは家の者だから一言言っておけば見なかったことにしてくれるわ」
家の者って貴族か何かだろうか。
そういえば話し方も少し違って聞こえるし、身分のある人なのかもしれない。
「それは……ありがとうございます」
「気にしないでちょうだい。私が気になっただけなのだから」
そう言ってフレイシアさんは席を立つ。
どうやら本当に心配してきてくれたらしい。
最後に一つ声をかけて、そのままギルドから去って行った。
聞きそびれてしまったことを思い出したのは後のことだ。
以前遭遇したとき笑っていた理由だけは聞いておくべきだったと少し後悔したのだった。
「そんでおめえはまだ居座るつもりなのか」
「はい、帰ってもやることないですし」
実際、この世界で暇をつぶす方法と言えば寝るか喋るか程度のものだ。
ここにいるだけで両方できて、いろんな人の話を聞けるのだから離れる理由も無いのである。
カウンターの一番奥に座っているので邪魔にもならないだろうし問題ないはずだ。
「そんなに暇なら勉強でもしとけや」
言葉と同時に風圧を感じる。
頭のそばに何かが置かれたようで顔を上げるとそこにあったのは魔物図鑑――そう、魔物図鑑だ。
カルト商店で見つけていつか買おうと思っていた品物、再度見に行ってその値段に落ち込んだ代物がそこにあった。
「どうしたんですか? これ」
「ギルドの備品だ」
ギルさんはめんどくさそうに顎をついて答える。
初心者救済か何かだろうか。
獣のランクから本のランクに上がるには知識が必要になると言っていたし、獣のランクでは図鑑一冊買うのでも大変だ。
だからギルドで勉強できるようにおいてあるということだろう。
それはともかく魔物図鑑だ。
表紙には「魔物図鑑」の文字とゴブリンの絵。
背にはゴブリンの代わりにギルドの紋章が描かれていた。
どうやら発行元はギルドらしい。
開いてみると何かの草の香りが辺りに漂う。
紙の匂いかそれとも匂い付けでもしているのか悪くない香りだ。
遊びもあって、扉にはギルドの紋章。
使われている紙は現代紙と少し違って硬さが残るものだった。
それともあえて硬さの残る紙を使用したのかな。
聞くところによればスキルで印刷、模造しているらしいのだけどそんなことはどうでもいい。
この手になじむ感覚。
たかが数日ぶりだというのに抱きしめて眠ってしまいたくなる。
「お、おい、どうした?」
恐る恐るといった様子で図鑑に触れる僕に何かを感じたのか、ギルさんが困惑しながら聞いてきた。
「いえ、久しぶりに本に触れたもので」
一旦本を閉じ、表紙に触れながら言う。
古本屋でバイトしていた時にはここまで強い禁断症状は無かったんだけど。
思ったより精神に来ていたのかもしれない。
僕にとって本は安眠枕のようなものだし。
そのまま読みふけっているといつの間にかに夕方になり、どこからか歌のようなものが聞こえてきてやっと僕は顔を上げた。
「ギルさん、この声は?」
「歌唄い、吟遊詩人ってやつだな。今は上で唄ってる」
上とは二階席のことだろうか。確かに声は上の方から聞こえてくる。
「この間この町にやってきてな。それ以来酒場やら食堂やらを転々としていたらしいんだが、ギルドの食堂が趣味に合ったんだと。上か下かは日によるが、この頃は毎日夕方になると顔を見せるようになった」
吟遊詩人。
物語ではたまに出てくる存在だけど本当に居るとは思わなかった。
一体何を唄っているんだろう。
少し気になるけど今から行く気にもならないし、わざわざ見に行くとお金を払わなければならないという気になるからどちらにせよ行けない。
気にしていてもしょうがないので視線を本へ戻す。
今見ていた項はペギーに関するものだ。
飛べない鳥で海岸に生息し、水中を自在に泳ぎながら魚を捕食する、らしい。
ほぼペンギンそのものだけど絵で見る限り牙と足の爪の鋭さに違いがある。
鷲の爪のようなものだろうか、自分より大きな魚すら捕食するというのだからその凶暴性も分かるところだ。
ただ、肉は美味しいらしい。
以前、この町へ来て初めて来たときに食べたものがそれだったはず。
肉食もとい魚食なのに美味いとはまた謎だけど、確かに美味かったし……まあいいか。
そんな風に続きから読み始めて少し経った頃、隣に人が立つ気配を感じて顔を上げた。
「終わったか?」
「はい、今日もありがとうございました」
返事をしたのは声からしてお兄さんだ。
逆光になっていてよく見えないけど緑色のマントのようなものを羽織っている。
香水か匂い袋でも使っているようで横に来たときには薄く花の香りを感じた。
彼がお礼を言った少し後にはちゃりちゃりと軽い金属のこすれる音が聞こえてくる。
多分お金かな。
場所代か何かだと思うけどそれを渡せるほどには儲かったということだ。
少しの時間で手に入る大金、羨ましい。
実際の苦労も知らずにそんなことを考えていると僕が見ていることに気が付いたのか彼は笑顔でこちらを見返してきた。
「吟遊詩人は珍しいですか?」
そうですね、ツチノコ並には。
吟遊詩人なんて職業、ヨーロッパなんかには実在していたらしいけど現代にはいないんじゃないかな。
「はい、初めて見ました」
そう返すと彼は笑って椅子を引いた。どうやら少し話していくらしい。
隣に座ってみると分かるけど、ずいぶんと男前の人である。
プラチナブロンドの長髪に緑の装束なんてまるで物語のエルフを現実にしたような容姿をしている。
見たところ耳は伸びても尖ってもいないのだけれど。
「先に自己紹介しておきましょう。私はシド、流れの吟遊詩人です」
「はあ。僕はアキ、流れの冒険者です」
意味も無く合わせてみた。旅人(予定)は流れでいいよね。
「ふふ、アキ君はどうしてこの町に?」
「特に理由はありません。東の森でさまよっていた時に出会った冒険者さんがこの町まで案内してくれたというだけの話です」
「ほう、それはまたどうして神授の森なんかに?」
興味をひいてしまったのだろうか。
確かにはたから聞く分には物語になりそうな、というか真実まで話してしまったら物語以上の話になる。
飽きられないためには新作を作り続けなくてはいけないのだろうし、少し盛って話す分にはいいかな。
「実はよく分からないんです。何か理由があったと思うのですが、気づけば森に。もともと故郷も遠い身でしたのでどこに住んでも変わらず、そのままこの町に居ついてしまいました」
「ちなみにその冒険者の方は?」
「魔族の方ですね。もともと忌避感を持っていませんので何も問題はありませんでした。この町へ案内され、ギルド登録や宿の世話までお願いしてしまいましたし」
要するに記憶喪失の子供が森で迷っていたところを魔族の冒険者に助け出された、って話になるのかな。
実際その通りなのだけれど。
それでも物語にするには十分だと思う。
森での冒険譚にでもするか、子供が冒険者の弟子になるとかいう落ちでも付ければいい話になるだろうし。
「それはまた数奇な体験をしましたね」
「はい、今振り返ると僕はとても運が良かったようですね。森に迷うという不運と足して相殺か、それともいい出会いをしたということで良い方向に傾いているのかは分かりませんが、得難い体験でした」
「面白い話をありがとうございます。何か飲まれますか? 奢りますが」
シドさんは食堂の方を指さして言う。
奢ってもらえるのはありがたいけどここで出るのって水かお酒くらいだし、僕はお酒が飲めないから水一択になる。
それなら別なものをお願いしよう。
「いえ、それよりこちらもお話を聞かせて下さい。今日は何の歌を唄っていたんですか?」
「今日ですか? 今日は神の歌の日でした」
「神、ですか?」
「天の神と地の神の物語です。知りませんか?」
この世界を作ったAI? プログラマ? のことなら知っているけど……神?
そう言えば信仰がどうとかいう本を見かけたような気もする。
一体どうなっているんだろう。
「まあ簡単には、遥か昔、この世界が存在していなかった頃の話で、天の神が世界を作り、地の神が大地を作ったというのを抒情的に唄ったものです」
ざっくり過ぎる説明だ。
感動も何もあったものじゃない。
いくら説明とはいえ吟遊詩人的にはそれでいいのだろうか。
「はあ、そんな物語があるんですね。神の話は多いのですか?」
「そうですね、天の神の話は少なく、地の神の話はそれなりに、ですかね。他の神の話であればいくらでもあるのですが多すぎてどれを唄っていいものやら。中には同じ神なのに性格が違っていたり、同じ話なのに結末が違っていたりと僕としては真実もとい源流に近しい話を求めているのですがそれも難しいものですね」
そうだろうね。
神がいるということは地球とは比べ物にならない程神が身近なものになるだろうし、そうすれば逸話も多くなる。
本物を探すのは至難の業だ。
「神と出会うことはできますか?」
「できると聞いたことはありますが、実際はどうなんでしょうね。私の知っている物語では偶然出会うばかりでその方法自体は語られていません。ただ、存在しているのは確かなようですよ? 世界各地にその痕跡が残されていますから」
さすがファンタジー。神の存在証明が必要とされていないとは。
というか多神教?
神が多いのであれば宗教対立とかしているのかな。
異世界の宗教にも興味はあるけど藪蛇になりそうな気もするから今はそこのところは聞かないでおこう。
「痕跡とは、たとえばどのように?」
「分かりやすい所で言えば、遺跡ですかね。宗教家が言うには遺跡は神を祭ったもの――神殿だそうですよ?」
「なるほど、古代遺物なんかがあればそれは御神体ですか」
「魔道具の収集なども教義によってはあるそうです。遺跡から見つかったものだということで」
詐欺師が大喜びしそうな話だ。
それらしい逸話を付けて売れば金になるだろうし、新しい魔道具であれば気づかれることも少ない。
彼らにとっては旨い儲け話だ。
なんというか物語の宗教関係者は悪役であることが多いのに対してこの世界の宗教団体が詐欺被害者の集まりにしか思えなくなってきた。
「おかげで教会にはお金が無いそうですよ。集めるのを止めればとも思いますが世界にはまだ見ぬ魔道具が存在しているそうですし、開発も止みませんから」
お金が搾り取られているというわけですか。
自業自得なんだろうけどそんなに魔道具を集めてどうするのやら。
まさか宝物殿を作っているわけでもあるまいし、展示会でもしているのだろうか。
「まあそんなところでしょうか、神と教会の現状は」
「そこの方面はとんと無知だったもので、とても勉強になるお話でした」
異世界に来てまで勉強とはどうかと思うけど地球の歴史の授業とは違って頭に入るから良い。
中身があったかと聞かれたら雑談以上のものでもなかったけど。
「それでは私はこれで失礼させていただきますね。明日へ向けて楽器の調整をしないといけませんし」
「はい、ありがとうございました」
最後にも負う一度笑ってシドさんは帰って行った。
「話は終わったのか?」
「はい、面白い話を聞けました」
「そうか、良かったな」
そう言うとギルさんはにやりと笑う。
「ちなみにあいつがこのギルド最高位ランクの持ち主だ」
「え?」
「イリスより上、【冠】のランクだよ、あいつは」
もう一度隣を見て扉を見る。ギルさんに視線を向けるとまだにやにや笑っていた。
「知らねえ奴も多いんだがな、あれでかなりやる男だぜ?」
そうは見えなかった。というか武器を持っていなかったように見えたけど。
ただ僕のことを君付けで呼んでいたし、観察眼は鋭そうだ。
目を付けられた可能性もあるし色々気づかれないようにしないと。
「さて、では僕も今日はこれで」
「明日も来んのかよ」
当然だ。図鑑が僕を呼んでいる。
それに何と言ってもギルさんの前に冒険者が来るからだ。
ギルさんと話をするという人イコール僕に接近する人。
僕に接近する人イコール僕のダンジョンに入る人。
つまり、僕がそこに居るだけでギルさんに話しかけて去って行った人は僕のダンジョンに入って撃退されたことになり、僕に撃退ポイントが入るのである。
最高の自動受金システムだ。
確認してみれば今日接近した十二人のおかげで今日だけで約30DP、イリスさん三人分のDPが入ってくれている。
お金に直せば約十五万。
これだからギルド浸りはやめられないんだ。
句読点が鬱陶しい上に変なので一話からちょっとずつ改稿。
内容は特に変わりません。