第三話 第一種接近遭遇
魔法の絨毯と言うものを知っているだろうか。
古くは聖書やアラビアンナイトにも登場する空飛ぶ絨毯と言うやつだ。
僕は幼少期にそれが出てくる本を読んで、何故落ちないのかと心底不思議に思ったものだった。
だが、実際に乗って分かったことは、あれは落ちないのではなく必死にバランスを取っているだけなのだということだ。
そう、僕は今、魔法の絨毯に乗っている。
実際にはそれを模した板状の何か、だけど。
この世界に送られた後、僕が目覚めたのは木立のような場所だった。
木々は高く、その隙間から薄明光線のように太陽の光が届いている。
仰向けに寝ていた体を起こして周囲を確認すると、何故だか僕の周りだけがスポットライトのように照らし出されていて、光をたどれば枝葉の間から太陽がこちらを向いていた。
空気の冷たさも太陽の暖かさも意識の埒外にあって僕は座り込んだままその景色に見惚れていた。
どれほどの時間が経ったのだろう。
幻想的な雰囲気に浸っていたけれど、それも続けると見慣れてくる。
意識を取り戻した僕は立ち上がって気分を頭から振り払い、今後のことを考えることにした。
まずは状況把握かな。
そう考えて周囲を確認すると、いつの間にかバスケットボールサイズの黒い球が僕の腕の中にあった。
重さは感じず、けれども硬質で、表面は鉄球のように滑らか。
光沢があって宝石にも見えるこの球が多分ダンジョンコアなんだろう。
その球に意識を向けると視界に半透明な情報画面が開かれた。
画面左上にはHPやMP、SPのバーが無くなった代わりに空腹率や給水の目安が表示されている。現在空腹率80%。まだまだ大丈夫だ。
画面下のストレージにはベージュの上着にブラウンのズボン、ブーツが入っており、そのどれもに小さくEの文字が書かれている。
EとはEquipの頭文字だ。
確認してみると今着ているものと同じである。
寝ている間に服を変えられていたらしい。
部屋着のままじゃなくて本当によかった。
さすがに裸足で森の中を歩くのは嫌だしね。
画面左下にはミニマップが表示されている。
これは【地図】スキルによる追加機能だ。
コアを通じなくても使えるんだけど、そうすると手元に地図が具現化して他人にも見せられるようになる代わりに拡縮機能が無くなるから分かりづらくなってしまう。
だから一人で見る分にはコアを通じて見るようにすべし。
後はダンジョンのちょっとした設定。
DPを使わずに済む部分で、ダンジョン周辺のモンスター誘引率をマイナス方向に振り切っておく。
じゃあ次はダンジョンコアに追加された機能を試してみよう。
まずは【不壊】から。
持ちあげて地面に思いっきり叩きつける!
……跳ね無い?
いや、少しは跳ねるのだけど僕の身長以下の高さで地面に戻って行ってしまった。
軽くて硬質だから卓球の球みたいに跳ねると思ったんだけど、それもないらしい。
持ちあげてみてみても羽のように軽く、傷一つ付いていないことから少なくとも僕の力では壊せないということが分かったのみだ。
どうせ証明不可能だからこれでいいということにしておく。
次に【可動】に付いて。
さっきから触っている通り、持ち運びはできそうだ。
上に投げて遊んでいたら何度目かでキャッチし損ねて手からこぼれ落ち、その瞬間とっさに止まれと念じたらこれまた念じた通りに空中で停止した。
停止したコアに体重をかけてみると意外なことにピクリとも動かない。
さらに念じれば念じた通りに移動するし、元に戻そうと考えればその瞬間いきなり落下して地面に落ちた。
これダンジョンコアだよね?
破壊されたら僕死ぬんだよね?
大事に保管するべきもののはずなのに、そのままぶつけるとか念じて押しつぶすとか物騒な考えが頭をよぎるんだけど。まあいいや。
最後に【変形】について。
傷一つ入らない硬い物質のはずなのにこれまた念じた通りの形に変化する。
板や棒、何かの模型を作ってみたり。
質量の問題か、棒にしたら長くなったのでこれまた試しに念じてみたら鉛筆サイズまで縮んでくれた。如意棒か何かだろうか。
逆に大きくしてみようと考えたのだけど、これは無理で体積的にはバスケットボールサイズが最大らしく、薄く大きくしてみても縦横高さで最低限の厚みは必要らしく、大体タタミ一畳分のサイズにしかならなかった。
うん、予想以上にチート、もとい反則的機能だね。
使い道が多すぎて今から楽しみだ。
さて現状把握も終わったので行動を起こそうか。
……で、どうやって町に向かえばいいんだろう。
初手でつまずくのは予想外だ。
できれば町の周囲にでも落としてほしかったんだけど。
一応町の方角は分かるんだけど地図の端ぎりぎりのところだから歩いて行くのは遠慮したい。
さて、僕の手札はやっぱりダンジョンコアのみか。
DPを貯めずにできることは……あるね。
ダンジョンコアは好きな形に変形できる、かつ、思い通りに動かせる。
なら乗って飛ぶこともできる――はずだよね?
試しに念じて絨毯型へ。
だって乗って飛ぶものと言えば絨毯でしょ?
イメージ的に箒もありなんだけど股が痛くなる未来しか見えないからそれは無しで。
乗ってみたけど問題は特にないかな。
少しずつ浮遊させて木々の隙間から森の上空へ。
浮くときに少しバランスを崩したけどそれ以外は……突風がまずいね。
やっぱり上空は風が強いからそこだけ気を付けておこう。
ある程度昇ったところで一旦停止して周囲の確認を行うと、遠くに見えるのは森と山。
ほぼ全方向がそればかりで町など一つも見えやしない。
地図に表示された通りで落胆はしなかったけれどやっぱり気が滅入る。
以降二日、その間ずっと僕は空の人である。
食事も睡眠も空の上。
ダンジョンコアのおかげかモンスターの影すら見えてはこない。
代わりに見えるのは大森林。
全方位、どこを向いても木々ばっかりで本当に嫌になってくる。
一応地図で確認しながら動いているので方角を見失うことはないのだけれど、いつになったら着くのかと昨日からずっとそればかりだった。
今は木々の少し上あたりを低空飛行しているのだけど、鳥くらいしか生き物は見えないしもう完全に遊覧飛行と化していて、あと少ししたら降りようと思いながらどうにか飛行を続けている次第だ。
「あーもう、まだ着かないのかな」
寝っころがりながらそう漏らす口はぐちぐちと文句を言うばかり。
自分でもやめようと思っているのだけれどこれが意外と止まらない。
「そろそろ見えてもいい頃なんだけど」
そう言いながら体を起こして視線を前へ向けるといきなり強い光が目に飛び込んできた。
どうやら夕暮れが近づいているようで、ちょうど進行方向に向かって太陽が大きく傾いている。
逆光に手をかざして目を細めながら森の先を確認すると、数百メートルほど先に緑の浸食が途切れている箇所を発見した。
木々に囲まれた中の開けた空間とはまた。
切り株に斧でも突き刺さっていそうな光景を幻視しながら気分を上げて先へ進む。
時速十数キロと言う低速で向かうと、近づくにつれ連続した甲高い音と人の声の様なものが聞こえてきた。
どうやら人がいるらしく、これ以上近づくのなら発見されることを覚悟しないといけなさそうだ。
さすがに第一種接近遭遇はどうかと思うし空飛ぶ絨毯からはそろそろ降りないといけないかな。
そう考えてあたり一面を見回すけれど、そこらじゅう緑の海のように木々に覆われていてどこから降りればいいか分かったもんじゃない。
少しの間うろうろと絨毯を回したけれど、結局めんどくさくなって周囲で最も波高が低い点から無理やり降りることにした。
まずは絨毯をビーカー型に変形し、僕の体を包み込む。
これは枝の隙間を広げるためと中に乗る搭乗者を守るためだ。
とはいえこうすると周囲の景色が見えなくなって少し怖いのだけど。
次に軌道を真下へ向けると何度も枝が折れる音が辺りに響き、さらに少しの振動を感じた後、エレベーターにでも乗っていたかのような感覚で下降が停止した。
どうやらちゃんと着陸できたようだ。
ゆっくり慎重に絨毯型に戻すといきなり外から風が吹き込んできて森林の匂いが体を覆った。
木々の香りや花の香り。
呼吸が楽になったとでも言おうか、空気が鼻から口に抜け、濃い酸素の味がした。
そうして次に感じたのは寒さだった。
太陽の光が届きづらいようで、熱気すら感じた上とは対照的に空気が冷え込んでいる。
視界も暗く、先ほど発見したスポットだけが遠くに明るく光って見えて、まるで舞台のようにそこだけが輝いていた。
とりあえずはそこに向かうことにして足元にもう一度座り直す。
速度を上げずに低空飛行を続けながら木の間をすり抜けていると、舞台の上で人影が踊り狂っているのが見えてきた。
あまりの光景に一度絨毯を止めると遠目にも何が起こっているのかわかってくる。
人影は五人と一人。
どうやらモンスターと戦っているようで、どちらも複数のモンスターに囲まれながら奮闘している。
というか一人で戦っている方がおかしいほどの強さで周りを蹂躙している。
あれではモンスターが処刑待ちでもしているようだ。
口を開けっ放しにして眺めていると、五人パーティの方も本気を出したようで囲んでいるモンスターがすべて火柱に飲み込まれ、業火が尽きるころには視界からすべてのモンスターの影が消えていた。
なんといえばいいのだろうか。
もしあれが冒険者の基本性能なら僕たちダンジョンマスターには全く勝ち目がない。
例えゴブリンを何百匹召喚してもあれを倒せる気がしない。
僕をこの世界に引っ張り込んだ何者かに対する恨み節を心の中で洩らしながら僕は移動を再開する。
絨毯に乗ったままさらに近づくと、どうやら彼らは狩った獲物を解体しているようで血臭が辺りに漂ってくる。
生臭い鉄の匂いに酔ったような感覚を覚え、少しだけ吐き気がした。
というか森の中だしもう少し匂いにも気を配った方がいいと思うんだけど。
それとも獲物をおびき寄せているのかな。
心配になりながら辺りを確認してみてもそれらしき気配は見当たらない。
とりあえず様子をうかがうことにして、木陰に隠れながら少しずつ近づき、声が聞こえる程度になって前進を止める。
だいたい10メートルほどだろうか。意外と近くまで寄ったものだけど広場は明るくこちらは暗いのでこれ以上近づかなければ発見されることはまずないはずだ。
体の動きを抑えつつ耳を澄ませてみれば、男の声が聞こえてきた。
「――、あの野郎いつまでここにいすわってやがる。早く出て行きゃいいのによ」
声音は低く、それなのにここまで聞こえるということは誰かに聞かせているということだろう。
あの野郎、と言うからには男、それも一人だろうか。
誰かが村八分にされているらしい。
さっきの光景からすると一人で戦っていた方だと思うのだけれど、五対一でやっと対等な相手によくそんな口をきけるものだ。
「文句があるならはっきり言ってくれないかな。わざわざ他人の影に隠れなくてもちゃんと相手してあげるからさ」
聞こえてきたのは女性――と言うよりは女の子の声。
さっきの声に応対したらしく、響きだけでも呆れが伝わってくる。
「ああ? じゃあ言ってやるよ。今すぐここから出てけってな!」
叩きつけるような大声に驚いて体が揺れる。
なんだろう。因縁でもあるのだろうか。
「悪いけど、そういうわけにはいかないんだよね。ここ以外にまともに休めるところなんてないんだしさ。というかボクを視界に入れたくないのなら、そっちが出ていけばいいんじゃないかな」
内容より先に驚きが来た。
僕っ娘とは実在するものらしい。
天然記念物か何かだろうか。
それとも異世界とは意外とそういうもので溢れているのか。
サンプルが少なすぎて判断不能だけど、声を聴く限り違和感は無い。
「なんで俺たちが出ていかなきゃなんねえんだよ! 邪魔なのはてめぇだっつってんだろ! この、魔族風情が!」
魔族。
ゲームで言えば魔王の手下だろうか。
もしくは魔法使いの一族とか。
どうやらそれはこの世界では見下されるようなものらしい。
人種やら血筋やらに関する差別なんて日本人としては全く理解できないのだけど。
「へえ、ボクのことならともかくみんなのことまで馬鹿にするんだ。いいよ、斬り殺してあげるからかかってきなよ」
実際に見ずともわかるほど空気が悪い。
何か小さな刺激でもあれば途端に激発してしまいそうな雰囲気だ。
さすがに目の前で殺し合いが行われるのはいい気分じゃないし、唐突だけどこれは介入すべきかな。
そう思って再度絨毯に命令を下し、木々の隙間から広場へとつっこんだ。
がさがさと草むらから絨毯に乗ったまま彼らの視界にお邪魔する。
予定通りに彼らのちょうど中央へ、三角形になるように位置取った。
飛び出した僕が言うのもなんだけど状況はかなり複雑だ。
何が起こったのかわからずに僕も含めて三つの組が固まっている。
そのうち一人で一組なのが僕ともう一人、透き通るような白髪の女性だ。
多分彼女が僕っ娘なのだろう。
頭の上に乗った猫耳は先ほどからせわしなく向きを変え、彼女の心情が分かりやすく見て取れる。
視線を少し下に向ければちょうど彼女と目が合った。
南の海の浅瀬でみるような青の混じった緑眼に色の薄い肌、ひげは生えていないけれど雰囲気がまさに猫である。
そんな彼女だが先ほどから剣を片手に棒立ちしている。
見れば片刃の細長い剣なのだけれど、鍔も鎬も存在していない。
剣の形をした板のようにも見えながらその威圧感だけは本物だ。
側面には何とも表現しづらい紋様が彫られており、まさにファンタジー世界の武器と言った風情だった。
いくら見ていても猫耳以外の反応が無いので一端そちらの観察を放棄して反対側へ意識を向ける。
もう一つのグループは男四人に女一人の混成チームだ。
黒髪四人に金髪一人。
男の方は固まって武器を抜こうとしているのだけど、どうやら女の方は乗り気じゃないらしく離れたところで座りながらこちらを見ている。
というか観察されているらしい。
ポージングでもきめてやろうかと思いながらも対抗するように視線を向けると何故だか少し笑われたような気がした。
これはもしかしたら隠れていたことに気づかれていたのかもしれない。
だとしたらこのタイミングで飛び込んできた僕は滑稽に映っただろうし。
とはいえこのまま待ってもいられない。
受けは負けだ。先手を打つべし。
「すみません、お聞きしたいことがありまして、ここは一体どこでしょうか?」
首でも捻って聞いてやろうか。
そんなことを考える。
自分で言うのもなんだけど僕は女顔の男子だ。
それも男から何度も告白されるほどの。
男心をくすぐる方法は熟知しているし必要とあらばそれもやぶさかではないのだけれど、今は大事な初接触だ。
反応が予想できないし冒険はすべきじゃないだろう。
というかこの世界、美形率が意外と高い。
今のところサンプルは六人しかいないのだけれど、そのうち女性二人が美形である。
たぶん僕みたいな人も大勢いるのだろうし、それなら僕が媚を売ろうと変な目で見られるだけかもしれない。
だから今やるべきは精一杯お願いすること。これに尽きる。
どこの世界でも簡単なことをお願いされて断る人は少ないのだから、まずはそこから会話を始めるべきなのだ。
「訳有って森へ入ったのですが、道を見失ってしまって困っているんです。町の方向を教えて頂けるだけでもいいんですが」
……反応が無い。
ちょっと驚かしすぎたのだろうか。
一人だけニヤニヤ笑って見ている人もいるけれど。
これはどちらかに絞って聞いたほうがいいと目の前の二組を確認する――までもなく片方に決定した。
もちろん猫耳の子の方だ。
なぜなら、もう片方は空気が悪いうえに胡散臭いから。
とりあえず絨毯を着陸させ、地に降りてから猫耳少女に寄っていく。
近くでその顔を見ればどうやら少しだけ年上のようで身長も僕より少し高めだった。僕が低いだけかもしれないけど。
目の前まで来ても反応が無いので(猫耳はすごい速さで動いているけど)このままキスでもしてやろうかと思いつつ手を伸ばして肩を揺らすと、いきなり彼女はビクンと跳ねて数歩後ずさって足を止めた。
「な、なな、何かな? いきなり近づかれると驚くんだけど?」
反応が遅い、というかそれじゃない。
「もう一度聞きますが、ここがどこか教えて頂けないでしょうか。道に迷ってしまって町の方向が分からないんです」
「えー、あー、うん。それくらいなら別にいいけど」
語尾が呟くように細くなっているし、それにあらぬ方向を向きながら返事をするのはどうかと思う。
まるで初めて話す男子生徒のような反応だ。
それなら呆れて流せるんだけど今はその反応が煩わしい。
別段何をするわけでもないのだから早く慣れてくれないかな。
そんなことを考えていると、彼女はいったん深呼吸して剣を腰のさやへ戻し、再度こちらへ視線を向けた。
どうやらもう切り替えたらしい。
まあ冒険者たる者それくらいじゃないとやっていけないんだろうけど、その特技は少し羨ましい。
「まず、ここがどこかだっけ? ここは神授の森の西端だよ」
神授の森。
そのまま神に授けられた森ということだろう。
確かにこの広大さは神の森とでも表現したくなる。
森の上を飛行して通過した僕はともかく、歩いて横断するのにはかなりの日数がかかりそうだし。
そして当たり前の様に森の名前が使われたということは、その名称は知っていて当然だと言うこと。
だから僕もその言葉を聞いた時に文字が頭に浮かんだんだろう。
多分どこかで目にしたんだと思うんだけど……思い出せないな。
記憶喪失設定にしてそれは何かと聞く手もあるけど、色々と話してしまった以上今は使えないから聞き流すしかないかな。
「町に行きたいのならそのまま太陽に向かって進めば着くと思う。ただ、夜に移動するのはお勧めしないよ。魔物でも出たら大変だしね」
そう言って彼女は小さく眉根を寄せる。
どうやら心配してくれているらしい。
といっても昨日は空中で寝られたほど魔物に嫌われているのだけど。
……まさかさっきの戦闘、僕に追い立てられた魔物のせいだったりしないよね?
「もう日が沈むし、よかったら泊まってかないかな? テントもあるしさ」
まだ建ててないんだけどね、と小さく笑う彼女に僕は色んな意味で恐縮しながらお願いしますと返事をした。