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第8話 別れ

 今日も大きなトラブルが起こる事無く閉店する。

 もしかしたらもうこの店を運営する為のノウハウはある程度身に付けることができたのではないかと自惚れる。

 いやいや、まだまだマスターに迷惑をかけっ放しじゃないか・・・男はだらけきった顔をシャキッと元に戻しテーブルを拭いた。


 「おう、ちょっと時間いいか?」

 「ん、何ですか?」


 マスターが男に話しかける。

 また、マスターのまずい創作料理の実験台にされてしまうのだろうかと男は苦笑いする。


 「この酒場で仕事してから大分時間がたったよな。えーっとどのくらいだったかなぁ」

 「半年くらいですね」

 「ああ、そんくらいだな。もうお前も立派な一人前になって、自分の店を持てるくらいまで成長した!」

 「はぁ・・・」

 

 マスターは一人でうんうんと頷く。

 まだまだ半人前なのに、随分とリップサービスをしてくれたと男は思った。


 「そこで、そろそろ教えようかと思ったんだよ。美少女のおっぱいを揉みしだく方法を!」

 「えっ・・・!?」


 男はこんなにも早くおっぱいを揉む方法について教えてくれるとは全く予想していないかった。

 仕事が充実していた為なのか、本来の目的については半分くらい忘れかけていた。


 「まぁ、色んな方法があるとは思うんだが俺の知ってる情報だとな」

 「ま・・・待ってください!」

 「ん?」


 ばくばくと大きく鳴る鼓動を落ち着かせる。

 男は本来なら喜ぶべき場面だ。

 その情報を得る為にこの半年間、時間のほとんど全てをロクにやったこともない仕事に費やした。

 やっとこの無駄な労働から解放されると歓喜しなければいけない場面だった。

 だが、男に喜びの気持ちはなかった。

 それよりも男の心を埋め尽くしていたのは、失う事の恐怖だった。


 「もし、僕がそれを聞いてもこの仕事を続けることができるんですよね?」

 「何言ってんだ?仕事なんてする必要ないだろう?」

 「でっ・・・でも!」

 「いいか。お前は美少女のおっぱいを揉みたいが為にこの店でアルバイトを始めたんだ。そうだろ?その情報を得られたらもうこの酒場に用なんてないはずだ」

 「・・・」


 何も考えることができなかった。

 ここが男の居場所。

 ここで男はマスターや常連や近所の人達・・・野郎限定だったがその人達の笑顔を見るのがとても大好きになっていた。

 それがいきなり失う事になる。

 いつかは来ると思っていたが心の準備が全くできていなかった。


 「前にも言ったろ?夢はいつか覚めないといけないって・・・お前は次のステップに行かないといけないんだよ」

 「・・・」


 男は涙を流す。

 逃げて生きていた男は今まで人前で涙を流したことはなかった。


 「お前はこれ以上、ここに居たってもう何もを身に付けることはできない。だが、ここで身に付けた事は間違いなくどこに行っても通用することは俺が認めてやる!だからな・・・な?」

 

 本当は子供のように駄々をこねて拒否をしたかった。

 だが、ここに居続けることもできないと言うことは男自身が一番良く分かっていた。

 

 「・・・分かりました」




 しばらく時間を置いてマスターは説明を始める。

 

 「今になって思えば、この方法はとてもお前は苦しませる選択だったと思う」

 「どういうことですか?」

 「俺と最後の約束、してくれないか?」

 「何をですか?」

 「おっぱいを揉む方法を俺が教えたら必ずお前は実行するっと約束してくれ」

 「いや・・・方法を聞いてない以上約束はできませんよ」

 

 マスターは笑顔で答える。


 「いいんだよ、気持ちの問題だ!いいな、約束だぞ!はぁい!ゆびきーりげんまーん嘘つーいたらはーりせんぼんのーます!」


 マスターは男の意思を確かめる前に無理矢理指切りげんまんをして約束を取り交わす。


 「いいか、俺の知ってる方法、それはこのゲームをリセットする方法だ」

 「・・・リセット?」

 「そう、セーブデータを消して新しく始めるって事だ。そうすればお前の経歴は真っ白!美少女達に警戒されない状態に戻るって訳だ!ああ、心配するなよ。お前の記憶はちゃんと全部残る!」

 「それって・・・まさか!!」

 「俺と約束・・・したよな?」


 男はこの時、今まで生きてきた人生の中で一番大きな後悔をする。

 聞くんじゃなかったと。

 約束するんじゃなかったと。


 だが、男は自分がどれほど人間的に成長したのかはまるで気付いていない。

 半年前の男だったら間違いなくここでゲームを終了させて逃げていただろう。

 

 男の選択はこうだった。


 「詳しく聞かせてください!」




 

 美少女のおっぱいを揉む方法を聞いた次の日、男は荷物をまとめ酒場を旅立とうとしていた。

 

 「マスター・・・半年間、お世話になりました!」

 「おおよ!」

 「それでは行ってきます!」

 「ああ・・・たまには帰ってこいよ。客としてな!」

 「はい!」


 恐らくこれがマスターとの永遠の別れになるだろう。

 仮に次、マスターと会う機会があってもそれはリセットされた酒場の主のNPC。

 男の事なんて当然覚えてはいない。


 男はもう一度マスターの方に振り向く。

 最後に一度聞いておきたかったことがあったのだ。



 「マスター!」

 「あん?誰だよお前!新規客はお断りだぞ!」

 

 冗談交じりの笑顔でマスターが答える。


 「最後の最後になってしまいましたがマスターの名前・・・教えてくれませんか!?」

 「ああ・・・そう言えば一度も言ってなかったな・・・俺の名前は」


 "一瀬拓海"


 剣と魔法のRPGの世界観をまるで無視したような名前だった。

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