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光の公園

2ndの直前にあたるエピソードです。

 フランツィオ・イバニエスは、じっと待っていた。

 早朝七時の市民公園。犬の散歩やジョギングする人々の姿が多い、この時間帯。公園を彩るアートオブジェクトの前で、何をするでもなく、ただそこにいるだけの車椅子の老人は、やや異質な存在に見えることだろう。

 時々、親切な散歩者が、心配そうに声をかけてくる。フランツィオは出来るだけ丁寧に、放っておいてほしい、と答えた。

 目当ての人物が、ほぼ毎日この時間帯に走っていることは調査済みだ。コースも決まっている。ここで待っていれば、必ず来る。

 確信を持って、フランツィオは辛抱強く待った。

 

 

 五分ほど経った頃。一人のジョガーが公園の向こうから走ってきた。ダークグレーのトレーニングウェアに身を包み、フードを深くかぶっている。そのせいで顔が見えない。

 ランニングフォームは、他のジョガーと比べても整っていて、ジョギングというよりはロードワークと言った方がふさわしいように思えた。

 フランツィオの前を通りかかったジョガーは、彼が声をかける前に足を止めた。フードに覆われた顔をフランツィオの方に向け、じっと様子を伺っている。

 フランツィオは右手を曲げ、手招きした。ジョガーはすぐには反応しなかったが、やがてフランツィオに歩み寄った。

「おはよう」

 朝の挨拶に、ジョガーは答えなかった。

「よくここを通るのか?」

「すでに調査済みのようですので、その質問に対し、こちらからお答えすることはありません」

 凛とした口調で、そっけない返事が返ってきた。フランツィオは口の端を歪める。

「とっくにお見通しというわけか。いつから気づいていた? 自分が調べられていることに」

「最初からです。あなたのエージェントはなかなか優秀ですが、正攻法だけではその仕事は務まらない、という点を伝えておいて下さい」

「そうしよう」

 フランツィオは頷く。報告書どおり、侮れない若造のようだ。いや、実際は報告内容以上かもしれない。

「どういったご用件でしょうか。僕の身辺を調査した結果を教えていただけるとでも? フランツィオ・イバニエスさん」

「知っておるか、儂のことを」

「著名な資産家の名前と顔くらいは記憶しています」

「そうかい」

 フランツィオは肩をすくめた、食えぬ若造である。

「顔を見せてくれんか」

 ジョガーは一瞬ためらいを見せた後、ゆっくりと片手を上げ、フードを外した。

 

 黒髪碧眼の美男である。フランツィオを恐れることなく見つめるその目は、氷のように冷ややかだ。

「実物の方がいい面構えだ」

「囲うつもりならお断りします」

「誘われ慣れておるようだな。安心しろ、儂にそっちの趣味はない。話がしたいのだ。押してくれんか」

 フランツィオは車椅子を示した。電動式だが、敢えて手動に切り替えている。この男に押してもらうためだ。

「周辺のSPに、もう少し距離を開けるように命じて下されば」

 四方の物陰に身を潜めているSPの存在に気づいた男に、しかしフランツィオは驚かなかった。この男なら、そのくらいはたやすかろう。

 フランツィオは、上着の内側に隠してある通信レシーバーに口を近づけ、

「もう少し下がれ」

 と言った。

 男は、目だけで周辺を探った。その目つきは、獲物の位置を確かめる捕食生物そのものだった。

 SPたちの位置変更に納得したのか、男はフランツィオの背後に回り、車椅子を押して歩き出した。

 


 広い公園内を、ゆっくりと回る。

 敵が多く、おいそれと人を背後に立たせないフランツィオである。が、ついさっき出会ったばかりのこの男に車椅子を押されても、不思議と落ち着いていられた。自分から頼んだゆえに、というだけではない。この男が、フランツィオに対し、なんの打算もないからだろう。

「あんた、相当鍛えておるようだが、何のためだね」

「あなたと同じく、敵の多い身ですので。そのあたりの報告も上がっているのでは?」

「あれは本当のことなのか? 化け物を退治しているだとか」

「信じるも信じないも自由です」

「化け物に関しては、詳しい報告はなかったのだ。どういう奴らなんだ?」

「知らない方が身のためですよ。そもそも世間的には“存在していない”ことになっていますから」

「今更恐れるものなど、何もありゃせん。どうせ長くはないんだ」

「主治医は何と?」

「もってあとひと月。年は越せそうにない」

 フランツィオの体内を蝕む癌細胞は、すでに手の施しようがない状態にまでなっていた。

 死期は着実に、すぐそこまで迫っている。今日、この男に会えてよかった。今日を逃せば、おそらく二度とチャンスはなかっただろう。

「身辺整理は面倒くさいな。おこぼれにあずかろうとたかってくるハエどもを追い払うのも鬱陶しい。儂が死ぬと分かった途端、急に“親族”とやらが増えてな。遺産相続だの分配だのなんだのと、うるさくてかなわん。何もかもが面倒だ」

「金は面倒事の種ですよ。いついかなる時でも」

「そのとおりだ」

 あまりにも面倒なので、すべて弁護士にまかせてある。仕事が早くて出来る弁護士だ。

 フランツィオに扶養家族はいない。子どもは分かれた女房が連れていった。勝手に出て行ったくせに、どこでフランツィオの病を知ったのか、最近になって連絡をよこすようになった。

 養育費は充分払った。これ以上元妻にくれてやる金などない。もちろん、いつの間にか増えた“親戚”連中にもだ。

 フランツィオは、ただ気の向くまま、男に車椅子を押させているのではなかった。目的地があるのだ。

 その目的地とは、公園の中心にある円形花壇である。

 

 花壇広場に到着すると、車椅子がぴたりと止まった。

「どうした? あの花壇のそばまで行ってくれ」

 フランツィオが言うと、立ち止まった男は、再びゆっくりと歩き出した。

 円形花壇には、アネモネやクレマチスなどの冬の花が、可憐に咲き誇っていた。

 花壇の周辺はぐるりとベンチになっていて、フランツィオたちがいる反対側に、老夫婦が座っていた。

「ここが、目的ですか」

「そうだ」

 背後からの男の言葉に、フランツィオは頷く。


「最近、昔のことをたくさん思い出すんだ。まあ、おおっぴらには言えんような事柄ばかりだが。思い出した記憶の中に、この花壇があった。あれは、そう、九年前だったかな。儂はたまたまここを通りかかったんだ。そうしたら、ここでギターを弾く女の子に出会ってな」


 よく笑う娘だった。特に美人ではなかったが、弾けるような笑顔が、フランツィオにはまぶしく見えた。

「ミュージシャン志望だったそうだ。いいギターだった。これでも音にはうるさいのだよ。あの子はなかなかの素質をもっておった」

 口に出すと、思い出が次々に蘇る。彼女のギターの音色が、耳に響いてくるようだ。

 男は黙っていた。

「何度か通った。そのたびに、あの子は違う曲を弾いてくれた。いつも笑っていた。興味を持った儂は、パトロンにでもなろうかと言ったが、『そんなことになったら、彼氏が怒っておじさんを殺しに行くだろうからお断りします』だと。少し嫉妬したよ」

 フランツィオがパトロンになれば、彼女はすぐにでもデビューできただろう。コネで音楽業界に入ったとしても、時をおかずに実力が認められたはずだ。コネを使いまくって芸能界入りした挙句、何の実績も残せなかった凡人連中とは違う。

「彼女だけだった。儂に何の見返りも求めなかったのは。ただ、ギターを聴いてくれるだけでいいのだと。ひょっとしたら儂は、年甲斐もなく、淡い恋心でも抱いていたのかもしれん」

 フランツィオは上半身をよじり、背後の男を見上げた。


「彼氏というのは、あんただろ?」


 男は答えなかった。ただ、花壇のベンチを、じっと見つめている。

「儂にとってこの場所は、人生の終盤において一番清らかな場所だ。だから、終わりを迎える前に、ここに来たかった。あんたとな」

「なぜ、僕と」

「あんたと儂は、同じ女に心を癒された。理由はそれだけだ。それに、あんたの口から聞きたいことがある。あの子は、今どうしている?」

 答えは分かっていた。だが、直接聞きたいのだ、この男の言葉で。

「死にました」

「そうか。死因は?」

「答えたくありません。僕が死なせたのです」

「そうか」

 フランツィオは、それ以上追求しなかった。

「生きていたら、彼女は今頃どうしていただろうな」

「大舞台、スポットライト浴びて、大勢の観客の前で、存分にギターを弾いていたでしょう。そして、僕の妻になっていました」

 男の視線は、花壇からベンチに座る老夫婦に移っていた。朗らかに談笑する名も知らぬ夫婦を、無表情で、どこか切なげに見守っている。

「あんたに頼みが二つある」

「何でしょうか」

「彼女が生きていたら、遺産を好きなだけやろうと思っていた。代わりにあんたが受け取ってくれんか。欲しいだけやる」

「結構です」

 即答である。

「他人の金などに興味はありません。彼女にやるつもりだったのなら、彼女が喜ぶような遣い方をして下さい」

「あんたにやるのは喜ばんのか」

「ええ」

「そうか。分かった」

「もう一つの頼みというのは?」

「ああ、これだけは、どうしても叶えてもらいたい。彼女のギターが、もう一度聴きたいのだよ」

 すると男は、背後からエレフォンを差し出した。動画再生がスタンバイ状態になっていた。渡されたイヤホンを耳にはめ、動画再生ボタンをタップする。

 画面いっぱいに、彼女の姿が映し出された。どこかの部屋の中だ。とてもくつろいだ表情で、ギターを抱えている。

 フランツィオは、思わず笑みを浮かべた。



『えーっと、○月×日。天気は晴れです。昨日出来たメロディを記録します。ねえ、ちゃん撮れてる? こういうの結構恥ずかしいんだけど。

 なんだっけ? ああそうそう、昨日出来たやつね。まだタイトル決まってなかった。どんなのがいいかな。決めてくれない?』

『は? 俺が?』

『うん。昨日聴かせたじゃない。その時の印象でいいから』

『何で俺だよ。作曲者が決めろよ』


 撮影者の不機嫌そうな声に、しかし彼女は笑っている。


『いいじゃない、決めてよ』

『マジかよ。じゃあ、……』


 撮影者は、もごもごと不明瞭な物言いで、タイトルと思しき言葉を呟いた。

 途端、彼女の愉快そうな笑い声が響く。


『何それ! 思った以上にかわいいんですけど!』

『笑ってんじゃねえよ! お前が決めろっつったんだろ! 印象でいいつったろうが! 笑うなブス!』

『ごめんごめん、もう笑いません! ぴったりじゃない。いいよ、それでいこう』

 

 弦に指をかける。すぐに離す。


『ねえ、やっぱり音声録音だけじゃだめなの? 緊張してうまく弾けないかも』

『音声だけだとサンプルにならねえだろ。お前楽譜読めねえんだから。それに、こんなホームムービーで緊張してるんじゃ、テレビになんか出れるわけねえだろ。練習だ練習、カメラに慣れろ』

『はいはい分かりました。じゃ、弾きまーす』

 

 再び弦に触れる指。軽やかに爪弾き始める。

 春鳥が歌うような、優しい曲だった。

 知らぬうちに、フランツィオの頬は濡れていた。



 動画が終了しエレフォンを男に返す時、コピーしてくれ、と言いそうになったのを、フランツィオは自制した。

 少し悔しいが、あの子は彼だけのものなのだから。

 それに、あの世に行けば、会えるかもしれない。いや、無理だろう。自分の魂は汚れきっている。彼女のいる天国に行けるはずがない。

「ありがとう。これでもう、思い残すことはないよ」

 何もかも、これで終了した。あとは、その時の訪れを待つのみだ。

「最後に教えてくれ。彼女の名前を」

「ルシア・イルマリアです」

「ルシアか。いい名前だ」

 フランツィオは“光”という意味を冠するその名を、彼女の音と想い出と一緒に胸にしまった。


        *

   

 資産家フランツィオ・イバニエスの死は、各種メディアで取り上げられた。

 彼の莫大な遺産のすべては、各地で開催されるチャリティー音楽祭に、寄付金として振り分けられた。


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