いきものかかわり
コールが明かりをつけ、店内に入ると、すでに目を覚ましていた生き物たちが、ケージの中でもそもそ動きながら彼を迎えた。
壁に沿うように置かれたたくさんのケージや水槽の中に、様々な生き物がいる。
ヘビ、カエル、トカゲ、カメ、昆虫。色とりどりの熱帯魚に、密林の大河に生息する希少な大型淡水魚。
コールは丸みのある眼鏡を通して彼らを見回し、ふっと微笑んだ。
「ちょっと待ってなよ。店を開けたら、すぐにごはんあげるからね」
時刻は午前九時五十分。爬虫類専門ペットショップ〈テトラ・パーク〉は、十時から営業開始だ。
店内を横断し、出入り口の前に立つ。全面強化ガラス製の出入り口には、スクリーンシャッターが張られている。ドアのロックを外し、横の壁にある操作パネルに触れて、スクリーンシャッターを解除する。
たちまち外の眩しい光が射し込んでくる。はずだった。
ガラス扉の外側に、若い男が張り付いていた。
カエルのように片手と頬を扉にくっつけ、見開いた緋色の両目で、男はコールの存在をとらえた。
「助けてくれええええええ」
「ギャーーーーーーーッ!」
男の口から亡霊のような呻き声がただれ落ち、コールの喉の奥からは絶叫がほとばしる。
弾かれたように踵を返し、店内の奥に逃げようとした。が、あまりに慌てていたため、自分の片足につまずいて豪快に転んだ。
「変質者! 変質者がいるーーー!」
「おーい、開けてくれよー」
変質者はガラス扉をばんばんと叩いている。
「嫌だ誰が開けるもんか! 警察! 警察呼ばなきゃ!」
レジカウンターまで這っていくコール。カウンターの内側には、警察直通の緊急ボタンがあるのだ。
ほうほうの体でようやくレジカウンターにたどり着き、死角になったところに設置されたボタンをまさぐる。
どくどくと心臓が早鐘を打っている。緊張のあまり、ボタンを押す指先に力が入らない。
(ああ、よりによって僕が早番の時にこんなことになるなんて。神様お願いです、どうか被害は最小限に。そしてうちの子たちに何もありませんように!)
ボタンに触れるその手が、背後から掴まれた。
「おい待てよ、警察は勘弁しろよ、変質者じゃねえし」
すぐそばで声がした。振り返ると、外にいたはずの変質者が、コールの目の前に立っているではないか。
一瞬にしてパニックに陥る。自動ドアの電源は入れていなかったのに、どうやって。
横目で見やれば、扉は強引に開けられていた。近年の自動ドアは、防犯のため、電源が入っていない状態で開けるのが困難な造りになっている。成人男性二、三人がかりでも、簡単には開かないはずだ。それをむりやりこじ開けるとは、なんたる怪力か。
強盗殺人鬼だ。馬鹿力でくびり殺される。
「い、命だけは助けてください」
コールは震えながら両手を挙げ、抵抗の意思がないことを示す。男は怪訝な顔つきで首を傾げた。
「それじゃまるで、俺が何かしようとしてるみたいじゃん。助けてほしいのはこっちだよ」
ほら、と右手を差し出す変質強盗殺人鬼。殴られるかと思い、コールは反射的に目を閉じ、首をすくめた。だが、殴られなかった。
おそるおそる目を開けると、差し出された男の掌が、鼻先に突きつけられていた。
掌には、小さなカメが乗っている。
「こいつ食欲がなくて、何も食べてくれないんだ。頼むよ、助けてくれ」
コールは手の中でじっとしている子ガメを、自分なりに調べてみた。その間、男は心配そうな表情で、
「なあ、なんかの病気かな。悪いもん食わせちゃったかな。死んだりしないよな」
コールの周りを、動物園の猿のようにうろうろしていた。はっきり言って鬱陶しい。
「大丈夫だと思いますよ」
コールはため息混じりに答えた。
「この子は、飼い始めてどのくらいですか?」
「一週間くらいかな」
「やたらと覗いたり、手に乗せたりしてませんか?」
「してる」
「だめですよ、それじゃ」
コールは眉をひそめる。ここまで手に持って連れてきたことも問題ありだ。
「新しい環境に慣れるまでは、そっとしておいてあげてください。神経質になって、食欲不振になることがあるんです」
「そうなんだ」
「それと、設備は整ってますか? ちゃんとした水槽で、保温用ライトもありますか? カメは気温が低いと消化機能が低下するから、暖かくしてあげないと」
「知らなかった」
「知らないのに飼い始めたんですか?」
信じられない。コールは呆れて首を振った。
「生き物を飼うんだったら、家に迎えるまでにちゃんと環境を整えてあげるべきです」
「すいません」
男は意外にも、コールのアドバイスを素直に聞き入れ、ひょこりと頭を下げた。
「なりゆきで飼い始めたからさ。水槽なんかなくて、ずっとバケツに入れてたんだ」
男は子ガメを受け取り、掌に乗せて、
「ごめんな。給料入ったら、ちゃんとした水槽買うからな」
と、指先でそっと甲羅を撫でてやった。
カメのことは、心の底から気遣っているらしい。生き物を大切にしていると分かると、男への警戒心も、徐々に薄れていった。
改めて男を観察してみる。若い。同い年だろうか。茶色混じりの金髪、左右合わせて八つあるピアス。洒落たスウェットパーカーに、ヴィンテージのジーンズとスニーカー。どう見てもヤンキーだ。どこか猿っぽい雰囲気を醸し出しているが、スタイルはいい。痩せているばかりで筋肉のないコールとは、真逆の人種である。
「いやー、それにしても助かったぜ。俺、この町で暮らし始めてまだ間もなくてさ。近くに動物病院あるかも分かんなかったし」
ヤンキーは子ガメを手に乗せたまま、店内を歩き始めた。緋色の目を輝かせて、ケージの中の生き物たちを眺めている。
「ここ見つけたの、たまたまなんだよ。運がよかった」
「あの。今後あてにされても困りますからね。そもそもうち爬虫類専門ペットショップで、動物病院じゃないんですから」
「え? 違うの?」
「まさか、本気で病院と間違えたわけじゃないですよね?」
「そうだと思ったから、来たんだけど」
ガラス扉に張り付いて、だ。
「表の電子看板に表示されてるんですが」
「爬虫類専門、のとこしか見てねえ」
肝心な部分で、観察眼がおろそかになる性質らしい。
カメの様子は診た。アドバイスもした。もうここに用はないだろう。早く帰ってくれないだろうか。
うんざりしているコールを尻目に、ヤンキーは店内巡りを続ける。
「あの、もう帰ってもらえますか。僕、仕事ありますから。カメくん、心配なら、ちゃんと病院に連れて行ってあげてくださいね」
「おー、このトカゲ、でっかくてかっこいいな」
話を聞いていない。
「とげとげしたのがたくさんついてるな。触っていい?」
ヤンキーが子どものような眼差しで見つめているのは、青みがかった体色のイグアナだ。
「え、だ、だめです。一応商品なんですから」
自分で口にしておきながら、商品、という単語に嫌悪感を抱いた。生き物は“モノ”ではない。だが、ペットショップにおいては、生き物は“商品”なのだ。
「でも、『お試しふれあいOKです』って書いてあるぜ」
たしかに、ケージの表面には、そのような文言の書かれた手書きPOPが貼ってある。イグアナをはじめとする、比較的おとなしい生き物は、少しなら触ってもいいことになっている。
コールは肩を落とし、渋々イグアナをケージから出した。
ヤンキーはカメをコールに預け、代わりにイグアナを受け取った。イグアナを抱いたヤンキーは破顔し、にゃははと嬉しそうな笑い声をあげた。
「結構重いな、こいつ。あ、痛て、トゲ痛て。足すべすべ」
ヤンキーはイグアナへの感想を、いちいち口に出した。赤ん坊を抱いているようにゆっくり揺らしていたかと思うと、今度はおんぶへとシフトチェンジ。思う存分、イグアナとのふれあいを楽しんでいる。
「あの、そろそろ返してください。もう充分でしょう」
何度目かの返却催促で、ようやくヤンキーはイグアナを返してくれた。彼の表情は満足気で、晴れ晴れとしていた。
「いいよなー、生き物に囲まれて仕事するの。毎日楽しいだろ?」
イグアナとの交換にカメを受け取ったヤンキーは、邪気のない口調でそう言った。
コールは喉に言葉が詰まり、すぐには答えられなかった。
イグアナをケージに戻し、鍵をかけ、詰まらせた言葉をゆっくりと吐き出す。
「毎日、楽しいってわけじゃ、ないですよ」
「なんで? 生き物が好きだから、ペットショップで働いてんだろ」
「そりゃ、最初はそうでしたよ。僕、犬とか猫より爬虫類が好きだから、ここのバイト募集見かけた時、即行で面接申し込んだんですから」
「じゃあ」
「だけど考えが甘かったんです。生き物が好きっていう理由だけで、仕事にしちゃいけなかったんだ」
ここ最近、コールは〈テトラ・パーク〉でのアルバイトを続けていくことに、迷いを感じていた。生き物を取り扱う、それはつまり、命を取り扱うことそのものだ。
大好きな爬虫類たちに囲まれているのは幸せだ。しかしその分、飼い主が見つかった時に訪れる別れはつらい。
いい飼い主に巡り会い、生き物たちが幸せな暮らしを送っていけるのなら、それはコールにとっても幸せなことだ。だが、一部の人々の心無い行為が、生き物や、彼らを愛するコールの心を痛めつける。
飼えなくなったからと返しにくる者。流行りの生き物をとっかえひっかえし、以前のペットを平気で捨てる者。そして、虐待する者。
大好きな生き物たちの近くにいればいるほど、彼らに降りかかる理不尽な不幸と、人間の傲慢さや身勝手さを目の当たりにしてしまう。醜い現実をこの先も受け止め続け、それでも信念を保っていける自信が、コールにはなかった。
「辞める気なのか?」
ヤンキーの問いにコールは、頷くとも首を横に振るともつかない、曖昧な態度をとった。
「分かりません。まだ、悩んでるんです」
仕事について悩んでいるなど、さっき出会ったばかりのヤンキーに、なぜ話してしまうんだろう。自分でも不思議だった。
「そっか。俺にしてみれば羨ましいけどな。俺は死んだの相手にしてるから」
「え?」
ヤンキーの一言に、うつむいていたコールは顔を上げた。
死んだの相手? ペットの? それってつまり、環境事務所の仕事をしている、ということだろうか。見た目からは想像もつかない職種である。
「誰かがやらなきゃいけないし、俺には出来るからやるんだけど、たまに思うんだよ。こいつ、生きてる時はどんなだったんだろうなーって」
環境事務所には、路上で死んだ犬や猫の死骸回収や、死んだペットの引取りを行う部署がある。ヤンキーはそこで働いているのだろうか。
「仕事だからさ、そこを考えても仕方ねえんだけど。ここにいる奴ら、将来俺が処理しなくても済むように願うよ」
ヤンキーは言って、ケージの中の生き物たちを、ぐるりと見回す。その眼差しは、生き物への親愛の情に満ちていた。
ヤンキーはその後も、時々店にやって来ては、コールと他愛ない世間話を交わしたり、生き物たちとのふれあいを楽しんだ。
コールは、もう少しだけバイトを続けようと思い始めていた。またいつか、辞めたくなってしまうかもしれない。でも今は、ショップにいる子たちを精一杯世話しよう。そして彼らのために、間違いのない良い飼い主を見つけるのだ。
それが、命を扱う仕事を選んだ自分の、果たすべき務めだ。